本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

安田先生の声「身辺雑感」

2021-02-27 21:06:59 | 十地経

「いろんなことがありましたが、

長い間私病気していた

もんですから、

それからまた

最近は火事にあうというような

ことがあって、

いろんな事件がありましたが、

機縁が熟しまして、

北陸相応学会の会を、

いったん中止していたのを

再び始めるというようなことに

なりました。

これが、再出発の第一回目

ということになりました。」

 

という文で始まるのですが、

安田先生の17回忌を記念して

『摂大乗論聴記』ショウダイジョウロン

として出されたものです。

講義に入られる前に語られる

言葉が身近に感じられ

先生ご自身の生身の言葉として

響いてきます。

 

「それで、きのう、

相応学舎の日誌がありまして、

それを見ていたんですが、

昭和42年ですから、

いまからちょうど7年ほど

前ですね、

金石カナイワでこの『摂大乗論』

の会がありまして、

そのときに風邪を引いたんですわ

非常に寒かった。

異常な寒さでした。

しかし、外の方はそういう事情

ですけど、

自分自身の方からいうというと

やっぱり疲労していたという

ことがあるでしょうね。

 

大体、私は、

個人的なことですけど、

余り話をするということが

好きじゃないんですわ。

だから、講義だから

これを長い間続けてきましたけど

そういうようなことで、

あちこちの講義に

引きずり回されたというような

ことで、疲れていたんだと

思いますね。

そういうときにやっぱり、

体の調子が悪いもんで、

内にはそういう身体の事情があり

外には異常な寒気というものが

あって、

始めはそれがわからなかった

ですけどもですね、

これは肺炎になる危険がある

ということを注意されて、

それで入院したんですが、

それが42年です。」

 

ちょうど「十地経講義」が

再開されたのも

昭和46年3月28日です。

それまでは講義録としては

残っていないのですが

講義は一泊二日ということで

先生もお泊りになり

夜は決まって「おでん」という

ことでそれをつまみながら

結構議論が伯仲していました

私はまだ学生で

何のことやら分からずじまい

でした。

けど振り返って今思うと

先生が入院されていた間に

いろいろの問題が起きたのです

教えということの大事さ

聞法がなくなると

あちこちで歪みのようなものが

出てきて組織としても

些細な問題が大問題に

発展していくものです。

 

その時の講義の第一声が

「ちょうど4年ほどこの会も

間ができましたんですが、

今度もまた、相応学舎の講義を

ここで始めていただくことに

なりました。

4年間たつというと顔も大分

変ってきていますし、

それから顔は変わらんにしても

気持ちは大分変って

きていますから、

テキストを改めてもという具合に

そんなことも考えられるし、

また今『十地経』ですけども、

初めからやり直したらどうだ

というようなことも考えられたん

ですけども、

これはやっぱり『十地経論』という

ものは何回も繰り返して読み返す

ということが必要だと

思うんですね。

 

見て敬い聞いて忘れず

ということがありますが、

結局学問とか研究とかいうことを

簡単にいえば、

聞思ということですね。」

 

ということで始まります。

やはり心に残る言葉は

「見て敬い聞いて忘れず」

ということです。

ただ聞くのではなく

参考までにとか聞き流す

ということではなく

敬い聞くという姿勢が大事で

そして忘れないということですが

なかなか自分にとって

出来ないので心に響くのかも

しれません。

 

どの言葉も先生の言葉なのですが

自分自身の病気のこととか

火事にあわれたことなど

そういう言葉が先生を身近に

感じる言葉でもあります。

 

 

 

 

 

コメント
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