かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

『北越雪譜』のなかに出てくる幽霊の毛塚

2012年09月16日 | 歴史、過去の語り方

記憶力は悪い私ですが、高校時代の国語の先生が、鈴木牧之の『北越雪譜』のなかの幽霊の話をしてくれたことを今も覚えています。

不思議と授業はなにも頭に入っていなくても、こうしたことだけはよく覚えているものです。

北越雪譜 (岩波文庫 黄 226-1)
鈴木 牧之
岩波書店

私は中学3年から高校3年までの4年間は、新潟県の六日町で過ごしていました。地元ゆかりの鈴木牧之のことは学校で多少のことは聞いていましたが、当時はそれほど興味を持てたわけではありませんでした。

ところが、天明の浅間山噴火から天明の飢饉、菅江真澄や同時代の良寛さんのこと、あるいは秋山郷などの山村の暮らしをたどっていくうちに、最近になって鈴木牧之がわたしにとって外すことのできない重要なキーパーソンになってきました。

そこであらためて手元にある1冊の『北越雪譜』を開いてみると、その本の現代語訳著者は、六日町中学校の田村賢一先生となっていました。残念ながらその先生の名前の記憶はないのですが、私が六日町中学校に1年だけいた時期には確かにその先生も在籍していたらしいのです。もしかしたら授業もしっかり受けていたのかもしれない。

私が六日町にいたころは、まだ今のように立派に整備された鈴木牧之記念館にはなっていなかったはずなので、仮に興味を持ってもその先のことはそれほどできていなかったかもしれません。

 

                             (上の写真の本は絶版です)

 

           ◆ ◆ ◆ 幽霊の見せ場部分 あらすじ ◆ ◆ ◆

 

あるお坊さんが、落ちて亡くなる人の多い橋のたもとで供養のためにお祈りをしていると、30歳ほどと思われる青白い女性が黒髪を乱し、濡れた着物姿で立っていました。

これは幽霊だと思い心をしずめて念仏をとなえると、女の人はスーッと寄ってきて、

「私は菊と申します。夫と子どもに先立たれ、ある村からこちらへ親戚を頼ってまいったところ誤って川に落ちて死んでしまいました。

今夜はちょうど四十九日ですが、この黒髪が邪魔をして成仏できずにいます。どうか、この黒髪をそっていただきたいのです。」

と頼む。すると坊さんは、髪をそるのは簡単なことだが、今はかみそりも持っていないので明日の夜、私の庵へ来なさいといって別れる。

 

坊さんは友人に証人として見届けてもらおうと、紺屋七兵衛に仏壇の下に隠れていてもらう。

ところが幽霊はなかなか現れない。

ついうとうとしてはっと気づくと幽霊はもう目の前に坐っている。

坊さんは心をしずめて長く濡れた髪をそり始める。

なんとか証拠の髪を取ろうとするが、髪はそり落とすと、糸に引かれるようにするするとお菊の懐に入ってしまう。

(ここが語りでは見せ場となるポイントで、高校の先生はおそらくそうした表現も上手かったので、記憶に残ったのだろう。先生の話につられ岩波文庫の『北越雪譜』をすぐに買ったのですが、読んだのはこの幽霊の場面のみでした。)

なんとか少しだけ坊さんの手に残すことができたが、お菊は白い手をあわせて静かに消えていった。

 

怖い気持ちもありましたが、ふたりはこれもなにかの縁ではないかと、お菊さんのために明日この庵で村の人も呼んで百万遍念仏をしようということになりました。

そして翌日、盛大な仏事が催されるなか、誰かがこの髪の毛を埋めて石塔を建てれば、お菊さんの心も安まるだろうと提案し、石塔を建てることにしました。 

 

                ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

この供養のためにたてられた毛塚が今も残っているというので、今回は鈴木牧之記念館をへ寄って、その場所を受付の人に訪ねてみました。

周辺の観光地図には出ていないので、わかりにくい場所なのですかと聞くと、奥から別の人が来てくれて地図を広げ一生懸命探してくれるのですが、なかなかみつからない。

当初は五十嵐橋のそばにあったものが、丸山スキー場近くの大儀寺というところに移されたという。

こちらは、だいたいの検討がつけばナビで調べてみるつもりでいたのですが、どうもはっきりしない場所らしい。

とりあえず「大儀寺」ということがわかればなんとかなるだろうと、その時は鈴木牧之記念館を後にしました。

ところが、わが車の安いナビでは、どうにも出てこない。近くまで行けば案内看板かなにかあるだろうと思ってとりあえず出発してみましたが、とうとうそれらしいところは見つけらずに十日町のその日の宿に向かうことになってしまいました。

宿で改めてネットで検索したらそれらしい場所がわかたので、今度はナビにはおよその位置指定をセットして翌日の帰りに再度寄ることにしました。

すると、ナビの案内は石打丸山スキー場は通り越して隣りのスキー場から、ゲレンデ内の細い道をどんどん上がっていく。

心細くなったので、車を降りて近くにいたおばあちゃんに聞いてみると、どうも話が通じない。

この辺に寺などないと。

とにかく、こっちから丸山スキー場へ抜ける道はどれかと聞くと、その上を行けば抜けられるというので、再度、心細い道をどんどん登っていった。

すると、どう考えてもこれは四駆のオフロード車じゃなければ無理だろうといった微かなワダチの残る草の繁った急坂にぶつかってしまった。車を降りて少し登ってみたが、どう考えてもこれは乗用車では無理。

また引き返して別の道に入ると、私たちはなんとか丸山スキー場の中腹にたどりつくことができました。

すると、思わぬところで魚野川が流れる美しい景色が、眼下にぱっと飛び込んできました。

 

 

ここで周囲を見れば、どこかにそれらしいお寺は見えないかと場所をを移動してみましたが、やはりそれらしいものは見つけることが出来ませんでした。

まあ、これだけの景色を見ることができたのだから良いかと諦めて、今度は来た道をは別のルートに挑戦しながら下りはじめたら、ちらっと墓地らしきものが下方に見えた。もしかしてあそこでは、と思い下って行くと確かにありました。大儀寺。

 

 ありました、幽霊お菊さんの毛塚

 

どうやら墓地の集団移転の都合でこちらにきたらしい。

冬は完全に雪の下に埋もれてしまうだろう。

すぐ隣りはスキー客の喧噪があふれる場所で、寂しくはないかもしれないけれど、おそらく誰にも気づかれることはないと思います。

でも、ほとんど諦めかけていたところをここまで導いてくれたお菊さんには感謝。

 

これは鈴木牧之記念館に戻って、毛塚への行き方をきちんと教えて来た方がいいなと思いました。

つまり、これほど魅力ある話の重要スポットを紹介する人、訪ねてくる人があまりいないということなのです。

まあお菊さんも、あまりにぎやかな場所にはならないほうが幸せなのかもしれないけれど、幽霊が実在した貴重な証拠の供養塚のことは『北越雪譜』のクライマックスともいえる話なのだから、もう少しわかりやすくしておくべきでしょうね。

 

どこへ行っても感じることですが、様々な記念館や博物館をつくって大事な資料を保存することはとても大事なことです。しかし、それ以上にそれらの実際の背景になっている場所を自分たちで楽しみながら歩き見てまわれる環境をこそ大事にしてもらいたいものです。

日本中どこへ行っても、普段見ているなにげない景色のなかには、必ず面白い物語がたくさん埋まっているものですから。

 

鈴木牧之記念館 刊行
      『江戸のベストセラー 北越雪譜』
      『そっと置くものに音あり夜の雪 鈴木牧之』
      『江戸のユートピア 秋山紀行』   

コメント (2)
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自然はわれわれ(人間)を許してくれるか?

2012年09月16日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
とても気に入って何度となく引用させていただいている内山節さんの文ですが、
大自然の木は、なんでも許してくれる大きな存在であるとの素敵な一文です。
 
 
 
木は、小鳥が巣をつくらせてください、といえば、
「いいよ。」とこたえてくれる。
雨が降ったときに雨宿りさせてください、といえば
「いいよ」という。
 
木の実を分けて食べさせてください、といえば
「いいよ」という。
木の枝を薪に使わせてください、といえば
「いいよ」という。

さらに、今度、家を建てたいので全部私にください、といえば
やはり「いいよ」という。

 

                      そんな存在であると。

 
 
 
 
 内山さんは意識していたのかどうかわかりませんが、これと似た構図の文が
宮沢賢治『注文の多い料理店』(狼森と笊森、盗森)のなかにありました。
 
 
 
 
そこで四人の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃えて叫びました。
 「ここへ畑起こしてもいいかあ。」
「いいぞお。」森が一斉にこたえました。
 
みんなは又叫びました。
「ここへ家建ててもいいかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたえました。
 
みんなはまた声をそろえてたずねました。
「ここで火をたいてもいいかあ。」
「いいぞお。」森は一ぺんにこたえました。
 
みんなはまた叫びました。
「すこし木貰ってもいいかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたえました。
 
 
注文の多い料理店 (新潮文庫)
宮沢 賢治
新潮社
同じような表現ですが、賢治の表現の場合は、人間が森に対して
お伺いをたてるという視点がポイントになっています。
 
いづれにしても自然は、人間と同じようには応えてくれません。
実際には、ただ黙っているだけです。
 
 
だからこそ、
 
ただ黙ってなんでも許してくれる大きな存在であるとみるのと、
 
黙っているだけで、どう反応するかわからないので
あらゆる方法で誠意を示して
お伺いをたててみるのと、
 
何も言わないから
好き勝手に使い放題していいと思うのと。
 
 
どうでしょう。
 
 
わたしたちは、ほんとうの「文明」をもった日本に生まれてよかったですね。
 
 
 
 
 
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