
昨夜3センチ雪が積もったが、昼までにはあらかた融けてしまった。さて今日は国公立大学前期試験最終日です。受験生の皆様お疲れ様です。もう倍率が1.3倍を切る学科なんかありますね。大学では入学拒否の場合を考えて、実は少し多めに合格者を出しています。最近では少子化のためにあんまりいっぱい出すことはできなくなっているのですが、そのラインが1,3倍です。ここを切ったら、ほぼ全入状態です。おめでとう御座います。でも理系なんかだとこれじゃ無理!と言って、容赦なく落とす場合もありまして、安心はできません。文系だとまずこの指標は使えますが、なぜか日本は理系志願より文系志願の方が倍率は高いわけです。なので滅多にこの倍率は切らないものなのですが、今年は結構切ったところが多いようですね。まあ理系は女性が少ないイメージがありますし、忙しくてバイトや恋愛とかと縁がなさそうです。暗くでダサイ青春なんて誰も送りたくないですよね。倍率が低いのはそういった理由なのですが、そう考えているからもてないという事実がありまして、固定概念を取っ払って現実を見れば、工学部に女子が増えています。理系女子はオシャレに興味がないというイメージがありますが、そんなこと全くありません!ファッションセンスもいい子が増えてきています。なお女性は男を意識してファションを頑張っているわけではない。あれは女性同士のコミュニケーションツールなのだ。そして体育会系のキッツイ部に入ってバイトもして彼女も作って、成績優秀で卒業する男もいるわけです。まあその前に楽して果実を取ろうと考えてはいけないわけです。
ただ入試科目が理系で増えただけで、理系の倍率が減るということは、どうゆうことなのか。大体の高校生は、大学でやりたいことなど決めていないというのがよくわかります。この辺り政治家はまったく考慮していませんね。大学を改革すればエリート教育ができるというものではありません。まずは高校生を大人として扱うようにしなければいけないでしょう。勉強しろで終わってしまう高校時代というのはどうなのでしょうか。とは言ってもエリート養成高校ほど自由というわけのわからないこともありますね。その上で、エリートというのは大体おかしな人です。特に一芸に秀でた人物というのはその通りです。一芸だけ秀でています。恐ろしく教養が高く深く、人品高潔で人に思いやりがあり、社会に対して深い問題意識を持ち、頭脳明晰で知識にあふれ、人間関係の構築はどんな人も惚れ込んでしまうようなカリスマを持ち、情熱に溢れる謙虚で、専門においては古今東西右に出るものはない人間というのがいたら、見たいものだ。大体はこの項目のうち、二つか三つ落っこちているものだ。大体は人間関係の構築がうまくできない。だから伸びて行かないという場合が多い。となれば、そういった天才たちの足を引っ張らない社会が必要だ。まあ大体引っ張りますな。江副もそうだし堀江もそうなった。
で、その前に一人の天才には秀才が何十
人かついていないとその成果は出ない。ということは、大学改革より必要な改革ってあるんじゃないのか、となるはずなのだが。

多分なのだが、トップエリートを一番欲しがっているのは会社の経営者とか政治家なんではないのだろうか。経営者は当然そうだろう。日本ほどの人材の厚みがあるのに、ユニクロの社長のように引退できないというのは少しおかしい。多分政治家も薄々そこに気がついているのではないのだろうか。パッと見渡しても深く探っても、これという人材がなぜか見つからない。まあ本当はいたはずなのだが、出世街道で落っこちてしまっているだけだというのもわかっているのだろう。
時代の改革者が必要だと、誰もがわかっている。でもわかっていても今のシステムを手放せない。だから大学改革なのだろうか。
松下幸之助が作った松下政経塾は、その意味では先見性があったと思うが、卒業生が青臭いと評判が悪い。だが優秀な政治家が多いと思うのだが。だったらもっと高度な教育を受けた人がいいのではないのかとなるのだが、これまた評判が悪い。本当は各政党がイギリス型の政治家育成コースを作るべきだった。ドブ板も高度な政策研究も続けながら地方政治から国政まで段階を追って政治家としての資質を鍛えてゆくのだが、政党以外の支援のない選挙というのをやりつづないといけない。結構ハードルは高い。日本では秘書から出世コースというのもあるが、ドブにまみれさせてしまっているし、彼らが何をやっているのかというのは、政治資金の鞘抜きだったりする。
それでは自民党の最近の落下傘議員が何をしているのかといえば、政治への情熱を偽装したような人たちばかりで、一体党は何を教育しているのかとなる。

小学生の時に姉がなぜか英文タイプライターを持っていた。目を盗んで遊んでいた。結構これで姉と喧嘩になったものだ。そしてある時、なぜか父が和文タイプを持ってきたのだ。どうも仕事先で廃棄になったもののようだ。当然私はこれに夢中になった。後年印刷用のワープロに触れたことがあったが、なんとなく使えたのはあの文字配列をうっすらと覚えていたからだろう。しかしだ、あの文字配列はどうしようもなかった。一行作るのに10分とかだが、子供の感覚では1時間もかかったような気がする。とにかく手こずった。そして、ひらめいた。
「今後、自動的に文字を打つ機械が現れる」。確信的に思った。その後は漢字の読みは覚えるが、書くことをサボった。いやすぐ未来には書くものはあるのだから、読めて意味がわかればいい。そこが重要であって、漢字を書く必要はない。その後パソコンがあって、日本語ワープロが出た時には感動しましたね。
多分人生で幾つかの重要な失敗ですが、やっぱり手で書くことは大切です。ものすごく恥ずかしい思いをしています。でも大体の漢字は読めます。
少し前ですが、沖縄・北方担当大臣、だけだと思っていたのだが科学技術政策担当大臣兼宇宙政策担当大臣と兼任されています。忙しいから歯舞の文字をと散らかったのかもしれません。でも沖縄の方、実質権限のない大臣とはいえここまで兼任させた自民党ってなんじゃいなとなりますね。私もそう思います。
その塩尻大臣が、歯舞という漢字を読めなかった。はぼまいですね。確かに読めない。でも枚方よりはマシでしょう。ヒラカタは読めないです。でもここには読めない=書けないと言う図式があるのです。今の世の中読めればパソコン等のデバイスを使えば書けるわけです。鬱陶しいも楽勝なわけですね。読めないというのは、政務官から上がった文章をそのまま右から左へ流しているということです。
歯舞が読めなくともいいかもしれませんが、問題は官僚から上がった文章を読んでいないという疑惑が出てしまうわけです。いっぱい書類があるわけで、読めなくとも大雑把に北海道に一番近い島で小さな島で、実は一番もめている島という認識さえあればいいのです。でも、書類にいっぱい出て来れば、検索ぐらいするでしょ。人に聞くのが恥ずかしかったとしても。その前に、視察に行ったと思うのだがその時には看板に歯舞にはルビが振られていたはずだ。
読めないということは、官僚の文章を添削してもいないということなのだ。その意味がどの程度深刻なのか。
役者すらにもなっていないと言う政治家は、どうしようもない。
とはいえ彼女は言語感覚が少しおかしい。ウイキから転載する。
- 2015年、名護市辺野古の新基地建設をめぐる市民の反対運動について「責任のない市民運動だと思っている。私たちは政治として対峙(たいじ)する」と発言した[18]。
変だね。仙台市出身の沖縄に縁があるかどうかはともかくとして民主党の市議から、自民党の衆議院議員になってしまった経歴は、そもそも政党政治の破綻だと思う。彼女が悪いわけではない。

高松の池に行くと、キンクロハジロが寄ってくるようになった。僕も金ちゃんが好きだ。お風呂に浮かべたい。でも君は決して懐かないんだよね、そう思っていたから何か衝撃を受けている。どうも私はコメをくれる人として認識されたようだ。
ただコメをやったのは3回だけだ。たった3回だけでここまで懐かれるとは全く思わなかった。多分錯覚だと思うのだが、コメをやりながら遠くにいるキンクロハジロに目をやると、寄ってくるんですね。目がキラっとした感じもします。コメやらないでも一応寄ってくる気がします。
まあ気がするだけですが、多分キンクロハジロは頭が悪くないのだと思う。
このところ、キンクロハジロを見て「かわいい♡」という方が増えています。結構嬉しいです。白鳥のキレイより「かわいい」が最強です。

白鳥の大きな群れが通り過ぎました。

CNN) 米アイオワ州で、子どもも年齢を問わず大人の監督の下で短銃を使うことを認める改正法案が州下院を通過した。同州の現行法では14歳未満の子どもの短銃使用を禁止している。
日本人には理解しがたいこの条例だが、詳しくは記事を読んでほしい。
銃がいっぱいあるから、子供に教えないといけないという問題がある。子供が人を殺す案件があるからだ。しかもほとんどは偶然と言う。アイオワではライフルも散弾銃も大人が監督していれば年齢制限はない。そことの整合性があったわけだ。
トランプ氏が言うように、銃乱射事件の際に犯人に反撃できればいい、だから銃の所持は自由にするべきだということともまた違う。その通りにした州があるようだが、どうなるんだか。スーパーマーケットにアサルトライフル持参のお客様は、なかなかなものだ。
だがアメリカ建国史から行けば、この銃の問題は別な側面を持つ。アメリカは連邦政府であり州の権限は極めて強い。そこに州兵がいるのは当然だ。そういった社会だ。経済と移動の自由が連邦では保障されているが、各州はイザという時に連邦と縁を切ることができる。そのために州兵が必要なのだ。そういった概念があるからこそ、一般人が銃を持たなければいけないのだ。
アメリカ人は連邦政府に対して銃を持つ。その上での銃の問題だと思わないとやりきれない。あれだけの愛国者はそこまでも嫌うということなのだ。大統領選が戦いと言われるのは、その文脈で見るべきなのだろう。

白鳥の大きな群れが通り過ぎた。少し逡巡したようだったが、多分隣のダムに行ったのだろう。

なぜ全ての政治家はダメなのだろうか。そういった設問は面白いのかもしれない。なぜ全ての経営者がダメなのかとかまで広げると面白いかもしれない。答えは簡単だ。情熱があれば、だ。
だが情熱は演技できることだ。見破ることは簡単だったはずだが、できないというのはよっぽど日本にはエリートになれる人がいないのだということとなるのだろう。

いい夕日だった。