花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

“日本奥地紀行”イザベラ・バードの旅2

2015年07月15日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

イザベラ・バードの旅は続きます。会津盆地の山裾にある坂下(ばんげ)という村に着いたとき、人口5000の小さな田舎町に2000人の見物人が集まっていました。珍しい外国人を見るためです。

私が馬に乗り鞍の横にかけてある箱から望遠鏡を取り出そうとした時であった。群衆の大脱走が始まって、老人も若者も命がけで走りだし、子供たちはあわてて逃げる大人たちに押し倒された。伊藤(横浜で雇った案内人)が言うのには、私がピストルを取り出して彼らをびっくりさせようとしたと考えたからだという。やさしくて悪意のないこれらの人達に、少しでも迷惑をかけたら、心からすまないと思う。

純朴な田舎の人達の慌て振りが想像できます。そして、

ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすり取られるのであるが、ここでは私が、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金を取られたこともない。群衆に取り囲まれても、失礼なことをされることはない。

馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、細心の注意を払う。

ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折賃として何銭かをあげようとしたが、彼は、旅の終わりまで無事に届けるのが当然の仕事だ、と言って、どうしてもお金を受け取らなかった。彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。

と書き、そのすぐ先に、

伊藤(横浜で雇った案内人)が私に対する態度は、気持ちのよいものでもなければ丁寧でもない。

素朴な田舎の人たちも、都会に出ると擦れてしまう。当時はもっとはっきりしていたようです。

コメント
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