ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

時代を変える You Tube

2025年03月31日 | IT関連
2025年も3カ月経過。この2025年は何かと区切りの年のよう。

ラジオ放送が始まって100年
終戦(敗戦)から80年
オウムサリン事件から30年
You Tube 設立から20年・・・

米国の動画サイトYou Tubeの出現はネット社会の中でも大きな影響をポポロ(人びと)に与えたと思う。

私は比較的早くYou Tubeのアカウント登録をし動画のアップを行った。
SANYOのXacti=写真=というハンディ動画カメラを使って演奏会や高校野球などをアップした。編集機能もそこそこで、単純に撮ったものを載せていただけ。個人情報の承諾なども気にせず良き時代だった。
それでいて今は、自撮りで動画を頻繁に発信する人も多い。「You Tuber」という言葉も職業も無かった。

この4月、ピカピカの小学一年生になる孫が、一人でYou Tubeを器用に検索しているのには驚いた。いくつかのひらがな入力で、マンガアニメを楽しんでいる。この子たちの将来はどんな社会になるのだろう。横で見ていてたのもしい反面、ハラハラもする。
これからは情報リテラシー教育をしっかりしないと、と強く思う。

25年度から中学校で使われる道徳の教科書に、人気ユーチューバーのヒカキンさんが登場するという。どんな内容なのか見てみたいものだ。


太田高校応援団(校歌) in 前橋
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安らかに眠るな

2025年03月04日 | 政治
評論家の佐高信(さたかまもと)さんが、長く共に社会運動を行ってきた「戦友」(彼は、あえて“闘友”と呼ぶ)の一人、内藤隆さん(弁護士)の昇天を自身のコラム欄で追悼記事を寄せている。『佐高信の視点』(「社会新報」2025年3月6日)

同じく闘友で、弁護士の内田雅敏さんからの弔意のことばも紹介している。
人が本当に死ぬのは、その人のことを知っている人がいなくなった時だという。彼は逝ったが、彼の家族はもちろん、友人、同志の心の中で生き続けている

そして佐高さん自身は「闘友を送る時にいつもあえて言う。安らかに眠るな、共に闘い続けよ」と。

皆さまが覚えてくださっているうちは「意識」の中では現役「存命」。安らかに眠ってはいられませんな、ご同輩!(笑)


【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

Rock This Town
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想像と異なる「情報Ⅰ」

2025年01月23日 | 教育・文化
今年から大学共通テストにあたらしい科目「情報Ⅰ」が加わった。
この試みは興味深いものでした。さっそくどんな内容だったのか試験翌日(1月20日)の新聞紙上の問題と解答に目を通してみた。

参照図からみるとセグメントLED、ディスプレイ上の対象物、スーパーのレシート、一万円札、千円札の枚数変化、データやグラフに基づく出題など・・。

新聞の文字は小さくて目が疲れますが、自分でも挑戦してみました。
それにしても問題の文章量が多く、限られた時間では読解力が必要。

内容は数学と国語のテストのような感じられる。期待していた社会性を問う情報リテラシー的なものは見当たらい。「情報」の文字から受ける事前の想像とはかなり異なっていた。

情報Ⅰとあるから情報Ⅱもある。前者が必修、後者が選択。たぶんこれからも情報Ⅱは共通テストの対象にはならないようだ。新学習指導要領として第一回目の「情報Ⅰ」、もちろん過去問はない。学問としての体系づくりも未知。これからさらに練ってほしいところ。
初めての今回は、けっこうパズルのような要素もある内容だった。

国立大学の志願者は原則として「情報Ⅰ」は必須の位置づけ。実際活用率は国立大97%、公立44%、私大は僅少だったという。

自分がもし受験生だったら、どうやら
好きにはなれそうにない科目になるような気がした。
受験生のみなさん、ほんとうにご苦労様でした。


【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

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長谷川テルのエス語平和精神

2025年01月19日 | エスペラント
きょうの毎日新聞1面3面は、当「ポポロ通信舎」の姉妹版になっていただいたかのような紙面内容で、たいへん好感が持てました。

「『熱い血を誤って流さないでください。皆さんの敵は海を隔てたこの地にはいないのです。お元気でどうか生き抜いてください
1938年から41年にかけ、中国の戦場で、若い日本女性の声が繰り返し響き渡った...反戦放送の声の主は、当時20代の長谷川テル...」(毎日1/19)

女性平和運動家としての長谷川テルの名を知る人は、けっして多くはないと思います。毎日紙上では、長谷川テルをエスぺランチスト(エスペラント語を使う人)として略歴を紹介。さらにエスペラントについても創始者のザメンホフ博士にさかのぼって説明している。

ベトナム反戦で抗議焼身死した由比老人

私の記憶では新聞紙上に「エスぺランチスト」の文字が大きく見出しになったのは1960年代後半、ベトナム戦争に抗議し首相官邸前で焼身自殺を図った由比忠之進さん以来かもしれない。当時、マスコミや学生たちの間では「由比老人が亡くなった、エスぺランチスト老人だ」と話していた。今調べるとその老人齢はなんと73才だ。(話がソレました)

岸田から石破政権。軍事費の拡大には歯止めがかかりません。その目的もミサイルによる敵基地攻撃の強化としており、国民のコンセンサスを十分に得ないまま前のめりで進められている。専守防衛に見合った適切な軍備は最小限は必要でしょう。しかし一方で食糧安保(農業)を犠牲にし原発を増設するなど国土保全・国防の在り方としてはとても合点が行くものではありません。

きな臭さが増す近頃の政治情勢の中、毎日新聞の記事は、テル研究者の言葉から「今こそ、反戦平和のために闘ったテルの思想と行動を振り返る必要がある。テルの言葉は100年たっても古くならない」と結んでいす。

「エスぺランチスト」

「長谷川テル」

これを機にチェックしていただければ幸いです。




長谷川テル
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それぞれの「ひとり日和」

2025年01月15日 | 研究・書籍
この年末年始に小説を一冊読みました。
『ひとり日和』青山七恵著。2007年の芥川賞作品。

主人公の「私」は20才になるフリーター。親戚の一人暮らしの70才になるおばさんとの同居生活。そこでのゆったりした日和(ひより)の日常が無目的な失恋をも癒してくれる。

おばさんの名前が荻野吟子さん。日本で最初の女医、埼玉県熊谷市妻沼出身の荻野吟子女史と同姓同名だ。それもそのはず著者、青山七恵さんも同郷の人。そこには親しみを感じた。しかしストーリーのさいごは職場の既婚者と不倫になるような予感・・。

何とも風に吹かれて生きているような締まりのない若者を描いた作品です。

小説とは?
芥川賞とは何なのだろう?

日和(ひよ)りな若者たちを写実的に描いたという点では評価される作品のようにも思えます。

ひるがえってそう言う自分とは?
小春日和のなかで世情を思索できる、それだけでもありがたいこと・・。


 
われらgooブログも再び立ち上がりました。
本年も「ポポロ通信舎」で懇談できれば幸いです。よろしくお願いします。


【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔


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フリカン ナビジャロン 2025

2025年01月14日 | エスペラント
Felican Novjaron Por vi !
(フリカン ナビジャロン ポー ヴィ)
【謹賀新年 Popoloポポロのみなさん】

サイバー攻撃から始まる年明けに

今年もエスペラントで新春のご挨拶を申し上げます。
昨年末から年始にかけてサイバー攻撃が相次ぎました。日本航空(12/26)三菱UFJ(同)りそな(12/28)みずほ(12/31)、そしてNTTドコモ(1/2)。当gooブログはNTT系。ポポロ通信舎も1月2日午前からつながらなくなりました。きょうは14日、久々に回線が復旧しました。とても長く感じましたね。あらためて「新年開通しましておめでとうございます!」の気分です。
この間、心配されてメールや直接お声がけをしてくださった訪問者の方々には、ありがたく感謝申し上げます。引き続きご閲覧くださいますようお願いいたします。

それでは遅れましたが、国際語エスペラントの創始者ザメンホフ博士の詩『道』の一節でスタートいたします。


うまずたゆまず
種をまき、種をまく
のちの時代を考えながら・・・
百の種は滅びても
千の種は滅びても
いつもかわらず種をまき、種をまく

「おい、やめろ!」
といって人々は笑う

「やめるな、やめるな」
と心に聞こえる

「がんばって進め!」
孫たちが祝ってくれるのだ
しんぼう強く、しのいだならば

今年は、第二次世界大戦からちょうど80年目となります。欧州と中東での戦争は、今も続く。国連も世界の英知もこの無益な醜い戦争を止めることができない。

「国家による暴力の犠牲になっているのは市民(ポポロ)だ。ウクライナでは民間人1万2千人超が死亡し、ガザの死者約4万5千人の過半は女性と子どもだという」(毎日新聞元日社説)
人類の野蛮さをあらためて感じる年明けです。少数派、ザメンホフ魂で2025年も辛抱強くしのいでいきたいものです。よろしくお願いいたします。



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

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「虎と翼」で「総力戦研究所」知る

2024年12月16日 | 研究・書籍
今年の朝ドラ「虎に翼」は、社会性のある好ドラマでした。

当ドラマに触れた、開戦83周年の12月8日の毎日新聞の『余録』も良かった。

余録では「NHKの連続テレビ小説『虎に翼』で取り上げられた戦前の首相直属機関『総力戦研究所』が米国と戦争した場合の分析を内閣に報告したのは1941年8月末だった・・」と。

私も「虎と翼」はいつになく欠かさず観ていましたが、このドラマで「総力戦研究所」の存在を改めて知り関心を持ちました。

主人公の寅子(伊藤沙莉)の人生にとって大きな存在となる裁判官星航一(岡田将生)は性格こそ温和なものの本心は決して表さない暗い過去をもっていた。それは戦時中、重要な国家機密に関わっていたからだ。そこでは日米開戦を想定した机上演習を行い日本の敗北を確信。その結果を報告するも上層部は耳を貸さず、日本は敗戦した。航一は戦争を止められなかった責任を感じ、ずっと後悔にさいなまれていたのだ。(NHKドラマ・ガイド虎に翼)

当時の軍部や官僚らの中堅・若手精鋭がデータを基に進めたシミュレーション結果は「日本必敗。戦争が長期化し、最後はソ連参戦で行き詰ることまで予測した(毎日・余録)

「ウクライナやガザ地区で戦闘や攻撃が続く。戦いがいったん始まれば、止めることがいかに難しいか。戦争を始めても、始めさせてもならない。このために何が必要か。戒めが重みを増す「開戦の日」だ」(同余録)

強硬派の勢いに消されて

一般に歴史を振り返るとひとたび戦争や紛争が起こると、それを止めようとする勢力=和平派は、戦争継続強硬派に抹殺されてしまうことが多い。

徹底抗戦論の方が勇ましく大義に忠実でどこまでも正当に見えてしまう。一方、和平派は臆病者、さらには裏切り者とまで言われかねない状況に置かれる。平時の頃のような冷静な議論がいつの間にかできなくなる。異常な戦時下では、戦況がどうであろうと興奮し高揚している好戦的なタカ派を前に周囲も同調してしまう雰囲気になってしまう。

これまでも和平交渉を進めようと努力する指導者が、自軍の同胞によって消されてしまうケースも少なくない。昨今においても次第に強硬継続派を前に和平を言い出すリーダーも減ってきているようにさえ感じてしまう。何とも悲しい話です。

もうすぐクリスマス。ガザやウクライナ他各地の紛争地域でクリスマス休戦、正月停戦、名称は何でもいいですから「戦闘終結」のプレゼントをいただきたいものです。



ricca & 448 The Cruel War 悲惨な戦争 PPM ピーター ポール & マリー / ricca&448
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9回出撃、不死身の特攻兵

2024年11月15日 | 研究・書籍
「生きているだけで価値がある!」
「生きててくれよ!死にたくなるような世の中やめたいですよ!」
山本太郎(れいわ新選組)の絶叫フレーズ。


「生きているだけで」の言葉を聞くとわたしは、若くして亡くなった特攻隊員のことを想ってしまう。
人それぞれに歴史あり。それにしてもすごい人生だ。佐々木友次=敬称略=(陸軍伍長)、9回出撃、9回生きて帰った特攻隊員。

不死身の特攻兵』(講談社新書 2017年)鴻上正史(こうがみしょうじ)著、軍神はなぜ上官に反抗したか。驚きの実話でした。

「貴様、船はどれでもいい。見つけ次第突っ込め!」と度重なる帰還に怒り罵倒した参謀長・・。その参謀長とは終戦後、帰国し市ヶ谷の第一復員省でばったり。詫びるわけでもなく平然と復員係官におさまっていた。殴っても殴り足りない奴だったが、ぐっとこらえた佐々木。
わたしがこれまで知識としてもっていた「特攻隊、特攻兵」の実像を、本書はより深く、内情を解説してくれた。著者の取材力には敬意を表したい。特攻隊研究には必読の一冊と思う。

終戦後、“特攻軍神”佐々木は生きて故郷に帰ってきた。マニラから栄養失調状態で函館に着く。そこで見たのは若い日本の女性がアメリカ兵とふざけあっている姿。戦地では米軍が上陸すれば日本女性たちは貞操を守って自決すると話していた、しかし・・・。「何のための体当たり攻撃だったのか!」

死んだはずの軍神が故郷に戻ったことで、「お前帰ってきたんやか」と素直に喜ぶ母、それとは対照的な父。国(役場)からは、支給された死亡賜金3000円の返却を求める連絡があり勲章とともに返納する。

わたしは映画『あゝ、江田島』の印象が強く、特攻は海軍兵学校や陸軍士官学校の学生が中心かと思っていた。士官学校は2年、大学より短く年齢も若くして参謀にもなるという。特攻は一般学生出身の予備士官や20歳前後の予科練、下士官も多かった、とも。

度重なる出撃でも命を落とさなかったのは、戦場では「むだに死ぬな!!!!」と励ましてくれた善意の上官、岩本大尉の存在。佐々木に同情してくれた整備兵が命令違反覚悟で、本来の攻撃方法=爆弾投下操縦できるように機体を整えてくれていた。

生還できたのは佐々木友次が攻撃の目的は死ぬことでなく、敵艦にいかにダメージを与えることではないかの強い信念を持ち上官に抵抗、それにまれにみる操縦技能に秀でた人であったからだ。

特攻機を先導し成果を見届ける直掩機(ちょくえんき)が飛んでいたことも本書で知った。4回目の出撃では直掩隊長が同情してくれた。その時は特攻機1機に、なんと直掩機6機だったという。


「この国で一番偉いの誰?」
「皆さんですよ」「自分は生きてていいのか」「生きててくれよ!」
「死にたくなるような世の中やめにしたいです」

時代を超えて、秋空に山本太郎の言葉が「特攻隊」を想うこころにしみます。合掌。


 



私の孤独Ma Solitude/ジョルジュ・ムスタキGeorges Moustaki
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お米不足とあきたこまちR

2024年09月06日 | 経済
<ポポロ君(以下ポポ)とステラさん(以下ステ)の対談 テーマは米二題>


ポポ「ステラさん、こんにちは。お盆を過ぎたころから急にお米がお店から消えてしまいましたね。最近では棚にカップ麺類などもその影響で少なくなっています」
ステ「こんにちは、ポポロ君。ほんとにびっくりね。トイレットペーパーやマスクなども一時は消えたりして、物不足の深刻さは突然やってくるものなのね」

ポポ「ほんとうに米が不足しているかな?」
ステ「お米が不足しているのは、ウソではないようです。食料品全体が値上げしている中でお米の消費は増えている。豪雨災害、台風、暑さによる高温障害などもきっと原因ね」

ポポ「自給率向上にも不熱心で国民の食に責任をもたない今の政権では、米の輸入や米の増産管理は農家や農業団体の自己責任にされているのが実際の姿です」
ステ「豪雨災害や高温障害に苦しめられお米の産地では農業を離れる人たちがどんどん増えるのも無理ないことね」

あきたこまちRとは

ポポ「もう一つお米に関する話で『あきたこまちR(アール)』が来年2025年産からこれまでの「『あきたこまち』から切り替わるということ」
ステ「なに、それ? Rってなんのこと?」
ポポ「Rはリニューアルやリボン(再生)などを意味付けたようですが、カドミウムを減らす(Reduce リデュース)ということが特長でしょう」

ステ
「これってさらによいお米なの」
ポポ「そう信じたいところですが、化学的な手法で変異させたお米の安全性が心配だという不安や反対の意見は多いです」

ステ「そんなに急がないで、みんなの不安を取り除いてからでもいいのではないかな、あきたこまちはこれまで十分優秀なんですから」
ポポ「そう思います。米不足もそうですが、食や農に対しては頼りない今の政府ですから私たち国民・消費者がしっかり勉強し注目していかないと、と思います」

ステ「そうですね!」




【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

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2024 暑い夏を生きる

2024年08月26日 | Weblog
生きるとは

行動すること

愛すること

そして苦悩することか・・・





色あせた古いノートに書かれたブルーのインクの文字。
短編小説らしきものも書いていた!今読むと、何とも気恥ずかしい。
とても人様にお見せできるようなものではなく、子や孫たちにも無用な駄文の書きものだ。

太宰治の影響をかなり受けていたのだろう。文体が彼を模倣している。この種のノートはすべて廃棄処分にしよう。お道化の苦悩の歩み、すべて「断捨離」がよく似合う?

さて小学5年からの日記をどうするか、当然破棄なのだろうが、まだ思案をしている。

暑い夏です。ポポロ通信舎にお越しの皆さま、ありがとうございます。いかがお過ごしでしょうか?
このような日本の夏がやってくるとは、これまでの自分の歩みからは考えも及びませんでした。もしエアコンがなかったらこの酷暑のトンネルをくぐり抜けることが果たしてできたでしょうか。

好きだったあのさらっとした夏風の音は、今どこに行ってしまったのでしょう。ご自愛ください。

【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔


世情 [Sejou] / 中島みゆき [Miyuki Nakajima] Unplugged cover by Ai Ninomiya
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先生が忙し過ぎ!全国中学大会縮小賛成

2024年07月04日 | 教育・文化
<ポポロ君(以下ポポ)とステラさん(以下ステ)の対談は2年ぶりです>

ポポ「ステラさん、こんにちは。2年ぶりですね、塩野義の国産ワクチン開発急げの話題以来ですね。結局もたもたしているうちにコロナ騒ぎは終息しました」
ステ「こんにちは、ポポロ君。コロナの時は何もかもが暗中模索な感じでした」

ポポ「きょうは中学生の全国大会のお話をしましょう。中学生の日本一を決める「全中」のなかで2027年以降は、水泳や体操、相撲など9競技を廃止しようということです」

ステ「賛成です。これまで部活を指導する先生の負担が多すぎました。土日に試合があれば、その引率に行く。先生が長距離ドライバーとなって遠方の他県の会場に行くことにもなっているようです」

ポポ「ぼくも全中は縮小・廃止でいいと思います。生徒の意欲をそそがぬ対応を
(毎日新聞6/26社説)などとという声もありますが、生徒の意欲に影響はないでしょう。それは大人(親など)の願望のように感じます。ぼくは剣道部でしたが市内大会で優勝し、その後に県大会で負けた経験がありますが、それでも十分満足でした。ステラさんはどうでしたか?」

ステ「私は“帰宅部”でしたので勉強一筋でした(笑)帰宅部の全国大会はありません(爆笑)」

ポポ「それにしても今、先生の職場環境が厳しい。仕事量が多くてブラック職場ではないかと言われるほど。メンタルをやられている先生も少なくないと聞きます」

ステ「長時間勤務が常態化しているんですね。部活の顧問をされていた先生がバスの運転免許や審判資格を取るために受講料や交通費を自分で負担したという話もあります。教職員の4人に3人が「自腹」の経験があるんですって」

ポポ「定期的なクラス通信なども必要ないものが多いように思う。授業以外の形式的な報告書や庶務作業が多すぎます」

ステ「先生たちの悲鳴や声を組合がしっかり把握して改善してもらいたいところですが」
ポポ「かつての元気だった教組も今は連合傘下に入り弱体化しています。新任教員の組合加入率も低調になるわけです」

ステ「なんだか先生になる人、たいへんそう。私たち、これまで誰もが先生にはお世話になってきたしいろいろ教えていただき尊敬している職業ですが、最近の先生たちを取り巻く環境を知ると気の毒になってきました」

ポポ&ステ「がんばってください!先生たち!!」



【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔

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今を大事に、自然にゆだねる

2024年06月18日 | 医療・福祉
世の中は 今日よりほかはなかりけり
昨日は過ぎて 明日は知られず

今という 今こそ今が 大事なり
大事の今が 生涯の今


故中村仁一医師の『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書2012年)の詩の一節です。大胆な提言です。
副題は「自然死のすすめ」、著者71歳頃の書。

がんについて「何の手出しもしなければ痛まず穏やかに死ぬ。年寄りには、がん死が一番のおすすめです」「がん死は“死刑囚”である私たちに近未来の執行日を約束してくれている」とも。

私も身内を含めがんによって痛み苦しんだケースを身近にみています。手術、抗がん剤、放射線の治療で一旦は鎮静化させても再び更に武装化したがんの残党が逆襲してくるということもあった・・。

幼い子どもさんや若い人たちと老人とでは、がんへの対処法も明らかに異なります。『70歳からは大学病院に行ってはいけない』(和田秀樹著)でも似たお話を読みましたが、いずれも対象は70歳位からの高齢者に向けての金言でしょう。加齢によって病気が増え重くなることはごく当然のこと、自然の摂理と思います。

高齢者にとっては「早期発見の不幸」「手遅れの幸せ」・・
がんや難病をどうとらえるか、それへの対処法をいかに選択するか。そのようなことを議論できるだけでも幸せです。昔も今も戦争や災害で亡くなっていく人たちのことを思うと治療や生き方について、いかに選択するかを考える猶予の時間をいただいているだけでも、そのありがたさに感謝したいと思います。

枯れている植物に肥料をやりつづけるか、人間の場合無理に苦痛を与えていることをしてはいないか。一年草は花を咲かせて種ができると枯れる。これらを著者は自然界の掟(おきて)と言う、まこと同感。

人間の生命には誰も限りがある。死を止めることはできない。自然死、それがいい。自然の神々しさを気づかされ心穏やかになる書でした。

尚、著者中村仁一先生は2021(令和3)年肺がんでお亡くなりになっています。合掌。


 


きょうの曲は70年代の英国ブリティッシュサウンド10CCのI'm not in love 
矛盾に満ちた少年の恋心です♬

10cc - I'm Not In Love (1975)
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『痛くない死に方』とは

2024年05月14日 | 映画・芸能
映画『痛くない死に方』をみました。

2021年日本映画、柄本祐、坂井真紀他。

それぞれの人に、それぞれの死のかたちがある。青年在宅医と平穏死を選んだ患者、そしてその家族の終末期ストーリーでした。

標準治療を断って『痛くない死に方』選んだにもかかわらず、そのようにはならずひどく苦しむケースもある。

病院は患者をカルテでみるが、町医者は「物語」でみる。患者の人生、交友関係なども含めて理解しようと。
「おぼれるような死に方」ではなく終末期は「枯れるように死ぬ」かたちを理想としたいと医師たちは語る。先輩医師が、「在宅医に一番大事なことは、人間を好きになる事だ」とも。

宇崎竜童が扮する団塊の世代の患者とのやりとりが面白かった。彼と在宅医(柄本祐)の川柳の交換が、場面をリズミカルなものに変えた。ユーモアは大事です。ユーモアを忘れちゃだめですね。

「あの世はきっと良いところだろうよ、だって(住み心地がいいのか)誰も行ったきり帰って来ないもの(笑)」


【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



映画『痛くない死に方』予告編
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農基法改定と食糧安保

2024年02月26日 | 経済
「農政の基本方針を定める食料・農業・農村基本法が25年ぶりに見直される。食料安全保障を新たな柱に位置付け、供給不安をが生じる事態への備えを拡充する・・」。本日2024/2/26の毎日新聞社説から。

農業で生計を立てる基幹的農業従事者は、過去20年で半減、平均年齢は70歳近い。
食料の自給率は38%、肥料種子、燃料の輸入依存を加味すれば実質自給率は10%の低さだ。

「農業界の憲法」ともいわれた農業基本法が制定されたのは1961年、農業と他産業との所得格差是正が目的でした。しかし制定からこれまで、農家の多くが離農もしくは兼業化し都市に流出することになってしまった。農業基本法は途中、1999年に「食料・農業・農村基本法」に交代した。このたび岸田政権は「食料・農業・農村基本法」の改定案(新基本法)の提出を試みている。

食料自給率を見ても日本の食と農は海外の食糧戦略に、してやられた情けない状態です。まさにこの分野も“失われたシリーズ”の「失われた60年」版といえそうです。

現行基本法では「食料自給率」への言及がありましたが、今度の改定案では「食料自給率」の言葉がない。自給率の向上はすでにあきらめているようだ。

「主食米の生産を抑えて米価を維持する現在の政策は、食料安保と矛盾する」(毎日・社説)。新自由主義的な発想で農業を見てはいけない。仮に海外との競争力が乏しくとも自国の農業は、生存・防衛上守らなければならない。

原発は燃料を海外から調達、そしてひたすら稼働を続けむき出しに乱配置。さらに食料も深く海外に依存しているようでは、もし有事になったらどうなる?わが日本はイチコロの状態に置かれるのではないでしょうか。

私たち日本で暮らす者の生存にかかわる大事な食の法案が、いつものようにどさくさ紛れで通過しないよう注視していきたいものです。


写真:館林の農家のタヌキさんたち

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中島飛行機の終戦

2024年02月25日 | 研究・書籍
『中島飛行機の終戦』(新葉館出版 2015年)を読んでみました。著者の西まさるは1945年東京生まれ。群馬出身でない中島研究者であるところに興味を持った。
本書は愛知県半田市にあった「中島飛行機半田製作所」の終戦時の業務資料を中心に調べている。当時オール中島で25万人、半田製作所にはその約一割2.6万人が働いていた=動画ご参考

創業者の中島知久平は、豪快な人物で社内は「自由闊達な雰囲気」だったようだ。どことなく三洋電機の創業者と中島飛行機小泉製作所のあとに進出した「自由闊達な社風」の東京三洋電機をも連想させられた。

中島知久平は、早くから軍艦中心を改め航空機に戦力を転換することを主張していた。「アメリカとの国力の差は段違い、戦争は無謀」「米軍の大型爆撃機が量産されれば、日本は焼け野原になる」の発言には憲兵隊が逮捕を検討したとも。今になれば彼の予言は的中していたということになる。

学徒動員と朝鮮人徴用工
本書の第4章「学徒動員と朝鮮人徴用工」は半田製作所の徴用工の記録から、今なお論争の絶えない徴用工問題を解く上でのヒントも得た。

朝鮮半島からの徴用工は「応徴士」(おうちょうし)と呼ばれ、手配師(募集業者)によって朝鮮半島から集められて来た人たちだ。作業内容は会社の指示によるが、直接の雇用関係はなく派遣社員というよりも、外注先、下請け先だ。中間には「組(親方)」が入る。手配者も組もまとめ役は、応徴士の尞の近くの民家に住む。いずれも朝鮮から同行した人たちだ。半田市内の国民学校(今の小学校)には412人の朝鮮人児童が在籍。親は中島飛行機や関連の清水組(清水建設)で働き子供たちは学校に通っていたという。学校でも地域でも庶民レベルでは大した違和感もなく生活していたと当時の住民は語る・・。


平成になり賃金の未払いと慰謝料を求める訴訟が出ているが、「組、親方」を通していたので「未払い」が生じるというシステムにはなっていなかった・・。

中島飛行機の創業者には、大空を仰いでのロマンがあった。いずこも一代目はスケールが大きい。本書では中島飛行機の戦後、苦悶の再建への歩みを記録している。
「中島飛行機」をもう一つ、別な角度から読ませていただき理解を深めることができた。(敬称略)



 


中島飛行機半田製作所
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