水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
個と全体。
対極にあるわけじゃないようだ。
個になると、全と共通する。
だが、個の集まりの集団は全と対立する。
例えば人間種という集団。
例えば国という集団。
例えば同じ考えの集団。
例えば組織という集団。
それらは他の生物と対立する。
他の存在と対立する。
その結果が今の地球の状態だ。
全て人間の集団の行いだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
人間界の尺度。
自然界の尺度から外れている。
生命の尺度から外れている。
他の生物の尺度から外れている。
ところが恋愛すると・・・
自然界、生命、他の生物と同調する。
仲間になれるのだ。
人間は仲間外れの不出来な種だったのに・・・
恋愛は極めて個人的な世界。
それが、全ての世界に通じてしまう。
この世の仕組みはヒネクレているのだ。
社会的な行動や考えは、逆に他から外れることが多い。
社会とか公とかは、人間中心のモノだからだ。
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生命を中心に観る。
すると、アバタもエクボも関係ない。
美人もソレナリも関係ない。
金持ち貧乏関係ない。
恋愛すると判断が狂う。
だが、元々偏った人間の尺度だ。
狂うのがバランスになる。
間違いが、間違いでなくなる。
アホな思いと行動の恋愛。
それは人間社会の尺度だ。
生命の尺度では適正かもしれない。
好きになれば、それが正解。
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アバタがエクボに見える。
更に深く観ればいい。
アバタもエクボも大した違いは無い。
どちらも顔の凹みだ。
タヌキに聞いてみればいい。
鳥に聞いてみればいい。
虫達に聞いてみればいい。
アバタとエクボに違いがあるか?
恋愛における勘違い。
実は勘違いではないのかもしれない。
人間の社会的な価値観では違いがある。
だが、人間の価値観など、どうでもいい尺度だ。
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最も大切なモノ。
それは生命。
最も大切な行い。
生命を育て、繋ぐ事。
それ以外の事などオマケだ。
どんな大層な理屈を付けてもオマケだ。
生命を殺す。
生命を繋げられないモノ。
それは本末転倒の愚文明文化だ。
冷静に見れば、アホな行いと考えの恋愛。
だが、人類の文明文化よりは高度だ。
正しさ、正義を求めた争い、戦争よりマトモだ。
アバタがエクボに見えるのは、崇高な勘違いなのだ。
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未だに戦争がある。
毎日殺し合いが続いている。
殺しの道具が工夫される。
相手を確実に殺す。
多く大きく破壊する。
地球上の人類を幾度も全滅できる。
便利と効率のよいモノが文明だ。
今の文明の力は急激に発達した。
だが、これが高度なモノとは言えないだろう。
オナゴが毎日生む生命。
文明とは関係ない。
学問や文化とも関係ない。
だが、これこそが高度な仕組みだろう。
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人間が成した事。
特にオトコが成した事。
発明、発見、文化、文明・・・
オナゴが成した事と比べようもない。
子孫を妊娠、育てる。
生命を繋ぐ。
生物では、オトコが脇役なのだ。
オトコの仕事など、生命からはチンケなものだ。
この世で成す事。
オトコは大層な理屈を言う。
だが、どんな仕事も恋愛に劣る。
恋愛というマトモじゃない病に劣るのだ。
オトコ共よ、事実を素直に認めようぜ。
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恋愛はこの世の生き方を教えてくれる。
正しさを追いかけるなよ。
そんなものは、あの世で追いかければいい。
あの世なら、どうせ時間はたっぷりある。
(というか、時が流れてないかも・・・)
この世で真実など追いかけるなよ。
そんなもの、この世では無理だ。
時間が足りない。
この世は、もっと違うモノを追いかけるのだ。
命短し(この世の時間は限られている)
恋せよ(間違えて、少し狂って、他と交流せよ)
乙女(生命はオナゴが主、オトコは副)
この世に生まれたってのは、こういう事だったのね・・・
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「六根」と「六識」が狂うのだ。
感覚器官からのニューロンは狂って中枢に伝える。
中枢も負けてはいない。
私だって狂って判断してやる~
冷静に判断すれば、大したことがない人間だ。
ロクデモナイ人間も多い。
ワシもロクデナシ族の一人だ。
だから、狂う必要がある。
欠陥を長所と勘違いする。
欠点を魅力だと思い込む。
究極のプラス思考・・・・
恋愛って、慈愛に満ちている・・・
一時的で終わるけど・・・
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意識が何処にあるか、という話だ。
脳だけにある、という科学。
全てにある、という古の智恵。
勝負は決まっている。
(って、勝負してたのか!)
細胞に一つ一つに意識がある。
これが「六根」が狂う前提だ。
「六識」だけじゃないのだ。
これは、優れた人達なら常識だ。
故手塚治虫師も「火の鳥」などで書いていた。
アバタもエクボ。
恋愛すると、どうして、そう見えるのか?
この説明をしている。
アバタ心もエクボ心に感じるのだ。
(過去のプログは本館
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