花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

トイレの外は 俗世間

2007年04月11日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
イレでのんびり週刊文春を見ている。
今週も細川護煕氏の「ことばを旅する」が載っていた。
夕闇の萬福寺(京都市宇治市)でたたずむ細川氏。
戸時代の画家「池 大雅」は子供の頃、この寺で筆を取り、僧たちを驚かせた。大雅は、ご夫婦そろっておおらかな性格だったそうな。
家を壊され、泥棒に入られても、かえって涼しくなったと言い、飄々としていたというエピソードがあるという。
雅の書に「一成一切成」 一成らば、一切成るというのがある。
はじめよければ終わりよし、段取り七分に仕事は三分(そんなんあったかなぁ?)みたいな意味とおもって読んでいたら、どうやらそうでもないらしい。
川氏は語る「大雅にとって、学問も画も書もひとつで、それは人としての生き方、人間性に帰一するものに他ならなかった。私はこの「一」をそう解している」
人間形成の修行が出来ていれば、人生のすべてはうまくいく ということか。
はといえば、自分の性格に甘えているから、悩み込んだり怒ったりの繰り返しだ。
う結んであった
「大雅が大成しえたのは、人間性を日々磨くことによって、終生驕り昂ぶることのなかったことが与って大いに力あったものと思う」
が少々うまくいったからといって、偉そうにしてはいけない。
細かなつまずきを、人のせいにして、非難したりしてはいけない。

イレの時間が長すぎた。そろそろ出ようか。
トイレの外は
俗世間