東北は梅雨明けする直前にすごい大雨が降ることがある。そして今年は常に降れば大雨だ。九州の災害もそうだし、今回も秋田で大災害になったようだ。盛岡は一日中災害情報のエリアメールで騒々しかっただけで済んだ。
そう言えば災害情報のエリアメールの着信音って、震災の時のあの不吉な感じの音ではなくなって、微妙に可愛らしいが、何か不思議な音に変わっていた。
降った。一日127ミリ、1時間最大が23ミリ、10分間最大が6.5ミリ。一日の降水量としては歴代5位になりそうだ。七月の平年降水量が185.5ミリなので、平年の68%の雨が一気に降ったわけだ。これで今月の降水量は265.5ミリ。乾いた月かもしれないというのは遠くの予想になった。
台風も変なところに発生しているし、海水温が高いのだなぁというのはわかる。なので降れば大雨になりやすい。
今日の大雨の一番は寝坊して聞けなかったが、昨日の大雨は「蜜蜂と遠雷」を読んでいて全く気にならなかった。
今日も読後の印象を考えていて、雨音は気にならなかった。
読む前から、この本は「ショパンの森」という漫画への反証ではないのかというのがあった。漫画というのは絵で説明できるし、逆に言えばドラマの無理なところも絵で説明できてしまう。青年誌に掲載されていたが、ある少年の成長冒険にもなっているので、枠としてはかなり広いこともある。それを小説にするとなるとコンクールに焦点を当てた狭い枠にするというのは正しい。そして登場人物を限定しドラマを広げて、その上でコンテストの問題を書き出してゆく。特にコンクールの問題点については随分取材したのではないのだろうか。
そしてなのだが、天才がズラっと並ぶ年とか、本当にあるのです。
この小説が出てから、絶対音感がどうのこうのという人がいるのだが、実はちょっと違う。耳がいい人というのがこの本の人たちだ。絶対音感は例えばインドの音楽家は1/8音階のピッチだ。1/4ピッチというのは世界にゴマンとある。1/32となれば、実は演歌だったりするがこれを説明できる言葉は実はない。世間でいう絶対音感は1/2ピッチの音だ。12音階のピッチでしかない。その平均律の世界は訓練すれば誰でもわかるものだと思う。ソルフェージュの世界で、逆にこれで訓練されてしまうと寺の鐘の音が全部和音に変換されてしまうという苦痛な世界が待っているわけです。
世界は音に満ちている。だがそれに誰も気がついていない。音楽家だけはわかっているが、それをどう伝えるのか。これはすごい精度で書かれていると思う。
音楽というのは相当にめんどくさいものなのだよ。
とにかくすごくよくできた本だ。だが誰の演奏を参考にしたのかというのは考えない方がいい。その誘惑にかられるが、やはり各等する人物はいないのだ。今のクラシック界で起きているのはまさに、新しい音の出現なのだから。