天照大神、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の三柱の神を古事記では三貴子(みはしらのうずのみこ)という。書紀の本編では伊弉諾尊と伊弉冉尊が大八洲国と山川草木を生んだあと、天下を治める者として生んだ神々である。古事記では、伊弉冉尊の死後に黄泉の国を訪れて彼女の遺体を見てしまった伊弉諾尊が命からがら帰還、その穢れを拭って身体を清めるために禊ぎをしたときにその身体から生まれた神々となっている。書紀の一書(第6)にも同じ話が記されており、左目から日の神、右目から月の神、鼻から素戔嗚尊がそれぞれ生まれた。日の神が天照大神であり、月の神が月読尊である。
天照大神は体が光輝いて天地を照らす霊力の強い子だったので、伊弉諾尊・伊弉冉尊は天照大神をこの国に長く置いておくわけにはいかないと考え、天に挙げて天上のことを教え込むことにした。また、月読尊が放つ光は日の神の次に明るく、日に添えて天を治めることが出来ると考えて、同じように天に送った。素戔嗚尊は勇敢だったが我慢ができず、いつも泣き喚いていた。そのため国の人々は死んでしまい、青い山々は枯れ果てた。伊弉諾尊・伊弉冉尊は、素戔嗚尊は道に外れており天下に君たることは出来ない、と言って遠い根の国へ追放した。
天照大神と素戔嗚尊は記紀ともに様々なシーンで登場するが、月読尊はほとんど登場しない。役割のない月読尊がここに登場するのは、日(太陽)と月の対比という意味がありそうだが、それなら逆に素戔嗚尊の存在が不要となる。記紀では中国で聖数とされる奇数の「三」を用いて、神様が三人セットで登場することが多い。国常立尊・国狭槌尊・豊斟淳尊の三人、天御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊の三人、火闌降命(ほすそりのみこと=海幸彦)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)・火明命(ほあかりのみこと)の三人、などである。本来であれば天照大神と素戔嗚尊だけでよかったのだろうが、三人にする必要から月読尊を登場させた。また古事記においては、月読尊の存在がないとすれば素戔嗚尊が右目から生まれることになり天照大神と対等になってしまう。月読尊を右目にすることで素戔嗚尊は鼻から生まれたことにできるので、それによって一段下に位置づけようとした。月読尊を登場させた意味はそれくらいの理解でいいと思う。
天照大神は生まれてすぐに天上界に送られ、そのあとは常に高天原に居てその役割を担っている。一方の素戔嗚尊は根の国に行く前に高天原に行こうとしたり、天照大神に誓約を仕掛けたり、出雲に降り立ったり、乱暴狼藉を働いたり。大胆で行動的ではあるが、少し大げさに言うと運命に動かされている感がある。
また、天照大神と素戔嗚尊の話はどう考えても対立の図式になっている。素戔嗚尊が根の国に行く前に高天原の天照大神に会いに行く場面では、天照大神は自分の国を奪いに来たと思い込み、武装して臨戦態勢を敷き、来訪の理由を問い詰める。一方の素戔嗚尊は邪心はないといって誓約での勝負を挑む。誓約で勝った素戔嗚尊は春になると天照大神が持つ田に対して種を蒔いた上に重ねて種を蒔いたり、畦を壊したりした。秋には田に馬を放して邪魔をしたり、新嘗祭を見て神殿で大便をしたり、天照大神のいる機殿(はたどの)に馬の皮を剥いで投げ入れたり、と狼藉の限りを尽くす。ついに天照大神は怒ってしまい、天岩屋に入って岩戸を閉じて隠れてしまった。八十万神の努力によって天照大神は岩屋を出ることができたが、その後、神々は素戔嗚尊の罪を責め、罰を与えた。沢山の奉げものを供えさせ、髪を抜いて手足の爪まで抜いてその罪をあがなわせた。 そしてついに素戔嗚尊は高天原から追放されてしまう。
このあたりの記述は古事記も似たり寄ったりであり、二人の神は常に対立し、互いに争っている状態にあることが読み取れる。どう考えても同じ親を持つ血のつながった関係には思えない。天照大神は高天原の神、素戔嗚尊は根の国の神であり、この二人、あるいはこの二人を代表とする2つの集団が対立関係にあった、という考えのもとで先に進みたい。
二人の誓約の結果はこうだ。天照大神が素戔嗚尊の十拳剣を受け取り、これを三段に折って天眞名井の水ですすいで清めて、噛んで砕いて生まれたのが、田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵嶋姫(いちきしまひめ)の三姉妹、すなわち宗像三女神。次に素戔嗚尊が天照大神が身に着けていた八坂瓊の500個の御統(みすまる=玉飾り)を受け取って、天眞名井の水ですすいで噛んで噴き出した息が霧となって生まれた神が、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、天穗日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、ほか二柱を加えた計五柱の男神。そして天照大神は「三女神は素戔嗚尊の剣から生まれたから素戔嗚尊の子、五柱の男神は自分の御統から生まれたから自分の子である」と言った。このことは、三女神は素戔嗚尊グループに属し、天孫降臨につながる正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊ら五人は天照グループに属する、ということだ。宗像三女神が素戔嗚尊から生まれたということから、筑紫と出雲のつながりが考えられよう。
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天照大神は体が光輝いて天地を照らす霊力の強い子だったので、伊弉諾尊・伊弉冉尊は天照大神をこの国に長く置いておくわけにはいかないと考え、天に挙げて天上のことを教え込むことにした。また、月読尊が放つ光は日の神の次に明るく、日に添えて天を治めることが出来ると考えて、同じように天に送った。素戔嗚尊は勇敢だったが我慢ができず、いつも泣き喚いていた。そのため国の人々は死んでしまい、青い山々は枯れ果てた。伊弉諾尊・伊弉冉尊は、素戔嗚尊は道に外れており天下に君たることは出来ない、と言って遠い根の国へ追放した。
天照大神と素戔嗚尊は記紀ともに様々なシーンで登場するが、月読尊はほとんど登場しない。役割のない月読尊がここに登場するのは、日(太陽)と月の対比という意味がありそうだが、それなら逆に素戔嗚尊の存在が不要となる。記紀では中国で聖数とされる奇数の「三」を用いて、神様が三人セットで登場することが多い。国常立尊・国狭槌尊・豊斟淳尊の三人、天御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊の三人、火闌降命(ほすそりのみこと=海幸彦)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)・火明命(ほあかりのみこと)の三人、などである。本来であれば天照大神と素戔嗚尊だけでよかったのだろうが、三人にする必要から月読尊を登場させた。また古事記においては、月読尊の存在がないとすれば素戔嗚尊が右目から生まれることになり天照大神と対等になってしまう。月読尊を右目にすることで素戔嗚尊は鼻から生まれたことにできるので、それによって一段下に位置づけようとした。月読尊を登場させた意味はそれくらいの理解でいいと思う。
天照大神は生まれてすぐに天上界に送られ、そのあとは常に高天原に居てその役割を担っている。一方の素戔嗚尊は根の国に行く前に高天原に行こうとしたり、天照大神に誓約を仕掛けたり、出雲に降り立ったり、乱暴狼藉を働いたり。大胆で行動的ではあるが、少し大げさに言うと運命に動かされている感がある。
また、天照大神と素戔嗚尊の話はどう考えても対立の図式になっている。素戔嗚尊が根の国に行く前に高天原の天照大神に会いに行く場面では、天照大神は自分の国を奪いに来たと思い込み、武装して臨戦態勢を敷き、来訪の理由を問い詰める。一方の素戔嗚尊は邪心はないといって誓約での勝負を挑む。誓約で勝った素戔嗚尊は春になると天照大神が持つ田に対して種を蒔いた上に重ねて種を蒔いたり、畦を壊したりした。秋には田に馬を放して邪魔をしたり、新嘗祭を見て神殿で大便をしたり、天照大神のいる機殿(はたどの)に馬の皮を剥いで投げ入れたり、と狼藉の限りを尽くす。ついに天照大神は怒ってしまい、天岩屋に入って岩戸を閉じて隠れてしまった。八十万神の努力によって天照大神は岩屋を出ることができたが、その後、神々は素戔嗚尊の罪を責め、罰を与えた。沢山の奉げものを供えさせ、髪を抜いて手足の爪まで抜いてその罪をあがなわせた。 そしてついに素戔嗚尊は高天原から追放されてしまう。
このあたりの記述は古事記も似たり寄ったりであり、二人の神は常に対立し、互いに争っている状態にあることが読み取れる。どう考えても同じ親を持つ血のつながった関係には思えない。天照大神は高天原の神、素戔嗚尊は根の国の神であり、この二人、あるいはこの二人を代表とする2つの集団が対立関係にあった、という考えのもとで先に進みたい。
二人の誓約の結果はこうだ。天照大神が素戔嗚尊の十拳剣を受け取り、これを三段に折って天眞名井の水ですすいで清めて、噛んで砕いて生まれたのが、田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵嶋姫(いちきしまひめ)の三姉妹、すなわち宗像三女神。次に素戔嗚尊が天照大神が身に着けていた八坂瓊の500個の御統(みすまる=玉飾り)を受け取って、天眞名井の水ですすいで噛んで噴き出した息が霧となって生まれた神が、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、天穗日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、ほか二柱を加えた計五柱の男神。そして天照大神は「三女神は素戔嗚尊の剣から生まれたから素戔嗚尊の子、五柱の男神は自分の御統から生まれたから自分の子である」と言った。このことは、三女神は素戔嗚尊グループに属し、天孫降臨につながる正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊ら五人は天照グループに属する、ということだ。宗像三女神が素戔嗚尊から生まれたということから、筑紫と出雲のつながりが考えられよう。
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