指導はせず、子どものすべてを受け止める教育、その方が結果的に学力も伸びることを立証、実践している先生方のグループで飯塚先生とともに中心的存在になっている斉藤先生が、今年から特別支援学級の担任になられました。
その斉藤先生の1学期の試行錯誤の経験をまとめた文章を、きょう飯塚先生が届けてくれました。
その文章がとても素晴らしい!
特学の免許もない斉藤先生が3人の子どもたちと、一歩一歩試行錯誤を繰り返しながら、ひらがなや数字を少しずつ理解していく過程が先生の失敗反省も込めながら、とても丁寧に語られていました。
あいうえおの「あ」を認識するために、飴のあという絵のカードを手作りで用意して「あ」を「アメのあ」として子どもが認識できるようになります。ところが「あめのあ」を覚えることができても、抽象記号としての「あ」を理解できたわけではありません。絵図を通じて1+2は3を理解できるようになっても、抽象記号としての数字を読んで計算をすることはできません。
そのようなプロセスをたどりながら、一歩一歩、認識能力を身につけていくのですが、ひとつのひらがなを覚えたということだけで、母親から驚きと感謝の手紙がとどきます。
でも先生はそこに辿りつくまでに、ついイライラして子どもに意地悪な質問の仕方をしてしまったりもする。
なにかそうしたやりとりの文章を読んでいると、哲学の認識論を読んでいるようにも思え、また老人の介護や地域づくりのコミュニケーション論をみているような錯覚にも陥るような感じで読ませていただきました。
ひとつひとつつながるご縁に感謝。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます