このところ企業への節電要求が、日本の産業の競争力をさらに減退させるのではないかという懸念が広がっています。
でも私にはどうしても理解できない。
今の電力不足問題は、夏の猛暑の時期、エアコンなどの利用が増える時間のピーク電力需要が電力会社の最大供給能力を超えた時だけの問題で、それ以外の大半の時間帯は、電力の削減・節約をしても、今の電力危機を解決する方法としては、そもそもほとんど何の意味も持たないのではないだろうか?
あくまでも電力危機は、需要のピーク時に供給能力を超えてしまうことを避けるにはどうしたら良いかの問題であるはず。
もちろん、無駄なエネルギー排出を減らすこと自体は、環境のためにも必要なことで意義があることは疑いません。
しかし、夜間の余剰電力を利用した揚水発電の事例にも見られるように電力の余る時間帯に、一生懸命節電することの意義がどれだけあるのだろうか?
残業禁止の取り組みや夜間の照明を落として電力節約することに、どれだけの意義があるのだろうか?
まだしも震災直後の計画停電の時期は、国民的な協力で危機を乗り越えようといったムードが強かったので、細かいことを問題にする必要もなかったかもしれないが、今、この時期に及んで、総量規制的な節電協力の発想はどうしても理解ができません。
多くの企業が、厳しい経営環境のなかにもかかわらず、15%削減に涙ぐましいほどの努力をして協力している姿を見ていると、なぜそれほどまでに協力しなければならないのか?
東電の圧力や権限がそれほど強いからなのか?
単に企業の社会貢献意識の高さの現われなのか?
やはり私には理解しがたい。
工場が平日休業を増やし土日稼動へ移行するなどの、ピーク時の電力使用が跳ね上がることだけに、もっと集中して対策を打つほうがはるかに大事なのではないだろうか。
業種ごとに個別に対策を考えれば、打てる手立てはいろいろ出るはず。
電力の需要に応じて供給側の量を簡単にON、OFFの切り替えの出来ない、作り出したら止められない原子力発電の思考枠に、なぜそうまでしてあわせなければならないのでしょうか?
これから増強が求められる自然エネルギーは、電力の計画的な安定供給が難しいなどとよく言われますが、需要が減っても無駄な電力を作り続け、ちょっとした事故のたびに莫大な発電が停止する原子力発電に比べて、いったいどれだけ地域分散型の自然エネルギー発電が不安定だというのだろうか。
だれか説明してくれてる人、どうか教えていただきたい。