水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
生命力が大きい。
生命力が多い。
生命力旺盛。
そのイメージ・・・。
筋骨隆々。
スタミナ抜群。
イキイキ、ハツラツ。
弾ける行動。
固定概念ってそんなものだ。
一般に言われている事。
見た目と結果で判断。
見た目も結果も表面なのだ。
内や底は結果に結びつかない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
常識は劣っているが有る。
小さな狭い思考も有る。
とらわれている意識も有る。
常識外と狭い常識が混在しているのだ。
ワシのライフワークは生命の活性。
生命をどう観るか、はとても重要。
そんな大切なポイントなのに・・・。
狭い常識の部分があったのだ。
生命は巨大な山だ。
単純に一つの観方はできない。
そんな事は知っている。
知っているのに表面を見る。
固定観念ってヤツはやっかいなのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
真実を見る目など持ってない。
何しろ、真実ってヤツがわからないのだ。
正体を見抜く目も無い。
正体なんて興味ないからだ。
社会的能力は劣っている。
当然、常識ある目も曇っている。
だがワシは「氣」のプロではある。
相手を氣で観るのは、当たり前に出来る。
表面など最初から気にしてないのだ。
これは外流の観方だ。
外流は本流じゃない。
一般的に説明はできない。
感覚で観るのだ。
説得力は無い。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
表面を見て、内部を観る。
まぁ、面白そうな観方ではある。
外面で判断できるようになれば観方も一流だ。
だが一流を目指すのはやめよう。
観方など副産物だぜ。
見えないモノを観るのだ。
共通の観方がある。
(肩の)力を抜く。
素直になる。
だから、観るのは難しい・・・。
もう一つの観方がある。
ワシは当然一流ではない。
二流でもない。
三流でもない。
外流だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
生命力の活性とは何か。
この山は巨大だ。
いろいろな観方がある。
その観方にも基本がある。
表面にとらわれない。
これは共通する観方だ。
いつでも大切なのは内にある。
更に大切なモノが底にある。
内部や底が表面にも影響する。
それも確かにある。
だが表面から内や底を観るのは難しい。
表面は見てしまうからだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
生命力の活性が主軸だ。
山は幾つもの上り道がある。
道じゃなくても上れる。
上り方も幾つもある。
上れば、それが道になる。
先達の道もある。
オリジナルの道もある。
生命は巨大な山だ。
無数とも思えないが、幾つも道はある。
その実践と伝達が仕事だ。
結果として病が消えたりする。
上った証で笑顔が増える。
仕事の喜びの大きな一つだ。
笑顔を得る前に縁が切れる事もある。
仕事の辛さの一つだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
変なもんだなぁ。
迷歩状態を書き始めたはず。
状態は変わらないのに・・・
迷いだけが消えてきた・・・
壁は消えなくても迷いは消える。
壁と迷いは別々な出来事。
ならば、問題は無くても迷いは生まれる。
何も無くても、迷いは生まれる。
迷うなんて、当たり前なんだ。
迷いが消えるのも当たり前なんだ。
病と同じだ。
病が生じるのも消えるのも当たり前。
全てが日常茶飯。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
遠くを見る。
遥か遠くを観る。
計り知れないモノに想いを寄せる。
そんな解決法もあるのだ。
迷いは近くしか見ていない。
頭をうなだれ、下を向いている。
空の色、雲の形など想いもしない。
山の色が変わった事にさえ気づかない。
時は流れ、万物は変化する。
道も壁も変化する。
自分の身体や心も変化する。
未来も変化するのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
考え方や解決法をパターン化する。
それまでの固定概念で判断する。
便利で誰にも使いやすく説明しやすい。
だが、外れたモノに出会うと対処できない。
迷うのだ。
迷うのは固定概念にしがみつくからだ。
マニュアルで解決する病もある。
それは問題ない。
だが、現実は病み人は増えている。
解決できない病みや迷いが多いのだ。
全てが解決なんて出来ない。
だが、解決出来るモノがある。
出来るのに、出来ない。
視点が違う。
方法が狭い。
固定化しては出来るモノも出来ない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
考え方を一つにする。
原因を見つけて対処する。
原因が同じなら、型でマニュアル化できる。
マニュアル化できるモノは他に教える事ができる。
素質は問わない。
適切も厳しくない。
基本的には誰でも出来るようにする。
誰でも同じ答えになる。
だが・・・この世は多種多様だった。
考え方も多種多様なのだ。
正しい方法を決めると争いになる。
あるいは、邪法とする。
科学的というのは、一つの考え方だ。
それだけを正法とすると歪みがでる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)