北海道新聞 02/29 05:00
千歳市中央にある縄文後期(約3200年前)の遺跡・キウス周堤墓群。世界遺産登録を目指す「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一角をなすこの巨大な墓ができた背景に、千歳川のサケの存在がある。市埋蔵文化財センター長だった高橋理(おさむ)(61)は、こんな「試論」を論文で展開している。
周堤墓はドーナツ状の盛り土の内側に墓穴を複数設けた集団墓だ。キウス周堤墓群は、約11ヘクタールに最大直径75メートルの9基が集まる。それ以前の時代の周堤墓より圧倒的に大きいが、巨大化した理由は未解明だ。
高橋の見方はこうだ。当時、キウス周堤墓群の西には広大な長都沼があって千歳川が分流して流れ込み、サケの漁場だった。気候が寒冷化した縄文後期、サケの産卵の適期が長期化して遡上(そじょう)が大幅に増える。多くのサケを効率的に捕り、交易に使うため集落を越えて人々が協業し、その構成員を埋葬する墓も大規模化した―。
重要な食資源であり交易資源でもあったサケが、地域社会の変容のカギになったというのだ。「人とサケの関係は、日本の歴史と常に密接な関わりを持ってきた」と高橋は語る。
■教育や観光も
約390ヘクタールに及ぶ長都沼は戦後の干拓で消え、農地に姿を変えた。環境改変などにより千歳川でのサケ親魚の捕獲数は1950年代、1万匹に満たない危機的水準に陥る。増加に転じるのは、人工ふ化の技術改善や海洋環境の好転があった70年代以降だ。
こうした中でも冬ザケは捕獲の対象とならずに上流部で自然産卵し、命をつないできたとみられる。それを可能にしたのは産卵に適した上流部の自然環境だ。
水が澄み川底に小石が多く、湧き水が豊富だ。支笏湖が「水がめ」の役割を果たしているため流量が安定し、護岸もない。市街地に近いが、豊かな自然の中で冬ザケをはじめ野生生物を観察でき、環境教育や体験観光の場となり得る。
ただ利用の度が過ぎれば、環境への負荷は高まる。冬に上流部でワシの観察会を開く市民団体「しこつ湖自然体験クラブ*トゥレップ」の高橋直宏(60)は「環境に応じてイベントの定員を調整している。環境への配慮は当然だが、見てもらわないと素晴らしさは伝わらない。バランスが難しい」と話す。
■新たなルール
冬ザケが上る千歳市蘭越地区の約4キロ区間の流域は、市が条例で「自然環境保全地区」に指定している。このうち、自然産卵の多い1キロ区間は道の委員会の指示で魚類の捕獲が禁じられていたが、2010年に解除され、危機感を強めた「トゥレップ」など4団体が市と対策協議会を作り、12年に地区指定された。
著しく自然環境を壊せば罰則もある。ただ魚の捕獲は禁止ではなく、「釣りの自粛」の呼びかけにとどまり、冬ザケの産卵期も釣り人が川に入る。教育や観光に利用するには、さらなる「ワイズユース(賢い利用)」の知恵が必要だ。
サケのふるさと千歳水族館(市花園)館長の菊池基弘(52)は「自然産卵する冬ザケが命がけで戦い、子孫を残す姿は見る者の心を強く揺さぶる。千歳川上流部は環境教育や体験観光の場として価値が高い」と語り、こう提言する。「環境を守りながらどう利用するか、関係者でルールを作る時ではないか」(敬称略)=おわり=
■<インタビュー 冬ザケを考える>4 菊池基弘さん(52)=サケのふるさと千歳水族館館長 観察窓の向こう、圧巻の冬ザケ産卵
千歳川の中流域にある当館の売り物は、川の中をのぞき見ることのできる全国でもまれな水中観察窓です。秋、千歳川に帰り、窓の前で群れるサケの迫力は圧倒的です。年間約25万人の来館者の多くはこの時期のサケが目当てですが、実は来館者が窓の前にとどまる時間が長いのは、秋の遡上(そ じょう)がヤマ場を越えた冬です。
あまり知られていませんが、12月から1月にかけて、窓の前では冬ザケが自然産卵します。館に隣接するサケの捕獲施設インディアン水車の稼働が終わり、サケは上流の産卵場所へ行ける時期ですが、湧水と同じように河川水より温かく、産卵に適した伏流水が川底にあるためでしょう。多い時で20匹ほど並びます。
秋サケより一回り大きい雄が雌を巡ってかみつき合い、体をぶつけ合う音さえ聞こえます。運が良ければ雌雄並んで体を震わせ、産卵・授精する瞬間が見られます。窓の前で1時間粘って、産卵の場面は5秒ほど。それでも来館者へのインパクトは絶大です。「うわー」と声が上がり、涙ぐむ人や感動が忘れられず冬場に何度も来る人もいます。
秋に窓の前で自然産卵が確認されたのは開館から26年で1度だけ。自然産卵は冬ならではの売り物です。
野生の生き物が懸命に命をつなぐ姿が、見る人に伝えるものは大きい。上流部で産卵を終えたホッチャレが野生生物に食われる姿を通して「命のつながり」を体感できることを含め、冬の千歳川は教育や観光の場として大きな可能性を持っていると思います。
大人にこそ冬ザケを見てほしい。現代の社会で野生生物と向き合う機会は大人にも多くありません。冬の千歳川を上流から中流までたどり、野生の生き物を通して見た「命の姿」について、子どもたちに伝えてあげてほしいのです。
上流部は市街地に近いのに、豊かな自然環境が安定して保たれている希有(け う)な地域です。当館でも今後、冬ザケの観察会を企画したい。冬ザケと生息環境を守りながら、サケ資源の維持や教育・観光、そしてアイヌ伝統サケ漁に、いかに多面的に利用していくか、研究機関、環境団体、アイヌ民族団体などが話し合ってはどうでしょう。
冬の「サケ観光」の認知度はまだ低いのが現状です。当館の水中観察窓でも、冬なら必ず自然産卵が見られるというわけではない。「サケは秋」というイメージが強く、当面はPRのてこ入れも必要でしょう。
将来的に懸念されるのはオーバーユース(過剰利用)です。あまりに多くの人が上流部に不用意に近づけば、神経質な産卵前のサケやワシを驚かせてしまいます。川に立ち込めば産卵床を傷める恐れもある。上流部は千歳市が自然環境保全地区に指定していますが、魚の採捕は禁じられていません。道内各地や空港経由で道外から訪れる人も含め、どうコントロールしていくか。関係者の話し合いが必要な時ではないでしょうか。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/397759
千歳市中央にある縄文後期(約3200年前)の遺跡・キウス周堤墓群。世界遺産登録を目指す「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一角をなすこの巨大な墓ができた背景に、千歳川のサケの存在がある。市埋蔵文化財センター長だった高橋理(おさむ)(61)は、こんな「試論」を論文で展開している。
周堤墓はドーナツ状の盛り土の内側に墓穴を複数設けた集団墓だ。キウス周堤墓群は、約11ヘクタールに最大直径75メートルの9基が集まる。それ以前の時代の周堤墓より圧倒的に大きいが、巨大化した理由は未解明だ。
高橋の見方はこうだ。当時、キウス周堤墓群の西には広大な長都沼があって千歳川が分流して流れ込み、サケの漁場だった。気候が寒冷化した縄文後期、サケの産卵の適期が長期化して遡上(そじょう)が大幅に増える。多くのサケを効率的に捕り、交易に使うため集落を越えて人々が協業し、その構成員を埋葬する墓も大規模化した―。
重要な食資源であり交易資源でもあったサケが、地域社会の変容のカギになったというのだ。「人とサケの関係は、日本の歴史と常に密接な関わりを持ってきた」と高橋は語る。
■教育や観光も
約390ヘクタールに及ぶ長都沼は戦後の干拓で消え、農地に姿を変えた。環境改変などにより千歳川でのサケ親魚の捕獲数は1950年代、1万匹に満たない危機的水準に陥る。増加に転じるのは、人工ふ化の技術改善や海洋環境の好転があった70年代以降だ。
こうした中でも冬ザケは捕獲の対象とならずに上流部で自然産卵し、命をつないできたとみられる。それを可能にしたのは産卵に適した上流部の自然環境だ。
水が澄み川底に小石が多く、湧き水が豊富だ。支笏湖が「水がめ」の役割を果たしているため流量が安定し、護岸もない。市街地に近いが、豊かな自然の中で冬ザケをはじめ野生生物を観察でき、環境教育や体験観光の場となり得る。
ただ利用の度が過ぎれば、環境への負荷は高まる。冬に上流部でワシの観察会を開く市民団体「しこつ湖自然体験クラブ*トゥレップ」の高橋直宏(60)は「環境に応じてイベントの定員を調整している。環境への配慮は当然だが、見てもらわないと素晴らしさは伝わらない。バランスが難しい」と話す。
■新たなルール
冬ザケが上る千歳市蘭越地区の約4キロ区間の流域は、市が条例で「自然環境保全地区」に指定している。このうち、自然産卵の多い1キロ区間は道の委員会の指示で魚類の捕獲が禁じられていたが、2010年に解除され、危機感を強めた「トゥレップ」など4団体が市と対策協議会を作り、12年に地区指定された。
著しく自然環境を壊せば罰則もある。ただ魚の捕獲は禁止ではなく、「釣りの自粛」の呼びかけにとどまり、冬ザケの産卵期も釣り人が川に入る。教育や観光に利用するには、さらなる「ワイズユース(賢い利用)」の知恵が必要だ。
サケのふるさと千歳水族館(市花園)館長の菊池基弘(52)は「自然産卵する冬ザケが命がけで戦い、子孫を残す姿は見る者の心を強く揺さぶる。千歳川上流部は環境教育や体験観光の場として価値が高い」と語り、こう提言する。「環境を守りながらどう利用するか、関係者でルールを作る時ではないか」(敬称略)=おわり=
■<インタビュー 冬ザケを考える>4 菊池基弘さん(52)=サケのふるさと千歳水族館館長 観察窓の向こう、圧巻の冬ザケ産卵
千歳川の中流域にある当館の売り物は、川の中をのぞき見ることのできる全国でもまれな水中観察窓です。秋、千歳川に帰り、窓の前で群れるサケの迫力は圧倒的です。年間約25万人の来館者の多くはこの時期のサケが目当てですが、実は来館者が窓の前にとどまる時間が長いのは、秋の遡上(そ じょう)がヤマ場を越えた冬です。
あまり知られていませんが、12月から1月にかけて、窓の前では冬ザケが自然産卵します。館に隣接するサケの捕獲施設インディアン水車の稼働が終わり、サケは上流の産卵場所へ行ける時期ですが、湧水と同じように河川水より温かく、産卵に適した伏流水が川底にあるためでしょう。多い時で20匹ほど並びます。
秋サケより一回り大きい雄が雌を巡ってかみつき合い、体をぶつけ合う音さえ聞こえます。運が良ければ雌雄並んで体を震わせ、産卵・授精する瞬間が見られます。窓の前で1時間粘って、産卵の場面は5秒ほど。それでも来館者へのインパクトは絶大です。「うわー」と声が上がり、涙ぐむ人や感動が忘れられず冬場に何度も来る人もいます。
秋に窓の前で自然産卵が確認されたのは開館から26年で1度だけ。自然産卵は冬ならではの売り物です。
野生の生き物が懸命に命をつなぐ姿が、見る人に伝えるものは大きい。上流部で産卵を終えたホッチャレが野生生物に食われる姿を通して「命のつながり」を体感できることを含め、冬の千歳川は教育や観光の場として大きな可能性を持っていると思います。
大人にこそ冬ザケを見てほしい。現代の社会で野生生物と向き合う機会は大人にも多くありません。冬の千歳川を上流から中流までたどり、野生の生き物を通して見た「命の姿」について、子どもたちに伝えてあげてほしいのです。
上流部は市街地に近いのに、豊かな自然環境が安定して保たれている希有(け う)な地域です。当館でも今後、冬ザケの観察会を企画したい。冬ザケと生息環境を守りながら、サケ資源の維持や教育・観光、そしてアイヌ伝統サケ漁に、いかに多面的に利用していくか、研究機関、環境団体、アイヌ民族団体などが話し合ってはどうでしょう。
冬の「サケ観光」の認知度はまだ低いのが現状です。当館の水中観察窓でも、冬なら必ず自然産卵が見られるというわけではない。「サケは秋」というイメージが強く、当面はPRのてこ入れも必要でしょう。
将来的に懸念されるのはオーバーユース(過剰利用)です。あまりに多くの人が上流部に不用意に近づけば、神経質な産卵前のサケやワシを驚かせてしまいます。川に立ち込めば産卵床を傷める恐れもある。上流部は千歳市が自然環境保全地区に指定していますが、魚の採捕は禁じられていません。道内各地や空港経由で道外から訪れる人も含め、どうコントロールしていくか。関係者の話し合いが必要な時ではないでしょうか。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/397759