前橋の嶺公園の水芭蕉が咲いていると知り、新入学シーズンの仕事も峠を超えたので、早速見にいってきました。
見事に群生している水芭蕉に感心して写真を撮っていると、その前を長靴をはいたおじさんが湿地のなかをガシガシを突っ切って歩いて行きます。
その服装から、ここを管理している人なのだろうとは思いましたが、ちょっとその動き方が、シャッターをしきりに押している人たちにはおかまいなく、あっちをほじくり、こっちの木を動かし、石を運び、水の流れを変え、並の管理人の動き方にはとても見えませんでした。
その動きは、この場を熟知しているからなのか、慣れているからなのか?
おじさんが近くに来た時、ふと聞いてみました。
「おじさんがここはみな管理してるの?」
すると、おじさん、堰を切ったかのように、この公園の生態系を育てている苦労をいろいろ話してくれました。
帰り際に聞いたそのおじさんの名前は大沢さん。
大沢さんは、10年以上この湿原を育て守っているのですが、誰に頼まれたわけでもない自主的なボランティアです。
かつてはここの管理の仕事をされていたそうですが、これだけの水芭蕉群生地にまで育て上げるには、手をかけてきた様々な苦労があってのこと。
確かに尾瀬の湿原ならともかく、これだけの群生地が自然に生まれたわけではない。
長い年月をかけて大沢さんが、石を運び、落ち葉をもり、生育の妨げになるシノを刈り、丸太を運び、水の流れを調整し続けてきたもの。
ところが、これだけの水芭蕉群落を育てるには、水の流れをせき止めるようにしなければならないのに、せっかっく運び込んだおいた木を「誰か」が流れの向きに置き換えてしまう。
流れを止めておいた石を「誰か」がどかしてしまう。
大沢さんが、こまめに手入れをしに通わなければならないのは、どうもこうした環境づくりを知らない「誰か」との闘いの手間があるからでもあるらしい。
予算をとって造園業者から草木を買っただけの行政に、公園と名のついた場所でも、お金をかけて買ったものを育てる意識はなかなかないようです。
病気が発生したり、枝が折れたり、ゴミが増えたら、クレームがくるのですぐに対応しますが、何かを買うこと、業者に依頼すること以上に、「生命」を育てる仕事はどうも業務の範囲にはないらしい。
行政はどこも「花と緑の◯◯』などとスローガンをかかげて予算を振り当てますが、つくられた公園の環境を守り育てることについては、購入した草木を植えて剪定する以上のことには、ほとんど気がまわらない。
そもそも生命は日ごろ手をかけることでこそ育つもの。
そうした仕事が人事異動、配置転換できただけの職員にはなかなか理解できない。
いや、実態は、経験が浅いから、専門家ではないから出来ないのではなくて、わからないのであれば知っている人に聞くなり自分で調べるなりすることをせず、そこにある「自然」を見ようとせず狭い業務管理の枠の仕事に終止していることにこそ問題があるのではないでしょうか。
わたしの街でも、つい最近、花にあふれた街作りの予算がついたばかりに、膨大な花を業者から買いつけ、町中に飾り付け、何を育てる間もなく、その後の維持費はでないからと期間がすぎたらすべて撤去などということがまかり通ったことがありました。
大沢さんの気持ちもよくわかります。
これだけ多くの人が訪れ、感動し、写真を撮ったりする空間ができるまで、どのような努力が必要なのか、大沢さんの積もる行政に対する怒りが伝わってきます。
もちろん、行政の側にもそれなりの言い分はあると思います。
でも、どこへ行っても、ほんものの仕事というのは、こうした大沢さんのような人たちによて支えられていることがとても多いものです。
水芭蕉群生地の近くには、カタクリも今見頃になっているというので、早速行ってみると、ここも大沢さんの長年にわたる努力で育てられた見事な空間が広がっていました。
教えてもらわなければ、ここには来れなかっただろう。
水芭蕉の群生地よりも、むしろこちらの方がどこも絵になる美しさにあふれてました。
カタクリというのは意外と丈夫な植物らしく、少し掻いてやると種が広がり群生地になるのだそうです。
よく見るとそれは木の根のまわりに広がっています。
大沢さんによると、カタクリは強いからといってどこにでも生育できるわけではなく、木の根の廻りは根が水分を貯えるので、そこに群生地が育つのだという。
ここも、あそこも、大沢さんが育てた経緯を語ってくれました。
さらに、ロープで囲われた群生地の周辺には、ポツンポツンと単独に咲いているカタクリがあります。
てっきりそれは群生地から種が飛んで来て広がったものかと思いましたが、大沢さんの説明でそれは前からあった自生種であるとわかりました。
よくみると群生地のものよりも大きくしっかりとしています。
なんとこの自生種は17年も生きているのだそうです。
ひとつ間違えば簡単に踏みつぶされてしまいそうな場所に、こんな可憐な花が17年も生き続けていたなんて驚く間もなく、大沢さんはそのカタクリのすぐ脇をふみ歩き、また次の作業場所へと移動していきました。
木を植えよう、花を増やそう、自然の景観を増やそうといった予算取りも確かにスタートの時点では大事です。
でも、もっと大切な「命を育てる」地道な努力の積み重ねのことを、私たちは大沢さんから学ばなければなりません。