本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

呻きながら哲学する

2022-06-25 06:43:12 | 十地経

早速ですが講義では

なんかここのところはとても

響いてきましたので、

 

「そうすればその失敗した

という事業が、

大きな菩提心を荘厳してくる

ことになるんです、ん。

そういうようにして、

人間が悪戦苦闘を重ねて、

人間が健康な人間に

なっていくのが、

それが菩薩というもんです。

 

人間が菩薩になるならば

どんな事件も

意味があるんですわ。

その信念を、

決して忘れてはならんのは

その一点ですね。

その一点を忘れると

神経衰弱になっちゃうんだ

人間は。

早うなんか一服したい

ということなっちゃう。えっ。

 

だから、

荘厳というようなことも

なんかこう

文学的なロマンティッシュな

ことを言っとるんじゃない、

もうそこには

非常に深い、現実にですね、

足があるんですわ。

 

あのー、

パスカルという

フランスの人がいますが、

哲学……。

呻(うめ)きながら

哲学するという、

呻きながらね。

こういうことが大事なんだ。

本当の哲学というものは

そういうところから

生まれてくるもんなんです。

ただ学問が好きだとか、

そんなような浮いたですね、

とこから

生きた哲学というものは

生れやせんですわ。

 

そういうものはみんな

哲学の … 、

教養なら生まれてくる、

講壇哲学の。

真に自己を救い

世界を荘厳するような哲学

というものは、

呻くような苦悩から出ないと

生まれてこないんですわ。

菩薩道というものは

そういう、ちゃんとね、

現実の人生というものに

足を置いてやっとるんです。

 

凡夫というと

能力の低い人間という

意味じゃないんです。

現実に生きとる人間

という意味です。

研究室の人間でない

という意味だ。

 

研究室のようなものに

抽象化された人間でなくて

人間が現実に生きる場合は

必ず凡夫なんですわ。ん。

現実の世界を背負うて

生きとる人間です。えっ。

 

生きる言葉もう

煩悩悪行を作らざるを

えないんですわ。

煩悩も作らず悪行も作らず

生きとるということは

考えられん。

抽象的世界だ、えっ、

思惟の世界だけにあること

であってですね。

 

生きることが悩みなんです。

それだからして、

呻きながら思索する

というのはそれなんですわ。

そこに凡夫があるんです。」

 

ということなんです。

私にとっては

とても力をいただく言葉です。

 

 

 

 

 

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