山と渓谷 2020年10月30日
アイヌと神々の物語、アイヌと神々の謡
アイヌ語研究の第一人者、故・萱野茂氏が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の話を収録した名著『アイヌと神々の物語』。発刊後、増刷が相次ぎ同ジャンルとしては異例の話題書となっています。北海道の白老町に「ウポポイ(民族共生象徴空間)」もオープンし、アイヌについて関心が高まる今、本書からおすすめの話をご紹介していきます。第5回は、ヘビの女神に見初められた若者の話です。
ヘビの血
私には母がいて父がいて、本当に物持ちの家で、何が欲しいとも、何が食べたいとも思わないで暮らしていた一人の若者です。
父がしばしば私に聞かせてくれる話では、
「私たちが暮らしているこのコタン(村)からずうっと下流に、お前の叔父がいて、そこには男二人と女一人の子どもがいる。そのうちの娘をお前の嫁にもらうことに前々から話をしてあるので、いつの日かその娘の顔を見に行くがいい」
と私に聞かせてくれていました。私は行ってみたいと思ってはいたのですが、暇がないような気がして、しばらくの間行かないでいました。
ある夏のこと、父があまりうるさくいうので、行ってみようと思い、出かけました。家を出てしばらく歩いていくと、どこからか知らないが、何者かの大いびきが聞こえるのです。立ち止まっては辺りを見回し、いびきの主(ぬし)を探してみてもわかりません。それも私が歩くと聞こえて、立ち止まると聞こえないという具合です。
足音をさせないように、だんだんといびきのする方へ近づくと、それは地上ではなく、高い立ち木の上から聞こえてきたのです。その木の上へ目をはわせると、なんと、そこには大蛇(だいじゃ)がいたのです。太い立ち木が三本の対(つい)になり、枝が広がっている上に、太く長い体をぐるぐると巻いて、いびきをかいています。
それを見た私は、本当に驚きましたが、大蛇がこのまま私を見逃すわけはないと思い、さっと走りました。すると、大蛇は木の枝の上から滑(すべ)るように下りて、私を追いかけはじめました。私の走る速さは、普通の人の二倍ぐらい速いはずでしたが、二人の間、いや違った、私と大蛇の間の距離はみるみる詰まり、もはやこれまでと思った時です。
前の方に、太い立ち木が風で折れてできた空洞(くうどう)になっている所へ、スズメほどの大きさのハチの大群がいるのが見えました。それを見た私は、私より先へ言葉を走らせ、
「ハチの神様、私を助けてくださあい。アイヌは酒やイナウ(木を削って作った御幣〔ごへい〕)でお礼をするものですから、助かったら、それらを持ってお礼をし、いつまでも神として祭ります。わたしを追いかけている化け物大蛇を殺してえ」
と叫びました。
高い声で叫びながら、ハチが群がっている半分に折れた木の下を、私はさっと走りぬけました。私が走りぬけたそのあと、急に静かになったような気がしたので、後ろを見ると、あの大蛇の体を赤いござで包んだかのように、真っ赤にハチの群れがとまっています。
スズメほどの大きさのハチの大群に襲われた大蛇はのたうちまわり、苦しんでいましたが、間もなく死んでしまいました。それを見た私は大急ぎで家へ帰り、父にその話をしました。
父は、「ハチの神様が助けてくれなかったら、たった一人の息子がどうなったものか」と言いながら、私の無事を泣いて喜んでくれました。そのあと、たくさんのお酒を醸(かも)し、美しいイナウを削って、ハチの神様へお礼として贈りました。
ハチの神様への感謝のお祈りやら祭りを終えたあと、父がいうことには、「これからあと、三年の間は狩りのために山へ入ったりしないように」ということでした。父にいわれたとおり、私は三年間山へ行かずにいました。そして、ようやくのこと、三年が過ぎました。
ある日のこと、私はコタンを流れる川の上流へ向かって少し行き、それから川が二股に分かれたので、かなり大きい沢の方をずんずん登っていきました。すると、その沢の上流に広い沼が見えました。こんなところに沼があったかな、と思いながら近づくと、驚ろいたことに、三年前のあの大蛇が沼の縁(ふち)をぐるっと巻くような形で、長々と寝そべっているのです。
それを見た私は、どうせ殺されるなら少しでも斬ってやろうと思い、腰のタシロ(山刀)をさっと抜いて、えいっとばかりに斬りかかりました。すると思いのほかうまく斬ることができて、大蛇を二つから三つに斬り分けました。
死んだ大蛇から流れた血が沢へ流れこみ、沢はまるで血の沢といえるほど真っ赤になって流れています。その血の沢を見ていた私が、こともあろうに、その血の沢の水を飲みたくなったのです。
こんなもの、飲んではいけない、飲んではいけないと、いくらがまんしても、とうとうがまんしきれず、私は腹ばいになって水面に顔を押し当て、ゴクン、ゴクンと飲んでしまいました。腹いっぱいに飲み終わって、初めてわれに返って、ああ、これでとうとう大蛇に負けた、そう思ったとたん、悔(くや)し涙が私の顔の表を滝のように流れ落ちました。
私は草の上へごろりと横になって泣いているうちに、いつの間にやら眠ってしまい、夢なのか、幻なのか、一人の美しい女が私のそばへ来ていうのは、次のような言葉でした。
「アイヌの若者よ。わたしはヘビの女神だが、神の国でわたしに似合いの男を探したが見当たらず、アイヌの国へ目をやったら、お前がいた。三年前に、お前が婚約者の所へ出かけるのを見たわたしは、お前を殺して命をもらおうと思ったが、ハチの神にじゃまされて逆に殺されてしまった。
今日、お前が山へ来るのを見たわたしは、ここで待ち、普通のやり方では命を取れないと思ったので、わざと殺され、わたしの血を飲ませたのだ。これでお前は近いうちに死に、神の国でわたしと夫婦になることが決まった」と、一人の女が言ったのを、見たか聞いたかしたような気がして、目を覚ましました。
私は大急ぎで家へ帰り、家の中へは入らずに家の外から父を呼び、山であったことを事細かに聞かせました。父は、一人息子を化け物ヘビに取られてなるものかと、山へ私を連れていって、立ち木の神へお願いするやら、川へ連れていって、川の神へお願いするやら、ありとあらゆる神の名を呼びならべ、私を守るようにお願いをしてくれました。
しかし、化け物ヘビの呪術が上であったらしく、私の体はすっかり腫れあがり、目も口もわからなくなるほどになってしまいました。
うわさを聞いた私の許嫁(いいなずけ)も、二人の兄と来てくれましたが、手の施しようのない私を見て、泣きながら帰ってしまいました。
日一日と腫れあがった私の体は、今度は肉が溶け落ちてきました。そのような私を、父や母は神々に救いを求めるやら、いろいろと手当てをしてくれましたが、私はもう死ぬばかりです。
そのようなわけで、生まれ育ちは何不自由のない若者であった私が、化け物ヘビに魅入られ、このような死に方をしようとしています。
だから、今いるアイヌよ、どんな恵まれた家庭に生まれても、悪魔に魅入られることもあるものだから注意しなさい、と一人の若者が語りながら世を去りました。
語り手 平取町荷負本村 黒川きよ
(昭和36年10月29日採録)
解説
大蛇の話はしばしばありますが、めったにアイヌが負けることはないものです。しかし、この話ではアイヌの若者がヘビの女神?に魅入られ、とうとう死んでしまいます。
昭和三十六年当時は、テープレコーダーは大変珍しい道具でした。したがってマイクを向けられると、語り手のおばあちゃんたちは緊張してしまって、いうことを忘れたりして大事な部分の、「だから、こうしてはいけません」とかを忘れてしまいます。そこで、語り手が明らかにいい忘れていると思われる部分は、私が翻訳者の責任で補足しました。
それと、おばあちゃんたちはテープそのものが大変高価なものと思って、なるべく長くしゃべらないことが、録音者の私を助けることと思ってくれたふしもあります。
いうまでもありませんが、補足のしすぎなどのないように注意しました。またウウェペケレ(昔話)には常套句というものがあり、それらを大事にしました。
しかし、だんだんとマイクに慣れたおばあちゃんたちは、いい忘れのないように注意してくれるばかりでなく、マイクをもっと近づけろなどと、気を遣ってくれるようになったものです。
この話の語り手の黒川きよフチ(おばあさん)は、あいきょうのいい方で、少し、ほんの少しお酒を飲むと、「下手でもあいきょうだ」と、率先して歌い踊る方でした。そのためあだ名を「へたばあさん」とつけられ、コタン(村)の人気者でもありました。
子どものころに大ヘビの話を聞くと、本当にいるような気がして恐ろしかったものです。アイヌ語で語られたテープを聞くと、子どものころの恐ろしさが迫ってきます。アイヌ語で聞いてほしい、とつくづく思いました。
(本記事は『アイヌと神々の物語~炉端で聞いたウウェペケレ~』からの抜粋です)
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1233