先住民族関連ニュース

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豪先住民、最初の人口は1000~3000人 英専門誌

2013-04-27 | 先住民族関連
AFPBB News 2013年04月25日 09:31 発信地:パリ/フランス
【4月25日 AFP】オーストラリアには約5万年前、最初に1000~3000人の先住民が定住し、その後、人口は氷河期に激減した後、約500年前に回復してピークの120万人前後に達したとする論文が、24日の英学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に掲載された。
 オーストラリアの初期における人口の推定は、欧州による植民地化がオーストラリアの先住民に与えた影響と関係することなどから、人類学の分野では活発に議論される。
 オーストラリア国立大学(Australian National University)のアラン・ウィリアムズ(Alan Williams)氏は、古代の定住に関する研究を新たな観点で見直し、木炭などの炭素年代測定を行った。人口の変化を知る手段としてこれらのデータを利用し、同氏は、オーストラリアの先住民は5万年前頃に上陸し、1000~3000人の「創立グループ」を形成したと考えた。この数字はこれまでの予測より若干多く、さまよってたどり着いたというよりも計画的な移住だったことを示しているという。
 通説では、先住民は当時、地上にあった大陸棚を越え、パプアニューギニアから陸橋を渡ってオーストラリアにやって来たとされている。
 ウィリアムズ氏によると、先住民の人口は定住後に増加したが、氷河期のピークにあたる2万1000~1万8000年前、現在よりも気温が低く、著しく乾燥していた時代に60%減少した。氷河期の終わりには、波があったものの増加し、500年前にピークの120万人に達する。その後、人口は緩やかに減少し、英国による植民が始まる1788年までに77万~110万人となった。欧州からの入植者は天然痘やはしか、インフルエンザなどの病気を持ち込み、免疫力のない先住民に最悪の被害をもたらした。 (c)AFP
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2940603/10638443?ctm_campaign=txt_topics

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二風谷アットゥシとイタ伝統工芸に指定

2013-04-27 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2013年 4/26)
 日高管内の沙流川流域に伝わるアイヌ民族の工芸品「二風谷アットゥシ」と「二風谷イタ」が経済産業省の伝統的工芸品に道内で初めて指定され、平取町の二風谷民族組合代表理事・貝澤守さんと川上満町長が25日、道庁を訪れ、高橋はるみ知事に喜びを語った。
 二風谷アットゥシは、オヒョウなどの樹皮の内皮から作った糸で機織りした反物。耐水、通気性に優れ、独特の風合いが特徴。二風谷イタは木製の平たい器で、渦巻きやうろこ状の文様が入っている。
 貝澤さんは「皆さんの力添えを受け、100年の歴史あるアイヌ工芸品が指定を受けることができた」と報告。川上町長は「これからも伝統工芸、アイヌ文化の振興に力を入れていきたい」と語った。
 知事は「北海道は歴史が浅く、国からなかなか認めてもらえなかった。今回の指定はアイヌの方々だけでなく、北海道民にとっても誇り。本当にうれしい」と語り、伝統工芸品の広がりに期待感を示した。
 貝澤さんは、製作に半年かかるという二風谷アットゥシで作った民族衣装も披露。「沖縄の(夏服)かりゆしのようにもっともっと普及させていきましょう」と言う知事が袖を通し、記念撮影に応じていた。
http://www.tomamin.co.jp/2013t/t13042601.html

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二風谷のアイヌ伝統的工芸品 経産省からの指定を高橋知事に報告

2013-04-27 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 04/26 07:20)
 日高管内平取町二風谷(にぶたに)地区で伝承されてきたアイヌ工芸品の「二風谷イタ」(木の盆)と「二風谷アットゥシ」(樹皮の反物)が、経済産業省の「伝統的工芸品」に指定されたことを受け、アイヌ工芸品の職人らが25日、道庁を訪れ、高橋はるみ知事に指定の経緯などを説明した。
 クルミやカツラなどにアイヌ文様を彫ったイタ、アイヌ刺しゅうを施したアットゥシはいずれも、1世紀以上二風谷地区で制作されてきた。地元のアイヌ工芸品職人でつくる二風谷民芸組合(貝沢守代表)が経産省に申請し、道内で初めて指定を受けた。<北海道新聞4月26日朝刊掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/461153.html

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台湾映画『セデック・バレ』…日本統治下の事件を冷徹に描写

2013-04-27 | 先住民族関連
サーチナ 4月26日(金)16時24分配信
 現在上映中の2011年の台湾映画『セデック・バレ』を、日本公開初日の20日に見た。日本統治下の台湾で起こった事実を題材にした作品だ。中国大陸でよくある“愛国的”な視点では、決してない。もちろん、過去の日本の所業を無批判に受け入れているのでもない。セデック族の生活と昔ながらの考え方を、まずは「人としての誇りの問題」としてとらえているが、「現代社会では、とても受け入れられない伝統」ということも、よく分かる。歴史の流れの過程で発生した悲劇を、数々な残虐な出来事を含めて冷徹な視点で描写した作品だ。
■日本統治下の台湾で起こった史実を冷徹に描く
 作品の題材は、日本統治下の台湾で1930年に発生した「霧社事件」だ。山地の原住民、セデック族(解説参照)が、日本人警察官から受けた仕打ちに対し「がまんできない屈辱だ」と怒り、警察駐在所や運動会会場を襲撃し、約140人を殺害。日本側は軍も投入して報復的な鎮圧作戦を断行した。
 作品は、「日本人警察官と原住民の些細なトラブルが大事件に発展した」との単純な見方をしていない。日本の統治による社会の大変化で、原住民がいかに追いつめられていたかを、執拗(しつよう)に描写する。日本の進出が資源獲得という「帝国主義の発想」で進められたことを明らかにした上で、「未開の原住民を進歩させる」ことに喜びを見出す“善意ある日本人”も描く。さまざまな事実を、複合的に描いていることが、この作品の大きな特徴だ。
 「首狩り」のシーンが繰り返されたため、「あまりにも残虐」との批判も出た。しかし、作品はセデック族の首狩りについて「自らの狩り場に侵入した者」に対する制裁だったとの見方を明確にし、否定的には扱っていない。台湾割譲にともに近代的兵器をたずさえて侵入してきた日本に対してもセデック族は果敢に抵抗するが、制圧される。日本は投降したセデック族の命は奪わなかったが「誇り」を奪った。そして、近代化を押しつけた。
 監督は「海角七号 君想う、国境の南」の魏徳聖(ウェイ・ダーション)。ウェイ監督は、当時の状況をできるかぎり正確に描写しようと努めた。統治の拠点となった「霧社」の街も、日本家屋を含めて違和感は全くない。和服や洋装の日本人の姿も同様だ。「どの国の人が見ても説得力がある作品に仕上げるためには、徹底的なこだわりが不可欠」という、監督をはじめとするスタッフの心意気が伝わって来る。
 やや難点があるとすれば、日本語だ。おそらく台湾人を起用したと追われる日本人役の俳優もいるが、日本語に微妙な違和感がある。ただ、この点を過度にあげつらうのはやめておこう。むしろ、限られた条件の中でさまざまな描写にベストを尽くしたと、評価すべきだろう。
■監督「人間とは単純な善人、悪人ではない」
 ウェイ監督は日本公開の初日、20日の舞台あいさつで、「事件はよくないことだった」と述べた上で、「いろいろな角度からものをみることが大切」と強調。さらに「人間とは単純な善人、悪人ではない」、「映画を通じて、さまざまなことがきちんと伝われば、恨みや憎しみを解消できる」と語った。
 この言葉からは、ウェイ監督の意図そして作品の目的が、日本の植民地統治を糾弾することではなかったと、はっきりと分かる。そして、ウェイ監督は「憎しみを解消するには、痛みを伴う場合もある」と述べた。つらさをこらえて歴史的な「悲劇」を直視してこそ、当事者、あるいはその子孫が前向きにつきあうことができるとの考えだ。
 作品内容について、ここであまりにも具体的に書くことははばかられるのだが、「ごう慢な日本軍人」として、ステレオタイプに描かれている人物でも、最後の部分で、かならずしもそうではないことが、さりげなく描写される部分がある。私はこの部分で、司馬遷の「史記」を思い出した。司馬遷は「歴史的な大悪人」とされている人物でも、否定的な観点だけで記述することは、めったにしなかった。だからこそ、史記には「人間の真実を描いた歴史書」としての高い評価があるわけだ。
 中国大陸の、特に歴史を扱った作品では、登場人物を善悪に色分けして、「勧善懲悪」式のストーリーを単純に展開させる場合が極めて多い。飛躍しすぎるかもしれないが、『セデック・バレ』には中華文明がなしとげた知的作業としての最高峰である「史記」に通じる、バランス感覚に富む人物観、歴史観が生きているように思えた。
■原住民の気持ちをできるかぎり尊重した作品
 この映画の特徴として、もうひとつ特筆せねばならないことがある。原住民の気持ちをできるかぎり尊重したことだ。まず、原住民を演じる役には原住民を起用した。しかも、主役のモーナ・ルダオ(壮年)を演じるリン・チンタイは現地教会の牧師。先祖が残した文化の精神を伝承する活動も行い、地元の人々に尊敬されている人物だ。しかし映画出演は初めてと、素人だった。
 モーナ・ルダオ(青年)を演じるダーチンは、トラックの運転手だった。しかし、幼いころから父親に狩りや山での生活といった、民族の伝統を叩きこまれたという。鋭い目つきと肉体のすばらしさは、まさに「はまり役」だ。
 ウェイ監督によると、「有名なスターを使うと、歴史上の実話というイメージが崩れてしまう」ことも考慮したという。原住民の起用については、適役を探しだすだけで大変な苦労をした。撮影に当たっては演技指導に膨大な時間と手間がかかった。しかし作品としては、配役についての“初志貫徹”が見事に身を結んだ。
 言葉の問題にも触れておきたい。この作品に登場するセデック族はセデック語を話す。日本人と会話する場合には、片言の日本語を話す場合もある。台湾の作品だが、登場するわずかな漢人(漢民族)が絡む会話を除けば、中国語は使われない。
 当然と言えば当然だが、じつは中国大陸の作品では、このあたりがかなりいい加減な場合が目立つ。いわゆる少数民族が中心になる作品でも全面的に中国語、しかも標準語が使われる場合が目立つ。「観客の理解のため」との理屈も成り立つが、その少数民族の人、あるいは外国人が見たらどう思うだろう。作品のリアリティーも、著しく低減する。
 ウェイ監督によると、原住民に協力を要請する際に、「原住民役には原住民を起用する」、「原住民の言語を使う」と約束したという。現在でも台湾原住民が、人口の面でも経済面でも“弱い立場”であることに変わりはない。伝統文化の継承などで、強い危機感があるのはもちろんだ。ウェイ監督は「約束」を通じて、「非原住民監督が原住民の歴史と伝統を扱う作品を作る」ことについて、信頼を得ることができたというわけだ。
■台湾以外で未公開の「フル・バージョン」を上映
 歴史の真実を描写することを念願して作られたこの作品だが、ウェイ監督も「娯楽作品でもある」と述べたように、戦闘シーンなどでは“大げさ”な面もある。例えば、セデック族に対する日本軍の「鎮圧作戦」だが、史実では、日本側の戦死者は日本軍兵士22人、警察官6人、日本側に協力した原住民21人とされている。作品中では、極めて多くの日本人が殺されている。
 ただし、「だから真実を描いていない」とは思わない。実際に戦闘に参加した日本兵が感じた恐怖感などを映画で表現しようと思ったら、相当に“大げさ”に描写する必要は出てくる。文芸作品や芸術作品によくある「真実に迫るための表現技法」の範囲内と言ってよいだろう。
 いずれにせよ、全体としてきわめてよく出来た作品であることに間違いはない。なお、同作品はこれまで、台湾以外では全体で2時間あまりの「インターナショナル版」が上映されてきたが、今回の日本公開は、第1部「太陽旗」、第2部「虹の橋」からなる「フル・バージョン」、合わせて276分の大作だ。今後、DVDなどの発売があるかもしれないが、「フル・バージョン」を鑑賞できる機会は少ないと考えてよい。日本と台湾の歴史に関心がある方、ウェイ作品、ひいては台湾・中華作品に興味のある方には、とにかく劇場に足を運ぶことをお勧めする。(写真:(C) Copyright 2011 Central Motion Picture Corporation & ARS Film Production ALL RIGHTS RESERVED)
**********
◆解説◆
 台湾原住民は明代(1368-1644年)ごろに、大陸から漢民族が台湾に移り住むはるか以前から台湾に住んでいた人々を指す。中国語では「先住民」との言葉に「先に住んでいた人」、すなわち「以前は住んでいたが、今はいない」とのニュアンスがあるので「先住民」という言葉は台湾では使われず、「もとから住んでいた人」を示す「原住民」が正式の用語になっている。
 日本統治時代には当初「生蕃(せいばん)」と呼ばれていた。上記作品の題材となった霧社事件から5年後の1935年には「高砂族(たかさごぞく)」との正式名称が定められた。
 中華人民共和国には「台湾は中国の一部である」との“原則的主張”があるため、台湾原住民を自国の少数民族のひとつとして「高山族」と呼んでいる。
 台湾原住民の人口は台湾総人口の2.1%を占める約48万9000人。ただし、台湾原住民は1つの民族を指す名称ではない。それぞれの人口は少ないが、言語や文化面で明確に区別できる多くの民族がある。台湾では、アミ族(人口約17万5000人)、パイワン族(8万4000人)、タイヤル族(8万2000人)など14の民族が認められている。セデック族は2008年になり承認された14番目の原住民族。人口は6000-7000人と推定されている。
 台湾原住民には、主に平地に住んでいた「平埔族」も存在する。「平埔族」にも多くの民族が存在するが、漢人との同化がかなり早い時期から進んだという事情もあり、独立した民族として認められている例は少ない。
 台湾原住民の文化は東南アジアやミクロネシアなどとのつながりが深く、漢民族とは別系統とされている。居住地に適応した高度な生活技術を育ててきたことはもちろんだが、台湾原住民の伝統が世界の研究者を驚嘆させたことがある。
 彼らの伝統的な合唱だ。文字も楽譜も持たない台湾の原住民族が、ヨーロッパの音楽に匹敵する極めて高度なポリフォニー(多声部)音楽を伝えていたとして、民族音楽研究者に「音楽文化の発達」とは何かと、改めて問いを投げかけることになった。
 また、1970年代に現地を調査した日本の音楽学者、小泉文夫氏は、住民の多くが完璧な純正律の音感を持っている民族があると報告した。小泉氏によると、「純正律の合唱はかつて、“首狩り”などの戦いに出る際に、全員の心がひとつになっているかを試す手立て」だったという。合唱が少しでも乱れると「心が合っていない。これでは負ける」として、戦いを見合わせることになっていた。
 小泉氏の調査時点においても、社会の変化により原住民の合唱音楽は衰退しつつあり、残念ながらその後は、特筆すべき録音記録もあまり残されていない。(編集担当:如月隼人)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0426&f=entertainment_0426_019.shtml

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先住民族に「学ぶ」姿勢に貫かれた映画「セデック・バレ」

2013-04-24 | 先住民族関連
レイバーネット日本-2013/04/22
 台湾映画「セデック・バレ」が公開されている。この映画は、日本が植民地として支配していた台湾で実際におきた、先住少数民族の抗日武装蜂起「霧社事件」(1930年10月)を史実に基づいて描いた作品である。
 「史実に基づいて」というのは、例えば蜂起した先住民族「セデック族」の(「霧社」管内の11社のうち6社)が、運動会会場を襲撃するシーンでは、女性子どもも襲われる残虐なシーンも描かれている。事実そうだったのだろう。そして重要なのは、その背景だ。
 先住民族の人達は強制労働で日本人に低賃金でこきつかわれ、生活全般が隷属状態に置かれていた。そして蜂起の「鎮圧」には国際条約で禁止されていた毒ガスが使用され、忍者のごとく出没するセデックの戦士たちに同じ先住民族で敵対する集落を分断策として戦闘に投入するなど、日本の徹底した人民弾圧があった。
 監督のウェイ・ダーション(1969年生まれ)は、漢民族という立場でこの作品を制作した。彼は、子どもの頃教科書で学んだ「霧社事件」や先住民族の政府に「土地返還」を求めるデモに関心を持っていた。しかしこの映画の製作の過程で「自分の立場はどこなのか」悩んだという。そして最終的に「文化の衝突」という描き方をした。その証拠にセデック族の歌で場面、場面をつなぐ展開は、監督の先住民族に対する極めて謙虚な姿勢が貫かれている
 また1部、2部(計276分)の大半が戦闘シーンで占めるこの映画は、残虐を越えて、「はかなさ」「悲しみ」を感じる。また、時間の長さを感じなかったのも不思議だった。起こるべくして起きた「霧社事件」の中に日本人として身を置いて考えてみることが大事だとも思った。製作にハリウッド映画のジョン・ウーが参加しているのには少し首をかしげたが、そのせいか戦闘シーンがほぼ「兵士」の目線で描かれており、客観的な立場にたてないのである。
 この夏たまたま中国・台湾を旅する計画があることで事前学習として観た映画ではあったが、「領土問題」「原発震災」「憲法」「靖国」と揺れる日本列島に釘をさすような勢いのある「文化の衝突」を観た思いだ。(湯本雅典)
映画「セデックバレ」公式サイト http://www.u-picc.com/seediqbale/
http://www.labornetjp.org/news/2013/0423eiga

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アイヌ工芸展:70種、夫婦が作品展−−27日まで、銀座 /東京

2013-04-24 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2013年04月24日 地方版
 東京から北海道平取(びらとり)町二風谷(にぶたに)に移住し、アイヌ民族に伝わる工芸品を創作する高野繁廣さん(62)、啓子さん(60)夫妻の作品展が中央区銀座8の「たくみ」2階ギャラリーで27日まで開かれている。
 日野市に住んでいた高野さんは22歳のとき、北海道に旅に出て二風谷にたどり着き、「そのまま移り住んでしまった」という。後から恋人の啓子さんもやって来て、アイヌ民族が多く住むこの地で結婚した。
 夫妻はアイヌの長老たちから手仕事の技を学んだ。高野さんは木製の生活道具などを創作。啓子さんはアイヌ文様の刺しゅうなどを手がけ、現在はアイヌ文化の伝承者としても活動している。
 東京での夫婦展は16年ぶり。木彫りの盆や皿、シラカバでつくったひしゃく、伝統衣装など約70種(約300点)を展示、販売している。
 「二風谷に流れる沙流(さる)川の周辺では自然の恵みを受けて、豊かなアイヌ文化が育った。その息吹を感じてもらえれば」と高野さんは話す。
 問い合わせは「たくみ」(03・3571・2017)へ。【明珍美紀】
http://mainichi.jp/feature/news/20130424ddlk13040263000c.html

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アイヌ遺骨:市民団体、北大に4項目の要請書 /北海道

2013-04-24 | アイヌ民族関連
毎日新聞 4月23日(火)11時50分配信
 北海道大が3月末に公表したアイヌ遺骨調査報告書をめぐって、市民団体「北大開示文書研究会」(清水裕二共同代表)は22日、北大に対し再調査など4項目の要請書を提出した。5月10日までに回答するよう求めている。
 4項目は再調査のほか、▽遺骨収集で「遺族の承諾を得た」とした証拠の開示▽遺骨以外に収集した副葬品の情報公開▽だれもが分かりやすい報告書の作成。
 報告書は、北大が戦前から戦後にかけて、道内のほか、サハリンや千島列島のアイヌ墓地から1014体の遺骨を収集した--とした。埋葬者の氏名は大半が不明で、骨がばらばらに保管されるなど、ずさんな管理が明らかになっている。【千々部一好】
4月23日朝刊
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20130423ddlk01040184000c.html

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アイヌ民族遺骨11大学に 文科省調査 1633体北大など

2013-04-24 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 04/23 10:15)
 研究目的で墓地から掘り出されたアイヌ民族の遺骨を全国の大学が保管している問題で、保管されている遺骨は北大、札幌医大など少なくとも全国11大学で1633体に上ることが、文部科学省の調査で分かった。文科省は保管の経緯などを含めた最終的な調査結果を、6月に開かれる政府のアイヌ政策推進会議の作業部会に報告する。
 アイヌ民族の遺骨に関する全国調査は、国公立大と医学部などがある一部の私立大を対象に初めて実施。文科省は昨年末までに「ある」と回答した大学と遺骨の数を、19日の作業部会で報告した。
 個体として特定できる遺骨は、北大が医学部の1014体を含む1027体、札幌医大249体、東北大20体、東大198体、京大94体、大阪大39体、大阪市立大1体、金沢医大4体、南山大1体。新潟大と天理大は個体として特定できない骨の一部を保管している。個人名を特定できそうな遺骨は北大19体と札医大の4体のみ。<北海道新聞4月23日朝刊掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/460336.html

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「セデック・バレ」ウェイ・ダーション監督「映画を通して恨みや憎しみは解消される」

2013-04-23 | 先住民族関連
映画.com 4月20日(土)14時33分配信
 [映画.com ニュース] 日本統治下の台湾で起こった先住民セデック族による反乱「霧社事件」をテーマに描いた歴史アクション大作「セデック・バレ」(全2部作)が4月20日、東京・渋谷のユーロスペースで封切られ、ウェイ・ダーション監督とプロダクションデザインを務めた種田陽平氏が舞台挨拶に立った。
 台湾で大ヒットを記録した「海角七号 君想う、国境の南」のウェイ監督が、構想10年以上をかけ、台湾史上最高額となる7億台湾ドル(約16億円)を費やして製作したアクション大作。1930年、日本統治により独自の文化をないがしろにされてきたセデック族が、部族の誇りをかけて武装蜂起し、日本軍や警察と激しい戦いを繰り広げる姿を壮大なスケールで描き出す。
 ウェイ監督は、ついに実現した日本公開に「本当にうれしいけど緊張もしている。皆さんのリアクションが正直心配。だけど、和解とは痛みを伴うもの。日本と台湾がともに経験した歴史を発見していただければ」と感無量の面持ち。そして、「霧社事件は台湾の小学校や中学校の教科書にもたった2~3行しか記載がないけれど、事件をテーマにした漫画本を見つけて読んだら、映画化するのにとても良い題材だと思った。善悪という単純なものではなく、映画を通して恨みや憎しみは解消されるのではと思った」と製作に至った経緯を説明した。
 種田氏は、ウェイ監督の期待に応えるべく山中に壮大なセットを作り出したが、「最初に見せられた場所は本当に山奥だったので、僕は台北の近くで作ろうと提案した(笑)。アクションはもちろん森の中でやるけど、メインとなる芝居場は落ちついてできる場所の方が良いのではと。監督のこだわりがすごかったので、そこを満足させられるといいなと思っていた」。そんなウェイ監督との初仕事は、「柔和な方に見えるけど、山奥に入ると別人のようになる。足腰が強くて岩の上をジャンプしたり、役者よりアクションがうまいかも。頭で考えているだけでなく現場派なところもあって、責任感も素晴らしいと思った」と全幅の信頼を寄せていた。
 実際のセデック族がキャストに起用されたが、ウェイ監督は「こんな大きなプロジェクトを素人の役者に託してもいいのかと心配もあったけど、彼らはとても素晴らしい芝居をしてくれた。観客はセデック族が登場した時にその説得力を感じると思う。すでに認知されたスターが登場するとそういう効果は得られない」と狙いを明かした。(映画.com速報)
http://eiga.com/news/20130420/6/

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アイヌ遺骨再調査求め北大へ抗議文

2013-04-23 | アイヌ民族関連
日刊スポーツ 2013年4月22日22時33分
 北海道大(札幌市)が研究目的で収集したアイヌ10+ 件民族の遺骨を返すよう求めた訴訟の原告団は22日、収集経緯に関する調査のやり直しを求める抗議文を北大に提出した。
 原告団は、北大が3月に公表した調査報告書で「遺族の承諾を得て発掘した」とした点に対し「証拠がない」と反発。「遺骨とともに収集した副葬品についても触れていない」と批判した。
 北大は「抗議文の内容を確認する」と応じた。
 報告書によると、医学部教授らが1931~72年、人類学の研究のため、道内や樺太でアイヌ10+ 件民族の墓地を発掘し、約千体の遺骨を収集した。
 訴訟では、札幌市のアイヌ10+ 件民族の男性(77)ら3人が、出身地の浦河町杵臼(きねうす)の墓地で北大が集めた78体以上の返還を求め、札幌地裁で係争中。(共同)
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20130422-1116285.html

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アイヌ遺骨:先住民への返還事例を紹介--札幌でシンポ /北海道

2013-04-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 4月21日(日)11時26分配信
 アイヌの遺骨が墓地から掘り出された問題を考えるシンポジウム「さまよえる遺骨たちPart3」が20日、札幌市中央区の教育文化会館で開かれた。
 「先住民への遺骨返還はセカイの流れだ。」とのテーマで、欧米と日本の対応を検証した。北海道大の小田博志准教授(文化人類学)は、植民地だったアフリカのナミビアで20世紀初めに収集した頭の骨を、2011年に研究者が謝罪して返還したドイツの事例を紹介。「過去の研究成果は科学的な根拠がないものと否定されている。北海道でも、誠実さと透明性のある倫理的な対応が求められる」と話した。
 シンポジウムでは、北海道大に対して遺骨発掘の経緯を詳しく調査するよう求める声明を採択した。【久野華代】
4月21日朝刊
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20130421ddlk01040155000c.html

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アイヌ遺骨:11大学に1633体 管理ずさんさ浮き彫り

2013-04-20 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2013年04月19日 21時25分(最終更新 04月19日 23時12分)
 明治時代から戦後にかけて大学が研究目的で墓地から掘り出したアイヌの遺骨が、11大学で1633体保管されていることが19日、政府のアイヌ政策推進会議作業部会で報告された。遺骨返還のガイドラインも示され、今年度中に速やかに手続きに入る方針が打ち出された。しかし、個人特定できたのは全体の約1%の23体。管理のずさんさが浮き彫りになった。
 保管している大学は、北海道大が医学部関係の1014体を含む計1027体。ほかに札幌医大249体▽東京大198体▽京都大94体▽大阪大39体−−など。個人が特定できたのは北大19体、札幌医大4体だけだった。
 アイヌの遺骨収集は北海道を中心に樺太(サハリン)や千島列島でも広範囲に行われ、1972年まで続けられた。アイヌの起源を探る人類学研究が目的で、頭骨を中心に調査された。
 返還のガイドラインは、個人特定できた遺骨を子孫に返すことを原則とし、墓がある市町村の協力を得ながら子孫を捜すとしている。だが、時間の経過で難航が予想される。
 身元が特定できない背景には、研究を終えた頭骨と四肢骨をばらばらに保管するなど管理が不十分だったうえ、身元につながる副葬品を一体的に保管しなかったことなどがある。身元特定が不可能な遺骨は、民族共生の象徴空間として北海道白老町に建設する施設で国の主導で慰霊する。
 全国の遺骨調査は、文部科学省が11年11月から国公私立大を対象に1年余りかけて行った。【千々部一好】
 ◇「過去うやむや許せぬ」返還訴訟で遺族が批判
 北海道大が研究目的でアイヌ民族の墓地から遺骨を収集したのは供養の妨害にあたり、憲法で保障された信教の自由の侵害にあたるとして、子孫3人が北大に遺骨の返還と慰謝料900万円を求めた訴訟の第3回口頭弁論が19日、札幌地裁であった。原告の小川隆吉さん(77)=札幌市=が意見陳述。「過去をうやむやにする北大の態度が許せない」と強い口調で批判した。
 訴状によると、北大の医学部教授らは1931〜55年、北海道浦河町杵臼(きねうす)地区のアイヌの墓地から、少なくとも78体の遺骨を掘り出した。
 小川さんは、曽祖父らの遺骨が墓から持ち出されたと主張。意見陳述では、81年9月に北大医学部に案内された際、エゾオオカミなど動物の骨格標本とアイヌ民族の頭蓋骨(ずがいこつ)が並べて置かれているのを見て「怒りで目の前が見えなかった」と証言した。
 情報開示の遅さにも触れ、北大は骨の性別や発掘時期などの記録がないと言い続けてきたが、今年3月末に発表した報告書で「発掘人骨台帳」の存在が明らかになったと批判。「北大は虚偽と隠蔽(いんぺい)の態度でしかなく、真実に近づくための学問の府とは正反対だ。遺骨を無条件で返してほしい」と訴えた。
 小川さんは、支援者らに支えられてアイヌの民族衣装姿で入廷。第1回口頭弁論で証言した原告の城野口ユリさん(79)=北海道浦河町=も車椅子で付き添った。
 11大学で1633体の遺骨が保管されていたことについて、小川さんは閉廷後、「まるで骨の問屋状態で、手のつけようがないほど多い。各機関は情報開示をしっかり行い、誠意を見せてほしい」と話した。【山下智恵】
http://mainichi.jp/select/news/20130420k0000m040089000c.html

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「白老アイヌ研究」刊行、明治~昭和の生活記す

2013-04-20 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2013年4月19日(金)朝刊】
 「白老楽しく・やさしいアイヌ語教室」(大須賀るえ子代表、5人)は、「白老アイヌの研究Ⅰ―宮本イカシマトク・妻サキを中心に」(B5判、45ページ)を刊行した。製作に中心的に携わった大須賀代表(72)=白老町緑丘=の祖父母・宮本夫妻の明治から大正、昭和にかけての生活ぶりを中心に記している。
 「自然から与えられるものを無駄にしないで頂く。生活全てにわたってアイヌ文化を実践していた」。こう語る大須賀さんは、明治期以来の苦難の時代をアイヌとして生き抜いてきた祖父母のことをいつか明らかにしたいと念願してきたという。巻頭には「この二人は白老のアイヌを語る上で欠くことのできない存在である…と私は思っている」と記した。
 1876年(明治9年)白老に生まれた宮本イカシマトク(和名・伊之助)は、大正期になってクマ猟に専念、毎年のようにイヨマンテリムセ(クマの霊送り)を行っていた。著書では猟の様子、山での儀式、右足指の凍傷、大須賀さんが実際に聞いた「激痛で呻(うめ)いていた祖父の声」、毛皮商人の買い付けなどが詳述されている。
 81年(明治14年)生まれの妻・宮本サキは1957年(昭和32年)に亡くなるまで「二十五、六頭の子熊を育てた」(著書)。子グマを育てるのは女の仕事で自分の寝床に入れて寝たこともあったという。
 著書では大須賀さんが祖母・サキと一緒にまき取りに行ったときのことを「五歳の小さな子供が背負える量はほんの僅(わず)かと思うが、それでも背負わせるというアイヌ文化を、貴重で有難い体験をさせてもらったと感謝している」と記している。
 写真は19枚。そのうちの1枚(1931年撮影)、クマのおりの前に並ぶ大須賀さんの曾祖母、祖母、伯母の写真について著書は「私はこの時生まれていないが、彼等の下端に並んでいる者(子孫)として非常に嬉しく私の宝物のような写真である」と記している。
 200部作製、非売品。16日には、白老町内の小中高校、図書館などへと16冊を町教委に寄贈したほか、道内の関係者・機関に配布した。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2013/04/19/20130419m_08.html

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米バレリーナのM・トールチーフさんが死去

2013-04-16 | 先住民族関連
AFPBB News 2013年04月13日 14:40  発信地:ニューヨーク/米国
【4月13日 AFP】米国で最も成功したバレリーナの1人であり、伝説的な振付師ジョージ・バランシン(George Balanchine)氏のかつての妻でミューズだったマリア・トールチーフ(Maria Tallchief)さんが11日、死去した。88歳だった。
 親族によると、トールチーフさんは自身が創設し、すでに解散したシカゴ・シティ・バレエ団(Chicago City Ballet)の本拠地シカゴで死亡。娘のエリーズ・パッシェン(Elise Paschen)さんは、「母は偉大なバレリーナであり、オーセージ(Osage)族の伝統に誇りを持った人でした」との声明を発表した。トールチーフさんは、アメリカ先住民オーセージ族の血を引いている。
 バランシン氏と共にニューヨーク・シティ・バレエ団(New York City Ballet)で活躍したトールチーフさんは、1948年から1965年まで同バレエ団のプリマ・バレリーナだった。
 バランシン氏はトールチーフさんが主役を務めた作曲家イーゴリ・ストラビンスキー(Igor Stravinsky)の「火の鳥(Firebird)」などで振り付けを担当。また、トールチーフさんが踊った「白鳥の湖(Swan Lake)」や「オルフェウス(Orpheus)」は、バランシン氏の振付師としての地位の確立に一役買ったとされている。
 オーセージ族の父親とアイルランド系スコットランド人の母親の間に1925年に生まれたトールチーフさんは、メジャーなバレエ団で脚光を浴びた初の米先住民の1人だった。
 当時はバレリーナとして人気が出そうなロシア風の名前を使うことが一般的だったが、オーセージ族の伝統に誇りを持っていたトールチーフさんは拒否したとされる。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2938537/10576958

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白老のアイヌ民族博物館の入館微増

2013-04-16 | アイヌ民族関連
苫小牧民報-2013/04/13
 白老町のアイヌ民族博物館(野本勝信館長)の2012年度入館者数は、前年度比7.8%増の15万5991人だった。過去最低だった前年度実績は上回ったが、目標としていた17万人には届かなかった。同博物館は低迷する来館者数の回復に向けて、今年度新たに誘客戦略室を設置し抜本的な対策に乗り出す。
 同博物館のまとめによると、国内は11万7009人で0.4%減、外国は3万8982人で44.2%増。国内の減少は、東日本大震災の影響が完全には回復していないのが要因。
 海外は、シンガポールが7610人で0.7%(56人)減となったが、全体に占める割合が最も大きい韓国が1万5026人、13.4%増と復調の兆しが出ている。タイも3倍近い7611人。台湾も2525人で2.6倍。中国は49.5%増の2312人だったが、尖閣問題などで関係が悪化した11月以降の落ち込みが大きい。
 入館者増に向け、同館では今年度から本格的なてこ入れを行う。5月からは国内向けに魅力ある催事を週末に展開するなど「サービスと質の向上を図る」としている。
http://www.tomamin.co.jp/2013s/s13041301.html

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