どんな生き方であれ、最後に覚悟が出来ると楽だろう。
そういう想像はできる。
そして、その身体の生命力を大切に使った結果なら・・・
身体は自然に無理なく解けていくのだろう。
そういう想像はできる。
断定はできない。
まだ、私は生きているし、死を味わっても個としてのみだ。
生き方と最後の時については、また別に書いてみる。
ただ、正しく生きれば良性な死につながる。
あるいは、天国に行ける。
そういうのは、勘違いか、意図的な扇動言葉だろう。
父の死からは、いろいろな気づきがあった。
シーズン中は、申し込んだ講座の事など忘れていた。
春休みが終わるとシーズンも終わる。
父の葬儀でバタバタしていた四月初旬、一通の葉書が届いた。
申し込んでいた講座の案内だった。
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