東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

「江戸博以外に今戸人形は存在しない」!!!

2012-07-18 09:01:49 | How strange 江戸東京博物館

P1010737今戸焼の土人形好きな私にとって未だ忘れることのできないショッキングな言葉です。

今から20年以上前になるでしょうか、このブログでもたびたびご登場いただいている今戸焼の土人形の生粋の最後の作者といわれる尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた人形が一括して春吉翁の娘さんである花さん、お孫さんの武佑さんから江戸東京博物館へ寄贈されました。

画像の江戸博の調査報告書に中にはこれら寄贈された尾張屋さんによる本物の今戸人形について写真入りで採り上げられています。

この報告書が発行された前だったか後だったか、葛飾区立郷土と天文の博物館というところで、葛飾区に残った今戸焼屋さんについての資料を中心とした展示が行われ、その中で江戸博に寄贈された尾張屋さんの人形数点が出開帳のように展示されたので観に出かけました。

その期間中に今戸焼についての講演会があり、その終了後、講師として出席されていた江戸博の学芸員の先生(ドラマの水もれ甲介に風貌が似ていたような)から言われたことには、「郷土玩具や人形の趣味家が今戸今戸と言っているが、江戸博の今戸人形はれっきとした作者の家に保存されていたものだから「今戸焼」だと認められるが、趣味家の手元に残る人形などは出自がわからないから「今戸焼」とは認めない」つまり「江戸博以外には今戸人形は存在しない」ということになりますね。このお言葉は学者さんの姿勢として理解しようと思えばできますけれど、私は学問のために今戸焼が好きなわけではないので正直ショックで今も引きずっています。 このお言葉を更に続ければ、まず、趣味家の手元に残っている尾張屋さんのお人形、またはそれ以前の明治出来、江戸出来の今戸人形は存在しないことになる。例えば、当ブログでこれまで画像でご紹介している今戸人形は学芸員先生のご判断では尾張屋さんの家に残っていたものではないから今戸人形ではない。

この理屈でいえば、仮に江戸博に収蔵された尾張屋さんの人形と全く同じ型の人形が私の手元にあってもそれは今戸人形ではないことになるんでしょうね。また、尾張屋さんは当時江戸博に寄贈された種類以外にもいろんな人形をお作りになっていたのは事実ではありますが、学芸員さんはそれらは認めないのでしょうね。それと、尾張屋さんと同じ時代に今戸で人形を作っていた「鈴木たつ」さんや「加野とく」さんらによる人形は実際存在するのだけれども、学芸員さんは認めないことでしょう。そうすると、江戸博にある以外は今戸人形は存在しないのだから、それ以外の形や色のものは一切この世に存在しないということ、、、?これ以上今戸人形についての種類だとかはないんですね。あと、この先生の書いた記事で気になるのは、戦前の愛好家雑誌の存在について記しておいて「信用できない、怪しい、内容についてある程度割り引いて読むべきだ、、、。」と書いてあるんですが、それならば怪しい部分を具体的に訂正して記せばいいのに、端から怪しいと決めつけるのはちょっと抵抗があります。戦前のことなど今ではわかる人もいないわけで、間違った記述もあるかもしれませんけれど、その間違いをはっきり具体的に示さないで怪しいとは決めつけられないと思うのです。活字にするのならその辺りを、、、。

私は頭悪いし、学者ではないし、考古学、民俗学などの心得もありません。でも今戸人形かどうか、百発百中とはいえないまでも、見分けることはできると思っています。

個人的な意見、お立場からのご発言は人によっていろいろ違うと思います。私は今戸人形はみればわかると思っていますし、戦前の文献の記述は具体的な間違いの指摘がない限り信じるしかないと思ってます。学者ではありませんから、、。これはひとつの個人意見。

さて結局何が言いたいかというと、お立場によるご発言の影響力という危惧なんです。学者の先生同士でお話になられたりすれば、「江戸博以外に、、、ない」というお話は常識的な筋道なんでしょうけれど、こうしたご発言を耳にし、文字になった記事を読む人間が全て学問の徒とは限らない。でもどえらい本など執筆なさる、その道の権威の方がそう言えば、「そういうものなんだ」と思ってしまうもの。「今戸人形は江戸博にしか存在しないんだと、、、、。」何だか空しくなってきます。お立場だからそう発言なさるということは頭ではわかるんだけれども、、。尾花沢のすいか畑で目の前で収穫されたすいかは「尾花沢すいか」と認められるが八百屋にラベルを貼って並んでいるすいかは尾花沢の畑で収穫されたとしても「尾花沢すいか」とは認められないのと同じ?

私は感情の生き物で感情的心情的に今戸人形が好きです。

この報告書に中身についても「えーっつ?」という箇所があるのでまたの機会に個人の意見としてとりあげてみたいと思います。

江戸博「今戸焼」報告書の変な部分について執筆者に代って訂正してみました。→

追記 その後この担当学芸員とその奥様によりとんでもない罪がなされていました。→


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いまどきさん。その学芸員の方は「今戸焼」を「今... (都月満夫)
2012-07-18 20:44:14
いまどきさんの「今戸焼」に対する情熱は、私などにはわかるはずもない境地にまで達していると、このブログを読んできた者として確信しています。
したっけ。
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いまどきさん、ご無沙汰して申し訳ありません。猛... (ちば)
2012-07-18 21:06:17
さて、その学芸員は○カなんだと思います。その理屈で言えば、日本にある李朝の焼物も、アメリカに渡った浮世絵も、全て本物ではないということになる。そういう新説を学会で発表して、笑いものになればいいのだと思います。
まぁ趣味界や骨董業者の言いなりになって真贋を惑わされることを恐れてなのか、あるいは自分の手元にあるものだけを「本物」と決めつけて価値を高めたいかのどちらかでしょう。ただし、こうした美術品とは認められないような市井の手仕事の多くは、専門の研究家ではない趣味人らの深い探究心と高い見識によって見出され、消え去る前に世にその姿を伝え残してくれたものです。それが日本の文化活動にどれだけの厚みをもたらしてきたことか。
その学芸員の発言はすぐに忘れ去られるでしょうが、いまどきさんのお仕事は江戸東京の文化を継承するものとして、必ず後世の評価を受けるものと確信しています。
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都月さま (いまどき)
2012-07-20 06:02:41
コメントありがとうございます。言われたこの一言に対する衝撃というのは、もちろん感情的なもので、この先生のように学問という崇高なレベルにないということは自分でわかっているつもりです。この先生は江戸東京博物館というお城のご家老様くらい偉い人だと思います。そしてこういう私はいわば、肥桶を担いで歩いている。全然住む世界が違うんです。世間というものはどちらの言うことを理解しようと思うでしょうか。パワーが全然違うんです。または水戸の黄門様が「この紋どころが目に入らぬか!」と言って印篭を掲げる。その印篭には「写楽画の市川蝦蔵の眼」が描かれている。そしてみんな「ハハーッツ」と膝まずくんです。
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ちばさま (いまどき)
2012-07-20 06:24:09
お久しぶりです。学問の世界というのは客観的なデータをもとに思考展開されるもの。だから、江戸博は寄贈を受けた人形は出所確かだから「今戸人形」と認めるが、一般の人間の収集物として残っている尾張屋さん作その他の今戸人形はどういう経緯で伝わっているかわからないからダメだと言っているんでしょう。学問というものは「混じものが入ってはいけない。」そういうことなんでしょう。でもこのご家老様に認めて貰わなくとも今戸人形は存在するんです。でも考えてみると客観的な論理を推し進めるんだったら「世間には今戸人形を愛好する人達がいて、伝・今戸人形と言われているものがあるようです。しかしそうしたものは出所がわからないので、江戸博としては今戸かどうか判断しかねます。尾張屋さんから直接寄贈があった今戸人形は出所が確かなのでこれらは今戸焼だとはっきり確認ができています。」くらい丁寧に言ったらいいと思います。上記「世間には~しかねます。」までを説明しないで「江戸博以外には存在しない。」と言い切る態度こそ、ネオ主観のようで、客観を重んじる崇高な学問のモラルから外れやしていないかと、、、。、(本分中の「郷土玩具や人形の趣味家が今戸今戸と言っているが、江戸博の今戸人形はれっきとした作者の家に保存されていたものだから「今戸焼」だと認められるが、趣味家の手元に残る人形などは出自がわからないから「今戸焼」とは認めない」という箇所については皆様にわりやすくお伝えするために補足した台詞であって実際は「趣味家の~」以降が実際口から出たものとご理解ください。)それと戦前の趣味家雑誌に関してのの記述は何が怪しいかをしっかり説明もなしに怪しいと決めつけて報告書に活字にしているのもこれもスーパーウルトラ・ネオ主観すぎはしませんでしょうか。読む側には何がおかしいのかさっぱりわかりません。私のような頭の悪い人間でもわかるように説明するのがご家老様はじめ学芸員の先生方の社会的な役割(社会教育)なのではないでしょうか?江戸東京博物館ではこの件以外にも嫌ーな思いをさせられたことがまだあるので、これは私の主観と感情での発言ではありますが、江戸東京博物館って「ショッカーのアジト」みたいに感じられます。そして私はショッカーにはずかしめられた「アルプスの少女ハイジ」のような気分です。これは学問ではありませんので客観性は必要のない発言で構わないと思います。
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江戸東京博物館の学芸員の先生様方ならびにご家老... (いまどき)
2012-07-20 07:27:58
お願えしますだ。
個人所蔵されている出所のわからない人形に「今戸人形は存在しない。」のであれば、同様に出所のわからない他所の博物館園所蔵の「伝・今戸人形」についても学問としての誤りを訂正させるべくご指導くださいまし。
知っている限りのところを記しておきますので是非是非それらの館園へも「今戸人形と表記するのはいけないことだ」とご指導ご鞭撻くださいまし。

調布市立博物館・中野区立山崎記念博物館・京都府立総合資料館・新潟県柏崎痴児の家・日本玩具博物館(兵庫)・福島県三春町立資料館(らっここれくしょん)、龍野市立博物館、嵯峨野人形の家、、まだまだあると思いますがわかったら追記してお伝えいたしますので何卒社会教育向上のため世直しにご尽力くださいまし。

佐倉宗五郎ことアルプスの少女ハイジより

追伸:台東区立下町風俗資料館所蔵の「狐拳」「三方狐」「口入狐」の5体につきましては平成3年に金沢武佑さんが自らご寄贈くださったものですのでご心配には及びません。

また「今戸人形」ではございませんが、作者の家から寄贈されたものではない出自のしっかりしない堤人形や花巻人形などその判定方法について誤りを訂正するようご指導されては如何でしょうか。
仙台市立博物館・花巻市立博物館etc,,,,,
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いまどきさんの残念なお気持ち、あ然とされたお気... (ウリ坊)
2012-07-21 19:37:19
いまどきさんは、ご講演を頼まれたり、学会で発表されたり・・・色々な活動をされているのでお忙しいでしょうが、機会があれば江戸博を訪れ、その学芸員の方(が、まだおられたら)の誤りを訂正してあげればいかがでしょうか。
誰でも間違うことはあるので、学芸員の方が、今後、恥をかかないように、教えて差し上げるのが親切かと思います。
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ウリ坊さま (いまどき)
2012-07-22 22:45:46
ありがとうございます。
仰るとおりなのですが、これは人と人のコミュニケーションのとり方が根本にあることだと思いますつまり相手ははじめから上から目線なんです。私は市井の人間でただ今戸焼に興味があってもっと知りたい、観たいという気持ちだけは強いですが、学問的体系で学んだわけでもなく、聞きかじり、読みかじり、観たという経験、あとは実際に自分で追体験することで今戸焼の近くに近ずきたいという思いでいっぱいです。ですから学問の世界の方に何かを伝えるという能力もありませんし、第一その世界の人たちの価値基準からは取るに足らないおじさんにすぎないわけです。本文に記した内容のように、江戸博の先生にお目にかかったのはただの一回ですが、その一回でこういう思いを受け未だにその呪縛から抜け出すことができないということは、初見の人間にそうした内容の発言をされたその先生の感覚に打たれたものです。当のご本人は他人にそういう感覚を与えたということに関して何とも思っていないでしょうし、当然のことを言ったとお思いでしょう。学問の方法で当然のことを言ったと。しかし私のほうはその世界の人間ではないので受けた言葉が感情のほうを刺激されたわけです。それ以前から特に今戸の人形について知りたい観たいと思い続けてきたわけで、当時尾張屋さんのお作りになられた人形に接する機会などほとんどなかったのです。それでも当時所蔵されていらっしゃる親切な方が見せてくださったり写真に写させてくださったりという機会があって人形について知る道筋はいただいていました。
実は江戸博物館に尾張屋さん作の今戸人形が金沢家から寄贈されたことのきっかけは、当時私も人形や今戸について知る道筋を与えていただいていたU氏という方が金沢家と江戸博とのあいだに仲介に入って実現に至ったのでした。まだ寄贈の進行中だった頃は、そのU氏からお話を聞いたり、寄贈の品にどんな種類のものがあったとかなどお話に聞いて、早く江戸博で展示され具体的に目にできる機会というものを楽しみにしていました。また報告書が発行されることも楽しみにしていたのです。それまでは上記のように古い今戸人形を所蔵されている方から見せてもらうことで種類や名前を自分の頭の中にインプットして今戸人形の特徴というものを把握しようとしていました。そして葛飾での江戸博所蔵の人形の出開帳。そこでこういうことを言われたショックというのは、それまで知りたく観たいと歩いてきた努力というか労力そして意欲を全て否定された更には自分自身がくず扱いされたも同然でした。このように感じてしまったのは私のほうで言った本人はそのつもりもなかったというのも方便、つまりは江戸博への寄贈に入ったU氏も含めて趣味家、好事家というレベルで否定されたわけです。それも今戸人形に特別興味も持っていなかったくせに俄に学芸員という立場でそこにいた人にです。江戸博の学芸員という立場と学問の方法といものを武器にして町人を嬲り蹴った。そのくせ言うような理屈は人形を扱う他の博物館に対して同様に主張、指導しているのかといえばそうした様子は見られない。これって立場を利用したパワーハラスメントのひとつととも考えれれませんか。こういう屈辱感というのはおそらく理解してくださいというのが難しいかもしれません。趣味家の世界といのはもの集めに終始して学問になっていないという部分は否定できませんが、尾張屋さんの今戸人形が一度明治の終わりに廃絶し、関東大震災のあと再開し、戦前までの一時期まとまって製作され今日に残っているのは当時の趣味家愛好家の支持があったからこそともいえます。それをいとも簡単に否定できる学問って怖いです。このところ土いじりしながら俄にこの葛飾の屈辱が思い出されてきて、個人ブログの記事としてとりあげてしまったのですが、同時に自分がある方に対して恩知らずなこと、恩を仇で返すようなことをしているのかという思いも持っていることを記しておかなければと思います。このある方は現在土人形作りに関していろいろとお世話くださっている方なのですが、この方は先述の江戸博の学芸員の身内の人なのです。その方には私のような人間に対してお世話くださっていることに感謝していますし、このような記事がその方に対するものではないこと、学芸員本人とその方とは別の人格でありその方が不愉快な思いをされることを意図しているわけではないことをお伝えしたいです。しかし上記の話は私にとって未だに呪縛から離れることができないことで、タイムリーに今その呪縛が体内で起こってしまっているのです。
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 江戸博に関しては、われわれ東八拳界もあるとき... (るん馬)
2012-07-24 13:49:46
 江戸博の調査報告書1号には、「東八拳に関する一考」という小論文が掲載されているんです。つまり、東八拳を学問の対象としてとりあげてくだすった訳です。これは、現時点では国内では唯一のことだと思います。
 海外では、ウィーン大学のセップ・リンハルト博士が東八拳を含む日本の拳遊びを研究され、1998年に『拳の文化史』(角川叢書)を上梓。この研究を元に、1999年にはたばこと塩の博物館で、特別展「ジャンケン・メンコも拳のうち」展が開催されています。

 江戸博の調査報告書を書いた学芸員は、故 東川舎鶴丸師(=東翁斎)に取材をしています。この鶴丸師と言うのは、最後の幇間(太鼓持ち)と呼ばれた、櫻川善平師の拳名です。東八拳の名人で、昭和初期に睦會の横綱になり、戦前・戦後を通して東八拳界のために活躍された方です。

 恐らくは上記の縁による鶴丸師の遺言に基づくのだと思いますが、鶴丸師が亡くなられた際に、ご遺族は鶴丸師旧蔵の東八拳関連の資料(明治以降の番付や軍配など)を江戸博に寄贈しようとしました。東八拳の番付は、大相撲の番付などと異なり、もともと関係者にしか配布されないものなので、刷り数がすくなく、震災や戦災をくぐり抜けて現存しているものは極めて少ない、皆無と言っていいくらいです。
 しかし、なぜか断られてしまったそうです。その後その資料は落胆したご遺族によって廃棄されてしまったとも、古書店を通じてたばこと塩の博物館が収蔵したとも言われていましたが、上記の特別展の際に一切展示されなかったことを考えると、残念ながら失われてしまったものと考えられます。

 東八拳についての小論文を書いた学芸員がいたにも関わらず(つまり東八拳を江戸・東京の文化のひとつとして認識していたにも関わらず)、江戸博はご遺族からの寄贈の申し出を断り、結果として貴重な資料が失われてしまいました。細かい経緯がわからないので、一方的に江戸博のみを責めることはできませんが、少なくとも資料の消失を防ぐ機会はあったに、それを活かせなかったわけです。しかも、「最後の幇間 櫻川善平師」の遺品であったにも関わらずです。

 現在、私が古書店等を通じて入手した番付類や、お父様の代からの拳士の家に伝わる番付類の寄贈先を模索しているのですが、江戸博ではなく、セップ・リンハルト博士とも縁のある、某大学に寄贈する方向で考えています。

 東八拳関連以外にも、江戸博については思うところがありますが、長くなるので止めておきます。
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るん馬さま (いまどき)
2012-07-25 00:12:11
そのお話は以前お聞かせいただきました。どういう基準で拒否されたかというのが不審ですね。だってその持ち主の方は単なるコレクターというのではなく江戸東京と伝わった幇間という職業で、芸としていろいろなものを修業したそのひとつが拳だったと考えただけでも生活に結びついた資料であること間違いありませんでしたね。江戸博物館の判断のラインというものはどうなんでしょうね。結局離散してしまった原因はそこにあるので、江戸博も罪つくりだと思います。博物館同志の情報提供とか資料のトレードのようなものは全てとはいわず、あるはずで、例えば国立劇場資料室から上野の下町風俗資料館へ芝居関係資料でダブりのあるものを移管というか下町で使えるように、、、というなお話があったのを聞いたことがあります。演芸に類するものとして国立劇場資料室あたりもご視野にいれて相談されていたら案外離散は防げたのかなとも思ったりしますが、、。一般家庭から「うちにこういうものがあるけれど、、」という親切な連絡がくることってあるわけで、江戸博にもずいぶん行っているようですが、断られたという話はよく聞きます。コレクションはダメだと言っている江戸博物館ですが開館準備の時期だったでしょうか?それまで下町風俗資料館に依託展示されていた長谷川周之さん?だったか浅草凌雲閣(十二階)に関するコレクション(錦絵、写真、実物に使われていた煉瓦のかけら、などなど)一括してごっそり江戸博に引き渡しになったそうです。これってコレクションだったのですが、、、。不思議。まあ品物が江戸博に収蔵されてよかったかどうかというのもすべてよかったかといえるかどうかですね。尾張屋さんの今戸人形については、とりあえず報告書だとかに収録され、また展示で陽の目をみているという観点では幸せだと思いますが、そうした報告書の記述などをみても人形のことに本当に興味がない人が書いているだなというのがよくわかる程に形状表現など不思議な感じがあります。また担当者が上記のように館蔵のもの以外は認めないと言っていますから、それ以外に実際尾張屋さんがお作りになった種類の人形や伝世の人形への広がりは完全に否定されますから、ここの博物館でこれ以上今戸焼今戸人形の研究の発展というものは期待できないでしょうね。館というより、その中の職員次第で物事の流れは変わりますから、、。
そういう意味ではあそこは尾張屋さんのお人形にとって終の棲家であると同時に墓場のようなものなのかなと思いますそれ以上の発展が期待できないという意味で。ほかにここの博物館から受けた差別的な行為、発行物への疑問についても記したいと思います。差別的行為については、以前るん馬さんがご心配くださって、それをいちかばちかと行動に出た件も含まれていてまだはっきりしませんが、問題の人が一枚も二枚も絡んでいそうな感触を受けているのですが、世間様には私も恥ずかしいのであまり具体的には書けないかなあ?と思ったりしています。
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