どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

一人旅に出かけようとしても、北東北大学野球にかこつけないと動けない私

2015-09-20 00:53:26 | 日記

 

久しぶりに朝早く目覚めた。せっかくの天気にいつも通りというのは味気ない。せっかくだから電車にでも乗って、非日常へと出かけたいものだと思っていた。だがいつもは踏ん切りがつかなかった。今日こそは出かけよう。

どうせならと、非日常の遠野に向かう。

 

 

シルバーウイークということで、65歳以上と思しきめす方々がいっぱいいた。特に花巻からかなり乗ってきた。どうも居心地が悪くなる。マジメにお年寄りたちは自由だ。自由すぎてこちらを圧迫してくるのはイカントモシがたい。

年をとるとみんな紳士になるわけではない。

なお遠野駅脇の、かの有名な「親不孝通り」ずいぶん店が減ったものだな。

 

 

水木しげるは確かに「水木しげるの遠野物語」という本を書いています。そのラッピングバス。感度高いなぁ~早池峰バス。と思っていたら、水木しげるブームから徐々に高まっていた妖怪ブーム、それにあやかっていたようで、遠野といえばカッパ、カッパといえば遠野です。カッパといえば妖怪で、たまたま「水木しげるの遠野物語」があって妖怪ウォッチがあって、なんか変な感じになっています。カッパの格好をして遠野市内を観光しようとか、コスプレが何種類か用意されていました。方向性がどうなってんのという気もします。

 

 

たまたま遠野祭りというのをやっていました。遠野近辺のお祭りを集めた「お祭りのワンストップサービス」です。まあイロイロあるとは思うのですが、これはこれで面白い。

 

 

 

非日常とか言いながら、しっかり仕事をしています。北東北大学野球です。前のカードは八戸学院大対富士大です。今期は先週すでに富士大が優勝決定しています。青森中央学院大の6位も決定している消化試合です。まあ見に行きたかったんですが、今季に限って球場が凄まじい場所にしかないのですね。一戸球場や八戸東球場なんかマシ。ライジング・サンスタジアムって野田村。近辺に宿を確保しないと同じ岩手県でもキツイ場所。大迫球場は車がないとツライ。試合開始時間と対費用効果を重ね合わせると、この遠野球場のこの日しかなかったわけだ。ただそれでも行こうとは思わなかったのだが、朝早く、目覚ましもなく目が覚めたのだから仕方がない。この時点で非日常なのだ。

 

 

遠野球場一塁側にナゾのスポット発見。右下のフェンスの一部分が黒くなっています。どうも誰かが写真撮影のためにこっそりとフェンスのネットに黒のスプレーをかけたようです。グランド内からはこれは見えません。いやよく考えたな。

効果ですがバツグンです。やっぱり緑かぶりが強く出るのに比べればスッキリきます。もちろん無いほうがいいのですが、安全管理上問題があるわけで。でもどうして緑のフェンスなのか、そこはわからないですね。もしかするとナイターの時の見栄えのためかもしれません。とはいえわかりません。なんでゴルフ打ちっ放しもスポーツ関連のネットやフェンスは緑なんでしょうか。

 

 

遠野駅から遠野球場まで、最初最寄りバスで行こうと思ったのですが、致命的に本数が少ない。いや幹線に近いはずなのだが本当に少ない。それでは他の路線を見ればこれも少ない。とうことでタクシーで行き帰りしたわけだが、電車賃より高くついた。そして帰りにタクシー営業所に電話をすると、遠野市営球場の場所がわからないらしい。いやこちらは確かに調べてはいたものの、近くの施設とかは知らない。だから話が右往左往する。それでも待っているとまた電話が来て確認してくる。

どうもここにタクシーで乗り付ける人も少ないらしい。大体は車で来てしまう。バスなんか使いはしない。だからタクシーの営業所もよく知らないということなのだろうか。そう思って聞くと、単にあの人がおかしいだけだと言われた。だがそこから少し話がずれて行く。まるで私がその人を知っているかのような話に変わってゆくのだ。私は電話口でしか知らない変わったオッサンだとしか思っていない。盛岡も田舎だとは思うが、この感覚は久しぶりで面食らった。

なお遠野がいかに車社会かというのに、変な証拠を見つけた。遠野市民球場の公衆電話の上に、タクシー会社の電話番号が書いた紙がないのだ。タクシーを利用する客がいるかもしれないと思っている球場には必ずある。ないのは盛岡市民球場で、事務局がないからだ。岩手県営球場にはあるし花巻市営球場にもある。雫石町営球場にもある。

遠野市民球場では、タクシーを使うお客さんが滅多にいないか、考えたこともないのだ。

 

 

仕事のほうは、球場が規定通りなのに以外と狭くてなんか苦労しました。そして今日の勝者は、富士大学とノースアジア大学、青森大学で、ある意味順当です。

しかしのんびりした球場でした。これぞ非日常です。岩手大学のフダがベロンとめくれて風で煽られています。それを直そうと必死です。コッチに気をとられてヒットを取り損ねました。

ということで、ゲンの悪い状態になった試合でして、のんびりしてきました。

 

 

3時9分の快速に楽勝で間に合う時間に試合は終わりました。割といい試合だったので、押すかなとドキドキしていたのですが、以外とあっさりと終わりました。

 

 

そういえば向かう時のタクシーで、今まで遠野について考えていなかったことを思いついて聞いてしまいました。「遠野って城下町ですよね」「山城だからよく見えないんだ」「にしても旧市内は碁盤の目ですよね」「京都っぽいだろ」

いや少し違う。遠野南部家は本家の盛岡南部家に遠慮する形でわざと弱く見せる城下にしたのだろう。よく見ると川がよく使われている。そして盆地ならではの峠の配置などもよくできている。城下に迫られたとしても、敵の方が不利な地形だ。そして敵は誰かと想定すると、間違いなく盛岡南部とその直轄港の宮古と花巻南部だろう。多分そういった城下だ。

その中で恭順を示しつつ発展させる方法は、仙台伊達の方法論だったのかもしれない。山城と城下という考えだが、経済の発展にはもっと合理性のある形にした方が良い。天然の要害でもある。一番の敵になるはずの伊達藩が一番攻めにくい。

物資の集積地としての遠野はある。そこを合理的に配置したというのがポイントだと思う。

 

 

そのよくわからないタクシー営業所とのやり取りの際にウロウロしてキノコを発見した。

 

 

列車の時間には十分に間に合う。遠野祭りを見て行く。

鹿踊りが行われていた。この鹿踊りもイロイロあるようなのだが、腹に小さな太鼓があるのとないものがある。遠野では、ないバージョンだ。この木を薄くカンナで削いだモフモフがたまらない。実は球場に向かう際も幾つか見たのだが、恐ろしく違和感があった。何かがおかしいのだ。とんでもなくおかしいのだ。

どうもお祭りの神楽に代わる神事での、一般人の奉納芸から、角付け芸に変化したバージョンがあるようなのだ。ただそれを遠野の人は何も不思議に思っていないようだ。フルバージョンは長い。短縮版でも15分程度なのだが、2分のバージョンがあるようだ。

さて、この写真に河童がいます。駅前のお食事どころなのですが、どうもそこの名物のようです。写真の中央左です。

遠野市は、河童捕獲許可証を発行していたと思うのだが。

 

 

駅前は間違いなく非日常に染まっていました。

 

 

えっと、駅前に縁日ナンチャラというのがあったのですが、その関係者かもしれません。とりあえず、今回かっぱ3匹ゲット。ジバニャンもゲット出来ました。

ポケモンじゃないから?でもこのノリは好きです。

 

 

さて遠野の鹿踊りです。この鳥の羽ですがヤマドリの尾です。実はここも今まで考えていなかったことなのですが、ヤマドリの羽は結構高いと聞いています。一番の理由はとるのが難しいということです。追い立てるいい犬がいて、腕のいい猟師がいてそれで取れるといいます。飛んでいるところも林の中で、ライフルは跳弾を考慮すれば不可能、散弾でも追い立てられて飛び立つ瞬間以外は難しいようです。

そして肉がキジより美味と聞いています。しかし食べられるわけがないだろう。かなりの高級食材と聞いています。

おい立てる犬なのですが、できる年限が限られているそうです。3歳から6歳までのあたりと聞いています。だから3年に一頭子犬を手に入れなければいけないわけで、ヤマドリを獲るためには犬を最低で2頭飼い続けなければいけないようです。しかし猟師が高齢化して、継続が怪しくなれば、当然犬を飼うのをやめるわけです。

で、震災があり、放射能汚染がありヤマドリ猟は一時中断したのです。そうするとヤマドリを獲る猟師も一気に減るわけで、羽の供給も少なくなるわけです。実は貴重品です。

 

 

屋台が出ています。小腹が空いたのでタコ焼でも買おうかと思ったのですが、500円ですか。非日常と言いながらケチな根性が出てきます。一通り店を回ってから確信します。ちょっと高い。多分街の規模から行って、価格競争がないのだろう。

ただそうやってみて行くと、食欲がどんどん減って行きます。お好み焼きやさんと唐揚げ屋さんがコストパフォーマンスがいいと思うのだが、これを持って列車に乗るのかと思っただけでもうアウトです。

実は私、これ病気だと思っています。腹が減ってコンビニに入ったのに何も買わずに帰ることがかなりあります。スーパーでもそう。いっぱい商品があると、比較検討して行くに従って食欲がどんどんなくなってしまうのです。その上今食べたいのはコレジャナイとか考え出して、どうしようもなくなるわけです。検討しなければいいのですが、欲望に忠実なんてとてもじゃないけどできません。

なんでここまで来て、またこうなるのかと、途方にくれました。

 

 

遠野は広いので、いろんなお祭りがあるようです。なかなか風流な山車です。

私だけだと思うのですが、花巻から遠野にかけて、男の顔がとても濃いように感じています。

 

 

駅に戻ると、鹿踊りが行われています。この鹿踊りですが、本来長いものです。神楽からきているものだと思うのですが、演目と構成が決まっています。ただ神楽堂の舞台上でやるのか、地面でやるのかという差だけだと思うのです。踊りが激しいので神楽ほどの時間はかけられないが、形式が大切なはず。それが球場に向かうタクシーの中から、門つけ芸として2分程度で終わるのを目撃してしまって、とても驚いてしまいました。

なんでこうなるのかはわかりませんが、どうも衣装代が高いためなようです。このカンナクズを身にまとっているだけのような衣装ですが、このカンナクズが実は高い。白くてしなやかでフワっと風に舞うような柔らかい木が必要なようです。そこでヤナギの仲間のドロノキを使うのですが、その柔らかい木を薄く削ぐのがどうも難しいようです。それが得意な大工さんが削って売っているそうなのですが、一枚あたり何十円かということ。それをここまで盛り上げたらチリも積もれば山となる。6万程度と言います。

その上カンナクズですから、切れるし痛む。雨に当たったり極端に乾燥すると収縮して縮れて風に舞わなくなります。その上変色してしまいます。なので新品を胴体に使い、変色したのを尻尾の方に使い回しているようです。ヤマドリの羽だって踊っていれば痛むわけで維持費がかかるわけです。なので少しでも稼ごうと、年に一度のお祭りだけでなく門つけ芸に発展したのだろうと推測しております。

まず民俗芸能祭りとかでは見られない、原地でないと見られないショートバージョンでした。

 

 

遠野駅前にはコンビニがないのではないのかと。鹿が2頭、キヨスクに来ています。どうも小腹が空いておにぎりかサンドイッチか食べたいようです。ただ衣装がかさばって中に入れません。思い切って入った一頭は出て行くときにヤマドリの羽を看板にぶつけてしまいました。カンナですから、かさが張っても柔らかいので棚からものが落ちることはありませんでした。

このキヨスク、なぜかおにぎりとサンドイッチがない。菓子パンはあるが軽食になりそうなものはなぜかカップラーメンのみ。どうも通学の高校生対象の品揃えのようです。

なお鹿にヤマドリの羽を聞いてみますと、「山に行けばいっぱいいる、簡単に獲れる」と言い放ちます。

キジと混同しているようです。

 

 

帰りの列車が来ました。乗客の三分の一は観光客で年齢が高めです。とはいえ行きのあの居心地の悪さはありません。まあ彼の方が特殊だったのでしょう。

そういえば釜石線ですが、接客が良くなったように感じます。なぜなんでしょうか。多分SL銀河号で観光客が増えたのと、特別な列車を走らせているという意識があるのではないのかと思います。以前だと地元の足という意識が強かったのが、SLのおかげでその足に観光客が乗るようになったのではないのか。1日1往復のSLだとどうしても帰りの時間に間に合わないので、普通列車にもお客さんが入る。するとサービスもSLに合わせないといけなくなった。そうゆうことなのでしょう。

そしてSLを走らすというのは、本社直轄事業だったのでキビシク見られたというのはあったと思います。人材交流もあったわけですし。

 

 

行きも感じていたのですが、どうも東和町近辺の田んぼの荒廃がすごい。手入れの行き届いた田んぼとそうじゃない田んぼ、転換作物のソバや大豆を植えているところ。そしてすでに稲刈りが終わっているのは飼料用の田んぼ。そして耕作放棄地が混在しています。中山間地ですが、土地改良で整然と並んだ田んぼでした。道路もかなり整備された理想的な田んぼが、今や見る影もありません。

なぜこうなるのかといえば高齢化ですが、もう一つ別な理由があります。それはこの一枚一枚の所有者が違うことです。なので所有者の考えが違えば、バラバラな景観になるわけです。飼料用に転換した人、他の作物に転換した人、米は作るが意欲を失った人、そして耕作を放棄せざるを得ない人、それが見えてしまう悲しさがあります。

 

 

そしてこれが一番驚いたのは、松がれ病の蔓延です。いやすごい。多分この山の松はほとんど枯れてしまったのではないのだろうか。蔓延を防ぐには、このたち枯れた木を切り倒して焼却処分しなければいけません。でも切り出す人も運ぶ人もいないようです。お金にならないからしないというのもありますけど、山を守れなくなったというのが本当のところなのではないのでしょうか。

 

 

東和町は岩手県内でもかなり有利な場所にあるのですが、それでもこうなってしまうということは悲しいいことです。

 

 

帰りによいちに寄ります。お祭りからお祭りという格好になってしまいました。わしの尾のよいち限定品をゲットして、日常へ戻ります。


あたらしい神学論争の始まり

2015-09-19 00:57:24 | 日記

 

今日の国会で、例の「戦争法案」が通る見通しになった。まずはCNNの記事から。

 

「アジア地域の研究に長年携わるキース・ヘンリー氏は、「日本は米国の地下室でまだ暮らしている42歳の子どものようなものだ」と指摘する。

東京を拠点とするヘンリー氏のシンクタンク「アジア・ストラテジー」は、政府の政策分析を専門とする。ヘンリー氏は今回の安保法案を、日本がついに「成長」し、今日の急激に変化する地政学的な状況では実効的でない曖昧(あいまい)な平和や民主主義といった概念を越えて動き出した姿を示すものだと語る。

ヘンリー氏は、中国の軍事力への対抗を含め、日本が地域の安全保障でより積極的な役割を果たすだろうと予測。「第2次大戦後に作られた米国の家から動き出した」「だが、自国の国益を守ることはリスクもはらむ」と語る。

こうした潜在的なリスクが東京の街頭で怒りを引き起こした。法案の反対者は、戦後70年間続いた平和主義が十分な公開討論を経ずに放棄されようとしていると嘆く。実戦経験のない軍隊を戦場に送り込む可能性に懸念を示している。」

17日に配信になった記事である。



ニューズウイークの細谷雄一氏のブログはなかなか緻密に描かれている。ここではぜひ全文を読んでいただきたいのだが、日本はアメリカのポチなのか?という問題だ。

「基本的な事実として、日本外交はいつもアメリカに追随しているのだろうか。それを正確に理解する上で、国連総会での投票行動におけるアメリカへの同調は、一つの指標となるであろう。

 安倍政権が成立した後の国連総会での投票行動を見てみよう。2013年の第68回国連総会では、合計で83回の投票の機会があった。アメリカ政府代表の投票と同じ票を投じた比率は、アメリカの同盟国では、オーストラリアは80.9%、イギリスは77.5%、そしてアメリカからの自立した外交を展開するイメージが強いフランスは77.9%であった。他方でドイツは、70.0%とフランスよりも低い数字だ。これらの諸国は、かなりのていどアメリカと同様の国際行動をしているといえる。中立国のフィンランドとスウェーデンの場合は、それぞれ69.6%と69.1%である(これらの数字はアメリカ国務省のホームページを参照した)。

さて、「アメリカ追随」と言われる日本の場合は、どのていど高い比率でアメリカに同調しているのか。日本がアメリカと同じ投票をした割合は、実はアメリカの同盟国として最も低い67.2%である。オーストラリアやイギリスはもちろん、フランスやドイツより、さらには韓国(67.7%)よりも低い数値だ。国連総会での投票行動を見る限り、日本はアメリカの同盟国として最も自立した対外行動をとっているといえる(国会決議で米軍基地を廃棄したフィリピンは同盟国と位置づけるかどうかは意見が分かれるが、42.5%とロシアより低い数値である)。

 

JBPRESSの部谷直亮氏の「賛成派も反対派も安保法制を誤解している」も秀逸な記事だ。

「それは戦後の安全保障政策が、原発政策と同様に世論のリスクを恐れて、内部と外部の議論を意図的に使い分けてきたためです。その意味で、現政権の責任と言うよりも、戦後の安全保障政策のツケに起因するものでしょう。

しかし、少なくとも現政権には、こうした戦後の不毛な「建前と本音のギャップ」を解消する「責務」があるはずです。そして、それは憲法改正や北方領土返還よりはるかに意義のある歴史的な業績になるはずです。

行政側としては難しいことは百も承知ですが、現政権は、「単純だが不正確な例え話」をするのではなく、正確なリスクとメリット、そして自衛隊の実際の能力上の限界、どのような軍事的関与をするのかを正面から「恐れず、ひるまず、とらわれず」説明し、現在の不毛な議論の打破を試みるべきではないでしょうか。」

 

 

私自身は、今回の賛成派も反対派の国会議員のあり方に疑問を感じた。自分の立場でしか行動していない。自民党はどちらかといえばお祭り騒ぎになって冷徹さが足りない。そして民主党は明らかに戦術を間違えた。中盤戦から「戦争法案」とか「徴兵制復活」とか言い始めて、自分たちが政権与党だったことを忘れたように振る舞った。世論を喚起するためだったのだろうが、結果自縛に陥った。

民主党の岡田氏が「日本の大多数が反対する法案」と言った時に、この党はここまで落ちぶれたのかと暗然となった。ポピュリズム以下になっている。サイレントマジョリティにとってはどうでもいいことなのだ。

本質的に自衛隊問題は、原発問題と同じだ。矛盾しかない。だが今すぐやめるというのは非現実的だ。

原発を全廃棄するとして、「安全・安心」のためにはどうするべきなのかという方策がないのがわかっているのに、即刻廃止をなぜ言えるのだろうか。ここまで増えた原子炉をどうするべきなのか。イスカンダルからコスモクリーナーでも持ってこない限り不可能だろう。とにかく徐々にしか減らせれないのだ。だいたい一気に減らしたら、誰がそのお金を負担するのか。電気代か税金だろう。それでは現在の国庫はそれに耐えられるのかといえば、ほとんど無理。今現在でも福祉を減らせすしかない状況だ。それは民主党政権が身を持って体現したことだ。

自衛隊問題は原発問題の人類に突きつけられた問題よりは軽微だ。しかし国内での問題は大きすぎる。09年で24万人、世界で7位の軍事予算、それでいて個人の装備は個人負担のところがある。間違いなく即時解散はあり得ない。24万人の無職を出すわけにはいかない。現在でも定年退職者は53歳(2・3曹)、一佐で56歳だ。年金制度と乖離している。もちろん継続して任用する場合もあると思うが、限界はある。

その前に訓練だけで(イジメもあるらしいが)、年間30人以上が死ぬ。そういった公務員だ。それは重く受け止める必要がある。

そして残された兵器の問題もある。ある一定期間管理する団体として自衛隊は必要になる。即時というのはあり得ないのだ。

ただ自衛隊は憲法違反ではないのかというパンドラの匣を開けてしまったのが、今回の法案であった。逆に彼らを都合のいいように災害時やお祭りに使っていた政治家の責任はどうなのかと言いたい。特に共産党と社会党系の議員には言いたい。

どうすりゃいいんだよ。何に反対しろというのか。みんな善意でやってしまった結果が、こうなんだ。

 

 

ありがたいことに、この法案が通っていたとしてもすぐには運用しにくい。理由は反対が大きかったからだ。次に自衛隊からその法案が通った場合の対策案が流出している。つまり自衛隊内でも不満があるということだ。そしてその不満は、今でいいという考えがあるから流出したのだろう。自衛隊内部からだ。

かつて軍隊は教育施設であると看破した人がいた。スズクラだ。だが現在の自衛隊はその教育もなっていないという事件がある。だから起きたとも言える。まあイージス艦のシステムをハニートラップで出しちゃった人もいるし。この状況で、「ただちに」というのはあり得ない。

そして当然だと思うが、違憲審査が出ると思う。ただ今回の法案が多すぎて一つ一つの法の審議と、総合しての審議がえらく難しくなる。その時間が多分10年位かかるだろう。いや、最速では今すぐなのだ。だが今すぐにやってしまうと自衛隊も違憲になる可能性しかない。

基本的にこういったグレーの法は、取り扱いが難しい。即時対応となればかなり難しい。自民党もマトモな答弁をしていたとは思えないし、野党もマトモナ質問をしたとは思えない。ただ野党が衆議院で最後に対案を出したが、それは遅すぎた。

この法案が通ったとしても、発動させるのはかなりな事がなければできないだろう。

ただひどい事に北朝鮮が、衛星を打ち上げると言っている。これをブラフだと思うかどうかだ。多分意味のない行動だが、これをどう日本国内は報道するのかが見所だろう。

その前に、どこを取っても世界に巻き込まれている。

 

 

42歳の引きこもりというヘンリー氏は優しいかもしれない。もしかすると70歳の引きこもりなのかもしれない。

70年間引きこもった理由と、そこの矛盾と、今に行ったった矛盾を考えれば、民主主義における合意形成ということを成し遂げられなかった先人たちに、恨み申し上げましょう。

何を今更と。

普天間基地の問題と辺野古基地の問題はその最たるもので、なぜあの法案に反対する人は、この問題は解消すると思っているのか。

私には、沖縄の基地負担を本土に求めている姿勢を拒否しているようにしか見えない。

憲法改正しか今の矛盾は解決できない。この法案にも問題はある。だが誰もできていない。なぜそうなるのかを誰もが考えられない時代になっている。


しばらく雨になる

2015-09-18 01:20:07 | 日記

 

小さな農機具祭り2を書こうと思ったのだが、午後1時に行くとあまりにも誰もいない。係りの人がボっとしているだけだ。余りもの入りにくさに、躊躇してしまった。マッセイファーガーソンのトラクターのコンソールも見たかったし、歩行アシストマシンもつけてみたかった。だがそれ以上に秋田から来た、ホバークラフトの水田用除草機が気になっていたのだが、帰ってしまってもういない。どういったものかといえば、ホバークラフトで浮いて進む。草取りは昔あった千歯車の巨大な奴が付いています。水面から掻くので、どうしても巨大になるようです。

ということで取材中止です。

とはいえ学会中の展示ですので、各社目的が違います。秋田式除草機はあくまでも学会発表の一環ですし、マッセイファーガーソンの場合はグッズも売っていたようなので、お付き合いの匂いがあります。盛岡での開催なのでやまびこは一番大きなブースを使っていましたが、研究者から意見を聞きたいの半分、農場を持つ大学に売り込みたいというのがあるようです。そしてクボタ。完璧リクルートモードです。農学部で各大学から学生もきます。そこに売り込むというのが目的です。ヤンマーもそのようです。この大学からイセキは毎年学生を採用しているのですが、そうなるとこなくていいですよね。なのでイセキブルーがないわけです。

逆に先端すぎて立ち位置が中途半端になったのは、ハスクバーナー。大学の景観管理に使えそうなのですが、そのあたりの売り込みもしていなかったようですし、「ネットで告知すべきだった!」と嘆いていました。ハスクバーナーの自動芝刈り機に興味がある人は、実はわんさかいるようです。ただ現物をなかなか見れないので導入に躊躇しているようです。

なおネットで見たというお客さんがいたと言いますが、私の記事ではないでしょう。

なお各社建機関連への進出を図っているというのが、とても印象に残りました。

 

 

今日は4日あけて、泳ぎに行く。その割には疲れがたまったような感じで、なかなかうまくいかない。

盛岡市の公営プールはもうそろそろ水の入れ替えを行う。ゆぴあすは9月26日から10月16日に水の入れ替えを行う。総合プールは10月14日から30日までプール開放はない。そうすると3日間は両方の施設が使えないわけだ。さてどうするか。

 

 

安保保法案が通った。この後もイロイロあるのだろうが、最高裁は又しても逃げるのだろうか。

昨夜大家が突然やってきた。どうも国会中継を見て興奮してタバコを欲しくなったらしい。なお我が大家は徴兵組だ。だが当時10%しかいなかったエリートだ。内務班問題から全部うまく立ち回ってクリアした経歴がある。ただ自分が当時時代により勉強できなかったということについてセンシティブだ。そういった人間から見れば、今回の強行解決は血肉湧き踊るものなのだろう。だから相当錯乱した議論になるはずだ。そこを回避すべく、軽率減税還付制度について話を振ったのだが、全くわからないという。年金生活者がだぞ?全くわからないというのは少しおかしい。年金問題も生活保護制度問題も、一括して努力していないものが報われないのはおかしいと言い切る。いや努力した結果そうなってしまった人のための制度でしょうというと、わからないという。

興奮しているので仕方がないのだが、感情からわからないという言葉を出している。そういった事例が近所にあるから、ごっちゃにしているだけなのだが、彼らしくもない。

なぜ、安保も年金も軽立減税もゴッチャにできるかといえば、彼は成功者だからだ。

 

 

私は今どの政党が政権にあったとしてもこの法案を通すと思っている。だからこそ神学論争になっていたのだと考えている。対立点が明快でないと政党は生き残れないから、神学論争になる。それしか方法はない。妥協したと言われるとその時点で終わるわけだ。

それは議会制民主主義としてどうなのか。その程度のことしかできない政治家しかいないのかという話にもなる。

老人が腹くくらないと、どうしようもないというのは言っておこう。


小さな農機具祭り1

2015-09-16 19:57:38 | 日記

 

隣の岩手大学農学部で、農業環境工学5学会合同大会というのがある。一般人は入れないようだが、屋外の企業ブースは誰でも見れる。なので覗きに行く。

 

 

マッセイファーガーソンのトラクターです。フラッグシップの最新モデルのようです。曲面ガラスが使われています。ネットの方が遅いという不思議な事態が起きています。それが3台もいる。いるとしか言いようがない。そしてこの狭いスペースにある分、迫力が違う。とにかく巨大。乗りたかったのだが、どうも商談らしきものがあって、係りが誰もいなかった。

ドライブシュミレーターっぽいのがあって、液晶モニターで作業状況を確認しながら動かせるというのが説明しているっぽいのだが、体験できなかった。明日も行ってみよう。

 

 

最近日立工機なんかのデザインがエヴァンゲリオンぽっくって気になっていましたが、ヤンマーもなかなかに勇者シリーズロボットアニメっぽくなっていました。なおヤンマーは屋内展示に絞っているようで、誰もいませんでした。

さて最近の農機具は排ガス規制のティア4対応です。まあそう言われても困るのですが、一番困るのは作る側。ティア4対応と言われても、大農場でISO14000でも取得していなければピンとこないものです。いやティア4対応出ないと販売できないのですが、燃費が多少良くなる程度でメンテが必要となれば、お客さんは動かないわけで、あの手この手というのが実情のようです。ハウジングのガラスも太陽光の反射とかが問題になっているから曲面ガラスということでは、どうもなさそうです。

あのハウジングも粉じん対策として有効で、そのためにエアコンが入るわけですが、それを贅沢と感じてしまう段階で、ティア4対応という意味がなくなるわけです。

とはいえ最近の農機具はどんどんかっこ良くなっています。

 

 

あのチェーンソーメーカーで有名なスゥエーデンのハスクバーナー社の、自動草刈機です。現在充電ステーションに入っています。芝生用ルンバというといえばわかると思います。毎日芝刈りをすれば、綺麗で残渣の問題もないという考えです。これが最高に面白かった。いや他社でも面白いものはいっぱいあるのだが、デザインが秀逸です。スーパーカーのようなデザインなんだけどチョロQでもあり、ほんの少しのカーブが綺麗。これが展示場をチョロチョロ動き回ると、最初はかっこいい、次に可愛く見えてくるのですよ。確実に機能性オンリーのルンバよりかっこいい。ハスクバーナーのヘルメットもかっこいいのですが、さすがと思います。

で、実際の機能なのだが毎日稼働させる限りでは全く問題がないと思います。水没しない限りは動きます。刃も簡単に交換可能。そして充電ごとに回転が変わって刃の片減りを回避します。とは言っても単純な鉄板が回っているだけだけどね。野良ルンバというのはありましたが、野良ハスクはありえないよう、野良になった時点で動きません。羊のように囲いのワイヤーから出られないようになっています。その点ある意味原始的。確実です。パソコンと連動して移動経路を確認できるのは当たり前か。

3時間で1000坪対応。充電ポイントと脱出防止のためのワイヤー設置と本体価格で、75万あたりから。

高いと思うでしょう。ところがこのパンフレットを持って欲しがりそうな人に持って行くと、すかさず反応があります。ただやっぱり「高い」。ところが欲しい。ということでもっともっとのお金持ちに話が繋がって、「見てこい!」となってます。

買えないものは欲しそうな奴に買わせて様子を見るという、貧乏人の発想です。とはいえものすごくレスピポンスが早かった。

なお友人が株式会社やまびこにいるのが判明。小型農機具で有名なブランドのキョーリツやShindaiwaやECHOを抱える、実はすごい会社です。そこがベルギーの同様な自動芝刈り機のメーカーを買収しているようなので、そちらも探したかったのですが、断念しました。まだ日本に展開していないようです。

 

 

朝方、山車の先触れが来たようだ。それに起こされたのだが、着替えて包みを持って行くまでには、彼らはいなくなってしまった。

忙しいようだ。


秋祭り

2015-09-16 01:17:48 | 日記

 

今日は寝坊した。そのせいかずっと食欲がない。野菜ジュースとゆで卵2個で昼を済ませた。

納品があるので街に出る。すると本町あたりで早速山車に出会う。

 

 

今年は9台出ているようだ。

山車を出すために費用が大変なようだ。旧市内にあった有力なスポンサーも倒産したり転居したり次第に疎遠になってゆく。そうなるとお金集めをどうするのかで、寄付集めが重要になる。ただこれは辛い仕事だ。通らないのに金を集めるというのは道理に反している。おまけに拒否されることも多い。「いやぁホイド(乞食)祭りと言われても仕方がないです」そう彼らはボヤくのだが、背に腹は変えられない。

 

 

とはいえ、家の前を通らないのに寄付を求められても困るわけで。

 

 

最近盛岡観光応援ポスターというものがよく目にする。ただそこにでてくる盛岡弁というものに違和感を感じている。

朝の連ドラで盛岡の旅館の若女将が主人公というのがあった。残念ながらそのモデルになった旅館は廃業してしまった。その中で出てくる盛岡弁なのだが、それにしても滅多に聞くことのない言葉だった。30年前だったが、そのことを周囲に聞くと、「あれは盛岡市内の商家言葉で、それ以外では花柳界にしか残っていない絶滅危惧種だ」「旧市内のお年寄りが話す程度で、まともに話せる人はいない」という反応だった。江戸時代の盛岡市の商家はほとんどが近江商人で、彼らだけの独自の言語があったという人までいた。

いわゆる南部弁とは違う言葉なのだが、一体どうしてそうなったのかはわからない。薩摩弁のように作ってしまったものかもしれない。だが周辺の南部弁に飲み込まれて消えかかっているのを、なんとか維持しているというのが現状だろう。

ただ弘前のような旧市内と郊外では、そんなに言葉は変わらない。旧市内の方がゆっくりしゃべるという違いはある。比較するのもはばかられるが、大阪の船場とその周辺での言葉の違いのようなものでしかない。秋田もそうだ。

これには南部家が三戸から盛岡に移動したからというのが考えられる。それでは秋田の佐竹は常陸から移封されたのだが、秋田の中心部では今でも茨城の影響を受けた言葉があるのか。知らないだけかもしれないが、聞いたことがない。

確かに盛岡は南部家が移住するまで、農村地帯だった。商家はほとんどなくそのため近江商人を招いた。だから独自の言語が発達したとも言える。だがそれでは津軽だってそうだ。江戸時代に移封されたところはすべてそうなっていなければいけない。

そこで気がつくのは、周辺農民が入り込まないようにした手形制度だ。盛岡市内の寺に登録されたものでないと手形を持てない。この制度で地域から分断されていた可能性はある。

明治維新以降、城下と郊外の境目は撤廃された。そこで南部弁が流入するのだが、その頃の上流から中流階級は標準語に以降したのではないのだろうか。今現在盛岡市内で、方言で悩まされる観光客は少ないだろう。30年前からそうだった。多少の訛りはあるが、旧市内と郊外では感覚的にかなりの差がある。

特殊言語だったから、簡単に標準語に乗り換えられと思う。ただそれ以上に旧市内の人のプライドは大きかったと思う。標準語に切り替えることが、プライドの証だった。

盛岡弁が花柳界に残ったは、すきまだったからなのだろう。

盛岡弁には謎が多い。本当は歴史検証されるべきなのだ。何しろ盛岡は、その小さいエリアが盛岡ではないのだから。本州で一番寒い、旧玉山村藪川を含む広大なエリアなのだ。

ポスターの企画は旧市内のお金持ちが、ワーってやっている感じがあって、少し嫌だ。

 

 

盛岡の山車は素朴です。生の松を使うことがお約束のようです。

 

 

ということで、この祭りの一番おかしなところは、反権力的と言えるかもしれません。時代に逆らい続ける力というのがあります。消防団が中心ですから、ある意味権力側なのですが、拡大された盛岡に対するアンチテーゼというのは感じます。

それだったら、寄付金を500円にしてもいいかな。

 

 

どうも今日は夕方6時から大通りで山車のパレードがあるようです。ただ桜山稲荷が神輿を用意しているのが不思議ですね。

八幡のお祭りに便乗するというのは、神格としてどうなの?という気がします。

神事である限り、ある一線は越えて欲しくないものです。盛り上がればいいと後から付け加えて台無しにすることは避けたほうがいいのですが。

 

 

たった一時間で、9台中5台の山車に出会ってしまった。

 

 

明日は家にいないつもりだが、大体彼らはなぜか来る。今年は紙で包んだ200円を用意はしている。微力過ぎるがそれで勘弁してほしい。