どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日もまた特に何もなかったな

2016-02-21 20:33:52 | 日記

 

今日は午前中雨がちだった。午後も多少降ったが2時半以降はほぼ晴れた。とても暖かい天気だった。

アオサギがいました。

 

 

ダイサギもいます。いくら暖かいとは言っても、盛岡の冬にダイサギがねぇ。温暖化でしょうか。最も無農薬や減農薬、そしてそもそも農薬の毒性が下がっていますから、数も増えているようです。

 

 

ハヤブサが通過しました。

そういえば20日にはPM2.5が51ppmまで上昇したのですが、今日は一桁台です。黄砂も来ていないので、中国由来ではなさそうです。

 

 

ハヤブサがいようがどうしようが、なんか延々と飛んでいたカルガモです。

このころから西風が強くなり、特に上空は大変なようです。

 

 

白鳥が、西風に飛ばされていました。

 

 

 

小保方氏の手記が書店で出ていた。買う気も起きない本だが、まあどうしてあんなずさんな科学者もどきを理研では重用したのでしょうかね。やはり理研の上層部の責任は大きいかと思う。

その前に出ていた酒鬼薔薇聖斗氏の顔写真が雑誌で晒されて、さらに大雑把な住所まで特定されてしまった。手記さえ出さなければと思う。もう少しおとなしく暮らせないものなのか。

この酒鬼薔薇聖斗事件で、初めて「心の闇」という言葉が使われたという。週刊現代の記事だが、その他こういった猟奇事件での考察が深い。初出は読売新聞だという。

起動原因が示されては破綻し、そのたびに「心の闇」という言葉は肥大していきます。しかし、原因を探ろうとする欲望は、加害少年逮捕までの大推理ゲームのなかで大いに喚起されてしまったため、それを押しとどめることはもはやできません。」

起動原因というのは「なぜこのような行為を行ったのか、その原因」で、この場合家庭環境や学校や体罰などが挙げられて、全て説明できないということになった。唯一残ったのは祖母の死だったが、あまりにも社会通念からかけ離れていった。だから心の闇という言葉で逃げるしかなくなった。

つまり先の社説にあったように「少年ひとりの特異性に帰す」ことが禁じ手とされる一方で、「一般的な社会要因に原因のすべてを求める」ことも禁じ手とされるためです。」

さてこの記事はしばらく連載されるようなので、今後とも期待したい。



先の記事では「心の闇」という言い方にはジレンマがあったという。事件の背景に社会の歪みとかが認められたわけでもないし、本人の特異性だけにしては報道としては問題があると考えていた。加害者のご両親のこともあったからだ。日本には××な息子の親と言われて社会から追い出されるケースが多すぎる。誰からも文句がないように仕立てるためには、曖昧さが必要だった。

だが、その後やはり特異的な事件があるたびに「心の闇」というのを使うのに、違和感がある。例えばだ、日本にはものすごい数の2Dロリータポルノがある。大体は目玉の怪物のような美少女なのだが、大体はこれって現物はないなと誰もが思うものだ。だがこれだけいっぱいあれば、確かに犯罪者は増えるかもしれないが、統計上そういったデーターはない。逆説的に統計データーもない江戸時代とか戦前なんてどうするんだという。

もちろん現代の倫理と過去の倫理を相対化させる気はない。ただそういった嗜好がある人物がいるということだけが分かっていればいい。まるで中毒のようになってしまっている人たちが僅かにいるのは間違いがない。強姦魔の再犯率や下着泥棒の再犯率なんかがいい例で、中には人を殺すのが好きという人もいるというだけだ。

ただこれが大人だと、「心の闇」とは言われないわけだ。心が壊れているよね、で終わるわけだ。なぜ少年だと「闇」になるのかだ。

実際「心の闇」報道に辟易していたので、逆にあまり考えてこなかった。だが少し考えたらわかる。読売新聞にはすごい言葉使い手がいたわけだ。

「闇」は「照らされなければいけない」わけだ。闇を照らすことで今後の社会の対応から少年の更生にも役立てるだろうという、論理が言葉にある。少年法の縛りがあって、どんなに人気の記事になっても書くことが極めて少ない。だが酒鬼薔薇聖斗事件は、死体への残虐な行為や、本人が公開している情報などで記事はいくらでもできた。だがそれが中学生の犯行だとわかった瞬間にかけることがなくなったのだ。

少年法からギリギリ逃れて描く方法、それが「闇」だったのではないのだろうか。社会正義という「光」をかざすことで、少年法の制限をギリギリ回避しようとしたのではなかったのだろうか。逆に「心の闇」を振りかざすことで少年法を回避する術を手に入れた結果、その後も乱発しているのが現状なのだろう。最近では「心の闇」と言ってお茶を濁しているようにしか思えない。

心の闇というのは、誰にでもある話だ。

 

 

山の方では雪が降っている。寒冷前線が通過した。気温が3度下がる。

 

 

16歳の少女に21歳の大学生が淫らな行為をしたとして逮捕された。実際これはあるあるで、多分和姦だろう。逮捕されたのは群馬県の条例違反なのだがかなり異常な逮捕に思える。なお風営法とか婚姻法ではないのに注目。県条例なのだ。

何かあったのだろう。だが、年齢は悪くないぞ。その前に正しいステップを踏んだのだけが祝福されるというのは、今現在どうなのかな。SNSだからダメなのかな。

まあその前に、秩序正しく結婚を決めた人はどの程度いるのだろうか。今では勢いだけで結婚する方が多いのではないのかな。

完璧な社会を目指すと、子供は減るのだよ。それは大人の社会だからね。

子供が減るのは、大人の理由だよ。

 

 

コンプライアンスという言葉は、誰のためにあるのでしょうかネ。

賢く生きるためには必要なもののようです。

 

 

完璧を目指すと景気は悪くなる。