「週刊東洋経済」の特集で、早く紹介しようと思っていたのですが、瞬く間に1週間がすぎ去り、既に次の号が店頭にならんでしまい、もはや営業にはつながらない紹介となってしまいました。
「モチベーション3.0」という表現は、この特集以外には、日本で翻訳本が出て紹介されているわけではないので、決して浸透している表現ではありません。
まず最初に「モチベーション1.0」があったわけではありません。
「モチベーション1.0」とは、空腹、恐怖、性欲などの人間の生理的欲求に基づいた行動。
次の「モチベーション2.0」とは、報酬は罰金といったアメとムチによる動機づけで、お金による成果主義がその典型例。
この方式は、長期間にわたって非常にうまく作用してきた。
産業革命や日本の戦後復興を後押しいしてきたのがこのシステム。
外発的な動機づけである「モチベーション2.0」と対照的なのが、「モチベーション3.0」。
「ワクワク感」「楽しい」「世界や社会をよくしたい」といった内面から涌き出るようなやる気を指す。
わたしたちの仲間には、もともとこの「モチベーション3.0」で生きてきた人が多い。
なぜこうしたことが今言われるようになったかというと、
第一に、これまで機能していた「モチベーション2.0」だけでは、うまくいかない現実が増えてきたこと、
第二には、これまでのシステムよりも「モチベーション3.0」の方が、現実に優れた業績を発揮している例が目立ってきたということである。
おかげで、今まで異端、あるいは勝手に生きさせていただいているだけであった友人たちが、にわかに世の中の表舞台で堂々と生きていけるようになってきた。
もちろん、だからといって「モチバーション3.0」の人びとが決して世の中の主流になれたわけではない。
社会の公認を得た程度で、多数派にはまだほど遠い。
しかし、なぜいま「モチベーション3.0」が注目されるのか。
ここには、これからわれわれが人類の本史に至るための重要なパラダイム転換の始まりが見え隠れしている。
理解しがたいこの原則を説明するために、本誌のなかで、
「モチベーション3.0」提唱者であるダニエル・ピンク氏による心理学の実験が紹介されている。
ロウソク、マッチ、画鋲が入った箱を使って、ろうがテーブルに垂れないような方法で、ロウソクを壁に取り付けるよう要求する。
この問題を解くために、被験者をふたつのグループに分ける。
第一グループは、正解に至るまでの時間を測るだけだと告げる。
一方、第二グループには、上位25%以内に入った人には5ドルを、1位になった人には20ドルを与えると告げる。
実験の結果は、第二グループの方が3分30秒も余計に時間がかかった。
柔軟な思考を要する課題に対しては、報酬などに気をとられることなく自由な発想の出来る環境が大切だということだ。
定型業務には、たしかに今でも「モチベーション2.0」の成果報酬は有効であるが、定型業務の比率が減り、創造的仕事の比率を高めることが求められる現代では、圧倒的に「モチベーション3.0」の方が効果的である。
また個人事業や個人のプレーに大きく依存する仕事もこれがあてはまる。
「管理する」ことや「アメとムチ」に頼る背景には、もうひとつ
「人間は怠惰な根性なしだ」というとらえ方がある。
モチベーション3.0は、このような考え方を否定し、
人間には、活動したい、物事に打ち込みたいという欲求があることを証明する。
以前、労働観について同様なことを書いたことがあります。
労働組合がこれから本来の働くものの代弁者になるためには、
労働条件の改善を中心とした運動から、経営側に取り込まれることなく自らの本来の「より働くこと」の喜びを獲得する運動に移行していかなければならない。
労働者の最大の幸福は「働けること」を通じてこそあるということです。
これは、前回紹介した『日本でいちばん大切にしたい会社』で、繰り返し強調されていることともまさに照合することです。
また、これも何度か紹介していることですが、教育の「フィンランド方式」も、これと同じ発想によるものです。
こどもは、既存の知識の体系を詰め込むよりも、子ども自身が興味があったことを学ばせる方が、現実に学力も上がり、それでフィンランドは学力世界一とまで言われるまでになったという例です。
個人の自由が拡大するとともに、
より柔らかい頭の使い方こそが求められるようになる。
本来、人が生きていくということは、
そもそもそういうことなのだということが、ようやく伝わりはじめている。
おかげで既存の知識の体系をおぼえる競争に負けたわれわれも、
やっと勝負をかけられる時代になったのだ。
すばらしい世の中がやってくる。
「モチベーション3.0」という表現は、この特集以外には、日本で翻訳本が出て紹介されているわけではないので、決して浸透している表現ではありません。
まず最初に「モチベーション1.0」があったわけではありません。
「モチベーション1.0」とは、空腹、恐怖、性欲などの人間の生理的欲求に基づいた行動。
次の「モチベーション2.0」とは、報酬は罰金といったアメとムチによる動機づけで、お金による成果主義がその典型例。
この方式は、長期間にわたって非常にうまく作用してきた。
産業革命や日本の戦後復興を後押しいしてきたのがこのシステム。
外発的な動機づけである「モチベーション2.0」と対照的なのが、「モチベーション3.0」。
「ワクワク感」「楽しい」「世界や社会をよくしたい」といった内面から涌き出るようなやる気を指す。
わたしたちの仲間には、もともとこの「モチベーション3.0」で生きてきた人が多い。
なぜこうしたことが今言われるようになったかというと、
第一に、これまで機能していた「モチベーション2.0」だけでは、うまくいかない現実が増えてきたこと、
第二には、これまでのシステムよりも「モチベーション3.0」の方が、現実に優れた業績を発揮している例が目立ってきたということである。
おかげで、今まで異端、あるいは勝手に生きさせていただいているだけであった友人たちが、にわかに世の中の表舞台で堂々と生きていけるようになってきた。
もちろん、だからといって「モチバーション3.0」の人びとが決して世の中の主流になれたわけではない。
社会の公認を得た程度で、多数派にはまだほど遠い。
しかし、なぜいま「モチベーション3.0」が注目されるのか。
ここには、これからわれわれが人類の本史に至るための重要なパラダイム転換の始まりが見え隠れしている。
理解しがたいこの原則を説明するために、本誌のなかで、
「モチベーション3.0」提唱者であるダニエル・ピンク氏による心理学の実験が紹介されている。
ロウソク、マッチ、画鋲が入った箱を使って、ろうがテーブルに垂れないような方法で、ロウソクを壁に取り付けるよう要求する。
この問題を解くために、被験者をふたつのグループに分ける。
第一グループは、正解に至るまでの時間を測るだけだと告げる。
一方、第二グループには、上位25%以内に入った人には5ドルを、1位になった人には20ドルを与えると告げる。
実験の結果は、第二グループの方が3分30秒も余計に時間がかかった。
柔軟な思考を要する課題に対しては、報酬などに気をとられることなく自由な発想の出来る環境が大切だということだ。
定型業務には、たしかに今でも「モチベーション2.0」の成果報酬は有効であるが、定型業務の比率が減り、創造的仕事の比率を高めることが求められる現代では、圧倒的に「モチベーション3.0」の方が効果的である。
また個人事業や個人のプレーに大きく依存する仕事もこれがあてはまる。
「管理する」ことや「アメとムチ」に頼る背景には、もうひとつ
「人間は怠惰な根性なしだ」というとらえ方がある。
モチベーション3.0は、このような考え方を否定し、
人間には、活動したい、物事に打ち込みたいという欲求があることを証明する。
以前、労働観について同様なことを書いたことがあります。
労働組合がこれから本来の働くものの代弁者になるためには、
労働条件の改善を中心とした運動から、経営側に取り込まれることなく自らの本来の「より働くこと」の喜びを獲得する運動に移行していかなければならない。
労働者の最大の幸福は「働けること」を通じてこそあるということです。
これは、前回紹介した『日本でいちばん大切にしたい会社』で、繰り返し強調されていることともまさに照合することです。
また、これも何度か紹介していることですが、教育の「フィンランド方式」も、これと同じ発想によるものです。
こどもは、既存の知識の体系を詰め込むよりも、子ども自身が興味があったことを学ばせる方が、現実に学力も上がり、それでフィンランドは学力世界一とまで言われるまでになったという例です。
個人の自由が拡大するとともに、
より柔らかい頭の使い方こそが求められるようになる。
本来、人が生きていくということは、
そもそもそういうことなのだということが、ようやく伝わりはじめている。
おかげで既存の知識の体系をおぼえる競争に負けたわれわれも、
やっと勝負をかけられる時代になったのだ。
すばらしい世の中がやってくる。
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