東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

世田谷ボロ市 2016

2016-12-15 23:56:57 | 日々

 毎年のことなのですが、この時期際に追われた人形作りで、寝不足や腰痛なでで正直辛いのですが、「ボロ市」だけは何があっても寄ってみたくて、出かけてきました。何が好きかといえば、世田谷の高層ビルや建造物に区切られていない広い空の下に並んだ露店を眺めて歩く気安さが昔から好きだからです。いわゆる骨董屋さんなども出店はありますが昔に比べて「おお!」と感じるようなものにはここでは出会うことは少ないです。それよりも自分にとっての実用になるもの、、「古着」とか「人形作りの助けになりそうな素材や道具」に出会う可能性はあるかもしれないという期待はありますね。それと食べ物。「骨董屋」さんの露店には拾いたいものはありませんでしたが「古着屋」さんにはサイズに合うものがあってよかったです。例によって「たこ焼」を立ち食いして、昨年と同じ店で「グリューワイン」とクッキーを頬張って帰ってきました。

 神棚屋さんの露店。郷土玩具とか郷土人形とは別のものですが、「神酒の口」とか「小絵馬」とかは素材的にも造形的にも好きなもの系なので気になります。

 この「小絵馬」は図柄はプリントのようですが、形状というか形式というかは昔ながらのものと言えますね。もともとお願いごとがあれば、雑貨屋さんとか荒物屋さんなどで自分で買って願掛けや神棚へのお供えとして使うのが本来なので、有名な神社仏閣とか観光地で記念やおみやげに授与するものではないのです。そういう意味で昔ながらな絵馬です。「向かい狐」はお稲荷さま、「鶏」は火伏で荒神様、「ネズミ」は大黒様のご眷属。

 別の露店での「鶏」の「小絵馬」描き手というか「作っているところ」が別のようです。

いつものように世田谷線。昔の緑色で壁や床が木で油臭くてブーンというモーターの音のレトロな電車ではなくなっていますが、この画像の電車の塗装デザインはもしかすると伝説に聞く、玉川電車の「ぺこちゃん」と呼ばれた車両のそれを写したものではないでしょうか。高校は明大前に通っていたので当時から学校の帰りにお金もないのにボロ市に寄り道していたのが懐かしいです。


浅草 納めの観音 羽子板市 2016

2016-12-15 23:33:17 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 画像は13日夕方の浅草雷門。毎年のことですが、浅草橋「顔が命の吉徳」さんに拙作の人形をお納めに出かけた帰りに撮りました。まだ5時過ぎだったと思いますが、もう真っ暗になっています。今年も例によって12月17日(土)・18日(日)・19日(月)の3日間「浅草 納めの観音 羽子板市」が開催されます。吉徳さんのご出店の場所は観音堂に一番近いところだと思います。例によって、吉徳さんの露店内で羽子板の横に拙作の人形を並べていただきます。今戸人形はもともと浅草の観音様の境内で露店で売られていたという歴史なので、実際に観音様の軒先近くで並べていただけるというのは、作っている本人にとってはこの上ない喜びです。また当然ながら、「招き猫発祥の地」として丸〆猫(まるしめのねこ)は嘉永5年(1852)に「浅草三社権現鳥居横」でお婆さんによって売り出され大流行した、という記録(武江年表・藤岡屋日記)に記されているとおり、観音様の境内で登場したものなので、拙作の丸〆猫を並べていただけるというのは歴史の追体験のようでわくわくしています。

 また羽子板市は「歳の市」のひとつのようなものでもあると思うので、今年は「福助とお福」「恵比寿大黒」なども置いていただくようお願いしてます。いずれも今戸焼の土人形のレパートリーの中でもポピュラーであったもので、「福助」は落語「今戸焼」のサゲに出てくるもの。「恵比寿大黒」は「稲荷の狐」「裃雛」と並んで今戸で最も多く作られていたいわばベスト3のひとつです。

 お近くの方、お時間ございましたらご高覧いただければと思います。自分の思い入れでは日頃作っている人形を歴史的にも所縁の場所で並べていただけるのは、学校の児童生徒さんにとっての「学芸会」「学習発表会」「文化発表会」のような感じのもので一年の流れのなかでもとても楽しみなものだと感じています。

 例によって定点カメラのように毎年いつもの位置で絵ビラを撮影しようと思ったのですが、今年は同じ位置には見当らなかったので、近くに貼られているものを撮ってみました。


干支の酉(鶏)づくり⑪ 「諫鼓鶏」(かんこどり)

2016-12-15 21:11:30 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 5つ目の「諫鼓鶏」(かんこどり)。やっと色を塗ってみました。型抜きしているところは既に記事にとりあげてみましたが、生土のままの状態と素焼きの状態、そして彩色した状態ではやっぱり印象が違うかな?と感じます。

 「一文人形の諫鼓鶏」は幸い自分の手元に実物があったのでそのとおりやってみたのですが、同じ構図でもっと大きな「諫鼓鶏」も今戸に存在し、それから型抜きによって「一文人形」になったのでは、、という仮定で伏見人形系の人形がお手本になっているのではないか、、という想定でモデリングしました。

 その後、「太鼓に乗っている鶏の姿」はどこかで観た憶えがあると記憶を辿ってみたら、複数の都内の近世遺跡から同じ構図で「江戸在地系」の土質でできているものがあったことに気がつきました。つまり、この鶏単独の姿は伏見人形系の人形からの型抜きによって今戸で作られたいたということは確実です。今戸のそれらはおそらく土笛のようで脇腹部分に「ポンス」状(粘土をくりぬいて穴をあける道具)の孔がひとつ、底には串状のものであけた孔がひとつあるので、おそらく笛なんだろうと思います。

 

 彩色については全くの手探りで塗ってみましたが、できるだけ昔風というか、古風な時代の今戸人形らしさを狙いたいと思っていますが、塗ってみたこの配色は完全に時代考証的に正しいとは思ってはいません。反面今戸らしい色の取り合わせを意識して、時代考証的なものと矛盾するかな、という自覚もあります。

「植物煮出しが使われていた時代のパターン」「天保以降の顔料中心のパターン」「明治以降のパターン」などイメージとしては変わってくると思いますが、画像の配色は「いいとこどり」になっています。太鼓の配色ひとつとっても時代によって塗りそうな色が異なりますが今回は古そうな時代を意識して正面の「三つ巴」の色は意図的に「朱」「くさのしる」「紫土べんがら」風な色にしました。「赤」「ビリジアン」「バイオレット」か「モーヴ」など、もっと鮮やかな色もありますが、そこは古風さを意識しました。太鼓の胴の部分は植物煮出しの「きはだ」と「すおう」を掛け合わせて塗るという選択肢」もありますが、今回はやはり古風な感じの「黄土」で塗り、不思議な模様をつけてみました。古い「今戸人形」の画像を掲載している本があり、その中に「諫鼓鶏」ではなくて「太鼓乗り童子」が載っていて、その太鼓の胴には不思議な模様。「黄土」の地色の上に胡粉の白で模様を描き、縁を朱色で囲んだものでした。ムーミンの「ニョロニョロ」みたいな形状だという印象ですが、その掲載されている本が我が家にはあるのに、整理が悪くてみつからないので記憶でやってしまったついでに「宝珠」も加えてしまいました。「変な模様」に見えるかもしれません。古い沖縄の人形などにもありそうな模様です。一種「キース へリング」のストリートペインティング作品にも似た印象です。

 裏側は表と同じに「三つ巴」でいいと思いますが、「諫鼓鶏」であることを強調したくて、蔦が絡んでいる様子を羽子板の裏絵のように描いてみたいと思っていたのですが、あまり描き込むと重ったるくなって不自然かと思い、黄色で薄く塗るに留めました。(薄墨でもよかったかも?)

太鼓の枠の鋲は金色に塗りたくなることろですが、白のほうが落ち着いているかと思いました。最近ニュースでアメリカの次期大統領さんのお宅の普請の写真を見て、成金っぽく金きらすぎて嫌だな、、と思っていたのがひきがねでもあります。

 これでとりあえず5種類の干支の酉(鶏)を塗ってみたところですが、まずは「浅草観音 羽子板市」にならんでくれることを最優先に塗ったところなので、まだ塗っていない素焼きはこれから塗り足していきます。