本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

娑婆=耐え忍ぶ世界

2021-02-07 20:16:18 | 十地経

「娑婆」という言葉も

今では、

あまり使われなくなりました。

どうも、俗語として使う方が

一般的なような気がします。

とても大切な仏教語なのですが

 

「娑婆」シャバということは

サハーという言葉を音写した

もので、訳すと

忍、堪忍、能忍となります

経典では「娑婆世界」という

熟語で出てきます。

それで、忍土、忍界、堪忍土とも

いいます。

それで、

お釈迦さまが出世せられた

この世界のことです。

衆生は諸々の煩悩を忍受し、

聖者は疲倦ヒケンを忍んで教化をする

ということでこの世界を堪忍と

いいます。

 

講義の中では、

「娑婆というのは忍土という

意味ですね、忍土。

こういうとらえ方も面白いのでは

ないか。

我々の住んでいる世界

というものは、

なんでも割り切って生きるという

ことの出来ん世界だと、

こういうわけです。

何故かというと、

耐え忍ばなきゃならん世界だと、

こういう具合にとらえるんです。

いかにも実感のこもった言葉です

何でも割り切っていける

世界じゃないと。

 

だからいつでも

一般論と特殊論とは矛盾する、

原理と事実はね。

原理的にはそうであっても

実際はそうはいかんと。

そういうようなわけで、

だからイデオロギーというような

もので、なんでも一挙に

片付けてしまうというわけに

いかんですわ。

しかしそうかといって

妥協するわけにもいかんですけど

とにかくその、

割り切れん世界に耐えるという

場合にね、妥協していくんじゃ

ないですわ。

 

やっぱりそこに、

大きな智慧がいるんじゃないか、

無生という。

無生というのは、つまり

理論的に無生ということを

いっとるんじゃない

理論で無生ということを

いうとるんじゃないんです。

対治を意味するんだ。

とにかく、

無性という概念は実践的意味を

もっとるでしょう。

客観的な真理で無生ということ

を明らかにしとるんじゃない。

存在の実相を明らかにしていく。

 

それによって、

我々がその実相を、

知らんというとね、

知らんだけならいいんです

けども、

実相を、真実というものを

知らんというと、

真実でないものを真実と

するんです。

真実が分からんというと、

分からんだけでは終わらんのや。

今度は、

真実でないものを真実とする、

逆しまになるでしょ、

それを顛倒というわけです。」

 

ここでは、

娑婆ということと、

よく言われたことですが、

本当のことを知らないと

それだけでは終わらないで

本当でないものを本当とする

という二つの過ちを犯す

ということです。

 

本当のことを知らない

それだけで

私は知りませんといえば

いいのですが、

本当のことを知らないと

本当でないものを本当として

さらには、それに固執して

離そうとしないという

これが絶対!と

思ってしまいます。

 

人間妙なもので

最初に聞いたことは

何かしら心に残り

それが正しいと思ってしまい

後から

いくら本当のことを聞いても

それを正そうとしないのです。

 

ですから、

一番初めに

本当の教えを聞くということは

本当に大切なことです。

こういうことからしても

幼児教育の大切さが

あるように思います。

 

そして、娑婆という忍土

ということです

耐え忍ばないで

すき放題勝て気ままにできれば

何といいかと思うのですが

そうすれば人との衝突が出来

社会が成り立ちません。

それで、

無生法忍という智慧が無ければ

耐え忍べないということでしょう

 

 

 

 

 

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