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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

「人間動物園」、植民地支配の負の歴史を伝える展示会 フランス

2011-11-30 | 先住民族関連
AFPBB News 2011年11月29日 18:20

【11月29日 AFP】仏パリ(Paris)のケ・ブランリー美術館(Musee du Quai Branly)で28日、「作られた未開人(the invention of the savage)」展が開幕した。かつて欧州各国の植民地から連れてこられた先住民たちが、動物のように見せ物にされた歴史と向き合う展示会だ。
 20世紀半ばまでアフリカやアジア、オセアニア、アメリカ大陸の先住民は「未開人」と呼ばれ、このことが植民地支配の残虐性を正当化する1つの根拠になっていた。
 この展示会では先住民の扱いに関する絵画や彫刻、ポスター、書籍など600点が展示されている。なかには、白人の優越性を示すために用いられた頭蓋骨を計測する道具もある。
 サッカー元フランス代表のリリアン・テュラム(Lilian Thuram)氏は展示会の主任学芸員として参加した。フランス海外県グアドループ(Guadeloupe)生まれのテュラム氏は、ドイツのハンブルク(Hamburg)で動物園を訪れたときの驚きをAFPに語った。「入り口を入ると、たくさんの動物の像に混ざって、アメリカやアフリカ先住民の像があるんだ。来園者たちが、これから動物だけでなく人間も見るんだとわかるようにね。それが現在でもそのままなんだよ」
 もう1人のサッカー元フランス代表でニューカレドニア(New Caledonia)出身のクリスティアン・カランブー(Christian Karembeu)氏も、同展に関わる歴史がある。1931年、カランブー氏の祖父母を含むニューカレドニアの先住民カナク(Kanak)人たち100人あまりがパリ市内で、「人食い人種」として見せ物にされたのだ。カナク人たちはその後、ドイツでも「展示」された。
■植民地の歴史は先住民を見せ物にする歴史
 クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)が米大陸を「発見」した1492年以降にアメリカ先住民がスペインに連れられていったことに始まり18世紀末まで、先住民たちは、時にはエキゾチックな、時には奇怪な生き物としてヨーロッパの特権階級への見せ物にされた。
 この風潮は、19世紀に入って現在の南アフリカの先住民女性サーキ・バートマン(Saartje Baartman)が、「ホッテントットの女神(Hottentot Venus)」としてロンドン(London)やパリで見せ物になったことをきっかけにさらに激しくなった。
「作られた未開人」展の学芸員の1人で歴史が専門のパスカル・ブランシャール(Pascal Blanchard)氏によると、1810年から1958年の間に各国の展覧会やサーカス、劇場などで見せ物として「未開人」を見た人は14億人に上ると推計されるという。
■犠牲者の尊厳を回復する試み
 見せ物興行はヨーロッパ各地に加え、米国や日本、オーストラリアでも行われた。これらの国で見せ物となった植民地の先住民は3万5000人あまりとみられ、見せ物となった先住民には対価が支払われたという。
 19世紀末には、東南アジアのラオスから連れてこられた、全身が毛で覆われた少女「クラオ(Krao)」が、人類とサルの中間に位置する「ミシング・リンク」として見せ物になった。
 アフリカ系米国人で軽度の知的障害があったウィリアム・ヘンリー・ジョンソン(William Henry Johnson)は、4歳のときに両親から興行師フィニアム・テイラー・バーナム(Phineas Taylor Barnum)に売り渡された。バーナムはジョンソンに毛むくじゃらの服を着せて見せ物興行をさせた。タイトルは、「これ、何だと思う?」
 今回の展示会は、こうした負の歴史から数世紀を経たいま、実名を示して1人1人の人生をたどることによって、被害者たちの尊厳を少しでも回復する狙いもある。「作られた未開人」展は2012年6月3日まで。(c)AFP/Pascale Mollard-Chenebenoit
【参考】ケ・ブランリー美術館「作られた未開人」展のページ(フランス語)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2843167/8139713?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

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しまくとぅば学校設立議論 70人、必要性強調

2011-11-30 | ウチナー・沖縄
琉球新報 2011年11月29日

 沖縄方言を学ぶための学校をつくろうと「しまくぅとばイマージョンスクール設立の緊急集会」が20日、那覇市の牧志駅前ほしぞら公民館で約70人が参加して開かれた。ハワイへ留学した県内の関係者らでつくる「Okinawan Studies 107」(オキスタ107)が主催した。
 琉球大学の石原昌英教授が講演し、ハワイのイマージョンスクールについて紹介。ハワイでは、幼稚園から大学院までハワイ語を学べるシステムがあることを紹介した。
 石原教授は、ハワイのカウアイ島先住民の母親6人が子どもたちにハワイ語を残したいという気持ちがイマージョンスクールの立ち上げのきっかけになったことを話した。
 石原教授は「言葉には土地や先祖を結び付ける役割がある。言語を失うことで土地や先祖との結び付きが断絶する」と指摘し、しまくとぅばの必要性と継承を強調した。
 宜野湾市でしまくとぅばを教えているという女性は「後世に残したいと3年前から教室を開いている。このままでは、しまくとぅばが消えてしまう。ネットを通して広げて行きたい」としまくとぅばの必要性を訴えた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184613-storytopic-154.html

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阿寒湖アイヌシアター完成 人形劇や古式舞踊披露 4日からプレ公演

2011-11-29 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 11/28 09:45)

 【阿寒湖温泉】釧路市が阿寒湖温泉街に約4億円をかけて建設していたアイヌ民族文化の拠点施設、阿寒湖アイヌシアター「イコロ」が完成し、27日に記念式典が開かれた。
 イコロは「宝」を意味するアイヌ語。鉄筋コンクリート平屋897平方メートルで、客席は332席。アイヌ民話が原作の人形劇上演を目玉とするほか、古式舞踊などの民族文化を発信する。
 シアターでは12月4日に古式舞踊、同17、18日には人形劇のいずれもプレ公演を実施。来年4月29日に正式オープンする。<北海道新聞11月28日朝刊掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/334461.html

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アイヌシアターお披露目 釧路

2011-11-29 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2011年11月28日

 釧路市阿寒湖温泉にアイヌの民族文化を伝承する「アイヌシアターイコロ(ロは小文字)」(イコロ(ロは小文字)はアイヌ語で宝の意味)が完成し、27日竣工(しゅんこう)式があった。伝統にのっとったチセチョッチャ(家の落成のお祝い)の儀式があり、神に報告した後、魔よけの矢を射たり、丸太に刀で傷をつけたりした。
 鉄筋コンクリート平屋建ての円形シアターで客席320席。市が4億円で整備し、アイヌコタンや旅館組合などでつくる運営協議会に無償貸与、地域で運営する。12月4日にプレオープンし古式舞踊などが披露され、同17、18日にアイヌ人形劇が初公演される。正式オープンは来年4月。協議会長の大西雅之・阿寒観光協会まちづくり推進機構理事長は「東北海道のアイヌ文化を広く発信できるよう努めたい」と話した。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001111280001

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阿寒湖にアイヌ劇場完成

2011-11-28 | アイヌ民族関連
(読売新聞 2011年11月28日 )

古式舞踊などを紹介
 アイヌ文化の専用伝承施設「阿寒湖アイヌシアター イコロ」が釧路市・阿寒湖温泉に完成し、落成式が27日、同施設で行われた。
 同シアターは、アイヌ古式舞踊などの貴重なアイヌ文化を紹介し、後世へと伝えるための多目的施設。アイヌ古式舞踊は国の重要無形民俗文化財に指定され、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産にも登録されている。
 施設は鉄筋コンクリート平屋建て約900平方メートルで、客席は320席。釧路市が建設し、運営は地元の協議会に委ねており、総事業費は約4億円。「イコロ」はアイヌ語で「宝物」を意味する言葉で、一般公募やアイヌ文化の専門家の意見を交えて決まった。
 落成式ではアイヌ民族の神事「カムイノミ」などが行われ、関係者が完成を祝った。12月からアイヌ文化を伝える人形劇の公演を始め、内装などを整えて来年4月に本格オープンする。
 運営団体の一つである非営利組織(NPO)法人阿寒観光協会まちづくり推進機構の大西雅之理事長は「新たな観光客を呼びこみたい」と期待を込めた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20111128-OYT8T00032.htm

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ひと:結城幸司さん ルーブルでアイヌの口承叙事詩を披露

2011-11-28 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2011年11月28日 0時30分

 文字を持たないアイヌ民族は価値観や倫理観を、物語を語り聞かせる口承で伝えてきた。その語り文化の中心にある叙事詩「ユーカラ」を12月10日、パリのルーブル美術館である世界各地の先住民族が集うイベントで、仲間2人とアイヌ語と日本語で披露する。
 「ユーカラは自然とのつながりを思い出させてくれる。人間が自然の中で生きていることを忘れがちな現代だからこそ、意味や価値は大きい」
 父庄司さん(83年に45歳で死去)はアイヌ解放運動家。家庭より活動を優先し、離婚のきっかけを作った父に反発し、「日本人」として生きてきた。だが、「いつも違和感があった。自分らしくいられなかった」。
 高校を出て東京でサラリーマン生活を送っていた20代後半、自然と共生する先住民の世界観を描いた本に出合った。30代で北海道に戻り、00年に芸術家集団「アイヌ・アート・プロジェクト」を結成。アイヌ伝統の弦楽器トンコリやギターを使って伝統音楽を現代風にアレンジし、ライブ活動を続ける傍ら、版画家としても活躍する。
 パリのイベントの主催は仏ノーベル賞作家のル・クレジオ氏。09年12月に北海道大で行われたシンポジウムで同席した縁で招かれた。「やってきたことは間違いじゃないと言われたようで光栄。アイヌ文化の豊かさに感謝してやまない」。葛藤を超えて今、アイヌである幸せをかみしめている。【中川紗矢子】
 【略歴】ゆうき・こうじ。北海道釧路市出身、札幌市在住。妻と2男3女。アイヌ・アート・プロジェクトは5家族24人で活動。47歳。
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20111128k0000m070125000c.html

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白老を訪問の前田国交相、アイヌ博物館など熱心に視察

2011-11-28 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2011年11月27日(日)朝刊】

 前田武志国土交通大臣が26日、「民族共生の象徴となる空間」整備地に決定した白老を訪問、象徴的空間の拠点となるアイヌ民族博物館やポロト湖畔を視察した。
 同湖畔では戸田安彦白老町長らの説明に耳を傾けた。「国立化」の期待が高まっているアイヌ民族博物館では展示品を視察、伝統的家屋「チセ」で即興歌やムックリ、鶴の舞、弓の舞、クマの霊送りの踊り・イオマンテリムセを観賞した。
 戸田町長は「民族共生の象徴となる空間の一日も早い整備をお願いしました。アイヌ博物館も熱心に見ていただいた。期待できる視察だったと思っています」、加藤忠北海道アイヌ協会理事長は「早く手をつけられるところは早くとお願いしました。『やるから』と言ってもらえたので力強く感じています」と話した。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/11/27/20111127m_08.html

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近代史上重要な事件 「牡丹社」国際会議

2011-11-28 | 先住民族関連
沖縄タイムス 2011年11月27日 09時23分

 【台湾・屏東県で嘉数よしの】台湾南部の屏東県牡丹(ぼたん)郷に漂着した宮古島住民ら54人が先住民に殺害された「牡丹社事件」(1871年)の国際学術会議(主催・台湾研究基金会など)が26日、同県の国立海洋生物博物館で開かれた。関係者は、同事件の「報復」として台湾出兵が起こり、後に琉球処分へつながったことから、東アジアの近代史上重要な事件と位置付け、来年は中国で会議を開催することを決めた。
 台湾や沖縄、韓国の研究者らが、さまざまな角度から事件を検証した。沖縄からは、犠牲者遺族の野原耕栄さん(63)、又吉盛清沖縄大客員教授、久貝弥嗣宮古島市総合博物館学芸員、里井洋一琉球大教授らが参加した。 
 又吉客員教授は、殺害された54人中44人の頭部が沖縄に送られたが、すべてが琉球人のものではなく、先住民のものと疑われると指摘する文献がある、と説明。遺骨の回収や送致の過程をみても混在していないとは言い難いとし「琉球人でも、そうでなくても『骨の真実』に迫り、歴史の隠蔽(いんぺい)があれば正され、新しい歴史像をつくり出していくことが重要」と語った。
 久貝さんは同事件をテーマに開催された2004年のシンポジウム以降、同市と台湾側の交流が進んでいると報告。台湾で視察を重ねるうち「事件への意識の高さに感激した」と語り、今後は「宮古島でも認識を深めていけるようにしたい」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-11-27_26576/

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【白老】前田国交相がアイヌ民族博物館など視察

2011-11-27 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2011年 11/26)

 前田武志国土交通大臣は26日午前、「民族共生の象徴的空間」の整備が決まった白老町を訪れ、アイヌ民族博物館など拠点となるポロト地区を視察。アイヌ文化に理解を深め、早期整備を願う地元関係者の声に耳を傾けた。
 同空間はアイヌ民族についての国民理解の促進、文化伝承、慰霊などの機能を備えた施設や公園を国が主体となって白老町に整備するもので、国交省は今年度予算に調査費1500万円を計上している。
 前田大臣は道アイヌ協会の加藤忠理事長、戸田安彦町長らの案内でポロト湖畔の景観、アイヌ民族博物館の展示や古式舞踊公演を視察。博物館ではオヒョウの樹皮で作った民族衣装「アットゥシ」などに関心を示したほか、戸田町長からは地元の文化伝承者が高齢化している現状を聞き取った。
 加藤理事長は空間整備について「今後のアイヌ政策の扇の要となる事業であり、手を付けられるところから早急に進めてほしいとお願いした。(大臣訪問は)早期整備に向け、力強く感じている」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/2011s/s11112602.html

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アイヌ協会登別支部、金成マツの没後50記念DVDを制作

2011-11-27 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2011年11月26日(土)朝刊】

 北海道アイヌ協会登別支部(合田克己支部長)が、アイヌ文化伝承者・金成マツ(1875~1961年)の没後50年を記念したビデオ(DVD)を完成させた。アイヌ関係者を撮影し続ける小野邦夫さん(74)=札幌市在住=が制作、同支部が監修し1時間52分にまとめた。
 小野さんはアイヌとゆかりの人々を撮り続けてきたカメラマン。知里幸恵はじめ、彫刻家・砂澤ビッキやイギリス人宣教師・ジョンバチラー、医師ニール・ゴールドン・マンローなどのビデオを完成させている。
 マツは「アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵(1903~22年)の伯母で、育ての母としても知られる。明治8年幌別村に生まれ、旭川や函館では婦人伝道師として活動した。「アイヌ叙事詩ユーカラ集」は昭和31年無形文化財に指定された。昭和36年85歳でこの世を去った。紫綬褒章受章、登別名誉町民表彰などを受けている。
 ビデオはマツを通してアイヌの歴史と文化の素晴らしさ、マツを中心とする知里・金成家の功績を広く知ってもらおうと800巻製作。北海道アイヌ文化振興・研究機構の助成を受けた。
 時代背景を織り交ぜ、マツと関係の深い尾形青天さん、藤本英夫さん、大友正幸さん、宮武伸一さん、藤原秀男さん、佐々木豊さん、谷本一之さんら総勢7人が功績を語る。
 「北海道歌謡集」(知里真志保監修)の音声などを収録し、9章に区切り、生涯と実像に迫る内容だ。
 小野さんは「映像と音声を通しマツが謡うユーカラの声や力強さを感じ取ってほしい」と力を込める。同支部は「貴重な資料。マツが残した功績は大きい。映像を通じ足跡をたどってほしい」と鑑賞を期待している。
 既に北海学園大学(札幌市)でアイヌ文学の授業で取り入れられている。知里真志保の著書「アイヌ文学」の復刻版と一緒にアイヌ関係団体、図書館、学校などに配布された。
(粟田純樹)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/11/26/20111126m_05.html

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「牡丹社」墓前に平和誓う 台湾で慰霊祭

2011-11-27 | 先住民族関連
沖縄タイムス 2011年11月26日 14時11分

 【台湾・屏東県で嘉数よしの】台湾南部の屏東県牡丹(ぼたん)郷に漂着した宮古島住民ら54人が先住民に殺害された「牡丹社事件」(1871年)の国際学術会議に参加するため訪台している犠牲者の子孫、野原耕栄さん(63)らが25日、同県にある琉球民墓で開かれた慰霊祭に参加した。野原さんは「ずっと来たかった」と、祖先ら54人が眠る墓前で合掌。先住民族の子孫や台湾政府関係者らも参加する初めての慰霊祭で、出席者とともに加害・被害の関係を超えて、共に平和を構築していこうと決意を新たにした。
 野原さんは、宮古島の有力者だった野原茶武(ちゃむ)さん(享年31)の子孫。若くして亡くなった無念や恐怖に思いをめぐらせ「いたたまれない」と漏らしながらも「子孫は続いている。ゆっくり眠ってほしい」と手を合わせた。空手道小林流範士9段の野原さんは、空手も披露した。
 沖縄側の代表としてあいさつした又吉盛清沖縄大客員教授は、事件の報復を口実にした明治政府の台湾出兵で、先住民も被害に遭ったことに触れた。琉球人だけでなく、双方の「遺族の悲しみを二度と繰り返してはいけない」と強調。「悲しみを共有することで、被害者も心安らかになる。引き続き共に真相解明などに努めたい」と話した。
 事件の加害者となった先住民・パイワン族の子孫、華阿財さん(79)は「申し訳ないことをしたが、(文化や言葉の違いで)誤解が重なり、事件が起こってしまった。歴史の傷を隠蔽(いんぺい)することなく、平和に向かっていきたい」と前を向いた。
 一行は、殺害現場となった双渓口や、12人の琉球人を救った楊友旺さんの子孫、楊信徳さん(58)宅なども訪問し、理解を深めた。
 26日には同県で国際学術会議が開かれる。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-11-26_26543/

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台湾、牡丹社事件140年 慰霊祭で子孫ら和解の握手

2011-11-27 | 先住民族関連
msn産経ニュース 2011.11.25 21:44

 【台北=吉村剛史】1871(明治4)年、航海中に強風に遭い、台湾南部に漂着した宮古島(現・沖縄県)の島民66人のうち、54人が台湾先住民に殺害された宮古島島民遭難事件(牡丹社事件)から今年で140年を迎えるのを機に、25日、日台の事件関係者の子孫らが南部の屏東県車城を訪れ、犠牲者の墓前で慰霊祭を行った。
 事件は、日本初の海外出兵となる74年の台湾出兵に発展し、琉球における日本の主権を清国も承認したため、東アジア近代史上重要な出来事とされている。
 台北教育大学の楊孟哲准教授が、日台の研究者らに呼びかけて開催した国際学術会議に、被害島民と先住民パイワン族、難を逃れた島民を保護した地元有力者の子孫らを招待し、今回の慰霊祭が実現した。
 慰霊祭に先立つ23日、台北での学術会議にパイワン族の民族衣装姿で出席した屏東県牡丹郷の元村長、華裕民さん(74)は、殺害された島民の子孫で沖縄空手指導者の野原耕栄さん(63)に「初めまして」と日本語であいさつ。野原さんは「事件はすでに歴史。感無量」と華さんと和解の握手を交わし、家の伝承などを語り合った。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111125/chn11112521450006-n1.htm

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憂楽帳:先住民の声

2011-11-26 | 日記
毎日新聞 2011年11月25日 12時04分

 「私は深い怒りを、また強い恐れを感じています。なぜなら公害は消費社会によってもたらされたものであり、それこそが汚染源だからです」。カナダの先住民居留地で起きた水銀汚染公害をテーマにした講演会が、東京都内であった。来日した先住民の女性の切実な言葉に、「消費社会」の恩恵を享受する一人として胸がうずいた。
 「カナダ水俣病」は、製紙工場からの廃水中の水銀に侵された魚を食べたのが原因だった。1975年から現地調査を続ける水俣病研究者の原田正純医師らによると、手足の痛みやしびれなど水俣病と合致する症状が認められ、補償金も支払われているが、救済されないケースも多いという。
 女性は穏やかな声で続けた。「大都市に暮らす何百万もの人々が生活のあり方を変えれば、(少数者が公害に苦しむ)この状況を大きく変えられるのではないかと思います……」
 利益は大都市・強者へ。負の部分は地方・弱者へ。カナダの事件と福島第1原発事故の構図が重なる。【平野幸治】
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20111125k0000e070060000c.html

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牡丹社事件の遺族、友好探る

2011-11-25 | 先住民族関連
沖縄タイムス 2011年11月24日 15時00分

 【台湾・台北市で嘉数よしの】台湾南部の屏東県牡丹(ぼたん)郷に漂着した宮古島住民54人が先住民に殺害された「牡丹社事件」(1871年)をテーマにした国際学術会議(主催・台湾研究基金会など)が26日に同県で開催される。140年の節目に開かれる会議には沖縄から被害者の子孫や研究者らも参加する。国際会議の関係者らが23日、台北市内で会見し、事件が東アジア情勢に与えた影響を検証する意義を強調した。
 事件は明治政府の台湾出兵につながった。東アジアの近代史上重要な事件とされており、近年研究が進んでいる。国際会議は2004年以来で、2度目の開催。台湾、日本、韓国、中国から研究者らが集う。25日には慰霊祭なども予定されている。沖縄から犠牲者の遺族、野原耕栄さん(63)と又吉盛清沖縄大学客員教授、宮古、石垣の研究者らが参加する。
 野原さんは、宮古島の有力者だった野原茶武(ちゃむ)さん(享年31歳)の子孫。会見では、「(先祖の死を)悲しく、悔しく思っていた」と胸中を吐露しつつ、「大きな会議が開催され、事件が検証されることに驚きとうれしさを感じている」とあいさつした。
 野原さんは殺害した先住民側の苦悩にも触れ、会見に同席した先住民の子孫、華裕民さん(79)と握手を交わした。「会議を通して、友好を深めていきたい」と語った。
 又吉客員教授は「牡丹社事件の検証は東アジアの大きなテーマだが、研究は遅れている。新たな文献が見つかったので発表する」と意欲を見せた。

[ことば]
 牡丹社事件 琉球王府時代の1871年、那覇に年貢を納めた帰りの宮古の貢納船が、暴風雨で遭難し、台湾南部の八瑶湾に漂着。乗員69人のうち3人が水死し、残りは先住民族・パイワン族の集落、牡丹社に救助を求めたが、言語や文化の誤解が重なり、54人が殺害された。生き残った12人は翌年、中国・福建省を経由して那覇に帰った。事件の報復を口実に、明治政府は74年、近代日本最初の海外派兵「台湾出兵」を強行した。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-11-24_26448/

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新世紀・世界文学ナビ:台湾編/8 リグラヴ・アウ=ナビゲーター・山口守

2011-11-24 | 先住民族関連
毎日新聞 2011年11月24日 東京朝刊

 ◇主体的に形成された自我
 今年の台湾映画最大の話題は、霧社事件(1930年)における先住民族(台湾では原初から住んでいたという意味で「原住民」と呼ばれる)の蜂起を描いた『セデックバレ』だろう。これを契機に台湾内外で先住民族に対するより深い理解が進むことを切望するが、台湾社会に限ってみても、現在人口の2%弱、約40万人を数える先住民族の人権について、日本植民地統治下の抑圧は言うに及ばず、国民党支配下でも劣悪な状況にあったことが十分に理解されているとは言い難い。
 パイワン族の女性作家リグラヴ・アウ(69年生まれ。日本ではリカラッ・アウーとの表記もある)が「忘れられた怒り」や「ウェイハイ、病院に行く」(『故郷に生きる』所収、2003年、草風館)で描くように、子どもの名前に民族の固有名を使うことすら困難があった。実はリグラヴ・アウ自身も名前を含めて、自らの民族アイデンティティを獲得することは容易ではなかった。彼女は大陸への帰還が不可能になった中年軍人と若い先住民族女性という戦後台湾独特の結婚形態から生まれた。父親は国民党政府による投獄・監視を経験しながら、娘に中国古典を学ばせて中国人意識を持たせた。
 一方、パイワン族の母親がなぜ無口なのかを知らぬままに成長したリグラヴ・アウは、やがて軍人や漢民族に囲まれて孤独であった母親の心の内を理解するようになり、母親の内部にあったパイワン族の豊饒(ほうじょう)な言葉や文化を発見する。その結果、漢民族名からリグラヴ・アウへと名前を変更、パイワン族としての民族アイデンティティを確立する。アイデンティティとは探すものでなく、主体的に形成するものであることを、自分の人生で描き切ったその姿は感動的である。
 激動の時代をまっすぐな心で生きた老女を描く「赤い唇のヴヴ」(同)に見られるように、聞き書きを多用し、先住民族の世界観・人間観を描くリグラヴ・アウの作品に登場するのは、自由な心と揺るぎない意志をもった女性たちである。耳の聞こえない少女との心の触れ合いを描いた「歌が好きなアミの少女」(同)では、「雑音がまったくない聴覚の世界では、楽しいアミ族の歌声は、美しく清らかなものに違いない」と、民族差別や身体的ハンディキャップへの偏見をものともせず、胸を張って生きる女性にこそ、人間の最も美しい魂が宿っていることを鮮やかに描く。
 今のところ作品はみな短編だが、大きな物語に発展する可能性を秘めた玉手箱のようなリグラヴ・アウの文学世界を、ぜひ多くの人に味わってほしい。(日本大文理学部教授)=毎週木曜日に掲載
 <作家本人から>
 ◇慎ましさの美学
 多くの中高年の台湾人と同じく、私もある意味日本文化がとても好きで、機会がある度に日本へ行ってみたくなります。毎回多くの収穫と望外の喜びが得られます。
 先住民の老人と同じように、慎(つつ)ましさがさりげなく表現されるので、日本人に親しみを覚えます。口元の控えめな微笑(ほほえ)みや、卑屈も高慢もないお辞儀や、穏やかな口調が、すぐに台湾南方の年配者を連想させます。
 この地方は大武山に守られて、めいめいがしっとりと温(ぬく)もりに満ちた体温を持ち、豊かな文化の栄養の中で、民族特有の境遇や人情を伝えています。それは慎ましさの美学であり、深部まで沁(し)みこんでいなければ表せない気質なのです。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111124ddm014070006000c.html

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