しばらく作っていなかったのですが、久しぶりに犬を作ってみました。前回の戌年の干支用に作ったのがはじめてで、最後の生粋の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった人形をお手本にモデリングしたのですが、当時年の瀬ぎりぎりだったため大きさがお手本よりも大きめに仕上がっていたのでした。今回やっと縮小してひとまわり小さくなりました。都内の近世遺跡から、こうした姿の犬はよく出土しているので、安産への呪いとの関係での需要が少なくなかったのだと思います。尾張屋さんのものと同じサイズの明治出来の犬は首輪が群青色になっているのも観たことがあります。
頭から尻尾までのちょうど背骨に沿ったラインに型の割目が延びているのですが、案外シンメトリーになりにくい型です。そういう意味では尾張屋さん作の犬も左右いくらかいびつだったりします。難しいモデリングだと思います。
この手の犬張子風の四つん這いの犬は近世遺跡から結構出土しているのを見ていますが、恥ずかしながら考古学者の論説部分はあまり読んでいないので、いつから?と問われると即答できません。視覚的なことは案外憶えているのですが、学究肌ではないのです。耳や脚は画像の犬型から抜き出した時点では下駄の歯のように前足後ろ足一枚ずつなのを切り針で脚の間を切り出してなめすのです。尾張屋さんの型はそうやってできているのですが、出土の犬の中には耳を手びねりで後づけしているのもあったように思います。張子や練り物製の犬張子の場合も脚の取り付けとか面倒なやりかただったよに思います。ご注文くださりありがとうございます。作っている身としては、作ったものを欲しいと仰ってくださるのがこの上なくありがたいです。お時間お許しくださいませ。
そう言えば、知り合いの骨董屋さんに犬張り子犬コレクターがいます。彼がお菓子の型のような犬張り子犬の型を見つけたのを見せてもらいましたが、確か4匹くらい並んでいて、縦に3つくらいに分かれる型だったと思います。それを使って犬張り子犬をつくり、「うまくできたらあげるからね」と言われたのですが、やはりコツがあるようで、なかなか粘土がうまく入らない、入ったら抜けないようでした。
いつでもかまいませんので、よろしくお願いします。