水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1546」

2025-03-29 21:41:52 | Weblog

ある気功師・1147


  「零脳者」


「波動は同波動に共鳴する」(これはまぁ、いい)
ハイレベルでなければハイレベルの「氣」は扱えない。
だから「ハイレベルの氣」を扱う人はハイレベルだ。
これは、生半かの机上論だ。
それを本人が言ったら・・・アホの上塗り・・・


周波数が細かい(優しい)と範囲は広がる。
もし「ハイレベルの氣」なら、周波数を超えて作用する。
事実は理屈より優先するんだぜ。
(「ハイレベル」というのが私には違和感がある。
ハイやローというより、荒い.細かいだろうね)


周波数を超えて作用するのなら、
私のような下品でも扱えるだろう。
事実、扱っている。
事実は理屈より奇なり・・・。
「こだわっている氣」はレベルによって違うのだろうが、
「この氣」はレベルなどと些細な事にこだわってないぞ。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1545」

2025-03-28 21:22:12 | Weblog

ある気功師・1146


  「零脳者」


氣功時に零になる脳。
零になるのも私の力じゃない。
零の通路を流れるモノも
私の力じゃない。
私は無能力者なのだ。


零脳者としても半人前だ。
最後まで半人前だ。
それでも零脳者の素質はあったようだ。
子供の頃からボケ~としていた。
今もボケ~は得意だ。
私にも得意技はあるもんだ。


零時に流れるモノは優しい。
私のような者にも通る。
高徳も下品も金持ちも貧乏人も区別しない。
鼻持ちならない嫌なヤツも区別しない。
節操が無いのと、とても優しいのは似ているなぁ。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1544」

2025-03-27 21:08:59 | Weblog

ある気功師・1145


  「零脳者」


私はどうでもいいと思っている。
道路じゃなくてもいいや。
崖っぷちばかりいたら、馴れた・・・。
綱の上でもいいかぁ、と思えた。
生きてりゃ、それで充分だな。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1543」

2025-03-26 21:13:19 | Weblog

ある気功師・1144


  「零脳者」


ウワサで聞く、街のヤンキー兄ちゃん。
チンピラあんちゃん、ホームレスおじさん。
閉じこもりネ~ちゃん、アル中主婦。
ブッちゃん(ブッダ)と同じ類の仲間だ。
偉くはないけど、悲観するほどじゃない。


ブッちゃんは「落ちこぼれ」用の法則に乗った。
それも・・・偶然だと思う。
努力を放棄したから乗れたのだ。
我々はまだ乗ってない。
「落ちこぼれ」なのに未練があるからだ。
こだわりがあるからだ。


それでも、道は用意されている。
いつでも、道は乗れる準備が出来ている。
いつか、乗れるかもしれないぜ。
「落ちこぼれ専用道路」




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1542」

2025-03-25 21:40:07 | Weblog

ある気功師・1143


  「零脳者」


多種多様な生き物がいる。
多種多様な人がいる。
多種多様な生き方がある。
そして時代状況によって変化もある。
それぞれに、その時の法則があるようだ。
法則は一つじゃない・・・。


偉いも下種も立場からの見方だ。
実際は単なる違いがあるだけだ。
価値が違うわけじゃない。
ブッダとなったシッタルーダも、
捨てられた本妻、愛人達もそれぞれの人生だ。
全て必要で、全て大切なピースだ。


私とブッダが同じ落ちこぼれ者というのは、
とても、とっても、とてつもなく、異論があるだろう。
私だって私事とはいえ、異論がある。
それは・・・あんまりだぁ!
だから「同じ」ではない(当たり前だ!)
だけど「落ちこぼれ者」の類には違いない。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1541」

2025-03-24 21:11:19 | Weblog

ある気功師・1142


  「零脳者」


ブッダとなったシッタルーダは、
森のタヌキやウサギやトリ相手に話をした。
かなり・・・跳んでるなぁ・・・
ブッダになっても、マトモな社会人じゃないなぁ。


どうしたら、幸せに生きられるか?
嬉しく、愉しく毎日を過ごそうよ、と話した。
難しい真理を話したわけじゃない。
難しい話など、ウサギじゃなくても聞く気にならない。
タヌキやウサギは真理を求めていないしね。


ついでにいうと、タヌキやウサギに言葉は通じない。
だがタヌキもウサギもブッダの話を理解する。
真実、真理の言葉など通じないのだ。
言葉でないところでの交流、通じ合いがある。
ほとんどの宗教が、この前提で間違っていると思わんか?


落ちこぼれ者には落ちこぼれ用の世界がある。
誰が創ったか知らないが、
この世の仕組みはかなりヒネクレている。
そう思わんか?




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1540」

2025-03-23 21:38:35 | Weblog

ある気功師・1141


  「零脳者」


そして菩提樹の下でボンヤリしてた。
脳が空になっていた。
その空になった脳に何かが通った。
そして・・・落ちこぼれ者は・・・
ブッダ(開かれた人)となった。


ブッダを悟った人と訳すのは少し違うと思う。
悟りというと何でも理解している。
真実を観る知恵を得た人。
だが開かれた人は真実などに興味が無い。


開かれるというのは余計なモノが無くなる事だ。
余計なモノの中には真実も含まれる。
そして、どうしたら皆が楽になれるかを示せる立場だ。
皆というのは人だけじゃない。
この世に存在する全てだ。




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1539」

2025-03-22 21:06:06 | Weblog

ある気功師・1140


  「零脳者」


私なら愛人Aは連れて行く。
ついでにキャッシュカードも持っていく。
行き先は、やはり温泉地でしょう。
とりあえず、芸者を上げて騒ぐのだ。


落ちこぼれ者は現実社会の常識を知らない。
世間知らずなのだ。
社会に適応する努力が出来ないタイプだ。
アホだと思うよ。


元々努力型じゃないのに、無理をした。
苦行をしたみた。
苦行からも、落ちこぼれた。
だから、諦めた。
「悟りなんて、もういいやぁ」
根性無し・・・




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1538」

2025-03-21 21:18:30 | Weblog

ある気功師・1139


  「零脳者」


約2500年前だった。
一人の落ちこぼれ者がいた。
釈迦族の王子という立場に厭きた。
本妻も愛人A・B・C・Dも捨てた。
それぞれの子供も捨てた。
ロクなヤツじゃないなぁ・・・。


名前をシッタルーダという。
通常の社会に役に立たない事が気になり出した。
「人は何故、死ぬのか?」
「何故、病気になるのか?」
「何故、老いるのか?」
「何故、苦しむのか?」


落ちこぼれ者だよねぇ~
こんな事考える為に家出しちゃったんだ。
しかも金も持たずに、行き先も決めないでだ。
無謀というか、坊ちゃんというか・・・




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷想中・迷走中・1537」

2025-03-20 21:20:36 | Weblog

ある気功師・1138


  「零脳者」


この世が人の社会だけならねぇ。
人の社会だけに生きるのならねぇ。
その法則とやらでいいと思う。
普通はそれで充分だと思う。
(成功しなくても充分だと思うけど・・・)


だけど・・・
人には「落ちこぼれ者」がいる。
人の社会から「落ちて」しまう癖がある者がいる。
ナマケモノ、根性無し、イイカゲン者等・・・
こういう「落ちこぼれ者」も生きている。
私もその仲間だ、そういう癖だから仕方ない・・・


存在を許す神様は優しい。
そんな「落ちこぼれ」用に社会を用意してくれた。
それが「もう一つの社会」だ。
「もう一つの社会」は、一つだけじゃないようだ。
存在、全ての社会が用意されていたようだ




(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする