花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

“スモーク”という煙に巻かれたような映画1

2022年12月24日 | 映画の名言、映画の迷言

映画「スモーク」を観る。ああ これは、クリスマスの映画だということを最後まで気づかなかった。鑑賞後、ほっこりするような、もう一度 観ても良いような映画だった。“幸せは分かち合うもんだ。みんなお金持ちでもないけれど、幸せになる権利はあるんだ”という作品かな?

クリスマスを祝うことは戦後にきたアメリカの進駐軍さんが一般市民に普及させたか?。“クリスマスイブ”には“クリスマスケーキ”を食べて、夜中になると“クリスマスプレゼント”をサンタさんが 枕元の靴下に入れてくれる。冬休みに入ったばかりで、気持ちがうきうきしているから、こんな良いことはない。日本人にすんなりと受け入れられた。

ブルックリン 長――い電車が走る

オーギーの店では・・・

こんな話が弾む

アメリカはブルックリン。広い通りの角で小さなタバコ屋を営むオーギー・レン(ハーヴェイ・カイテル=映画で、この役者が好きになった)は、街角のモノクロ写真を、毎朝、同じ角度で同じ時間(午前7時)に10年間撮り続けている。このカメラはこの映画 最後の伏線となる。

正面がタバコ屋

そのアルバムを、客であり作家であるポール・ベンジャミン(ウイリアム・ハート)に見せる。『みんな同じ写真にみえる』『いいや、よく見てくれ。行き交う人々、季節の移り、みな違う。もっとじっくり見てくれ』その中の1枚に、ポールは亡き妻の出勤姿を見つけ、思い出してむせび泣く。その横で何となーく複雑な表情のオーギー。役者が良いのか、監督の指導が良いのか?キャストのみんなが忘れ難い演技を見せてくれる。オーギーの50%の確率で子供である?娘も、忘れ難い演技をしている。

 つづく

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“スモーク”という煙に巻かれたような映画2

2022年12月24日 | 映画の名言、映画の迷言

たばこ店 オーギーの店に、昔 彼女だった独眼竜(思わず笑える)の女性が乗り込んでくる。「オメメはどうしたの?」と聞くと「無くしたの。悪いものを見すぎたから。ところで お願いがある。妊娠している娘に会ってくれないか」という。「本当に 俺の娘か?」と聞くと“フィフティ フィフティ”との答え。二人で会いに行くと、娘は麻薬中毒で毒舌満開。子供は降ろしたといわれ あっさり追い返される。そのあと娘は、こみ上げる悲しみの表情をする。(彼女はその後、救われることになるので ご安心を)

クリスマスだとわかるのは最後のシーン。妻を亡くして以来スランプに陥っていた作家のポールに、N.Y.タイムスから“クリスマス向けのいい話”の仕事が舞い込んできた。「何か、良い話はないか?」「昼飯をおごってくれたら話すよ」とオーギー。

この最後の話のシーンが良い。このシーンを撮るのに監督は3日かけたそうだ。はなし始めるオーギーの顔がゆっくりアップされる。

話は、店の万引き少年を追いかけると財布を落としていった。そこには、住所の紙片と母親との二人の写真が入っている。その住所を頼りに、財布を持ってクリスマスの日に届けることにした。古いアパートに 盲目の老婦人が一人で住んでいた。思わず「息子だよ」と言ってドアの隙間から声をかけると「ああ、息子かよく来た」と言って部屋に入れてくれた。持ち込んだチキンとワインでささやかなパーティをする。

実はおばあさん、訪れたのが息子でないことは初めから知っていたのだ。おばあさんが寝入っている隙に、置いてあった万引きの品と思われるカメラを拝借して帰った。「作り話だろう。うまく出来すぎている」とポールは笑い飛ばそうとする。最後のシーンでは、その時の様子がモノクロで映される。

クリスマスは誰もが幸せになれる権利がある。その幸せを分かち合える日が まさに クリスマスである。

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