北海道大学キャンパス
私にとって、今年ほど桜漬けだった年はない。
先日は、わけあって北海道にまで行って桜を見てきました。
おかげで桜に対する見方も、随分変わりました。
そんなことのひとつで、よく知れた「桜伐るバカ、梅伐らぬバカ」という言葉、今は違うのだという話を私は今年になってはじめて知りました。
原則から間違っていたのか、例外が認められるだけなのかはよくわかりませんが、
この常識を覆すきっかけは、青森県弘前公園のソメイヨシノらしいのです。
自ら繁殖することの出来ない桜は、寿命が40年から60年くらいと言われています。
この自ら繁殖することの出来ない樹という意味もよくわからない。
この日記でも紹介したヒガンザクラなどは数百年も生き延びますが、今盛りの大半のソメイヨシノの多くが戦後植えられたもので、40~60年の寿命をむかえるものが多いと話題にもなっています。
ところが、この弘前公園のソメイヨシノの一番古い樹は今年で128年にもなるとのこと。
さらに百年級のものが300本も存在しているという。
こんな長寿の桜が群生している例は、他にみられないそうです。
その背景は、青森県が同じバラ科であるリンゴの高い栽培技術があることによるようです。
リンゴや桜が同じバラ科だということも驚きですが、リンゴの栽培で培った剪定技術や施肥、根回りのチェック、害虫よけなどこまめに手をかけることが、長寿の桜を生むことになったというのです。
長い間、伐ってはいけないと言われたものを伐ってもよいという判断に変わった根拠のひとつは、長寿系の桜は主幹が朽ちているにもかかわらず、新たに細い不定根、不定芽が成長し、それが太い幹にまで成長することが専門家の間で確認されていることによるようです。
挿し木や接木などをみていると、確かに容易に想像はできることです。
多くの樹は、はじめから根と幹と葉っぱが別々のものとして成長するのではなく、それぞれの細胞のある場所が、そこにふさわしい機能を育てていくようなものです。
たまたま地面の下にあった幹が根となっていったに過ぎない。
たまたま地上にああった幹が葉っぱをつけたに過ぎない。
実をつけなくてどうやって種が存続できるのか、不思議でなりませんでしたが、
人間の力に頼らなくても現存する桜は、細々とながらも自然界で生き続けてきたはずです。
子どものいない私は、その生命力にひと際共感してしまいます。
このブログのひとつのテーマでもある「生命の再生産」は、なにも雄と雌との生殖によるものだけではありません。
受け継ぐべきものがあれば、きっとそれにふさわしい場所に受け継がれていく。
今年は、桜によいことを教わりました。