東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼(28) 鉄絵の皿(蓬莱山?) (白井半七作)

2010-07-24 22:02:44 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010573 裏にたて長の四角の中に「半七」という陶印があります。また、陶印の部分だけ象嵌のように違った色の土になっています。

いったい何代目の半七の作なのか、、?

焼成時に入ったと思われる亀裂が数か所、。作った当人として、満足のいく作であったのかどうか?

半七の代々について知りたいですが、教科書となるようなしっかりとした本が見当たりません。

絵柄としては、古代中国で東の海上にあったと言われていた「蓬莱山」なのでしょう。霊亀の甲羅の上に存在し、金や銀の堂宇が建っていて、仙人が住んでおり、不老不死の薬があるとか、しかし、実際に行った人はいないとか、、。ごくおめでたい絵ということになります。

今戸で活躍した最後の半七は7代目。8代目は関西に移住後に襲名した人。9代目が最後の半七。関西移住後の半七についてはまだよく知りませんけれど、関西の本場の茶人に評価され、趣向や工芸的な技巧に凝った人というイメージを持っているので、このように渋いというか、がさつな感じのするものを作ったのかどうか、、。

7代目の半七や6代目の作例というものはわずかですが見ているし、陶印も見てはいるのですが、この皿にある印とも違うような、、、。わかりません。


窯出し

2010-07-24 20:06:45 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010558 一回目の素焼きが終わってやっと冷めたので、窯出しをします。

この天気の中では暑くて辛いです。着ているものがあっという間にびしょ濡れになってしまいます。

残っている土人形の木地を早く焼きたいところですが、半端な量で焼くのも勿体ないので、今干しているものも加えて、窯いっぱいの嵩になってからはじめようと思います。

これらの土はすべて志茂の工事現場からもらってきた土で焼くと、赤みがかった色になります。

もっと下流の土だともっとみかん色になるんでしょうね。私は車の免許を持っていないので残念ですけど、本当の今戸土で作ってみたいです。しかし、この土、正真正銘の東京の土ではあるのです。


赤土山

2010-07-24 19:57:43 | ご近所

2007_0101_000000p1010565 仕事場を出て、少し気分転換。

ここは小学生の頃よく遠征していたところ。小学校の友達の間では「赤土山」の名前で通っていました。でも「八幡山」という人もいました。

公にはてっぺんに「若宮八幡神社」という祠がお祀りされているので「八幡山」でしょうか。祠のそばに大きな銀杏の木があるのは、昔ながらです。

昔に比べると木が鬱蒼とした気がします。以前はもっと禿げ山のようだったような、、。赤土の上を段ボールを敷いて滑って遊びました。山の裏側もすっかり木陰となって遊歩道までできています。子2007_0101_000000p1010564 供の頃この辺りにいくつも防空壕が残っていて、そこいらに怪しげな雑誌が散乱していたのを思いだします。

そういえば、当時あけびの蔓が茂っていて、春に若芽を摘んでおひたしにして三杯酢で食べました。

私の小学校の学区域だと「八幡山」といえば、ここなのですが、隣の赤羽小学校の学区域になると、赤羽の八幡神社を指しているんです。


猫さんも大変

2010-07-24 19:45:54 | おともだち

2007_0101_000000p1010568_2 土いじりの仕事場のそばの日陰でゴロンとしたしろちゃんの子供。お母さんのしろちゃんには一昨日会ったのですが、この子はいつもこの辺りにひとりでいます。

赤ちゃんのときにはそんなにでもなかったのですが、大きくなってから猫さん同志でも、ひどく控え目というか憶病な感じになってしまったようです。

私の部屋にも来ますが、いつもおどおどしています。

お母さんや兄弟も留守のようですが、猫さんたちにはこの暑さ、私たち以上に辛いことでしょう。夜中少しでも涼しくなってくれるといいです。