昨日、この間ずっとかかえていたやっかいな仮題がふたつ解決した。
ああーーぁ、スッキリ!
残りはあとふたつ。
そのうちの0.5だけただ今完了!
1.0に至らなかったのが悔しい。
なにごとも常に運の良い私に、どうにもならない困ったことなど起こらないのですが、
仕事が追いつかない日々が続くと気持ちに余裕がなくなるので、
細かいミスが増えたり、人への接し方は、ついつめたくなったりしまう。
このところ、月夜野の実家の伯母のご縁で、
月夜野から戦争中、少年飛行兵として「特攻」に行った方の文集冊子を作っています。
しっかりとした文章は書ける方なのですが、たくさんの資料を出してくれながら
肝心な自分の体験部分をなかなか書いてくれない。
ほんとうのことは、辛くて思い出すことも嫌なのだと言う。
ところが、すべてではなくても、その部分に少しでも立ちいってもらわないと
その方がせっかく遺した文集の意味が無くなってしまう(と思う)。
訪問してお会いした折や、この間、何度か電話ででも、
自分で考えて書くのは大変でしょうから、私からの質問、応答というかたちででも
少し書いてはもらえないだろうかと話をもちかけてみた。
ところが、その都度、否定はしないものの少し時間が経つと、
仮に作成した冊子のあの内容でもう良いから、印刷して欲しいと言ってくる。
もちろん、高齢で体力的な不安などもかなりあるだろう。
でもなんとかして、そこに踏み込まなければ、
この文集を作る意味と、ただの印刷屋や自費出版請負業者でない私がお手伝いする意味も無くなってしまう。
このことは、紹介してくれた伯母もなにかと心配してくれて、もう余計なことは考えずにただビジネスベースで割り切ってはどうかとしきりに薦める。
たぶん、それが普通の世界なのだろう。
でも、テーマ館でも取り上げている「「今、戦争をどう語るか」」という問題の実態に入るためには、どうしても史実の記述だけでなく、自分の身の回りにいる人が、いまこの瞬間にそれぞれがどうかかわっているのかというところまで突き詰めないと、肝心なところにたどり着けないような気がしてならない。
まさにそれは十人十色の世界があるのだけれど、そこで十人十様で自分に向き合うことこそ大事なとこで、まさにそれは棺桶に片足突っ込むまで向き合い続けなければならないと言ってもいい。
こんな私の意見は、実際の苦労を知らないものの無責任な意見かもしれないが、
なにも不特定の人にその胸の内をすべて出すことを求めているわけではない。
自分の胸の内で、逃げずに向き合っている姿だけでも垣間見ることができれば、
文章には説得力が出てくると思う。
・・・・なのだけど、
どうも、これ以上言うのは、年寄りを無闇に追い込むばかりになってしまいかねないので、
もう諦めて、印刷に入るしかないのだろうか。
「遠い過去、消えない記憶」というタイトル、
これはTさんの出した「少年飛行兵の思い出」では、
今ひとつその苦しい体験の思い出のイメージが伝わってこないので
私の方から提案したもの。
これは、テーマ館でもずっと追っているテーマ。
とりあえず、もう一度会って話してみよう。
ああーーぁ、スッキリ!
残りはあとふたつ。
そのうちの0.5だけただ今完了!
1.0に至らなかったのが悔しい。
なにごとも常に運の良い私に、どうにもならない困ったことなど起こらないのですが、
仕事が追いつかない日々が続くと気持ちに余裕がなくなるので、
細かいミスが増えたり、人への接し方は、ついつめたくなったりしまう。
このところ、月夜野の実家の伯母のご縁で、
月夜野から戦争中、少年飛行兵として「特攻」に行った方の文集冊子を作っています。
しっかりとした文章は書ける方なのですが、たくさんの資料を出してくれながら
肝心な自分の体験部分をなかなか書いてくれない。
ほんとうのことは、辛くて思い出すことも嫌なのだと言う。
ところが、すべてではなくても、その部分に少しでも立ちいってもらわないと
その方がせっかく遺した文集の意味が無くなってしまう(と思う)。
訪問してお会いした折や、この間、何度か電話ででも、
自分で考えて書くのは大変でしょうから、私からの質問、応答というかたちででも
少し書いてはもらえないだろうかと話をもちかけてみた。
ところが、その都度、否定はしないものの少し時間が経つと、
仮に作成した冊子のあの内容でもう良いから、印刷して欲しいと言ってくる。
もちろん、高齢で体力的な不安などもかなりあるだろう。
でもなんとかして、そこに踏み込まなければ、
この文集を作る意味と、ただの印刷屋や自費出版請負業者でない私がお手伝いする意味も無くなってしまう。
このことは、紹介してくれた伯母もなにかと心配してくれて、もう余計なことは考えずにただビジネスベースで割り切ってはどうかとしきりに薦める。
たぶん、それが普通の世界なのだろう。
でも、テーマ館でも取り上げている「「今、戦争をどう語るか」」という問題の実態に入るためには、どうしても史実の記述だけでなく、自分の身の回りにいる人が、いまこの瞬間にそれぞれがどうかかわっているのかというところまで突き詰めないと、肝心なところにたどり着けないような気がしてならない。
まさにそれは十人十色の世界があるのだけれど、そこで十人十様で自分に向き合うことこそ大事なとこで、まさにそれは棺桶に片足突っ込むまで向き合い続けなければならないと言ってもいい。
こんな私の意見は、実際の苦労を知らないものの無責任な意見かもしれないが、
なにも不特定の人にその胸の内をすべて出すことを求めているわけではない。
自分の胸の内で、逃げずに向き合っている姿だけでも垣間見ることができれば、
文章には説得力が出てくると思う。
・・・・なのだけど、
どうも、これ以上言うのは、年寄りを無闇に追い込むばかりになってしまいかねないので、
もう諦めて、印刷に入るしかないのだろうか。
「遠い過去、消えない記憶」というタイトル、
これはTさんの出した「少年飛行兵の思い出」では、
今ひとつその苦しい体験の思い出のイメージが伝わってこないので
私の方から提案したもの。
これは、テーマ館でもずっと追っているテーマ。
とりあえず、もう一度会って話してみよう。