東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

落語 「今戸の狐」から

2010-05-12 23:09:54 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010387 皆さまご存じの落語「骨の賽」(今戸の狐) 。

以前、知人から寄席の招待券をもらうことが多かったので、割とよく出かけたものですが、この演目は生で聞いたことがないんです。古今亭志ん生師匠所演のCDだけは持っていて聞いています。他の演者のは知らないのですが、細部など違うのでしょうか?

あらすじについては、私などが今さらと思うので省略します。2007_0101_000000p1010388 ここでは、噺の中に出てくる今戸焼の狐について長年不思議に思っていることを記したいと思います。内職で狐の絵付けをしている場面。これは昔、今戸焼の陶工の中に「木地屋」と呼ばれる人がいて、土人形の素焼きまでを専門として、業者が素焼きを仕入れ、別の人間が内職で色付けしていたという話と内容が合います。

噺の一番終わりの場面で、遊び人が勘違いして良助の家に上がり込んできて、戸棚の中の狐についてのやりとりで「金貼り」「銀貼り」という言葉がでてきます。遊び人にとっては「金張り」「銀張り」という博打の符牒が良助が内職で仕上げた狐の仕上げの種類との「金貼り」「銀貼り」と重なってくるところが面白いところですが、この「金貼り」「銀貼り」に相当する今戸焼の狐を私は未だかつて見たことがありません。金箔や銀箔を土人形の一部に貼りつけるのか、それとも全体に貼りつけるのか、、?箔を立体に貼りつけるのは結構面倒な作業のはずです。

2枚目の画像の手前に見える小さな狐のひとつ、黒ずんで見えるのは、これはまがい金泥(真鍮粉)を膠で溶いて塗ったものです。金泥には赤口、青口とあって、いずれも塗ったときにはきれいに輝いていますが時間が経つと酸化するのか真っ黒になります。こうしたまがいの金泥による仕上げは、歳の市で売り出される恵比寿大黒や寒紅の売り出しのおまけの紅丑などによく見られ、またこのような小さな狐に塗られる作例は見られます。しかし箔を貼ったものは見たことがありません。あるいは、どこかに残っていたら、後学のため、見せていただきたいと思います。

画像の狐たちは、今戸焼でお稲荷さんの奉納用に作られた「鉄砲狐」(一説に形が鉄砲の弾に似ているから)と呼ばれるもので、今戸で最も作られていた型のひとつです。地元浅草・下谷のお稲荷様はもとより、都内各地、成田山新勝寺の出世稲荷をはじめ下房一帯、相模のお稲荷様でも見かけていますし、埼玉県内でも、、。また東松山や熊谷付近、秩父地方では今戸の鉄砲狐を真似たよく似た狐も見られます。今戸には他にもたくさんの狐の種類はあったのですが、数の多さからいっても、噺に出てくる狐はこの型のものではないかと思います。作り手もたくさん、大きさもいろいろあったようですが、こうして並べてみると型も微妙に異なり、色も泥絵具だったり染料だったり、面描きのタッチも違います。お人形の吉徳さんに伝わっている天保年間の人形玩具の色手本にも配色が示されていて、台座のしましまは丹と群青、狐の足元は黄色(石黄?)と指定されています。2007_0101_000000p1010209

塗りが新しいものでも、型自体は台の低い型が古い型であると、誰かに聞いたことがあります。

3枚目の画像は私が再現を試みたものです。

ちなみに「骨の賽」ならぬ「土の賽」は今戸で作られていたようです。

なお

落語「今戸の狐」のあらすじや解説については

茶屋金兵衛さんのブログをご参考になさってください。

当ブログ落語「今戸焼」についての記事はこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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5 コメント

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見事に複製されてますね。。 (義臣)
2010-05-14 10:21:36
   驚きです。

私も気になって飾り棚を見ると 酒田の町で買いこんできた

「鵜渡形」が有りました、、お陰さまでもう一度ジックリ見つめて、、

あの日を思い出してました。
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義臣さま (いまどき人形)
2010-05-14 18:22:08
コメントありがとうございます。
いろいろな土地を旅行されて、各地の伝統的な人形や玩具をお持ちのようですね。
言葉の綾なのですが、複製、復刻と言われれば、それまでなのですが、自分では
再現という言葉を好んで使っています。
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再現ですね 納得 いい言葉ですね、、、 (義臣)
2010-05-14 19:55:01
今日は浅草へ 行ってきました。
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義臣さま (いまどき人形)
2010-05-14 23:18:31
コメントありがとうございました。
本日浅草へお出かけになられたとか。
三社祭のはじまりというニュースを見ましたが、さぞ賑わっていたことでしょう。
浅草は用事で出かけることの多い土地ですが、人混みの中を歩く事に最近
堪え性がなくなって、裏道ばかり通っています。浅草の方には失礼ですが、昔
しゃも料理の金田があった辺りに白波五人男のオブジェができたりするのは何だか
あざとい気がして、、。しかし考えてみると、あざとさというのは浅草の昔からの特質なのだとも考えられますね。昔の六区の古い写真など見てもかなりあざといです。でも昔の浅草には憧れます。
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 おはようございます。 (茶金)
2010-05-18 06:10:38
 落語の「今戸の狐」関連でお付き合いさせていただいておりますが・・・落語に登場する良助は、初代 三笑亭可楽の住み込みの弟子ではなくて、通いの弟子になった訳ですね。

 昔の噺家ってのは厳しい世界で、落語だけでしか飯が食えなかった訳です。今の噺家のように、落語もやらずにテレビのバラエティ番組に出てるような連中は、みんな破門になりました。住み込みの弟子なら食住付きですから困らないのですが、通いの弟子は、食うために内緒で今戸焼の彩色のアルバイトをする訳ですね。

 良助はあくまでもアルバイトなんで、土人形を作ったり焼いたりした訳ではなくて、内職先から色の塗られていない素焼きの無色の狐を仕入れて、それに色を塗る内職を隠れてしていた訳ですね。

 落語には「金貼り銀貼り」が出て来ますが、これはあくまでもサイコロ博打のキツネに引っ掛けている訳で、金箔や銀箔をキツネに貼った訳ではないはずです。そんな技術をアルバイトの良助は持っているはずがありません。あくまでも、金色や銀色の絵の具を塗ったと云う意味だと思います。
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