水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1516」

2025-02-27 21:02:55 | Weblog

ある気功師・1117


  「名」


故御師匠様は魅力的だった。
だから霊もつい出てきてしまう。
(浄化の)お礼も言いたいようだ。
ついでに世間話も少しはする。
(浄化力が強いから嘘は無くなる)
それが側で聞いている私達に学びとなる。


この気功が影響するのは肉体に対してだけではない。
人間だけでもない。
動物だけでもない。
植物、菌類、そして、おそらくウィルスにも。
更に、見えない存在にも影響する。


生身と霊の違い。
一番大きいのは「名」だろう。
性格の良さも悪さも同じだ。
頭の良さも悪さも同じだ。
執着心もアキラメ心も同じだ。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・1515」

2025-02-26 23:19:58 | Weblog

ある気功師・1116


  「名」


霊が関係する病は意外に多い。
しかしその度に出現するわけではない。
何も言わず、浄化される場合の方が圧倒的に多いのだ。
やたら霊を出現させる人は、未熟か歪みだと思う。
私は霊関係に「あまり近づかない方がいい」と助言する。


この世にはこの世のルールがあるのだ。
私も話せる相手以外には話さない。
霊が関係していても、黙って浄化する。
そんなモノに気づかなくてもいいのだ。
気づく必要があるのは霊の方だ。
生身の人間が必ずしも知る必要がない。


時々出てくるのは、我々にメッセージがあるからだ。
それ以外は、よほど激しい性格でなければ出ない。
生身の時よりも、控えめになるようだ。
結構、生身の人間に気を使っている。
まぁ・・・肉声が通常は使えないからなぁ・・・




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「迷想中・迷走中・1514」

2025-02-25 21:42:16 | Weblog

ある気功師・1115


  「名」


氣功は多くの種類がある。
細かくいえば、全て違うといっていい。
人を転がす氣功もある。
エネルギー注入!みたいなのも多い。
病気や殺気や荒れた氣功もとても多い。
体や心に有効も害もある。
人の気持ちと同じ種類があるのだ。


無条件に信用するな。
無条件に疑うな。
当たり前の目で人を判断してくれ。
基本的には普遍的なモノだと思っている。
誰だって使えて当たり前なのだ。


故御師匠様の氣功は浄化を中心としている。
それを医療・健康関係に応用している。
病(闇)の浄化(調和)に必要な場合、
霊が浮かび上がる事がある。
そのケースに必要だから出てくるだけだ。
霊を媒体(必要)とする霊能者とは違う。




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「迷想中・迷走中・1513」

2025-02-24 20:40:32 | Weblog

ある気功師・1114


  「名」


ある時、故お師匠様はこんな事を教えてくれた。
「おばけ(親しみを込めてこう呼んでました)は、
名前を聞いても答えられないんだよ。
名前は肉体側に付くようだな」
この意味の深さに気づくのは10年後だった。


「名」がモノを決める。
「名」がモノの結界を表す。
「名」がモノを縛る。
いろいろな表現ができるが、
結界が定まらないモノに名はつけられない。


人の本質体は名前が付けられない。
結界が定まらない。
本質体の限度は無いようだ。
我々の未来は果てがないようだ。




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「迷想中・迷走中・1512」

2025-02-23 20:52:31 | Weblog

ある気功師・1113


  「名」


霊の声は生身の人間が話す。
病人本人の時もあるが、近くの全く別な人もいる。
霊媒体質というか、霊に感応しやすい人のようだ。
だから誰でも霊と話はできる。


霊が離れてから、その人と話した事がある。
霊が喋っている時にも意識は普通にあるらしい。
ただ何で別な声で自分の知らない話をしているのか。
何故自分の考えを普通に話せないのか不思議だと。
とにかく、不思議な感覚らしい。
その後も特に不調になるわけでもないようだ。


故御師匠様は霊をイジめる事はなかったが、
時々、からかう事はあった。
もっとも普段から冗談は欠かさなかったから、
特別に、からかったわけでもなかったが・・・。
冗談相手でも霊を差別しなかっただけだ。




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「迷想中・迷走中・1511」

2025-02-22 22:06:23 | Weblog

ある気功師・1112


  「名」


故御師匠様がいた頃だ。
氣功をすると浮かび上がるモノがいる。
嘗て人間だったモノだ。
霊とか魂とかいわれている。
肉体が無い意識体だ。


肉体が無いだけで、あとは変わらない。
見えないけど人間と同じだ。
多少、根性が歪んでいるのが多いが、
現実の人間だって大して変わらない・・・。
むしろ生身の人間の方が性質が悪い。
実際に害を及ぼすのは生身が圧倒的に多いし大きい。
霊よりアナタの方が怖い・・・。


故御師匠様はひょうきんだった。
そして優しかった。
霊と生身の人間を差別しなかった。
普通に話しかけていた。
霊も普通に答えていた。
側で聞いている私等もいつしか違和感は無かった。




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「迷想中・迷走中・1510」

2025-02-21 21:03:14 | Weblog

ある気功師・1111


  「佐渡先生」


佐渡先生や故御師匠様は独自だった。
個性溢れる言葉が素敵だった。
私は20以上年たった今でも活き活きと思い出す。
10年以上かかって、意味が光りだす。
生きている言葉は、素敵だ。
だから私は、こんなグレた文章でも、
言葉に生命を吹き込んで書いている。
(上手くいく時もたまにはある・・・)


「個性」は生きている証拠だ。
私が佐渡先生や故御師匠様に惹かれたのは、
「個性」があり「自然体」だったからだな。
個性だけでは、アクになる。
自然体(調和)と合体で魅力となる。


さて、これから、何処まで近づけるか・・・
佐渡先生のように、故御師匠様のように、
いいかげんで節操の無い人になりたい。


地球の未来を続ける為に出航したヤマトだ。
何とか間に合いそうに帰ってきた。
その時の沖田艦長の最後の言葉がある。
「佐渡先生・・・ありがとう」  


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「迷想中・迷走中・1508」

2025-02-19 21:00:48 | Weblog

ある気功師・1109


  「佐渡先生」


佐渡先生は自然体だ。
自然体を「本能の赴くまま」と訳すと間違う。
自然は調和で成り立っている。
自分勝手でも他人任せでもない。
「自他の調和」が自然体というものだ。


この世は、自と他が混同、混合している。
だから調和度が増すほど、息が楽になる。
自然体は、自他が楽になる生き方だ。
自他の区別や摩擦や決り事は、
「ゆるやか」なほど、楽に生きられる。


とはいえ、人間は未完成品だ。
硬かったり、柔らかかったりして触れ合う。
(遠慮なく、意味深に受け取ってくれ)
「やわらぎ」というのは柔らかいことじゃない。
硬かったり、柔らかかったり、自由に出来ることだ。




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「迷想中・迷走中・1507」

2025-02-18 22:25:44 | Weblog

ある気功師・1108


  「佐渡先生」


佐渡先生の迷い人に言ったセリフがある。
「海の男は海が住みよいだけじゃよ。」


迷ってしまうと、自分の正体まで判らなくなる。
海の男か、山の神か(高度なダジャレですぅ)、
二丁目の住人なのか(低俗なダジャレですぅ)。
迷いは広がる性質があるんだ。


「海の男は海が住みよいだけじゃよ。」
それだけだ。
道を選ぶのは難しい事じゃない。
息が楽にできる道(相手)を選ぼうぜ。


(オナゴにとって、結婚という道があるなら、
やはり基準はこういうところじゃないのか?
と、余計なコメントまでするから、一言多い・・・
まだまだ、私は佐渡先生に近づけない・・・)




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「迷想中・迷走中・1506」

2025-02-17 21:01:22 | Weblog

ある気功師・1107


  「佐渡先生」


後悔なんて趣味だ。
したければ、好きなだけすればいい。
誰も依頼してないし、誰の為にもならない。
趣味だから、他人が意見を言う事でもない。
好きにしてね・・・。


同じ音だが「航海」がある。
未知の道(オヤジダジャレです)を海に例える。
人生は航海だ。
人生は後悔だ、とは大分違う姿勢だろう。
好きな方を選んでくれ。


とはいえ、どの道も先行きは不明だ。
だから、分かれ道で迷う。
(不明や不安定を面白がるのが道を歩くコツだが、
そんなことは、自分で覚えてくれ)




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