毎年、3月、4月は、新年度にむけて教科書や教材の販売に追われる時期です。
学校への搬入作業をしていると子ども達が、新しい教科書を楽しみにしていて飛びよってくるのは微笑ましいものです。
ところが、しばしば教師用教科書や教師用の指導書などの入荷を必死に待っている若い先生の姿をみると、教科書を柱にした今の教育というものの圧力の大きさを感じてしまい、将来が心配に思えてきてなりません。
もちろん、それは現場の教師の問題であるだけでなく、教育の最終目標が「受験」になってしまっている旧態依然とした今の教育制度こそが問題であると思うのですが、それらに対していったい誰が闘っているのか、これも不安に思えてなりません。
そうした問題の根を考えると、教育現場の問題を変えるには、まず受験制度から変えることが一番なのかと思われます。
受験に受かるには、知識よりも、もっと考える力を身につけないと受からない現実ができれば、必然的に現行の教育内容も変わる。
話の順番ではこうなるのですが、世の中の現実を見ると、そんな発想をしていたのでは明らかに遅い!
世界はもうとっくに、そんなこと言ってられる時代ではなくなっています。
「ほかの人の成功事例をマネすることが、成功への近道だった時代がありました。
そうした時代には、決められた設問に正確な解を出す学習法が有効だったのは事実です。
しかし、ほかの人の成功事例をマネすることが、必ずしも自分の成功を約束するものではなくなったのが、いまの時代です。」
畑中洋太郎『失敗学のすすめ』
この本が話題になったのは、もう随分前になります。
教育現場の問題でいえば、小学校までは、確かに「読み」「書き」「計算」に徹した教育が絶対重要であると思います。
しかし、中学以降になったら、今のような教科書中心の詰め込み教育をしていたら、もう世界の現実についていけない子どもを再生産するだけだと思います。
それは、わかっちゃいるけど変えられない?
・・・・・
ならば、少なくとも、私たちの世界だけは変えていきましょう。
先週のまちづくりの会合の場で、このことをちょっと話したのですが、私の言い方が下手なこともあってか、いまひとつ皆さんには響かなかったようでした。
今までは、教育の場でも社会でも、
1+2=?
3+4=?
といったような設問に対する答えを求めるのが普通の考え方に思われていました。
今、自分たちにできることをコツコツ積み重ねていけば、それに応じてゴール、答えにたどりつける。
この場合、設問に対する答え、3や7がゴールになっています。
当然のことです。
しかし、今の世界の現実は、そうした発想以外の設問で動いていることが圧倒的に多くなってきています。
現代の設問はこうです。
1+?=10
4+?=10
3+4+?=10
答え(目標)の10にするには、どうしたら良いか?
3、や7が答えやゴールの相場であっても、10という目標にたどり着くにはどうしたら良いか?
これを考えていくのが現代です。
この場合、目標に到達する方法は、ひとつではありません。たくさんあります。
そこが先の設問とは大きく違うところです。
10に至るには。5+5でも、1+9でも、3+3+3+1でもよく、
さらには、3+4では足りない部分をどうするか、
それは必ずしも3を入れるだけではなく、
誰かに応援を頼む、
それはひとまず後回しにして、出来るとこからはじめておく、
など様々な足りないものはなにかをみつける活動があります。
こうした思考を育てるために教科書は要りません。
大事なのは、教科書よりも参考資料や情報を収集する力や、様々なことを試してみる行動力です。
会社経営でも、地域づくりでも、よく他所の成功事例を学びに視察などが盛んにおこなわれたりしています。
ナマの現場をを自分の目でみることは確かに大事です。
でも、それよりもはるかに大事なのは、それを参考にして様々なことを自分の環境に合うかたちでより多く試してみることです。
それは、下からの積み重ねを「出来ることからコツコツ」の発想も悪くはありませんが、
大事なのは、先に設定した「目標」に向けて試すということです。
このより多く「試す」ということが、公務員の立場であったりサラリーマンの立場であるとなかなか難しいと思われがちです。
しかし、どんな立場であれ、成功しているところをみれば必ず、その人の立場如何にかかわらず、それを成し遂げているものです。
かつての右肩上がりの時代であれば、地道な努力をコツコツ重ねていれば、そこそこの成果がついてきたものです。
ところが右肩下がりの時代になると、それではなかなか思うような結果には結びつきません。
適切な目標をかかげた努力のみが、必要な結果に至れる時代になったのです。
この辺の「目標」設定の問題と、正しい設問のたて方、より多く試してみる環境づくりは、どこでも粘り強く話し続けていかなければならないとあらためて感じました。
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