どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

カメラマンと写真20

2013-03-18 03:20:37 | 写真の話し
さて久しぶりにブログを更新する。なぜかと言えば仕事が忙しかったからだ。二日間で1800カットスナップ撮影した。正確に言えば二日間のうち9時間でこのカット数だ。今回はこれを使ってグチを書こう。

デジタルの効能なのだが、これをリバーサルフィルムに置き換えると、36枚で現像代込みで2000円程度だから、10万円ほどの経費になる。実際の所高感度が必要な撮影だったので、13万くらいだろうか。これだとニコンだったらD-7100が買える。そう考えれば、デジカメのコストって相当安いと言う事になる。

だが、デジカメ以降撮影価格が暴落しているので、コストダウン効果はイマイチ実感しない。その上に物理的な制約が無くなったので、カット数を要求される事がある。今回なんてまさしくそれだ。とはいっても撮りすぎた。ちょっと追い込まれたフシはある。

さてここまで撮影すると、まずデジカメでも確認が相当難しくなる。まず時間がない。次にだが、別なシャッターチャンスを狙った方が結果がいいと考えているからだ。
だが、もう一つ別な理由がある。老眼が進んで来たのだ。確認するためにはデジカメのあの小さなモニターを見るのだが、ド近眼の私はいちいち眼鏡を外さないと確認出来ない。勢いボンヤリと確認する事になる。最近ではあのモニター恐怖症になっている。重要な時には外してみるのだが、そのワンクッションがかなり苦痛に感じる。

どうも現像するまで解らなかったあの時代があったから、その習性もあると思う。失敗しようが何しようが次に進んでゆくのが当たり前だった時代がある。それがデジカメになってから確認するのが当たり前で、結果は常に最適な露出になっているようにしなければならない、そうなっている。もちろんプロだからミスがないのが前提なのだが、ミスが起きる原因はいっぱいある。スナップでは特にそうだ。照明のフリッカーや人物の目つぶり、そしてなぜかピントが甘いAFの問題イロイロある。


さてカメラマンはいっぱいシャッターを切る。これはなぜなのか。実は第一にミスの問題だ。もちろん本人はミスがない事を前提にシャッターを切っているが、いくらかミスを無くするためにシャッターを切っている部分がある。例えば照明写真何かでも3枚は最低撮るだろう。理由は目つぶりがあるからだ。デジカメでは確認出来るからいらないと言えばいらない。でも3枚は撮る。ちょっとした違いがあるからだ。
人は以外とじっとしていないものだ。

これがコマーシャルになると、その微細な差を追求してゆく事になる。人物なんてその最たるもので、微妙な差がいっぱいある。実はその微妙な差をうまく掴むために、アイドリングみたいなシャッターもある。被写体との波長を合わせるためにあっためるシャッターだ。うまく掴めないときもあるし一発目から掴めるときもある。

シャッターチャンスと言う言葉があるが、あれはそうそうない。むしろどうすれば迎えられるのか、ここが大きい。よく言うシャッターチャンスは偶然撮ったものなのだが、シャッターは予測していないと切れないものなのだ。だから努力する。

スポーツカメラマンでも野球専門の人などはそうだろう。あるピッチャーのスコアを全部把握して癖を見抜くのはもちろん、バッターのそれも解っていないと、コンスタントにバット近くにボールがある映像は撮れない。
それでは秒間8コマとかの連射で撮影すれば良いのでは、普通はそう考える。しかしそれですら予測が必要なのだ。誰でも100分の1秒のタイミングにあわせるのには、8コマでは不十分なのだ。最低30コマだろうか。彼らは8コマのどこかにベストが来るタイミングでシャッターを切っている。これは凄い事なのだ。


さてその野球専門家たちだが、野球はピッチャーが投げてバッターが打って、守備がどうこうして、一旦ゲームが止まる。その瞬間に記者席のカメラマンが一斉にモニターを見始める。本当に一斉に動く。かなり奇妙なのだが、撮れたか撮れていないかを確認しているのだ。そして不要な画像を消してゆく。
理由は即座に配信する事が出来るから、データーは現場で整理しておかないと間に合わないからだ。そのまま放っておけば1000カット以上の写真を確認してから、カットを特定して配信すると言うまだるっこしい話しになる。
さて秒間30コマ切ったらどうなるのか。確認の時間が無くなる。量が多すぎる。


1000カットの写真の確認にはどれだけの時間がかかるだろうか。ブラウザーソフトでざっくり確認する場合は割と早い。ただピントの確認とかイマイチ遅い。おまけにゴミ箱に送る操作が出来たり出来なかったりする。なので結局フォトショップで確認している。
これが苦痛だ。大体1時間あたり150カットから200カット確認出来れば良い。
確認は大切だ。いろいろ反省するのだ。その時私はこうでああで、カメラはああでそうで、被写体には文句付けられないけど、確認しつつ自分の技を反省する、そういった作業だ。

だがこれが量が多いとウンザリする。もちろん私がダメだからなのだが、1800枚見ると途中で反省も何も投げでしたくなる。一日目の午前中で600カット。心が折れそうになった。

しかし自分で選択して撮影しているのだから、心が折れる事はあるはずがない。普通はそうだ。フィルムの時代は直接ルーペで覗いて、確認していたものだ。なんと言おうか、あれは過去の自分、だから小さい。今から思えばそういった所がある。小さい方が客観的な判断がしやすかったのだろう。同じカット数だったら、アナログの方が集中して短時間で見れた。1800カットだったら2時間だろう。

しかしデジタルになってから、どうもファイルの開く時間も問題だし、ファイルどうしの比較する作業が煩雑になっている。だがもっと変な話しがある。

ルーペで覗くと言うのは主体的でないと出来ない。だがモニター上で見ると主体が無くなって、自分の悪い所ばかり目についてしまう。画像が大きいから欠点も見えやすいし、ピントなんて被写体ぶれなのかAFのミスか、手ぶれか簡単に分析出来てしまう。

そしてそういった分析ばっかりしがちになってしまう。良い写真かどうかなんてそっちのけになってしまう。技術的な改善はいくらでも出来ると思うが、1800カットを見ると、どうも感覚が麻痺してくる。

そもそも自分の撮った写真だから、自家中毒状況になってしまう。今回はおしなべてアンダーな露出になった。それは狙っていたのだが、これはこれでちょっと違うよと感じている自分もいたり、こことここがあれであれがとか、もの凄い悩みが起きる。そこで寄り道をしたりイロイロあるのだが、今回は1キロウロウロとダイエーネタでごまかしつつ、何とかなった。


そもそもその写真の量に圧倒されてしまう。見ようとするだけで覚悟がいる。見たら見たで時間ばかりかかる。

9時間で1800カットは、止めた方がいい。今回の反省だ。

とはいえカメラマンだからでしょうか、ウロウロしつつも本年度の寒さによる道路の痛み具合を撮影してきました。


ちょっとまて、イオン

2013-03-17 15:12:30 | インポート
誰もがそうは思わないだろうが、衝撃的なニュースがあった。

イオン、ダイエーの筆頭株主に


このどこが衝撃かと言えば、イオンが日本最大の小売業を名実共になったと言う事だ。しかもこの直前食品スーパーのピーコックとマルエツを押さえた。もう誰にも勢いが止められない状態だ。これであのセブンーアイホールディングスが、本当に小さく感じる。

しかしだ、私の目からは明らかに迷走をはじめているように感じる。まず腐ってもダイエー、企業文化が違う。ダイエーと言えば流通・小売りの革命を起こした会社だ。社風はどちらかと言えばイケイケで、現場の裁量権が大きかったように思う。ダイエーグループだったローソンが今元気なのは、新浪社長の力量もあるが元々現場にあった力を引き出した結果だと思う。阪神大震災のときの対応スピードも凄かったが、東日本大震災からのスピードも被害の大きさから比べれば、かなり早かったと思う。もともとそうゆう企業だったのだ。
ダイエーそのものも、とにかく現場の元気が凄かった。店舗の照明は暗くても、従業員は何か元気に見えたものだ。

それがだ、従業員をギリギリにして効率を良くしているのだろうが、棚の前出しもする余裕もない店舗ばかりのイオンが筆頭株主になる。店舗は明るいが働いている人はせわしなく動いているだけに見える。

イオンは官僚主義というか、旧ソ連にスーパーがあったらこんな感じか、と言う風に感じている。


実際この政策がうまく行くかどうかは解らないが、イオンは別なフェーズに突入したように思える。

盛岡の前潟イオンモールでの事だが、昨年からコロコロ開店時間が変わる。3回変わっただろうか。サマータイム導入などだ。更にイオンで午前7時開店になった。これは高齢化に伴い早くから来店する高齢者が増えると考えられていたから、実験的に導入したものだ。全国的に見ればこれで成功したスーパーもある。だが郊外型の店舗ではどうなのかと言えば、惨憺たる結果に終わった。
10人来店。そんな日ばかりだ。それでも続けている。

さてそこで営業時間を元に戻せば良いのに、今では同一店舗に4つの閉店時間が存在する。モール専門店街は午前9時から午後9時まで。モール・レストランは午前10時から午後10時まで。ラストオーダーが午後9時なので実質9時閉店。フードコートとアミューズメントも午前10時から午後10時まで。これまた実質的に9時半閉店。イオン2階は午前8時から午後10時まで。一階は午前7時から午後11時まで。それでも薬とか銘店とか時間通りに開業していない部門もある。

いやこれではモールのワンストップサービスの考えとはかなり逆行している。小売業とは思えない展開になっている。


さてこれはなぜそうなったのだろうか。
小売業から発展したイオンは集客力を大きくするため、店舗が大規模化してモールの形態になった。このため資本回転率が変化した。まるで不動産業みたいになった。というか不動産業になったのだ。その上小売業のさまざまな業態をそれぞれ分社化、持ち株会社に移行した。それでもしばらくは小売業的だったが、今では株主視点の店舗運営に切り替わって来ていると考えられる。とりあえず最大の問題は資本回転率の悪さだ。このため時間帯を変更したりしているのは解る。しかしあまりにも頭でっかちだ。


最近の買収攻勢もこの流れで行われているのだろう。だがこのままで良いのだろうか。確かにバイイングパワーは大きくなる。トップバリュ商品の展開も楽になるだろう。というか、イオンは製造・小売り業になりつつあるのか?

なにか客が置いてけぼりを食らっているような気がするのは、私だけだろうか。
客が楽しく欲しいものを、満足出来る価格で、買い物を楽しむ。そして客は合理的な考えはしない。それを忘れてはいないだろうか。

今のイオンと元「主婦の店」の結婚は、うまく行くかどうか私には解らない。


私見・甲状腺有所見率調査結果

2013-03-13 03:36:07 | インポート
実は2月に福島県の子供たちの甲状腺診断したところ、3万8千人中3人に癌が発見され、7人に疑いがあると言う結果になった。このニュースを最初に聞いて、さもありなん。だがあまりにも癌の成長が早すぎる。なのでこのブログでは、このニュースをすぐに扱わない方が良いと考えた。

朝日新聞の記事はこちら

さてこの記事だが、どうも腑に落ちない。なので福島県のホームページで資料を捜したらあった。ちょっと長い資料で読みにくいが、とりあえず変な点を発見した。

朝日新聞では3万8千人を検査したと書いているが、これは平成23年度の検査人数のようだ。平成24年度は9万4千人が検査している。実はこの時点でこのニュースがかなり疑わしいものになる。更に変なのは平成24年度では受診者が11万人いるのに超音波検査した人が減っているのだ。超音波検査を拒否した人がいると考えていいと思う。

ただこの資料だが、3万8千人中3人が手術したとは書いていない。24年度の検査でC判定が一名でたとしか書いていない。多分なのだが23年度に検査した人の中から精密検査で発見されたか、24年度に嚢袍の大きさが25.1ミリ以上(3人いる)で、結節が25.1ミリ以上(21人いる)の人が精密検査を受けてガンと診断され、7人が疑わしいとなったのだろう。そして母数を間違った。朝日が間違ったのか福島県が間違ったのかは解らないが、福島県の資料を見ると、説明が足りないように思える。

とりあえず理系職員を増やせ、福島県。福島県の資料はイマイチだ。


ところが、環境省が福島県以外の3カ所で、大規模な甲状腺検査をしていた。その結果は、なんと福島のデーターと大差ないと言う結果になった。
このニュースはやはりいろいろ騒動を起こしている。NHKはなぜ政府の欺瞞を簡単に報道するのかとか、まあいろいろ出た。ツイッターのタイムラインでこのデーターを巡る、罵り合とか見た。だがまずは、環境省のプレスリリースを見た方が良い。

福島県外3県における甲状腺有所見率調査結果(速報)について(お知らせ)

ここで注意点がある。検査した場所だ。これがよく出来ている。青森県弘前市は東北でも福島から遠く、比較的被害は少ない。そしてチェルノブイリ事故の時もそんなに降っていない。山梨県甲府市は、福島・チェルノブイリ・50年から60年の空中核実験の影響も少ないと見られるが、環境放射線量の多い所。長崎県長崎市は言わずとしれたプルトニウム型の原発が落ちた所。チェルノブイリ・50年から60年の空中核実験の影響はない訳ではないが、福島からは遠い所だ。つまり何らかの影響がありそうな都市を選んでいると言う事になる。あと原発からの距離も検討したのではないのだろうか。ただ対象者が少ないような気もする。もう少し増やした方が良いのではないのかと思う。


こういった調査は確かに政治的でもある。ただ科学的に福島県の調査がどうなのかと言えば、比較対象のない調査は実は無効なのだ。福島のデーターだけでは判断しがたい所がある。なので参考になる。

その上で考えたいのは、国立ガンセンターのデーターだ。中部大学の武田教授のブログから孫引きするが、10万人に0.6%と書いてある。多分これは子供の数字だろう。
この数字なのだが、もしかすると多分なのだが、症状が出て検査して見つかった人数からの割合なのではないのだろうか。甲状腺ガンはゆっくり成長すると言われている。子供の時には発症しなくとも大人になって発症するとかあるのではないのだろうか。それでは100万人に1~2人と言う数字も出回っているが、これは何なのだろうか。出典が解らない。WHOだろうか。


さて長崎大学の教授だが、検査機械が進歩して発見しやすくなった、といって顰蹙を買っている。これは私の直感なのだが、日本では甲状腺ガンの検査は触診が中心で、超音波診断はその上で行っているのではないのか。実は福島県の24年度の調査で、検診したが検査しなかった1万5千人は触診で異常がまったく感じられなかった人なのではないのだろうか。

面白い記事があった。中央日報の記事だ。韓国の記事だ。

韓国女性は甲状腺がん日本の14倍、その理由が…

韓国では超音波検査が普及して、早期発見が可能になったと言う美談ではない。詳しくは記事を読んで欲しい。


この記事からは、超音波検査をすれば日本の女性の14倍の検出率になると言う事だ。だが甲状腺ガンは成長が遅く、リンパ節から移転するのも少なく、割と穏健なガンとされている。つまり発症しなければ良いと言う考えもある。あと薬剤療法や放射線療法もある。
逆に発見されて甲状腺の摘出手術をして、一生甲状腺ホルモン投与を続けるのか、という疑問もある。とりあえず医者は儲かる訳だ。


ただこういった事に関して、私のような素人が言う事はない。先の環境省の資料は速報値であり、年代別とかの検討は、まだされていない。強いて言えば福島県のデーターは微増かもしれない。ただあっという間にガンが出来たとは言いにくいものがある。
それでも福島県で子供の甲状腺ガンが増える可能性が、低くなった訳ではない。これは確かなのだが、もう少し厄介な話しもある。海産物をとる国民は甲状腺ガンの発症が多いと言う事だ。甲状腺にとってヨウ素は必要だが、海産物経由で過剰摂取になった場合、多くなると言う事のようだ。

こうなると、私には判断出来ない。


追記:東京都の4000人対象の調査もあったが、これも福島とは大差がない。
しかしだ、朝日新聞だがソースをきちんと書かないで記事を書くと言う事は、日本語としては良いのだろうが、新聞記事としては間違っていると思う。ほとんど誤報だろう。


ゾンビ・慰霊

2013-03-12 04:31:10 | インポート
何かまとまっていないが、書き進んでみよう。どうしようもなくなったら、「おごるなよ、自民党」とでも書いてごまかすか。




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ゾンビがはじめて出て来たのは、アメリカ映画のようだ。一応ホラー映画なのだが、なぜか日本ではウケない。なに、急に出てくるだけじゃないか、おまけに弱いしとなる。それでもなぜかアメリカで続々と作られている。多分アメリカ人にとっては恐怖なのだろう。逆に日本では、ゲームの中では躊躇せずに殺せる対象だし、パンデミックもののマンガの中でも危機的状態での恋愛物だったり、最近ではゾンビがいる日常の中に、ゾンビ駆除の職業があるというほのぼのとしたものもある。アメリカ人の意図したものと違う受容のされ方になっている。

とはいえアメリカでも、もうゾンビは怖くない、そういった風潮が生まれている。

さてゾンビの何が怖かったのだろうか。死んでいるのに生きていると言う事だったら、吸血鬼ものがある。なおこれも日本人にはあまり受けが良くない。藤子不二雄の「怪物君」のドラキュラなんて目も当てられない。ついでにフランケンシュタインまでもが、このマンガの中では滑稽に書かれている。他の作品でもドラキュラの神秘性の方が大きく、恐怖の存在ではない。こういった異形には、怖さを感じない。まあこれは日本の鬼が、見た目より余りにも弱かったからだろう。
しかし、不思議な事に妖怪や幽霊のように時空を超えてくるもの、例えば「リング」の貞子みたいなものは根源的に怖がる。


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ゾンビの根源的な恐怖は、キリスト教の文脈で考えれば納得出来る。主の再臨とともに、墓の中から若々しい姿でよみがえる、神の戦士たちが「ヨハネによる黙示録」で書かれている。ゾンビはその希望を一切奪ってしまう。墓は再臨まで眠る場所であり、その中は考えては行けないものだ。確かに腐ったり白骨になっているのは誰もが知っている。しかしそれは考えては行けない。主は3日間で復活したが、その姿が腐ってブヨブヨになっているとは誰もが思わない。
その前に魔導士なりにゾンビにされてしまうと言う事は、再臨を前に神の軍団の戦列に立てない。その前に魔導士により悪魔に操られた存在になってしまう。


ゾンビものも、魔導士からウイルス・寄生虫によるものに変わって来ている。実はこれは更に話しを深くしている。それこそ黙示録による、神と悪魔の戦いを書いている。パンデミックものはその流れで考えるとよくわかる。
噛まれたり接触する事でゾンビになると言う事は、生きながらにして悪魔になると言う事だ。神の軍団に立つためには、絶対これは避けなければ行けない。だから主人公は戦うのだ。


しかしヨハネはユダヤ教の一派を「愛」で切り分けた。神の愛による救済。しかし黙示録では余りにも過酷な恐怖を描いている。信仰を試されたヨブより厳しい。愛には気まぐれがないからだ。
アメリカでなぜゾンビがホラーになるのかと言えば、極端なプロテスタンティズム、原理主義的な、福音派などの持つ恐怖感からだろうか。


それではなぜ日本人はゾンビを受容出来るのだろうか。キリスト教徒であっても原罪については日本人は少し甘いように感じる。その上神の軍隊の戦列に加わる事よりも、日々の救いを求めており、行いの結果を神が判断するのであって、謙虚に神の軍団に私は入るとは考えていないように感じる。


多分なのだが、日本人は魂の復活は考えられても、肉体の復活だけは絶対信じていないと言う事だ。ここは神道と仏教の世界だったからかもしれない。


ゾンビが考えられるためには、一つ条件がある。土葬が必要だ。この場合キリスト教と・イスラム教は今でも基本的に土葬だ。この場合は死体を横に長らえる。キリスト教では復活が考えられるから土葬になっている。イスラム教の場合は、ユダヤ教・キリスト教の系列の最後の予言者としてムハンマドが降臨した。だから復活と言う意味合いがない訳ではないのだが、死者を火で焼くと言う事は地獄の劫火に曝すのと同じとして禁止している。

イスラムの埋葬はこんな具合だ。体はきれいに洗われ清浄な布で巻かれ、深さ3メーターほどであろうか長方形のまっすぐな穴に沈められる。身体の向きはメッカを向くように置かれ、小さな祭壇が穴の中に組まれている。そして歌われるように土がかけられてゆく。荘厳な祝福の儀礼に感じた。死は祝福でもある。

魂と肉体が分離していない。そう考えるのが妥当と。ヒットした歌曲「千の風になって」はかなりキリスト教にとって異教徒的な歌と思う。それが日本人に訴えたのは、魂と肉体の分離が当たり前だったからだ。


復活まで身を横たえて眠るキリスト者に対して、日本の土葬は主に屈葬だ。様々な形式があるが体育座りをさせられて埋められる。土地が少ないとか穴を深く掘るのが大変とか様々な理由があるが、以外と縄文時代から変わっていない。まあ縄文時代には死体に石を抱かせたり、足の骨を折ったりしている。
そして土葬して盛り上がった土の上に、刃物を置いたり吊るしたり、なんらかの封じ込めをしている。

全国的にではないと思うが、そうした土葬したものを改葬すると言う風習もある。つまり土葬したものを掘り起こして別な墓に移すのだ。なぜあらためるのか、実は面積だけの問題ではないと思う。確認しているのだ。死んだと言う事を。肉体に魂が戻る事がなかったと言う事をだ。

明治維新以降、日本は火葬が主流になった。これは政府が土葬は不衛生だと言った事からはじまる。確かに各地で風習は変わる。そこで土葬が可能な場所とかが作られたが、実際はあっという間に火葬に変わった。先の改葬の話しだが友人が体験した話しだ。今から20年前の話しだろうか。彼は頭を持ったのだが、中がタプンタプンしているのが気持ち悪くてたまらなかったと話していた。

火葬が受容されたのは、そういった気持ち悪さもあるが、究極の封じ込めであった。
魂は肉体に決して戻らないのだ。
日本にはゾンビはいないのだ。


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ここでこの話しは終わる。ここから別な話しになる。

なぜ遺体が必要なのかだ。なぜ死を確認しなければ行けないのかだ。
死はなぜ儀礼的に行われるものなのか。ネアンデルタール人ですら花に覆われて埋葬されている。復活を望もうが望まないが、儀礼は死につきまとう問題だ。

儀礼は生者のためにある。離別の苦しみを和らげる効果がある。しかし確認出来る死体がないと、離別した事が実感出来ない。

死の恐怖と言うのは、死を自分で確認出来ないと言う事もある。その前にもう一つ、死体に対する恐怖がある。
メメントモリとかそういった気の効いた言葉もあるが、何か別な死体そのものに根源的な何かがあるのだと思う。


死体の恐怖は、封じ込めになったり、ゾンビ映画になったりするが、目の前にある大量の死は畏れそのものと感じている。


海底に生じた巨大な裂け目が、日常を飲み込んでゆく。これこそが神の現れなのだ。封印して来た死も、死体として顕現した。
それでも私らは異常な努力をして来た。事故現場にいつも花が飾られ、幣が祭られ、町のあちこちや街道のあちこちで碑が建てられ、地蔵が置かれ、神が仏になりたいと言い出すまで努力した。そして仏になった神を、人は大切にした。

そうか。私が死と死体を分けて考えている時点で、裂け目が説明出来ない。

生と死の間には薄い膜があり、いや同居している。その裂け目から悪しきものが溢れ出す。と言う理論もあります。
ただその理論は、人の死と、死体への恐怖を説明出来ません。

石原慎太郎が神罰と言った事を未だ持って恨んでいる。


PTSD?

2013-03-10 01:58:09 | インポート
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昨年に引き続き、今年も2月からなんかおかしくなって来た。まず本や文章が読めない。がんばっても斜め読みしか出来ない。おかげでオンライン購読の記事が全然読めなくなってメールボックスに山のようにたまってしまった。3月に入ってからますます酷くなった。

それだけではない。家事も何でも作業が非常に遅くなっている。もちろん寒さのせいもあるが、とにかく遅い。遅いと解っているなら早くやれば良いだけだと思うかもしれないが、遅く取りかかって遅く終わると言う感じになっている。一日17時間のうち有効に使っているのは5時間程度とかだろうか。雪かきみたいな肉体労働はまだ良い。頭を使う事になるととたんに遅くなる。
まずぐるぐるする。短期記憶がうまく使えない感じだ。前に考えていた手順をすぐに忘れてしまう。また確認して取りかかったり効率が悪い。

そのうち風邪にかかったりして更に効率が悪くなるのだが、出来る事と出来ない事がはっきりしていると逆に簡単になる。出来る事から手をつけて徐々にあげてゆけば良いのだ。


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そう考えていても効率が悪い。なぜかと考えていたら去年も今頃そうだった。

その前に元々日が暗い冬は、そうとうモチベーションが落ちる方だ。年もあるから男の更年期障害とか、そういったホルモンの乱れもあるのかもしれない。

フラッシュバックとか過呼吸とかそういったことはないが、どうもやはり311の影響はまだ続いているようだ。もしかするとPTSDなのかもしれない。

だが自分の状態がそうだと気がつけば、なんとかコントロールは出来る。今日明日まで、しばらくの辛抱だと考える事にする。