この数年、複数の人様たちから、親子狸を作ってみたら、とお勧めいただいて、はじめたところです。いつものように、いきなりお手本の定寸を狙うという器用さは自分にはないので、大きめにはじめて、モデリングの修整や親狸の背面の「福壽」の陰刻を入れながら小さくしていこうと思います。だだいま一番型から抜き出して様子見しています。完全に乾燥していませんか、高さ5.7センチくらい。お手本の親狸は高さ4センチくらいです。まだ「福壽」の文字は入れていません。
神田川畔に鎮座する柳森神社の親子狸。「たぬき」→「他抜き」の語呂から勝負ごとを心願で祈願したとか、親は家にお祀りして子は包んでふところに入れて祈願したとか読み知ったような気がします。直接柳森神社へお詣りしたのは30年くらい前ではなかったか?秋葉原駅のホームから見えるくらいの位置関係ではあるけれど、駅を降りて、中央通りで万世橋を渡ってから中央線と山手線のガードを潜って川端まで近いようで直線的なショートカットのない道順で、それがタイムスリップしたかのような感じのする境内の雰囲気をつくっていたように憶えています。
戦前は最後の生粋の今戸人形師だった尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)がお作りになったものが授与されていたのが、戦後は他の人の手による狸が授与されていて、自分がお詣りしたときも同様のものをいただいた。絵馬の屋形型に親子の狸の図柄のスタンプを押した中質紙をたとうのように折った中に狸を入れて授与されていた。狸は甘いものが好物だから、お供えしてください、とハチミツキャンディーひと袋添えていただきました。
他の神社の授与品に比べると戦前戦後のギャップか少ない安定した作行きでした。社務所のお婆さんの話では日暮里あたりで作られているとのことでした。
そしてつい最近、神社からの授与がもう行われていない、という話をはじめて聞きました。
尾張屋さんのようにできればいいですが、どうなることか…。
ありがとうございます。その後仮に「福寿」の陽刻を施した2番型に進んでいますが、サイズの調整に時間がかかるかもしれません。といいますのも、たぬきだけに集中したくともあれこれ課題が山積していまして、あっちも、こっちもという状況なのです。手掛けたからにはいずれ仕上げて、とは考えていますが、できるだけちかいうちにとは思ってはいますが…。
試行錯誤を重ねながら製作されているということが分かりました。
旧作以上の作品が出来上がるのを大いに期待しております。
10数年も前のこと、今は亡きお袋との会話の中の「今戸焼」を、ふとつい最近に想い出し、3文字のキーワードだけで辿り着いたのが「丸〆の猫」でした。なんとも味わいのある土人形とお袋の思い出が重なって、東京キッチュさんから戦前型を即買い。偶々在庫があってそれはそれは喜びました。生まれは三ノ輪で今は沖縄。展示会など是非に伺いたいのが叶わずに残念です。せめて作品を求めさせて頂くことに私の思い出も重ね、いまどきさんへの気持ちを向けさせて頂きます。先日、「招き狐」をキッチュさんにお願いしておきましたが、時間はどうぞごゆるりと、出来上がりを楽しみにさせて頂きます。偽作など問うまでもなくどうかお励み下さい。南の島から応援しております。