どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

さらっと雪が降った

2016-02-06 01:06:31 | 日記

 

夜中に2センチ雪が積もった。気温がプラスだったせいか、どんどん降ってもどんどん溶けてゆくようで、結局10時頃には日向はあっさり消えてしまった。

今日は、右翼の街宣車がうるさかった。ただどうして軍歌なのかと、マジメに考え始めたら、変だなぁとなった。右翼=軍国主義者というわけではない。ただ単に大政翼賛会から派生した、それだけの保守なのだ。ただ街宣車で流す曲はもう少しモダンでも良さそうな気もする。もしかすると彼らのかけている曲は、軍歌調の別な曲なのかもしれないが、私が彼らのかけている曲は軍歌だと思い込んでいるからだけなのかもしれない。右翼=軍歌の図式が一般化しすぎて、例えば軍歌の歌詞をラップ調にした方がもしかすると一般にはわかりやすくなるかもしれない。でもそれだと鮫肌稔とどこがどう違うのかわからなくなるのか。

軍歌を流すのが認知になってしまって、もう抜け出せないのだろうか。多分そうなのだろう。軍歌を流すことで人から嫌がられたり怖がられたりするのが大切なのかもしれない。

でもそのせいで彼らの思想がよくわからないものになっているのも確かだ。単なる復古でいいのかどうか、それすらもよくわからなくなっている。彼らは本当に昭和15年あたりに戻りたいのだろうか。

軍歌である必要はないと思う。

 

 

ニューズウイークの冷泉さんのコラム「なぜ日本には左派勢力の旗手が出現しないのか」というのがある。中に書かれていることは正しい。だがもう一つだけ付け加えたい。

団塊の世代が叩き潰してきたから。私の世代もその下の世代にも社会運動に興味がある人は一定数いた。だが彼らがそれぞれの考えを語りだすと、団塊の世代が「オマエラ何聞きかじったようなハンパなこといってんだ」「なにしったような」「行動で示せよ」と叩き潰しにかかるのですな。「オレら本気で革命起こそうとしたんだ、お前ら本気じゃねーだろ、ヌルいんだよ」と言い放ち自慢話が続くわけですな。それでいて彼らは「連続革命を継続させよう」とは露ほども思っていない。若き日の英雄譚でしかない。

さらに、そうじゃない人の方が多数でもある。でも彼らは「それって失敗するから」「うちら今家族で手一杯だから」「立場ってものがあるでしょ」。

どちらにしてもある種の冷淡さがあった。大騒動を起こして引きこもりというところはある。その彼らがかなり重い蓋になっていたのは確かだと思う。なので私の年代あたりは左派勢力の旗手になるのではなくて、個別案件のスペシャリストや地域発展や貢献を目指す方向になってしまった。小さくまとまる方向にある。

反原発運動で、かなり勘違いしている方とかいっぱいいたが、それでもあの重い蓋をどうするのかというのでは、方法は間違っていなかった。安保法案反対派の方々の、若い人になると全くその重い蓋を感じていないようで、羨ましくも感じている。ただこれらもワンイシューで止めざるを得ないほど、人の価値観が多様すぎて、運動を発展させることができない状況だと思う。

本来ならそれぞれの問題を持ち寄って、新しく作り直すことから始めなければいけない。例えば年金と生活保護と障害者福祉と貧困対策は、個別案件のように取り扱われている。それは役所の窓口が別々だからだ。それをまとめる人が出ないのは、個別すぎて煩雑になってしまっていることと、それぞれの代表者がそれぞれの立場でしか考えられなくなるからだ。

団塊の世代の悪口はいくらでも言いたいが、なぜ彼らが悪く見えるのかといえば、彼らは本来味方だったはずなのだ。それがなぜ敵になるのか。彼らは「理論武装が貧弱で話にならない」という。それではマルクスの理論から派生した、革命を起こせないほどに貧富の差が広がる前に先立って革命を起こさなければいけないというのは正しいのか。

とはいえこの重たい蓋以上に、重たい蓋がある。それは世間だ。なぜ世間が左派勢力の旗手を出さないのかといえば、それは冷泉氏のコメント通りだ。そもそも社会の変化を認めたくないのだ。

マジメに左派は、学者になるか社会改良のNPOを作るかしかなかった。ジャーナリストにも最近はいい記事が出るようになってきている。ただそれは一流どころとはいえネット記事だ。

新しい動きから、左派勢力が台頭するまではかなり時間がかかるだろう。ただ年金と国民健康保険あたりから、何か起きそうな気はする。

 

 

最近よく会う内装屋さんなのだが、何か仕事の厳しさをよくいう。それでいて彼の本業以外の仕事がいいかといえばちょっと疑問が湧くことが多い。

その彼がこの前、アクリル板で指を落とした職人の話をしていた。手すりと外壁のアクリル板との間に指が挟まった状態で滑って階段から転んでしまった、という話のようだ。まあなぜそこにアクリル板が外壁に貼られていたのかはわからないが、たまたま家の奥さんが元看護婦でその指を入れる氷とタッパを用意したのでつなぐことができたが、結局指は曲がらなくなったという。そして誰もが指を手でつまもうとせずに、ベニア板の切れっ端でようやくつまんで氷に入れたという。

日本は素晴らしいとよく言うが、実態はこの程度だ。この件は手袋をせずに作業したということと、緊急時にもかかわらず、指を落とした人のことより、自分の気持ちを優先した結果、指の冷却に間をかけてしまったということだ。

今までなぜ彼が仕事の厳しさを言いつのるのかわかった。自分は優秀だと言いたいようだ。多分それだけだろう。私もそうだが、自分の価値を高く見積もらないと、結構心が辛い。

今日は変な事例を知った。えらく無口で、対人障害があるなと思っていたのだが、マジメで約束の時間は守るし言われたことを言われた通りにキッチリやるのだ。ただ応用とか変更には弱いが、それでも言われたことはやる。キッチリやる。だから信用されるのだが、正社員になりたがらないのだ。いつもパートで終わらせている。もちろん接客とか臨機応変な行動は全く苦手だ。でも与えられたことはキッチリできるのだ。

正社員のオファーを受けていたのは知っていた。だが彼は断った。ここまで自信のない人には滅多にお目にかかれない。「人の前に立てないから」。なのだ。

ただ前職でも正社員のオファーがあったというのを知ったのは驚いた。東証一部企業の子会社なのだが、そこでも能力を見込まれたのだ。

この話はね、自分をよく見せるために他者を持ち出す仕事に信用がないやつと、仕事には信用があるんだけど自分がないにもほどがあるという対比なのだ。だから本当に思う。

確かな仕事をしてくれる人が、今少なくなっているということだ。

 

 

新しい軍歌、欲しいね。

多分もうあるのだが、発見できていないのだろう。

そうか、右翼の純粋性を保持するためには、何も変えられないのか。

左もそうなんだな。