昭和三十三年六月一五日、一号線かどや前から南方向を望む。本格的に舗装工事が始まった。木枠で囲ったところにセメントを流しているようだ。ガードマンという人も言葉もまだ無い。工事中の脇をオート三輪やオートバイが通る。仮の道路の間に樹木が植わっているところを見ると、セットバックして一号線は、かなり拡げられたことになる。
左に三重交通観光社がある。現在のスワセントラルパーキング。まもなく新しく出来た近鉄駅の南側に移転する。この角の左方向が諏訪新道だ。これから本格的な暑さへと向かう。
昭和三十二年二月八日、辻さんはナガサワ鞄店前あたりから南方向に国道1号線を撮る。昨夜から降り出した雪は止みそうもない。電柱に繋がれた牛の上にも雪が積もる。母親が、通りの真ん中に落としていった糞を掃除していたのを思い出す。左にモービルガソリンの看板が見えるからこの先に中央通りが横断しているはずだ。
昭和三十年五月中旬。未整備の中央通りを東に撮った写真。
昭和二十七年三月二十五日から一ヵ月間、この通りで講和記念・四日市大博覧会(農機具博)が開かれ八十万人余りの入場者で賑わった。その後、草生す荒地が広がっていたが、近鉄駅の開業を控えて中央通りが整備されていく。
手前が旧東海道、その向こうに国道1号線が通る。左に益田軍太郎商店(モービルスタンド)遠くに市役所の塔が見える。其処までに税務署や公会堂が建っていた。車が少ない。信号機の取り付けもまだだ。
先日の“まちゼミ”で、中央通り(70メーター通り)は、終戦近いころ、飛行機の滑走路として造られたらしいということを聞いた。
時は経て昭和四十二年六月一日。一号線と中央通り交差点を南に臨む。ここに監視塔が建っていたことを思い出す。造られたときは、警察官が上っていたが、間もなく無人となり、下にパトカーを置いて交差点をみていた。単なる脅かしでは意味がなかったのか・・・