2016年6月18日(土)、快晴のこの日、奈良県の葛城地方一帯を車で巡った。鴨都波神社、葛木御歳神社、高鴨神社、一言主神社、そしてこの室秋津島宮址と宮山古墳。
室秋津嶋宮は奈良県御所市にあり、第6代考安天皇の宮である。宮山古墳の後円部に接するところにあり、現在は八幡神社となっている。宮を感じさせる痕跡はまったく残っていなく、それよりも八幡さん拝殿左手の鳥居をくぐって古墳の頂上へ上ることができるので、そちらに興味がいった。
宮山古墳は別称「室大墓」と言われている。全長が238m、全国第18位の規模の前方後円墳で、5世紀初頭の築造と推定されている。被葬者としては記紀に伝わる葛城襲津彦に比定する説が有力視されている。
埋葬施設は、後円部に2ヶ所、前方部に2ヶ所、張出部に各1ヶ所の計6ヶ所と推定される。後円部の2ヶ所は、それぞれ竪穴式石室に竜山石製の長持形石棺を納めたものである。長持形石棺は「王者の石棺」とも称される王墓に特有の棺であるが、本古墳の棺はその中でも大規模な部類になる。石棺は現在も石室に納めた状態のまま保存されている。この石室周囲には2重の埴輪列が長方形に巡らされていた。埴輪列のうち、外側列は甲冑形埴輪(冑は革製)・靭形埴輪・盾形埴輪など高さ約1.5メートルを測る埴輪40体前後から成る大規模な武器形埴輪列、内側列は円筒埴輪・朝顔形埴輪列とする。武器形埴輪は正面を外側に向けて被葬者を守る意味合いを示す。そのうち冑形埴輪が当時一般的な鉄製冑形でなく革製冑形であることから、被葬者自身の武具の象徴というよりも被葬者を守護する親衛隊の象徴と見られる。また2重埴輪列のさらに南側には、大型の家形埴輪5体以上が置かれていた。
鴨都波神社、葛木御歳神社、高鴨神社、一言主神社はまた別の機会にアップします。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
室秋津嶋宮は奈良県御所市にあり、第6代考安天皇の宮である。宮山古墳の後円部に接するところにあり、現在は八幡神社となっている。宮を感じさせる痕跡はまったく残っていなく、それよりも八幡さん拝殿左手の鳥居をくぐって古墳の頂上へ上ることができるので、そちらに興味がいった。
宮山古墳は別称「室大墓」と言われている。全長が238m、全国第18位の規模の前方後円墳で、5世紀初頭の築造と推定されている。被葬者としては記紀に伝わる葛城襲津彦に比定する説が有力視されている。
埋葬施設は、後円部に2ヶ所、前方部に2ヶ所、張出部に各1ヶ所の計6ヶ所と推定される。後円部の2ヶ所は、それぞれ竪穴式石室に竜山石製の長持形石棺を納めたものである。長持形石棺は「王者の石棺」とも称される王墓に特有の棺であるが、本古墳の棺はその中でも大規模な部類になる。石棺は現在も石室に納めた状態のまま保存されている。この石室周囲には2重の埴輪列が長方形に巡らされていた。埴輪列のうち、外側列は甲冑形埴輪(冑は革製)・靭形埴輪・盾形埴輪など高さ約1.5メートルを測る埴輪40体前後から成る大規模な武器形埴輪列、内側列は円筒埴輪・朝顔形埴輪列とする。武器形埴輪は正面を外側に向けて被葬者を守る意味合いを示す。そのうち冑形埴輪が当時一般的な鉄製冑形でなく革製冑形であることから、被葬者自身の武具の象徴というよりも被葬者を守護する親衛隊の象徴と見られる。また2重埴輪列のさらに南側には、大型の家形埴輪5体以上が置かれていた。
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |