いま、景気浮揚のために賃上げがどれだけ行なわれるか、
春闘を前にしきりにニュースで騒がれています。
長い間下がり続けた賃金が少しでも上がる傾向が出たのは良い事で、
これを機会に上昇傾向に拍車がかかることを期待しているかの報道があふれてます。
とんでもない!
世界を動かしている投機筋にとって好ましいのは、
株価が上がることよりも、変動幅が大きい事です。
世の中全体がこの流れに引きずられてきました。
グローバル化が進むと、事業の貿易依存度にかかわりなく、
為替変動による収益の変動幅がとても大きくなります。
すると企業は、利益を生んでも内部留保をためることを優先します。
大企業の内部留保の問題は、随分昔から指摘されていましたが、
内部留保額は一貫して増え続けていながら、
それでも企業にとっての「安心」にはまだほど遠い。
国民は、将来に対する不安が増し、
日本は貯蓄や保険に依存する比率が昔から異常な国際的高さであったにもかかわらず
益々それが高まる傾向にあります。
いまの日本は、「幸せ」のために、いったいどれだけの担保が必要なのだろうか。
かたや江戸時代の庶民の暮らしをみると、
あまりにも日銭しか持たないその日暮らしが目立ちます。
落語の世界に限らず、僅かな稼ぎを遊びで使い切ってしまったとしても、
多くの庶民は、決して現代のような将来に対する「不安」を感じることはありませんでした。
消費税が上がる事を待ち望む企業や、インフレ誘導による景気浮揚を期待する人びと。
それらの人びととはまったく違う方向にこそ目指すべき「幸せ」があることなど、
きっとマスコミは口が裂けても言えないのでしょう。
賃上げは、まぎれも無く良い事ですが、今の論調に
未来の「幸せ」を保証するような流れはありません。
昔にもどることが良いわけではありませんが、
決して「幸せ」のコストが上がるような社会をつくってはけません。