世の中、国を問わず、性別や世代を問わず、さらには業種を問わず、おそらくまだまだ厳しい時代がつづくことと思います。
このような閉塞感がただよった時代には、「政界再編」などという言葉とともに、一度、世の中をガラガラポン(リセット)しなければだめだなどという風潮が高まってきます。もっと確たるリーダーシップが求められる時代であるとも言われます。だからこそ総選挙だ、などという言葉を聞くとわたしはとても虚しく思えてなりません。
確かにひとつの自治体や国のトップが変わるだけでも、これまで成しえなかった大きな変化が起きているのは事実です。でも、誰かに何かを期待するという発想そのものが、とても危険であるばかりか、結果は社会の進歩をもたらさないものだということも、もっとよく考えおくべきだと思います。
政治の問題に限らず、今の日本は、戦争でもおきなければもう変わらない。
いっそ隕石でも落っこちて、一度世の中をチャラにしてほしい。
などといった空気が蔓延しているのも感じます。
このような思いは、私自身もかつて思ったことがありました。
実は、つい最近、引越しなどの環境の変化もあってか、気力体力ともに喪失してしまい、最近では考えられなかったような自信喪失スランプに陥っていました。そんなときは、どうしても自力では突破口が見えなくなっているので、いっそもう一度首都直下大地震でもおきて、日本をチャラにしてもらえないものだろうか、などと考えてしまうものです。
この間、自分自身がそのような情況に追い込まれてよくわかりました。
といっても、不調のどん底にいるときにはなかなかそうした発想から抜け出せないこともよくわかったのですが・・・
ガラガラポンへの期待、
戦争でも起きなければ世の中変わらない・・・などなど
ほんとうに、そう思うほど世の中閉塞感に満ちていることは確かです。
でもよく思い出してほしい。
わたし達は、すでにそうした大変化、ガラガラポンを既に何度も経験しています。
政権交代?
政界再編?
未曾有の大災害?
どれももう起きていることではないですか。
経験していることではないでしょうか。
十分に!
にもかかわらず変えられなかった私達の力の弱さがあるということの方を、もっともっとよく見据えなければいけないのです。
いや、それは我われの責任ではなく、上の連中が悪い?
いや、もっと大きな変化が起これば、みんな目が覚める?
ひょっとしたらそうかもしれません。
でも、もう一度よく考えてみてほしい。
もっと大きな何かが起これば、それは保証されることなのでしょうか。
真に変わることを求めるのならば、目先の変化を求めてしまうほど後で大きな代償を払うことになるということも私たちは学んでいるはずです。
「他の何か」に期待するということもっと冷静に見なければいけません。
必要なもの、大事なことは
「誰か」の「他の力」ではなく
「私たち」の力なのです。
自分自身、元気なときによく言っていたことを思い出す。
会社であろうが、地域であろうが、国家であろうが、その1構成員である自分は、肩書きにかかわりなく、自分のかかわるその問題に対して常に「全権」を持っている。それこそが「一票」なのだ、などとは申しわけありませんがあまり思っていません。
もちろん、その「一票」が大事でることに異論はありませんが、たとえその「一票」を持たない、すべての社会的権利を喪失した立場であったとしても、「生きている個人」であるならば、自分がどうするかということに関しては、常に「全権」持っているという原則のことです。
誰もがスーパーマンになる努力をしなければいけないということではありません。
いやならやめる、
自分に力が無ければ助けを呼ぶ、協力を求める。
こういったレベルのことです。
自分に必要な次の一手は、いかなる場合でも自分が握っているのです。
「それぞれの国民はその国民に適合しその国民にふさわしい体制(国家)を有する」といったようなことをヘーゲルが言ってましたが、一部の人からこれは、不合理な体制を否定する権利をヘーゲルは見落としているなどとも言われました。しかしここでヘーゲルの言っている論点は、国民に不合理な体制であったとしても、国民自身がそれを変えられない限り、そこにはまだなんらかの「合理性」が存在しているという点にこそ核心があるのだと思います。弁証法議論に深入りする力は私にありませんが、閉塞感に満ちた情況から脱する手がかりというのは、難しい問題ではなく、自分に出来る次の一歩、一手をどう見極めるか、目の前のひとりにどう対処するかにこそすべてかかっているのだということです。
ほとんどの場合、すべての問題を解決する力は誰も持っていませんが、目の前のひとつの問題に集中さえできれば、多くの他の残っている困難な問題は、難問ではなくなるものです。
もちろんこれで日本が変えられるわけではありませんが、世界を変えるほどの自信がここから湧き出てくることは確かです。ひとりひとりが、自分の目の前のひとつの問題に集中することなく、国家や社会の問題が解決することは決して幸せな結末をもたらすものではないとうことを強く感じます。
マスコミに登場する人たちが、ガラガラポンを大いに議論してくれることは必要なことで、私も期待しています。楽しく見させていただいてます。
でも、私自身は決してガラガラポンには期待しません。
急激な変化や、特定の個人の力に依存した変化は、すぐに揺り戻しが起きて元に戻ってしまうからです。
次の本も、きっとこのようなことが書いてあるに違いないと思います。
ヒーローを待っていても世界は変わらない | |
湯浅 誠 | |
朝日新聞出版 |