本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

『お蚕さんから糸と綿と』

2021-02-15 20:44:50 | 住職の活動日記

この本を知ったのは

京都新聞の「凡語」の欄に

紹介してあったからです。

早速取り寄せて見てみると、

蚕とか絹ということは知っていて

なんとなく糸の作り方とかは

分かっていたつもりでしたが

読んでみると

驚くことばかりでした。

 

 

写真家・大西暢夫さんの

4年かけて追った労作です。

 

思い出すのは

子供の頃、

母と一緒に整理していた時

たぶん、曾祖父が使っていた

大島の帯、

一見すると普通なのですが

ひっくり返すと裏は

丁寧に修理されたあとが

継ぎ接ぎして柄を合わすように

補修されているのです。

「昔の人はこうやって

大事にしたのよね!」と

言っていました。

 

そういえば

私が今もっている衣は

祖父の晋亮法印のもので

とてもしっかりした正絹です

それを洗い張りして染め直し

仕立て直したものです。

というのは

今ごろの正絹は外国産が多く

日本のものは値段も高く

数も少ないものです。

ざっと考えても百年以上は

経っているものです。

大切に使えばさらに数十年は

使える代物です。

 

この本を読みながら思い出すのは

修行中に寒さに震えていると

ご信徒の方が

これを背中に貼りなさい

と頂いたのが真綿です。

背中がジーンと暖かくなり

何という優れものと

そっと衣と白衣の間に忍ばせて

寒さを逃れたものでした。

修行も後半戦になると

寒さも揺るぎ、

真綿も必要なくなり

捨ててしまいました。

 

ところが、この本を読むまで

真綿と木綿の綿の違いを

知らなかったのです。

蚕からとった綿を真綿

綿花から出来ている綿を木綿

というのです。

「真綿だからね!」と

念を押されて

頂いたのを思い出します。

 

蚕も養蚕業の方は

「お蚕さん」や「お蚕様」と

大切に呼んでおられます。

そして数を数えるのも

一匹二匹ではなく

一頭二頭と牛や馬と同じように

数えます。

それほど大切に養い育てて

おられるのです。

 

今では養蚕の人は少なくなり

この本で紹介されている

ところも滋賀県と岐阜県の県境

金糞岳(カナクソダケ)標高1317m

から流れ出る草野川の麓の集落の

1軒だけだそうです。

 

絹というのは

シルクロードともいわれる

道があるように

西洋の人にとっても大変貴重な

品物だったのです。

木綿や麻しかない時

あのシルクの肌触りと光沢は

何とも言えない品だったのでしょう

ナイロンが出来てからは

それに代わってしまい

養蚕をやる方も少なくなった

ということでしょう。

昔、デパートに行くと

ストッキングの修理を目の前で

やっている光景を目にしました

それが何だかその時は分からず

物珍しさにジッと見ていた

という記憶があります。

 

そういう名残でしょうか

管長さんが就任されたりすると

お祝いに絹の反物を差し上げた

ものです。

絹というのは

お金にも匹敵するほどの

値打ちある品物だったのでしょう。

 

今は何でも使い捨ての時代

形が古くなったり

飽きが来てしまうと断捨離宜しく

惜しげもなく捨ててしまいます。

文中にも、

 

「糸や綿が、命あるものから

生まれてくるということを

ぼくは忘れかけていた。」

 

とあります。

2,5㎏の布団一枚作るだけで

1万頭のお蚕さんを全部使う

ことになるということです。

今は真綿の布団は

あまり見かけませんが

1万頭の命の上に寝ている

と考えると勿体ないような、

また、着物1着で3千頭もの

お蚕さんが必要ということです。

 

昔の人は着物にしても綿にしても

全部いのちから出来ている

ということを知っていたのです

単なる着物ではなく

命から頂いたものという

そこから古びた着物でも

大切にされてきたのでしょう。

 

とても感慨深いものがありました

 

 

 

 

 

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