足フェチだとか言う話しではない。
仕事でここ20年ほど年に1回の割合で競技舞踏の撮影をしている。初めは無我夢中で撮影していたのだが、2年目でフと気がついた。足だけを見ていれば撮影のタイミングが解ると言う事だ。次にターンするとか、大きくモーションをかけるとかは、ステップで決まってしまう。だから足に特に注意してみてゆくとタイミングが掴みやすい。
実際の所ダンス系では大体当てはまる。ストリートダンス系では難しいものがあるが(ステップと言うより型の連続技みたいな所がある)、民俗芸能や舞踊では十分通用する。剣道も足さばきと言うくらいだから、実際攻撃のタイミングを見るのには有効だ。もっと考えにくい所では、芝居で足だけを見ているときがある。上半身がどんなにがんばって演技していても、下半身が全くおろそかになっている役者が往々にしているからだ。そうゆう役者は立ち位置が決まらなかったりもする。
競技舞踏もしくは社交ダンスで足だけを見て全体が解るのかと言えば、そうだ。予選クラスでは明らかな差が出る。どんなに上半身が華麗に見せても、下半身が決まっていないから安定せず、むしろ浮いて見える。更に下半身と上半身がズレてしまう。そうするとダンスとしてはあまりきれいに見えない。やはりステップがキチっと決まっていて、しかも大技を繰り出す前にその重心にあわせた大きなステップを正確に踏めば、技がきれいにまとまって次のモーションまで繋がってゆく。
ステップが決まらなくて足を少しずらすという演技もある。だがほんのわずかにタイムラグが生じて上半身の技を台無しにしてしまう。そこをうまく自然にやるのも技なのだが、評価は低くなる。
予選審査は、確実に足しか見ていない。なので地味な演技のペアが準決勝に残ったりする。ただやはり大技を繰り出せないので決勝には残れないのだが。
今日はニュースでフィギアスケートの浅田真央選手が6位になったと言うニュースを聞いた。ショートプログラムで手ひどい失点をしてからの6位だ。これは見なければとネットで見た。
初め見た時に、驚いた。そこで1位から7位まで全部見た。だが私が見ているのはやはり足だけだ。顔とか手先の動きは見ていない。
衝撃だった。浅田真央選手だけが別な競技をしていた。
1位から5位まで、目立つジャンプのような技でなく、地味なのだが高度なステップとかスピンとかをガンガン入れているのだ。その間にジャンプを正確に成功させてゆく。アデリナ・ソトニコワの金メダルはもの凄いレベルの事を平然とやってのけていた。日本では嫌われ者のキム・ヨナももの凄いレベルだった。
地味な大技をありとあらゆる所に入れて、ギリギリの所で安定したジャンプの技を披露するのだ。小技で点を稼ぐと言えば聞こえは悪いが、構成がとても難しくなる。逆に難易度が上がっていると思う。
その前に一つ思い出してもらいたい。女子でトリプルアクセルを国際大会で成功した選手は5人しかいない。13年間でこれしかいない。この意味は大きい。浅田真央が出来るから、他が挑戦しなかったと考えても良いと思う。失敗率が高いからだ。浅田真央でも70%程度、危険を冒す必要は無い。そして多分レギュレーションの変更もあったと思う。でもそれでもたった5人と言うのは、スポーツの歴史上滅多に無い事だ。もう一度言う。13年間だ。こういった技術上の話しは割と簡単に模倣される。出来ないのではなく、単純にやらないだけだと思う。それ以外にやる事がいっぱいある。そこを追求していったのが、今回のソチ・フィギアだったかもしれない。
多分なのだが、トリプルアクセルと言うハイリスクハイリターンを一番最初に見限ったのが、キム・ヨナだったと思う。多分彼女は安定して出来なかった。そこで切り替えて基礎から全部見直して徹底的に技を磨き上げた。
そしてそのスタイルは、メダルを狙える選手の当たり前になっていたと思う。判定ポイントも大技を評価するのではなくミスを厳しく見るように変わったのだろう。
こういった滑る競技と言うのはどういったものなのだろうか。重心位置がもの凄くシビアになる競技だ。どういった事かと言えば、重心位置が少しズレただけでもスケートは滑らなくなる。スキーアルペンで5ミリ程度、そう足裏の感覚でその程度しか重心位置のブレが許されない。あの長い板でもそうなる。スピードスケートではほぼピンポイントになる。そしてブレードの短いフィギアでは、更に小さな点をどう滑らかに動かすかと言うのがポイントになる。そして上半身の演技が大きければ大きいほど、難易度が上がってゆく。
上半身も下半身も少しでもズレてしまうと、重心位置が狂って失敗に繋がる。フィギアスケートは上半身と下半身をつなぐ体幹の強さが求められるのではないのか。昔はほっそりした選手が目立ったが、ずんぐりした選手が目立つのは、技が高度になればなるほど体幹の強さが必要になった結果なのではないのだろうか。
浅田真央選手はなぜ前半ジャンプばかりで、後半ステップ重視の演技をしたのだろう。2部構成のような演技だった。組み合わせの難易度と構成の美しさで競う競技なのに、なぜそうしたのだろうか。ステップからのジャンプとかそう言ったのもあると思う。
いや後半のステップもかなりなレベルなのだ。凄いのだが、なぜかジャンプと組み合わせる事をしなかった。
もしかすると浅田真央選手の目指していたフィギアスケートが、時代が変わって大きく変わっていたのではないのか。今までの演技では勝てなくなっていた。そこで徹底的に基礎から見直して、徹底的に直して来た。そうした努力を重ねても、金メダルは遠くなってゆく焦燥感があったのではないのだろうか。どんどん舞台が遠くなってゆくのだ。
世間では金メダルは当然と言われ、そのプレッシャーも凄まじかっただろう。
自身の集大成と言うべきジャンプをすべて見せた演技は、舞台を取り戻す叫びにも見えた。それしか金メダルに繋がる道はなかった。そしてジャンプを終えてからのステップは、審判と他の選手への宣言だ。挑戦を続けられないシステムは間違っている、そう言っているように見えた。
見ていて泣きたくなった。
だが足だけを見ていると、なぜ彼女がメダルを取れなかったのかが見えてくる。
彼女の腰は悪いのか?多分なのだが、かなり悪いと見た。
仕事でここ20年ほど年に1回の割合で競技舞踏の撮影をしている。初めは無我夢中で撮影していたのだが、2年目でフと気がついた。足だけを見ていれば撮影のタイミングが解ると言う事だ。次にターンするとか、大きくモーションをかけるとかは、ステップで決まってしまう。だから足に特に注意してみてゆくとタイミングが掴みやすい。
実際の所ダンス系では大体当てはまる。ストリートダンス系では難しいものがあるが(ステップと言うより型の連続技みたいな所がある)、民俗芸能や舞踊では十分通用する。剣道も足さばきと言うくらいだから、実際攻撃のタイミングを見るのには有効だ。もっと考えにくい所では、芝居で足だけを見ているときがある。上半身がどんなにがんばって演技していても、下半身が全くおろそかになっている役者が往々にしているからだ。そうゆう役者は立ち位置が決まらなかったりもする。
競技舞踏もしくは社交ダンスで足だけを見て全体が解るのかと言えば、そうだ。予選クラスでは明らかな差が出る。どんなに上半身が華麗に見せても、下半身が決まっていないから安定せず、むしろ浮いて見える。更に下半身と上半身がズレてしまう。そうするとダンスとしてはあまりきれいに見えない。やはりステップがキチっと決まっていて、しかも大技を繰り出す前にその重心にあわせた大きなステップを正確に踏めば、技がきれいにまとまって次のモーションまで繋がってゆく。
ステップが決まらなくて足を少しずらすという演技もある。だがほんのわずかにタイムラグが生じて上半身の技を台無しにしてしまう。そこをうまく自然にやるのも技なのだが、評価は低くなる。
予選審査は、確実に足しか見ていない。なので地味な演技のペアが準決勝に残ったりする。ただやはり大技を繰り出せないので決勝には残れないのだが。
今日はニュースでフィギアスケートの浅田真央選手が6位になったと言うニュースを聞いた。ショートプログラムで手ひどい失点をしてからの6位だ。これは見なければとネットで見た。
初め見た時に、驚いた。そこで1位から7位まで全部見た。だが私が見ているのはやはり足だけだ。顔とか手先の動きは見ていない。
衝撃だった。浅田真央選手だけが別な競技をしていた。
1位から5位まで、目立つジャンプのような技でなく、地味なのだが高度なステップとかスピンとかをガンガン入れているのだ。その間にジャンプを正確に成功させてゆく。アデリナ・ソトニコワの金メダルはもの凄いレベルの事を平然とやってのけていた。日本では嫌われ者のキム・ヨナももの凄いレベルだった。
地味な大技をありとあらゆる所に入れて、ギリギリの所で安定したジャンプの技を披露するのだ。小技で点を稼ぐと言えば聞こえは悪いが、構成がとても難しくなる。逆に難易度が上がっていると思う。
その前に一つ思い出してもらいたい。女子でトリプルアクセルを国際大会で成功した選手は5人しかいない。13年間でこれしかいない。この意味は大きい。浅田真央が出来るから、他が挑戦しなかったと考えても良いと思う。失敗率が高いからだ。浅田真央でも70%程度、危険を冒す必要は無い。そして多分レギュレーションの変更もあったと思う。でもそれでもたった5人と言うのは、スポーツの歴史上滅多に無い事だ。もう一度言う。13年間だ。こういった技術上の話しは割と簡単に模倣される。出来ないのではなく、単純にやらないだけだと思う。それ以外にやる事がいっぱいある。そこを追求していったのが、今回のソチ・フィギアだったかもしれない。
多分なのだが、トリプルアクセルと言うハイリスクハイリターンを一番最初に見限ったのが、キム・ヨナだったと思う。多分彼女は安定して出来なかった。そこで切り替えて基礎から全部見直して徹底的に技を磨き上げた。
そしてそのスタイルは、メダルを狙える選手の当たり前になっていたと思う。判定ポイントも大技を評価するのではなくミスを厳しく見るように変わったのだろう。
こういった滑る競技と言うのはどういったものなのだろうか。重心位置がもの凄くシビアになる競技だ。どういった事かと言えば、重心位置が少しズレただけでもスケートは滑らなくなる。スキーアルペンで5ミリ程度、そう足裏の感覚でその程度しか重心位置のブレが許されない。あの長い板でもそうなる。スピードスケートではほぼピンポイントになる。そしてブレードの短いフィギアでは、更に小さな点をどう滑らかに動かすかと言うのがポイントになる。そして上半身の演技が大きければ大きいほど、難易度が上がってゆく。
上半身も下半身も少しでもズレてしまうと、重心位置が狂って失敗に繋がる。フィギアスケートは上半身と下半身をつなぐ体幹の強さが求められるのではないのか。昔はほっそりした選手が目立ったが、ずんぐりした選手が目立つのは、技が高度になればなるほど体幹の強さが必要になった結果なのではないのだろうか。
浅田真央選手はなぜ前半ジャンプばかりで、後半ステップ重視の演技をしたのだろう。2部構成のような演技だった。組み合わせの難易度と構成の美しさで競う競技なのに、なぜそうしたのだろうか。ステップからのジャンプとかそう言ったのもあると思う。
いや後半のステップもかなりなレベルなのだ。凄いのだが、なぜかジャンプと組み合わせる事をしなかった。
もしかすると浅田真央選手の目指していたフィギアスケートが、時代が変わって大きく変わっていたのではないのか。今までの演技では勝てなくなっていた。そこで徹底的に基礎から見直して、徹底的に直して来た。そうした努力を重ねても、金メダルは遠くなってゆく焦燥感があったのではないのだろうか。どんどん舞台が遠くなってゆくのだ。
世間では金メダルは当然と言われ、そのプレッシャーも凄まじかっただろう。
自身の集大成と言うべきジャンプをすべて見せた演技は、舞台を取り戻す叫びにも見えた。それしか金メダルに繋がる道はなかった。そしてジャンプを終えてからのステップは、審判と他の選手への宣言だ。挑戦を続けられないシステムは間違っている、そう言っているように見えた。
見ていて泣きたくなった。
だが足だけを見ていると、なぜ彼女がメダルを取れなかったのかが見えてくる。
彼女の腰は悪いのか?多分なのだが、かなり悪いと見た。