水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1557」

2025-04-09 21:12:49 | Weblog

ある気功師・1158


  「余裕命」


ちょうどいい名前が思いつかなかった。
「余命」じゃ違うし・・・
「遊び命」じゃ感じ悪いし・・・
この部分の説明に出会った事がないし・・・
だから言葉が判らない・・・。


私の感覚だ。
クライアントに接して感じる「命」
命の仮の境界線。
そこから下の部分の話だ。
普段は使わない命の部分だ。


生きている時は「命」を使う。
あらゆる事に使う。
何にもしなくても使う。
その「命」には量がある。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・1556」

2025-04-08 21:05:27 | Weblog

ある気功師・1157


  「零脳者」


イロイロと出会う。
人やモノや風景や機会や感情や思想。
イロイロと出会えるのは、生きている時だけだ。
イロイロと経験、体験できるのも特徴だ。
死んでからでは・・・遅いのだ。


霊能者ではなく、零脳者の観方がある。
霊も人間も本質は同じだ。
(霊に脳が有るか、無いかというのは、
とても面白いテーマだが、ここでは書かないぞ)
生身(肉体・物質)の有無だけだ。
それが・・・大きな意味を持つ。


霊は怖がる相手ではない。
付き合う相手でもない。
だが、とても大切な事を教えてくれる。
追い払う相手でもない。
こちら側(人間)を見直す相手では、あるなぁ・・・。




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「迷想中・迷走中・1555」

2025-04-07 21:06:13 | Weblog

ある気功師・1156


  「零脳者」


霊障は「人間とオバケさん」の交流(?)。
それに係わると「気づき」もある。
「オバケさん」から教わる事も多い。
なるほどなぁ・・・(一人納得!)


だけど、そんなに勉強熱心(霊障)になる必要はない。
生きている相手だけで、充分だと思うぞ。
それにインチキや詐欺に会う確率も高い。
もちろん相手は人間だ。
怪しげな霊能者などに関わるのは止めようね。


生きているのは、肉体が主役だ。
肉体があるから、イロイロが変わる。
変わる事が出来る。
森羅万象は無常だから意味があるのだ。




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「迷想中・迷走中・1554」

2025-04-06 21:25:53 | Weblog

ある気功師・1155


  「零脳者」


全て霊という表現もある。
肉体が無い霊が「オバケさん」
肉体が有る霊が「人間」
怖いのは人間の方だ。
イキナリ他人を殺傷するのは人間だ。


「オバケさん」は怖くない。
怖い力が持てない存在だ。
小さな事にクヨクヨこだわっている存在だ。
可哀想だが、ツマラン生き方(?)だ。
大らかになると、この世にはいられないが、
もっと素敵な所には行けるかもしれない。


あの世の事は、死んでからで間に合う。
生きている人間がアレコレ思い煩う事ではない。
生きている人間は「生きる事」。
それで精一杯のはずだ。
余計な事を考えるのは「活きてない」証拠だ。




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「迷想中・迷走中・1553」

2025-04-05 21:10:51 | Weblog

ある気功師・1154


  「零脳者」


霊は、たいてい歪んだ波動だ。
生身の人間と同じだ。
アナタや私と同じだ。
人間は生きているからイロイロある。
イロイロあると「氣」も心も変わる。
歪んだ波動も変わってしまうのだ。


ところが霊は死んでいる。
イロイロが・・・出来ない。
イロイロの相手と接触出来ない。
同じ歪んだ相手だけが接触できる。
つまり心が変わるチャンスが少ないのだ。


生身は歪んだ波動が消えても身体は残る。
それを回復・修正という。
だが霊は生身が無いから・・・消えてしまう。
それを成仏というようだ。




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「迷想中・迷走中・1552」

2025-04-05 00:41:35 | Weblog

ある気功師・1153


  「零脳者」


私は霊能者でも退霊屋でもない。
霊をどうのこうのするつもりもない。
彼等だって、それぞれ都合があるだろう。
力でも理屈でも直接アレコレされるのは嫌だろうね。
私も相手が霊とはいえ、嫌な事はしたくない。
霊も妖怪も人間もそれほど違いは無い。


それでもクライアントから依頼されれば解決する。
私流の解決はできるのだ。
私は医療氣功師だからだ。
霊が居座れる部分を修復すればいい。
修復(波動の変化)で、霊は憑いていられない。


私が扱う「氣」は相手を区別しない。
どんな人間も異細胞も霊も区別しない。
「調和・浄化」の「氣」だ。
霊が側にいるなら、霊も修復してしまう。
側にいるから影響してしまう。




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「迷想中・迷走中・1551」

2025-04-03 22:19:15 | Weblog

ある気功師・1152


  「零脳者」


私は零脳者だが、霊能者ではない。
霊能者ではないが、感じる事は出来る。
これでもプロの氣功師だからだ。
霊が障りの病も結構あるからだ。
だが病に関係ない霊は私の範囲ではない。


ほとんどは、たいした事が無い。
当たり前だが、生きている人間より強い霊はない。
生身の本人の方が優れているのだ。
それなのに、心を縮めて霊を受け入れる。


霊が勝手に憑くことは出来ない。
霊は力の無い孤独なヤツなんだ。
生身の人間の方が霊を捕まえているんだ。
心が縮むか歪まないと霊も近寄れないのだ。
その事に、気づかないだけだ。




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「迷想中・迷走中・1550」

2025-04-02 21:47:45 | Weblog

ある気功師・1151


  「零脳者」


「全ては必然。偶然は無い」とかいうが、
この世は間違いだってあるのだ。
私が創造主なら、アチコチに冗談を創る。
創造主なんてそんなモノだろう。
生真面目な創造主なら、世界を創るはずがない。
(ここが理解できない学者が多い・・・)


「落ちこぼれ者」にも法則(道)を創ってくれた。
とりあえず「感謝」だけはしておこう。
私は不遜の独善家だが「感謝」は得意な方だ。
見境無く感謝する事が出来る。
無能力者や零脳者にとって自分以外は全てマトモなのだ。
不遜でも、結構己を知っている・・・。


努力が適さないタイプもいる。
社会に馴染めないタイプもいる。
遠慮せず、落ち込んでみよう。
捨てて、脱いで、放してみよう。
そこに道(法則)が見えるかもしれないぞ。




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「迷想中・迷走中・1549」

2025-04-01 22:04:08 | Weblog

ある気功師・1150


  「零脳者」


その人の能力による特殊な力なら、
超能力や異能力と表現してもいいだろう。
「素晴らしい力をお持ちですね」
勘違いもはなはだしい・・・。
穴があったら覗いてみたい・・・。
(好奇心は人並み以上かもしれない・・・)


性格と「運」だけで歩いている。
二人の御師匠様との「縁」も「運」だ。
培った能力じゃない。
「素晴らしい縁」は「気まぐれの運」だと思う。
徳の覚えが無いのだから、御褒美はありえない。
徳を積むと御褒美がもらえるというのも、何か変だし・・・
謙遜ではなく、本気でラッキーだと思う。




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「迷想中・迷走中・1548」

2025-03-31 21:15:35 | Weblog

ある気功師・1149


  「零脳者」


脳が働かない時、
心も静かになっている。
零の部分が広い時、
体も自然に動いてる。


零の脳は自然体と連動している。
動かないから、開く通路がある。
零だから、流れてくれるモノがある。
努力精進すると、塞き止められてしまう。
もう一つの世界の仕組みは、
とても、とてもヒネクレているのだ。


脳が零になるのは能力じゃない。
誰でも零になる時がある。
しょっちゅう零になるのは性格だ。
ナマケモノでいいかげんな性格だ。
通常、褒められない性格だ・・・。




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