新春にあたり、自分の人生を振り返ると、第一志望には常にハズレ、第二、第三の選択で今日まできた、と思います。
小学校のお受験(親の期待に沿えず地域の公立校入学)からはじまり、その後の進路あらゆる面で、第二志望(又は以下)でありました。
しかし、それで良かったと今、思う。もし第一志望のまま進んでいたとしたら自信満々で・・。それに第一志望は、どこか自分に無理があります、能力、相性。それだけにそれを維持するために、時間も過度に集中し別な意味で自己抑圧しなければならなかったような気が・・。不合格は天の声で理に合っていたようにも。
失敗、失恋、敗北、喪失、どれも一時的なもので、返ってNGでよかったと後々思うのではないでしょうか。
「敗者の哲学」かもしれませんが、おのれを知る、ということのようにも。
小学校のお受験(親の期待に沿えず地域の公立校入学)からはじまり、その後の進路あらゆる面で、第二志望(又は以下)でありました。
しかし、それで良かったと今、思う。もし第一志望のまま進んでいたとしたら自信満々で・・。それに第一志望は、どこか自分に無理があります、能力、相性。それだけにそれを維持するために、時間も過度に集中し別な意味で自己抑圧しなければならなかったような気が・・。不合格は天の声で理に合っていたようにも。
失敗、失恋、敗北、喪失、どれも一時的なもので、返ってNGでよかったと後々思うのではないでしょうか。
「敗者の哲学」かもしれませんが、おのれを知る、ということのようにも。