
【2011年の記事】
何かのすごいセラピーで すべてが一瞬にして変わる・・・
それって すごい事でしょうか?
それも時には必要かもしれませんが、私たちが「肉体」を持って生まれてきた理由は
自分の意志で 肉体の記憶を乗り越えること。
そのために気づきを起こすことは必要ですが、別の力で何とかしようとするのは
本当の変化ではないのかもしれないと感じます。
大切なのは「自分」を持っていきることの本当の意味を
腑に落として、それを日常で実践し体の記憶を乗り越えること。
それは・・・
体という大きな船の方向を これまでと違った方向に持っていくようなもの。
たとえば
今までまっすぐに進んで「これでいいと思っていたが、どうやら違うぞ。左へ行くんだ!」
と気づいたとします。
大きな船であればあるほど、方向を変え
ちゃんとその方向に曲がりきるには 相当の時間がかかります。
完全に向きが変わるまでは、ずっと曲がり終わるまでやめちゃいけないってことです。
途中でやめちゃうと、元に戻ってしまいます。
曲がり切ってしまえば(完全に方向が変われば)加速がつき その方向へまっすぐに進めます。
船を引っ張るのは 自分の「意志」と「行動」です。
行く方向にしっかり目を向けて 舵を取る。きれいごとじゃなくて、もっと泥臭い作業です。
深い部分に刷り込まれたものほど
大きな記憶、強固なプログラム、強固な思考パターンです。=大きな船!
カラダの記憶、カラダのパターンのままでうごいたら、人生は変わらないのです。
人間が「何かを学ぶために生まれてきた」とするなら、
何かの絶対的なチカラ(きれいごとのスピとかオカルトとか霊能者とか、天使見える系とかね)なんかで
なんとかしようなんて思わなくても
ちゃんと学んで成長するためのすべてのものがそろっているのが人生なのではないかと考えています。
もしも、何か特別(と思わせる)の力で
「潜在意識をきれいにする」とか「愛の力で癒す」なんて、ちょっと違うように思えて仕方ない。
別にあってもいいし、それに頼る時期もあってもいいと思うのだけれど
もしも 自分ではない力で楽になったり、今幸せになったような気になっても
自分が現実でやって変化したものではないので
きっと、もう一度生まれてくるときに同じ課題をもってやり直すのです。
ま、それもよいのでしょう。
なんどでも、乗り越える課題はやってくるのです。
自分の意志で乗り越えたモノではなく、他の力を借りたんだもの。
そんなふうに考えると なんか 毎日の意味が 変わってくるんだよね~。