今日もプールに逃げ出そうと思っていたのだが、最近寝苦しいのと朝日が暴力的すぎるので、まあ2度寝してしまったわけだ。2階で寝ていたのが目覚めたら一階で寝ていた。ということで朝が遅くなってしまった。さてどうしたことかとネットのニュースを見ているうちに、なんかどうでもよくなって写真の整理を始める。するとだが、この前まで暑さで何にもできなかったのがスイスイできてしまう。
ンン!なんだ、11時には31度だったのが14時39分には34.7度まで行っちゃっているのになんでスイスイゆくのだ?
追い詰められているというのはあるが、特に集中していたわけでもないのになんでこう捗るの?
いやもう、慣れてしまったのだ。ちょっとこの前までは33度でうんざりしていたのだが33度で涼しく感じるようになってしまったのだ。
人ってオソロシイよなぁ。
カイツブリの幼鳥も一年経ってかなり大人っぽくなってきた。この季節はカイツブリの成長が楽しみだ。
今日は中国人でノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏の死去が伝えられた。BBCの記事が最もふさわしい訃報だと思う。
「肝臓がんを患った劉氏は、末期になって初めて治療のための仮釈放が認められた。そして入院してもなお、厳しい監視下に置かれ、友人の多くは面会を許されなかった。今から80年近く前、カール・フォン・オシエツキーも看守に監視されながら病院で死んだ。彼の場合も、治療が許された時には、すでに手遅れだった。」
ただここで中国の人権侵害をナチスに例えるのは酷なことかもしれない。それはアジア人、つまり日本人も含める、そのいい加減さというのがあるからだ。中国は貨幣制度の不安定さが徹底しすぎた故に、今の統一した元に対して不信感をもつ。変だろ、多様な方が不安定なように感じるのだが、常にリスクがあると考える彼らはリスクヘッジのない社会は信用できないのだ。
政府批判を認めないというのは権威のためだが、それ以上に常にリスクがあると考える人々を抑えるためには、電子マネーを中心としたアキテクチャーを構築したのは流石だと思う。
だがね、生活保護を受けなければいけない人には人権がないという人たちもいるが、それは中国とどこが違うのか。そしてそう行った事例はアジアではどこまでも多い。なぜ馬車馬のように働くのか。
アジアでは金持ちが人権を享受している。思想ではなく実利である。この意味では全世界で人権を謳歌しているのは金持ちしかいない。
劉暁波氏の死去は痛ましいものだ。だが今のアジアには、いやアメリカですら金を稼がない奴には人権はない、そうなっていないか?ましてや移民は。使えない奴には人権がない、そうではないのか。
意外と日本では老人がそういう。かつて過去に稼いで日本に貢献したという思いがあるからなのだろうが、稼がない上に文句を言う奴は死んでも構わないと思っているフシがある。
なので中国のこの対応を支持するのだが、なぜ支持するのかと言うのは、我々は最善の国家に生きているわけではない、それだけだ。
響で中煎りのケニアを飲む。意外とフツーのコーヒーでびっくりする。焙煎度が少し浅くなるだけでここまで爽やかになるのかと思う。いやケニアはヘビーなのだけどね。ヘビーなのが爽やかになったと言うのは変なのだが、なんと言うか欲しいものがあると言う感覚だ。
究極の中庸。ウオシュドの欠点のない高地産のリッチでストロングな豆に、ちょっと弱く焙煎しただけでこうなるのか。バランスと言うのはこう行ったったことだと思った。
不定愁訴は落ち着いただ、逆にリッチだぜい。
もう何十年付き合ってきたことか。でもね、こう行ったときにあるイメージを客観的に考えて、徹底的に考えるチャンスでもある。
ただ徹底的にしないとダメだよ。