どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

秋のはじまりか

2015-08-14 01:07:06 | 日記

 

天気図に停滞前線が書かれていた。気象衛星の写真からは不明瞭な雲の筋が写っていた。レーダでの予測情報は目まぐるしく変わり、どれが正しいのかはっきりしないほどに天気が不安定だ。それでも泳ぎに行こうと外に出ると、ポチポチと雨が落ちてきた。このままいきなりは来ないだろうから、晩御飯の材料を買って様子見をしていると、青空が見えたりもしている。もう一度レーダーデーターをみて、この予想は外れると確信し泳ぎに行く。

このところの夜温の低下で、屋外プールの水温もかなり下がってきた。屋外プールほど楽しいものはないのだが、ここからあと3度水温が下がると屋外で泳げなくなる。甲羅干しだけでもいいかといえば、それでは監視員に悪い。今のうちにできるだけ遊んでおきたい。

長期予報は残暑を予想しているのだが、これもどうもあてにならないだろう。

 

 

1000メーター泳いで、あとは飛込み台で遊んだ。1メータの台だと綺麗に落ちれるようになった。2.5メーターの台だとなんとか。だが5メーターはまだ怖いらしくて空中姿勢がうまく作れない。日曜までなんとかしよう。

雨がポチポチきていたが、どうせ裸なのだから気にならない。ずいぶん落ちたものだ。

 

 

帰りも少しパラついたが、無事帰宅。

 

 

秋が近づいているせいか、最近シューマンの交響曲を聴いている。本当に摩訶不思議な曲ばかりだ。不完全なのに完璧で、みずみずしくそれでいてどこか枯れている。力を求めれば求めるほど弱くなってゆく、変な感覚が好きだ。

 

 

14日には安倍首相が戦後70周年談話を発表する。今までの首相談話を継承すると言っているが河野談話と違い、先のアメリカ議会での演説のように前向きな話にして、明快な謝罪は出さないと思われる。特に特定の国を挙げた謝罪はないだろう。どのような発言をするのか、右も左も注目している。特にネトウヨが注目しているだろう。最近安倍首相の支持率が下がっていると言われる。その中で見えない支持率というのがあって、それがネット上での支持率だ。どうもそれが何があったか忘れてしまったが、大暴落しているのだ。どうも世界産業遺産群の登録で、韓国に譲歩したと思われたのがきっかけのようだ。

その中で正しい談話であっても、ネット上ではものすごく荒れるのではないのかと考えている。

基本的に安倍首相がネットでネトウヨを可愛がってしまったのが一番悪い。そしてネトウヨたちが何に思い詰めているのか、それが理解しようとしなかった。そこが最も悪い。

 

 

 

ススキの穂が出た。秋が近づいた。

上に政策あれば下に対策あり。それが何を生み出したかというのは、隣の国を見れば明らかだ。


ひどい一日

2015-08-13 02:30:35 | 日記

 

今日はクロネコヤマトに起こされた。宅急便だ。そしてものすごい二日酔いなのに気がつく。昨日はどうもビールと発泡酒を5l飲んだようだ。タバコもない。コンビニに行って弁当とタバコを買って来る。こういったことは年に数回はあるが、大体はご飯は予約炊飯している。おぼろげな記憶で、冷凍庫にあるパンを消費すればいいと考えたようだ。だがそんな余裕のない二日酔いだ。すぐにでも炭水化物が欲しい。今うちにある砂糖のような直接的なものではなく、もう少し正しいものが欲しい。だがすぐ買える店はコンビニだ。タバコもコンビニだ。

コンビニのおにぎりは食べることがあるが、弁当は滅多にない。食品添加物とかそういった理由ではない。多分経済合理性の問題だと思う。そして嗜好の問題だが、それが嫌に厄介だ。ものすごく腹が減ってパンでも買おうかとコンビニに入ると、何も買わないで出てしまう時が結構ある。スーパーでもそうだ。腹が減っていても自分が何を食うべきなのかがわからないのだ。迷って迷った挙句何も買わないのだ。

その病気がこの状態で出てしまうのは、我ながら不可解だ。それでもなんとか弁当を選んで食べた。コーヒを淹れる気力もなく、花に水をやった。今日は雨が降るはずだが、雨の当たらないところは与えておく必要が有る。

するとお昼頃に6ミリの大雨が降った。30度の気温は22度まで下がった。寝てしまった。

 

 

 

市議会戦や県議会戦が近づいている。晴れ間を狙ってカフェブルーメに行くと、やっぱり候補者が支援者と打ち合わせをするのに利用してもらっているらしい。確かに広いしゆったりした客数だ。だから使われるのだろうが、オーナーがノンポリの権化、いや逆説的にファンダメンタリストなので、この店で打ち合わせをするのは本来は好ましくない。多分アメリカ人だったらそう思うだろう。思想が逆の店で打ち合わせをするというのは、変だ。

響でもあるという。ミカフェでもこの前見た。これは選挙活動なのだろう。頑張っているところを見せる場として選ばれたのだろう。確かにこの前の打ち合わせは演劇的だった。支援者が純粋でいてほしいというあたりが、なんかいやらしかった。そういった意味では候補者が支援者の意見をへりくだって聴くというのを見せる意味がどこにあるのか。そうでないと同情が得られないということなのか。

そう、言葉で勝負できる政治はが日本にはかなり少ないのだ。努力を見せつけて同情を引く以外は、選挙に勝つ方法がないのだ。

安倍首相のスピーチライターはかなり優秀だと思う。その彼らですら、感情には勝てないようだ。

 

 

結局お昼の雨以外は、雨はなかった。

 

 

今日の晩御飯は少しゴージャスだった。なにがゴージャスかといえば、キャベツのコールスローにレタス、生食用のカボチャ・コリンギーの浅漬、トマトとアスパラだ。野菜が多いというだけでゴージャスなのだ。これにノンオイルドレッシングでいただく。

この皿からキャベツ以外を取り除いたものがこの2年間の大体の私の晩御飯だ。鶏肉は大体250から350gの胸肉をビニールに入れて火を止めた熱湯に入れるだけだ。味は鶏肉に生姜だのコショーだのを加えて変化させただけのものだ。これに米で一合のご飯と野菜だらけの味噌汁が加わる。野菜はその時点で安いものを選択するので適当だが、量だけはほしい。あとはヨーグルトがあればいい。フルーツは一人暮らしだと絶望的に買えない。野菜炒めを作るより、皮をむくのが面倒というナゾが常にある。

一人暮らしの男というのは、どうしようもないものだ。


気まぐれな一日

2015-08-11 20:51:12 | 日記

 

今日は最高気温32度と結構な気温になった。そしてお昼には竜巻注意報がでるとか雨が降りそうな話になっていたが、気象レーダーを見ると雲の動きが変わってきているようだ。これではまず盛岡に雨は降らない。畑に水をやることにした。フジマメの花が結構咲いてきた。

 

 

まだ収穫適期がいつかよく分からないフジマメだが、味はかなりいい。青臭さが薄い。さすが関西のインゲンマメだ。ただ平莢や丸莢のインゲンに比べれば収量が少ないのが難だが、そもそも植えた数が少なすぎる。そして平均気温20度以上無いと成長しない。来年度は数で勝負してみたい。東北だと短期収穫。

 

 

7月の半ばだと思うのだが、喫茶響でコーヒーの種をもらった。それを播いたところ根のようなものが出てきた。播種後2ヶ月で発芽すると言われているが、1月程度で発芽が始まっている。確実に発芽させるために、浸漬の水はマメに取り替えたり、先に浸漬が終わった豆は浅水で管理したりした。用土も熱湯消毒もした。

ただこういう発芽困難なものは、その後土がカビたりして結構厄介なので屋外管理にしたのも効いたかもしれない。でもここから腐ることもある。慎重になるべきなのだが、やはり泳ぎに行く。

 

 

雫石川の河川敷になんかピンクの花らしきものがある。気になっていたので300ミリにテレコンバーターをつけて撮影すると、ピンクのゴミではなく花のようだ。なぜここにピンクの花があるのか分からない。

分からないから藪を漕いで探してみた。

 

 

藪を漕いで近ずくと、彼岸花の仲間のリコリスもしくはリクニスなのでは無いのかと。品種はもしかすると今咲いていることと寒冷地ということでスクアミゲラなのでは無いのかとなる。ただその園芸品種がこの雫石川の河川敷の藪の中にあるかという理由が無い。あるとすれば人為的に植えたというものだ。確かに昨年今頃この近くで人が溺れて死んだ。その思い出のために故人が亡くなった時に咲く品種を選んで、この花を植えた。

にしては数が少ない。この写真と近くにもう一つ株があるのだが、人為的なものを感じても数が少ない。だいたいこの品種、通販では15球で2880円だ。国華園だともっと安く買えるだろう。故人を偲ぶためならもっと植えまくるだろう。それではこれはどういったことなのかといえば、大雨で流されてきた球根が根付いたということになる。彼岸花もそういった理由で繁殖地を増やしていった。

そうすると逆も考えられる。この太田橋のたもとは過去には水難事故が多かった。水泳を教える場所がなく、川をせき止めプール代わりにしていた時代があった。泳げる場所ではあったが川なので、事故はあった。ただ昔に遊べる場所だったということで、今でも泳いで遊ぶ人の姿は見ることがあった。さすがに今年は見ないが、かなり昔に遺族か関係者が高価だった時代の球根を植えたのかもしれない。それが河川管理を徹底するようになって、河川敷林床の草刈りをするようになって見えるようになった。そうゆうことなのだろうか。

もう少し現実的に見たい。多分これは仏のお導きなのだろう。ここにある花が誰が植えたのか流されてたどり着いたものかはわからないが、ここで亡くなった人たちと私をつなぐものは、この花だけだ。こういったことに根拠や答えを見つけようとした場合、安心したい自分がいるから答えを求めているのだ。だからいっそのこと神仏のお導きとしてしまった方が、心の合理化には役に立つ。

この橋を渡るたびにここで亡くなった人が多いというのはわかっているし、昨年も亡くなった。花は私に何かを伝えたいのかもしれない。

線香を供えるにしても藪の中だ。このカラカラの天気では危険だ。液体肥料をペットボトルに入れてバラ撒くのが供養かもしれない。少し考えよう。

 

 

1000メーター泳いで、あとは落ちた。飛込み台が5メーターまで公開されている。それも16日までなのだが、とりあえず落ちてみようと。怖いと思って落ちるとやっぱり怖いことになる。だから安全に落ちようとすると、1メーターの高さから落ちても5メーターの水底に足がつく。それでは2.5メーターの台だと簡単に底まで落ちるはずなのだが、全くうまくいかない。ほんの少しがどうなっているのかがわからないのが、落っこちる面白さかもしれない。

飛び込み競技ではないのだ。落ちることが大切なのだ。どう落ちれるのか、どういった覚悟を決めれたか、何かそういったものが大きいように感じる。

おっこちていたら小さな友達ができた。名前は交換していない。本当に天然記念物的なクソガキなのだが、面白すぎて飽きない。

日本の未来は明るい。

 

 

フと思いついて、盛岡駅裏のミカフェートに行くことにする。プールの塩素水で鼻まで洗われてしまっている状況ではある。コーヒーの味何ぞわかるはずもない。でも今行かないとこの店には行くことがないという確信があった。

だから行くしかないのだがあんまりもの格好だった。紺の古びた4分丈の短パンと紺のボサっとしたタンクトップではあまりにもまずい。バーバルがバーバリーを着るのは正しくても、バーバルがバーバルな服を着たらとりあえす初見の店はまずいだろう。ましてや。カフェだ。シマムラでリネンコトンの半袖シャツを900円で買う。なんとかなるだろう。

そうしてドアを開けた。

先客はジャス愛好者2名と、どうも県議会選の打ち合わせの候補者と支援者という5人だった。おかげさまで、県議会選のウラをチロッっと聞かせていただきました。支援者が候補者をいかに値踏みするのかというのが、なかなかエグいです。他でもこういった公共の場で話が行われるのは聞きますが、どうしてここまでいい加減なのかはわかりません。

盛岡ブレンド480円を頼んだ。コロンビア3種のブレンドという。他のお客さんのオーダーが終わって私のオーダーの番だ。ドリップをはじめて蒸らしのタイミングで、ジャズファンから質問の嵐、そうしてお客さんが駐車場はドコとドアを叩くわけで、その説明だけでオーナーは店の外に出て、となってしまいました。

そのままドリップするのはどうなんかと思い見ていると、ドリップしたのは下げて新たに豆を挽き直して新たにドリップしてくれるじゃないですか。嬉しいですね。

そうこうしていると60台のご夫婦と思われますが、お父さん店に入るとサングラスをカッコよく外してあたりを睥睨します。決して混んではいないのですが、間違いなく店舗設計のミスだと思うのですが、私が一人でソファーを独占しているように思われたかもしれません。次に来た二人組みがカウンター、とは言っても接客も何もない壁のカウンターに誘導されて、一人で一番奥のソファー占拠している私はチェックメイトとなりました。

会計したいんだけど出れない。店も忙しすぎて対応できない、県議会候補は話に夢中で椅子を引かない。そしてサングラスの男は当然引かない。

隙間は20センチ、なんとかなりそうだ。そうして体重80キロの謎の物体は彼らの脇を通りすぎて、会計を済ませた。

盛岡ブレンドという3種のコロンビアのブレンド、コロンビアだけをブレンドというとナゾなのですが、理屈では3つのエリアから選んだ豆を焙煎を変えてブレンドにすればいいのですが、普通はコロンビアのリッチさを追求すると思う。だけどなぜか薄い。そう、私はストロングなコーヒーが好きなのだ。それを確認できただけで来た甲斐があった。

 

 

 

 この2年だが、様々な嗜好が変わってきた。一番はやはり311だろう。様々な問題が噴出した。そのポストモダン状況とSNSの新しいネットワークと合わさって、カオスな展開になっていた。そこに何らかの疲れが起きている。

何かどうでもよくなってきたのだ。川内原発再稼働もそうだが、あれもどうでもいい。合理性と感情の狭間で揺れ動くというのに疲れてしまった。合理性なら実は原発全廃ではなく、稼働させて電力会社を儲けさせないと電気代がアップしすぎてどうしようもない。太陽光も風力も蓄電池と合わせてゆかないと難しい。九州電力がきめ細かい管理で太陽光と通常発電との組み合わせで夏場のピークを安定供給して見せたようだ。だがそれを称賛したところで、全廃した時の費用は回り回って、私らにきてしまう。

そして自民党の政策を支持したのは、ほかならぬ団塊の世代になってしまう。いや投票拒否とかはしただろう。だがそれがよくなかった。

いったい何が悪かったのかと考えれば考えるほど、無邪気なほどの無作為の積み上げでしかない。その無作為は感情的に行われてきた。311以降私の見つけたものはこれだった。人は感情でしか動かない。確かに官僚は法学的合理性で判断する。経済人は経済合理性で判断する。だがそこにも感情しかない。そして感情でしかないのに無謬性を追求したがる。

そうなってくると日本の政治家の悪い部分とは何かというのが見えて来る。実はマジメ過ぎるのだ。感情でしか人が動かないなら、さもエリート然として理路整然と話す必要はない。人の感情を動かす演説や言動が必要なのだが、そういった人は政治家になれない。

 

 

今日は311の月命日だった。捜索が行われ遺族の声が届いた。

以前阪神大震災の時の本当の衝撃は、大阪の賑わいだったと言ったことがあった。確かに余震が続いた1週間までは自粛ムードのようだったが、その後繁華街に人がすぐに戻った。それでも少なくなったと言われているが、私の目には変わらない大阪の日常があった。

人には生活がある。けっして大阪の人たちは神戸を見捨てて酒を飲んでいたわけではない。日常に早く戻りたかっただけだ。だが今の震災後は、日常というのがむなしく感じられる。忘れられないのに忘れるなと言われ続けても、どうしていいのかわからない。

忘れるなという言葉は、遠い九州や沖縄の人に向けているのだろうか。被害があった東京の人だろうか。誰に言っているのだろうか。


米の花が咲く

2015-08-11 01:53:31 | 日記

 

米の花が咲いていた。この咲き具合から見ると先週から咲き始めていたのではないのか。年々開花が早くなっているようにも感じる。以前はお盆の頃に咲くものだったが今年はかなり早いようだ。

春がとても早く大苗状態での田植えは変化に強い苗になった。その上エルニーニョは何処へ行ったんだろうという天気が続いた。開花も早く、この後長期予報からは不稔率の低下を窺わせるものはない。少なくともあと2週間はその影が見えない。ということは、8月末から9月いっぱいまで台風だらけとか、長雨とかがない限り、記録に残る大豊作になる可能性がとても高い。

そしてこのところの食味優良を競うのと、昨年の米価下落から今年は肥料設計がキビシイものになっている可能性がある。毎年見ているこの田んぼも今年はチッソを控えているように見える。特に昨年の天候は綱渡りのようなものだった。それでも結果豊作で米価下落だったのだからエルニーニョ情報と合わせて、肥料を抑えた農家は多いだろう。イモチ病対策では最も重要なやり方だ。何しろ農薬を減らせるからだ。

今年の米は、安くてうまい可能性が出てきた。岩泉でひとめぼれを作ろうとしたS山君、今年は君の勝利のようだ。

 

 

最近低糖質ダイエット法とかで炭水化物が目の敵にされている。それでは私が月に10キロから8キロ米を食っているのに体脂肪率を下げられたのかは説明つかないだろう。

そういえば最近、貧困家庭でのルポを読んでいたら、「お米は高すぎて、最近はパスタしか食べていない」というわけのわからない話が出ていた。人によっては銘柄米を希望している贅沢ものと思うかもしれない。ただ多分なのだが現実は違う。10キロ2000円以下の米すらも買えないということだ。パスタでは300グラム60円というのが今の所私の最低金額だ。もう少し安いものもあるかもしれない。ただ私が発見した中で一番安い米は、産直で屑米の1キロ100円だ。食べられるギリギリのものだ。おかゆとかにすれば割といけるだろう。とはいえ本格屑米というのがある。それは鳥のエサ等に加工されたもの、大豆油をまぶしているというものだ。

それらすら買えないというのは、どういったことかというと、単位の問題だ。安いのは大きくなる。すると切り詰めた生活の中では、とても大きなものに感じてしまう。米を10キロ買ったら贅沢をしてしまうかもしれない。腹一杯食べるという贅沢だ。その後に続くことを考えれば、その一場限りの贅沢すら、あとに続く生活をさらに侘しく感じさせてしまう。それはわかっている。

その上一日あたりの使える金額も決まっている。その自転車操業的な食では、備蓄という考えは起きない。私もそういった生活をしたことが度々ある。だからよくわかる。貧しすぎると効率が極めて悪くなるのだ。

ふた昔前に貧乏人は麦を食えと言った首相がいた。形は変わったが、今貧乏人はパスタを食べている。

 

 

午後から天気が崩れるかも♡といっていた気象庁。ものの見事に外れました。いえ誰もが崩れて欲しかったのです。最高気温33.5度でした。夕立もなく庭に水やりをします。そこで隣のインド人と目があうのですが、どうもインド人でも暑いようです。胸毛がかっこよかったです。パンツいっちょもなかなかですね。

戦後70年ということ以前に考えているのは、ヒトラーってアーリア系人種の優位性を言っていたと思うのだが、確かにインド人はガタイがいいのだが、彼はインド人と仲良くできただろうか。

 

8月10日の気象庁発表のエルニーニョ現象の予測・解説は今たかつて無いほどに詳細だ。そこまでに不可思議な現象なのだろう。

なぜ今年は暑いのか、説明ができるのは来年のことだろう。


軽く

2015-08-10 01:31:53 | 日記

 

思ったより天気がいいので泳ぎに行く。多分これで都南中央公園プールにゆくのは最後だろう。ありうるとすれば、途中に花の館というナーセリーがあるのだが、そこのメキシコ漬けという漬物がどうなのか食べてみたいので、その買い物のついでに行くかもしれない。パラペーニョの入った漬物らしい。

都南のプールは相変わらず空いていた。ビーチボール使用可というのは大きいと思うのだが。

 

 

かちかち山は一旦書き上げたわけだが、技術的なトラブルがあって作業を止めている。

いや、マックのPagesに縦書きが無さそうなのだ。どう探してもないのだが、日本語での戯作は縦書きではないと難しいというお約束がありまして、それが技術的な問題なのです。

その前に日本で出版されるほとんどの本が縦書きです。小説で横書きはそれだけでも挑戦的なものです。そういった環境に慣れてしまっているというのもあるのですが、どうしても横と縦とだと、行間の持ち方が変わってしまうわけです。そのための言葉の作法も変わって行くわけです。簡単に言えば、縦書きだと時系列的な見方が出てきます。情緒や心の動きを入れやすいわけです。それが横書きだとどうしても一括した意見を述べるような感じになってしまうわけです。論理構成を語るなら横書きの方が明瞭にできるのですが、その文章を縦書きにした瞬間、全く読めないものになるという経験は普通にないと思いますが、当ブログでもそれは結構苦労しています。

横書きはくどくなりやすいです。特に私はそうなんです。今回は特に、言葉をできるだけ削りたいので横で書いてゆくとポイントが見えにくくなるわけで、直すときにどうしても理詰めになりやすくなってしまいます。

やっぱり出力して音読するという作業をしながらになるのだろうか。

 

 

体重計が壊れたかもしれない。基礎代謝まで出してくれる優秀なやつなのだが、7月の頃は体脂肪率19%とか納得の数字だった。だか最近12%とか言い始めた。それはまったくあり得ない。そこで様々計測してみた。

結果体重計というのは目安にしかならないというのがよくわかった。置いた場所に依存する。

 

 

今日は3時頃からか細い雨が降った。上田の夏祭りではストリートパフォーマンスがあった。サッカーボールのリフティングからできたパフォーマンスを演じているのだが、恐ろしいことに観客はサッカーのスポーツ少年団。彼の芸に対して「ガンバレ」と応援しているのですが、大技が出ても「ガンバレ」ですから大変だったでしょう。最後に投げたボールを逆立ちした足でキャッチするという大技で、ようやっとどよめいた。

子供というのはかなり厳しいお客だと思った。何しろ大人になったらできると思っているから。今でも明日にはできるかもしれないと思っているから。