どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

フルーツ味・メレンゲクッキー

2013-03-26 02:22:01 | インポート
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さてメレンゲに食品の粉だったら何でも入れて焼けるようだ、と以前言い切っていました。とはいえいろいろ得手不得手はあるようです。天津甘栗(中身ですよ)を粉にした所、外側のあの飴色の部分の粉砕がうまく行かず、焼き上がりに固くムニュっとしたものが出来るとかビミョーなものになったりしました。まあ栗の風味はありますが、特別栗だと言う感じにもならなかったので、現在保留中です。

さてダイソーで、フリーズドライの果物が売られていました。20gで100円です。
実はイチゴとリンゴもあるのですが売り切れていました。フリーズドライの物は加熱されたドライフルーツに比べ、果物の酸とメレンゲのタンパク質が反応してうまく行かないのではないのかと考えていまして、イチゴとリンゴは買ったもののしばらく放置していました。
しかし作ってみると、何とかなりそうです。そこでマンゴーで作ってみます。


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無塩カシューナッツ23gとフリーズドライマンゴー12gをフードプロセッサーに入れます。
さてこのフードプロセッサーですが、以前一発で壊したものをもう一度買いました。おかげで粉砕するケースと刃が2セットあると言うとっても便利な状況です。

安物買いの銭失いとはまさにこの事でしょうか。

カシューナッツは、味にこくがあるが匂いが弱いので選んでみました。



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3分連続の粉砕は禁止と言う事で、休ませながら粉砕します。このフードプロセッサーでは均一の細かい粉は期待出来ません。でも実はメレンゲクッキーだと多少荒い方が結果がいいようです。とはいえあんまりばらついていると、絞り金が詰まったりします。なので出来るだけ均一になるようにします。

カシューナッツがなぜ入るのかと言えば、ちょっと不安だから。マンゴー単味で出来るのかどうか不安だから。酸との反応も考えると入れた方が良い。


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卵一個分の卵白と砂糖を25g入れて固いメレンゲを作り、先の粉を2回に分けて切るように混ぜます。

イチゴとリンゴのときもそうだったのですが、多少酸とタンパク質の反応があるようです。それとフリーズドライなので吸水性がとても高いみたいでサックリと混ざらない所があります。以前きなこで作ったときも、きな粉が煎り大豆の粉と言う事もあって、吸水性が高くあまり粉が入らない傾向にありました。


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さてイチゴの反省もあったので、粉の量はいつもより少なめの35gですが、割とさっくりと混ざってくれました。イチゴだと混ざりむらが出来やすいように感じました。あと生地が硬くなる傾向にありました。粉の量の問題もあるのでしょうが、酸の影響を感じました。マンゴーはやはりそこまで酸は強くないのかなと思います。


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とはいえ直感的に、水が抜けにくいのではないのかと。フリーズドライの果物の粉はメレンゲからの水を強く引きますし、酸はタンパク質を変成させています。なので直径2センチ以下で絞り出して、140度35分で焼きます。


左がイチゴ&リンゴです。粉の量が少し多かったので固く出来上がりました。中が少し柔らかいものもあって、やはり水が抜けにくいと解りました。
右がマンゴーです。マンゴーはイチゴの失敗から計算したのですが、やはりオーブンの熱配分で、サクっといかない部分もあったりしました。それでも、それぞれ風味よく出来上がりました。とりあえず果物の粉でも出来ると言うのが解りました。


もう少し工夫しないといけないレシピのようです。130度40分で焼くとか、考えられます。


そういえば抹茶はまだやっていなかったな。

PS ピーチで作ってみましたが、粉は合計35g以下で、130度40分で焼き上がりました。ご参考まで。


TPP・軽自動車ってどう?

2013-03-25 19:33:49 | インポート
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あいかわらす主題と写真が関係ありません。前の記事が、保存と下書きの設定を間違った上に、大迷走したので次の記事も混乱していると言う事です。


さて相変わらずの思いつきなのだが、TPP交渉で軽自動車が大きく取り上げられそうだ。アメリカでは軽自動車の優遇税利率は非関税障壁だという。これに対してなんでアメリカ人は軽自動車の便利さが解らないのだろうか。日本の国土の狭さと、道路事情と駐車場問題が解らないのだろうか?とほとんどの日本人は思っている。

だが実のところ、自動車の成り立ちがそもそも違う。
アメリカは自動車の初期から自動車生産している。当時は公共交通が整備されているとはいえない状況だ。この中で自由に荷物や人を運べる自動車に人気が集まった訳だ。更に長距離や荷物の運搬まで要求されるものは多い。大型・大排気量がもてはやされるようになる。今でもピックアップバンに人気があるのは、マルチパーパスな使い方が主流だからだ。おまけにスピードは早いほど良い。直線の多い道路ばかりだからだ。
かくしてアメリカは、大きな車がクルマだと考えている。なにしろ自動車の歴史とともにあるような国だ。この辺には強いこだわりがあるのだろう。


そして日本だが戦前の生産は微々たるもの。戦後になって通産省が軍需産業から民間産業への転換、そして産業育成のためにトヨタとかを応援したが、外車との性能差はいかんともしがたいものがあった。つまり誰も買ってくれないのだ。そこで鳴り物入りで360ccの自動車を研究させた。これくらい小型だったら当時の日本人の収入でも買えると睨んだのだ。結果これが大当たり。しかも政府は補助金を出さなくて済んだと言うオマケまでついた。とにかくここから日本の自動車生産が本格的に始まり、産業育成に成功したのだった。
これが日本人の自動車との出会いだった。その後軽自動車の規格はどんどん上げられ。軽自動車免許と言うのも無くなり、政府としては小型車以上の規格にシフトすべく誘導しているのだが、全くうまく行かない。
逆にモータリゼーションが進んだおかげで、2台目需要で生き残ってしまったのだ。革靴とつっかけの使い分けのようになった。そうなると変なことが起きる。高級軽自動車の登場だ。実際120万を超える軽自動車が売れている。
こうなると税金が安いからとか燃費が良いからと言う訳ではない。

実際インドのタタモーターズが超小型車・ナノを発表した時、日本に輸入しようとした動きがあった。結局安全基準があわなくて輸入されなかったが、高級軽自動車ばかりになった市場に、もっとシンプルで安いのが良いと思っている客が多かったと言う事だ。


さてアメリカはこういった事を解っているのだろうか。
その前に、今後自動操縦の車が出て来る。今はまだ過渡期だが、もしも自動操縦が全面的に普及すると車は極端になるのではないのだろうか。法廷速度以上に走らない。車同士の車間距離を律儀に守る。そんな車ばっかりになるのだ。多分割り切ったコミュニケーターとしての小型車と、走る居間のようなラグジュアリー重視の超大型車に分かれると思う。特に無人タクシーなんて出て来ると、これは間違いなく小型車だろう。軽自動車でも良いかもしれない。

(無人タクシーでどうやって営業するのか。とにかく変な所をいじったら最寄りの警察署に自動通報&自動運送する車になるのだろう。ガラスを割ったりしたら、エアバックが作動して後頭部を叩き付けてくれるのだろう)


日本はどう対応するだろうか。私の予想だが軽自動車の優遇税率は引き上げられるだろう。こうしてアメリカと妥協すると思う。だが日本政府は隠し球を持っている。超小型コミュニケーターだ。子供一人の送り迎えに十分な超小型電気自動車だ。この規格作りが今着々と進んでいる。今の軽自動車の需要の一部を、これに取り込もうと考えている。
政策は一貫していると思う。


卒業シーズン終了

2013-03-22 22:42:31 | インポート
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この盛岡も、国立大学の卒業式が終わって卒業シーズンは終わった。そういったところで世間に言う贈る言葉を書こうと思う。


まず世界が相対化しており、絶対が無くなった時代に生きていると言う事を伝えたい。どういった事か。情報が本質的に過剰になった時代に住んでいる。その選択がほぼ不可能な状況になっている。この状態で何を真実と思うか。

実は真実と言うのが相対化されているのだ。例えば代表は宗教だ。真実の代表がなぜ相対化されるのかだが、これが情報化の問題だ。宗教同士比較出来る状況だ。
本来宗教は地域のものであった。だがそれが広域化するにつれ対立などを生むようになった。この対立こそが情報化の始まりだ。対立するものの情報を集め戦略を練る。この中から宗派対立が更に大きくなる。
ここまではキリスト教を念頭に置いている。最近の教皇交替も、背景にカソリックの近代化問題が潜んでいる。本来は絶対だった権威も、今では信者の問題に解決出来ない。
イスラムはどうかとなれば圧倒的な多数がスンニだったので、ある安定はあった。しかし近代化の対応が遅れすぎた。急激に進む近代・現代の潮流の中で大きな矛盾を抱えている。相対化された神の権威を取り戻そうと言うのが、超保守・原理主義であって、その中で武力を持ってでも取り戻そうと言うのがアルカイダなどの過激派になった。

一神教の最大の問題は、他の宗教がある事だ。それが例えばアラブやヨーロッパの範囲であったなら戦って征服すれば良い話しだったが、戦えない状況では比較される対象になってしまう。優劣を超えた存在なはずの神が相対化され、比較される状況が許せない人から、原理主義者が生まれる。宗教の近代化は修正主義と蔑まれる。

相対化した社会の中では、人は不安定になりがちだ。安定を求めて宗教や歴史に身を任せがちになる。また社会に何か大きなことが起きた時に、なぜか普段はバラバラなのに、単純に一つの方向を向いてしまったりする。原発事故以来の反原発運動だったり、いじめ事件で桜宮高校の関係のない学生がバッシングを受けたりする。日本の保守化も、中国と韓国の台頭という圧力が方向を作っているように思える。
いじめ事件のようにある程度時間が経てば、その圧力が弱まりまたバラバラに戻ったりする。いい加減だと思う所があるが、相対化と言うのはそういったものだと思う。


相対化は比較出来る状況をいう。これはどうゆう事かと改めていえば、初めは書物などの情報で比較出来るようになった。ただ書物を読める人が少なかったので、これは顕在化しなかった。しかしルターの宗教改革から識字率が上がってゆく。それでもまだ顕在化しなかった。ようはエリートの物だったのだ。過去のエリートたちは、自分たちが選ばれた人間だと言う事に疑いも持っていなかったし自分が相対化されるなんて考えてもいなかった。だが、それが徐々に啓蒙主義の時代を通して近代に近づくと、怪しくなってゆく。ニーチェなんて生み出したのは、この中での事だったのだろう。積極的ニヒリズムともいわれたが、現代の文脈に置き換えれば相対化した世界に対して超越した個人であるべきだと、いっているような気がする。

決定づけたのは、第一次世界大戦だ。人が生み出した機械が、人をしかも大量に殺してゆく。そして大戦中にまるで機械が自立的に進化するように強力になってゆく。この進化を目の当たりにした芸術家たちがまず第一に変わった。旧来の価値観を否定し、一気に別な領域に突入した。大衆文化も映画・ラジオを初め雑誌などの大衆文化が花開いた。混乱の中で人が求めたのはまず情報だった。最も混乱したドイツでグラフジャーナリズムが花開いたのはこのためだ。具体的な情報が欲しい。写真入りの雑誌は具体的ではなかったが主観的に満足させるものだった。

大量に溢れる情報をコントロールすれば、いろいろ出来るとはじめに気がついた国はどこだろうか。多分当時の先進国はすべて大なり小なりやっていたと思う。大々的にやったのがナチスドイツであって、日本もそうだが他の国も大なり小なりやっていた。だが第2時世界大戦が終わり、その欺瞞が何となく解るようになると、更に政府が信用されなくなる。こうなってくると更に情報が欲しくなる。
戦後は更にテレビと言うメディアが加わり、情報が更に拡大してゆく。そして印刷物もそうだがレコードも映像もビデオになって流通するようになった。比較出来るようになったのだ。例えば音楽ではクラシックだ。ある曲のレコードを比較する事が出来る。だがその量が多くなりすぎて何が正しいのかよくわからなくなりつつある。ある意味演奏時間が演奏内容を判断する基準にもなっている。例えば世界最遅の演奏とかだ。

この比較するために、スペックや能力がカタログに載る事になる。その中から選択して商品を買うように、人生の今の瞬間をその時その状況で選択しつつ行動するようになる。
しかし選択は常に正しいとは限らない。そして作られた流行や選択を指南する選択書とかに翻弄されながら、右往左往するのが現代の状況だと思う。

相対化された中での個人の絶対と言うのはあり得るのだろうか。その前に、私らは自分がオンリーワンと信じたがっている。だが私のこの言説ですら、自分の言葉なのだろうか?私は個人であり続けられるのだろうか。

この相対から逃げられる事が出来るのだろうか。絶対的な方法はあった。ラリー・ペイジとセルゲイ・プリンのグーグルだ。情報を徹底的に集めれば神になれる、そういった狂信も感じるが、誰にでも出来る事ではない。

グーグルは新しい大きな物語を作りつつある。普遍的な価値観の創造とでもいえば良いのだろうか。
それぞれの国家にあった過去の大きな物語、例えば神話や民族の伝統を横断して新たな神話を創造しようとしている可能性がある。自動自動車が多分その先鞭だろう。

簡単な方法は、宗教に入る事だ。とても重要だが、問題が多い。それは宗教に自分の判断を半分以上ゆだねると言う事だからだ。右翼に行くのも左翼に行くのも、同じ事だ。
宗教の求める規律は重要だ。どの宗教もそんなに間違いがない。だが絶対を求めるあまり、逸脱しやすいのも宗教だ。自分を確立するために宗教を使うのは、お勧め出来ない。

最も簡単なのは情報の浪にのる事だ。最もヒット数の多い情報にのって行動判断する事だ。残念ながら私にはこれが出来ない。理由は行動障害があるからだ。


難しい方法は、情報を受け流す事だ。捨てるといっても良い。
ここで変な所に思い当たる。実は日本人の考え方がこれかもしれない。断捨離なんて話題になったが、すべてを捨てると言う考えが仏教伝来以降ある。すべてを捨てる事が出来ると言うのは、個の確立と言うより、相対的な選択の由えといったニュアンスを感じる。
会社での根回しも、立場があるだけで余りにも相対的だから起きる行動なのかもしれない

天皇がいて武家が支配する形式も相対的だ。

日本は元々相対的な社会であったとすれば、そこで有効に動いていた儀礼様式があったからこそうまくいっていた可能性がある。だがこの儀礼が壊れている。今エスカレーターにのる時には右に寄って乗るかとかの議論は、そういった儀礼の変遷過渡期なのかもしれない。



さて相対化した人生だが、ただ一つだけ原則がある。
それは人間が動物の一種だという事だ。個人差も大きいが、その時間の使い方で肉体は変わる。そしてその履歴が目に見える形である事だ。
スポーツをしなさいとは全くいいたくない。人によっては大脳が身体をコントロール出来るのに目覚めてよくわからないスポーツオタクになる例があるからだ。身体は人の絶対的なものだから、そこに気がつくと極端に走るのは、それこそ原理主義なのだろう。


現代は美容整形からドーピングまで、肉体までも相対化させてしまう。


それでもなお絶対なのは、時間だ。時間だけが人には平等に絶対的に与えられている。だが時間は有限だ。その時間をどう使うのかが問題になる。そこに何でもかんでも突っ込むと、当然何もならなくなる。相対化された自分を取り戻す事はかなわない。

何をするのか。いろんな事や物をそぎ落としてゆくのだ。特に他への執着を捨ててゆく。後は、出来る事を出来るだけやってゆく。それ以外の方法はないように感じる。後は時間の経過で、最後に残ったのが自分なのだろう。

今の自分、それだけが確からしい。


黄砂ふりふり

2013-03-20 17:33:32 | インポート
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今日は一日黄砂が降っています。まあ中国から降るものはすべて悪いと言われる今日この頃ですが、有史以降ずっと春には降っていたものですから、あまり気にする事もないかと。多少汚染物質が混じっているかもしれませんが、直ちに健康に被害はないでしょうし、もうどうしようもないですし。


Tuli


ただやはり年々量が増えているようで、洗濯物が汚れるとか外に出ると肌がザラザラした感じになるとか、ちょっとヤナものです。しかも東北ですらこうしてモヤっと降っているのですから中国内陸部の砂漠化と言うのがハンパない物だと言うのが実感出来ます。もうちょっと中国には環境対策をがんばってもらいたいものです。


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いっその事この黄砂を集めて、絵の具を作ると面白いかもしれません。今年のイエローオーカーとかいって。

さてここまでの写真、モヤ感を強調しています。ウソ付きでございます。でもまあ何だろう、この外に出たくない感じは。とはいえ家の中にこもっても気分が悪い。だったら外に出る。


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すると秋田犬の白毛です。うん、かわいい。モフモフです。一気にテンションが上がります。


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白鳥も多少黄砂で汚れているのでしょうか。とはいえこの池にはかなり黄色い白鳥が毎年来ます。


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オシドリ発見!滅多にこの池にいないのです。残念ながら望遠レンズを持ってきませんでした。

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キンクロハジロとヒドリガモがやっぱり可愛いです。


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でも盛大に降っています。家に帰ってから、肌や服がバサバサした感じでテンションが下がってしまいました。
どこまでいってもモヤモヤした日です。


1300円のハンドミキサーVSホイッパー対決

2013-03-20 01:58:49 | インポート
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さて例のごとくメレンゲクッキーを作っております。もう定番のおやつです。クルミの粉やカシューナッツの粉を使ったりして遊んでいます。
それでも飽きるので、特大サイズのを作ってみようと挑戦しました。2倍の材料で14個くらいしか出来ません。直径4センチから5センチ程度です。50分間焼きます。

ただメレンゲの量も増えるので、少々ホイッパーを使って手でやるのはめんどくさい。そこで、ホーマックで売っている1300円のハンドミキサーを買って見ました。そこで手と1300円のハンドミキサーとどちらが早いか挑戦してみました。


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道具はこんな所。卵白一個分のメレンゲを作ります。大きなボールは手でホイップするのに使います。ハンドミキサーは小さいボールを使います。これは動きが違うため。手でやる場合はある程度大きなボールの方が、効率がいいのですが、ハンドミキサーでは撹拌する部分が小さいので、材料の量が少ないのが大きく影響します。そこで小さいボールのほうが効率がいいです。

ただメレンゲの固さを今まで手で量って来たので、ハンドミキサーの場合、感覚的に固さがよくわかりません。そこで出来上がったメレンゲを、ちいさいボールから大きなボールに一旦あけて、ホイッパーで撹拌して確認をします。

ゴムべらは、ボールのふちについて撹拌出来ないメレンゲを集めるのと、移し替えに使います。


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さて手でメレンゲを作ります。ネットでニュースを見たりとかでかなりゆったりと撹拌しています。大体このくらいという所まで14分で出来上がりました。もうちょっと固くても良いのですが今回はここまで。


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さてハンドミキサーで作ります。最初はゆっくりと。徐々にスピードをあげてゆきます。


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ボールを回したりイロイロしながら、14分間ほぼずっと回してゆきます。3回ほどゴムべらで上下が変わるようにしたりしています。
手で14分で出来ました。さてハンドミキサーはとなるとちょっと頼りなげです。


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手とあまり変わらないようですが、ボールに移し替えてホイッパーで撹拌すると明らかに弱いメレンゲです。これでも1分は撹拌してから写真を撮っています。


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さて更に1分撹拌します。メレンゲクッキーはこの程度の固さが欲しいです。

最初の手とホイッパーの組み合わせよりやや固くなりましたが、1300円のハンドミキサーの負けとなりました。

ただハンドミキサーで中間を一気にやって、仕上げを手でやると言うのはアリだと思います。洗いものが増えると言うだけで、それにしても3点しか増えない訳で手間ではありません。あとスポンジケーキやカップケーキではここまでメレンゲを固くする必要がないと思います。クリームもそうです。なので普通には十分な性能だと思います。
メレンゲで砂糖菓子を作るとかと言う話しだと、苦しいと思います。


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実は1300円のハンドミキサーと他の高いハンドミキサーとどこがどう違うのかと言えば、このホイッパーの部分のようです。このミキサーのホイッパーは全部四角いですが、高級品は先端が丸みを帯びて、棒材の断面が軽い円弧を描いていたりしています。こういった細かい所が撹拌性能に影響するようです。


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焼き上がり結果です。右側がハンドミキサープラス手です。メレンゲの固さが影響してもいますが、若干卵の白身が多かったと考えられます。少し大きく出来上がりました。

しかしですな、調理用家電製品の奥の深さと言うのがよくわかりました。実は同時に小型のフードプロセッサーを買ったのですが、あっという間に壊れました。理由は、私が使い方を間違ったからなのです。でも3分連続で回したら20分使うな、という製品もおかしいものです。元々、ナッツの粉を作るためだけに買ったものですが、欲を出して鶏肉のミンチを作ったのが間違いでした。

とりあえず、調理器具、特に原始的な電化製品は値段相応と本当に思います。