先住民族関連ニュース

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ウポポイ内遺骨 「適切管理行う」首相

2020-10-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/31 05:00
 菅義偉首相は30日の参院本会議の代表質問で、胆振管内白老町のアイヌ文化振興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」内の慰霊施設に安置されたアイヌ民族の遺骨について、「アイヌの人々の受け入れ態勢が整うまで適切な管理を行う」と述べた。各大学に保管された遺骨も含めて「閣議決定に基づいて返還を進める。尊厳ある慰霊の実現が図られるように適切に対応する」とした。
 立憲民主党の水岡俊一氏への答弁。(石井努)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/476737

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札大にアイヌ研究機関 12月開設 文化の担い手育成

2020-10-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/30 08:25 更新
 札幌大は12月、学内に「アイヌ文化教育研究センター」を新設する。学生向けにアイヌ古式舞踊などを伝える研修を実施するほか国内外の研究機関との交流も展開する。胆振管内白老町にアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業し、アイヌ民族への関心が高まる中、同大はアイヌ文化の担い手を育成する中核拠点としてセンターを運営していく考えだ。
 研修の主な内容は古式舞踊のほか口承文芸、アイヌ語などで、一部は受講すると単位認定される。このほか、アイヌ民族と海外の先住民族に関する研究や、市民向け講演会などの事業も実施。地域の高校とも連携するなど地域との関係強化にも取り組む。
 センター長には本田優子教授(アイヌ文化)が就任。ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)の理事長も務める常本照樹教授(憲法)と瀬川拓郎教授(考古学)が講師を務める。同大とは別組織の一般社団法人札幌大学ウレシパクラブとも連携を図るといい、大森義行学長は「次世代を育てながらアイヌ民族に関する理解の促進に貢献したい」と話している。(田鍋里奈)
※「ウレシパクラブ」の「シ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/476210

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萱野茂さんが開いたアイヌ文化継承の道 北海道・二風谷 志つなぐ笑顔の学びや

2020-10-31 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2020年10月30日 大阪夕刊
 アイヌ文化の発信拠点として北海道白老町に7月開館した「民族共生象徴空間ウポポイ」。その展示を見て、アイヌ初の国会議員となった萱野茂さん(1926~2006年)が、アイヌ語継承などに果たした役割の大きさを改めて知った。白老の東60キロ。萱野さんが生まれ育ち、多くの著作の舞台となった平取町二風谷(びらとりちょうにぶたに)を訪ねた。
 日高地方の沙流川流域にある二風谷はサケや山の幸に恵まれ、狩猟採集民だったアイヌが古くからコタン(集落)を形成した。祖母のアイヌ語に育まれた萱野さんは、自分たちの文化を守るため民具を集めると共に、文字を持たないアイヌの言葉や口承文芸を記録、辞典などを著した。私は学生時代の85年「アイヌの碑(いしぶみ)」「おれの二風谷」などの著作を読み、現地を訪問。以来、何度も萱野さんの実弟が営む民宿の世話になった…
この記事は有料記事です。
残り1071文字(全文1436文字)
https://mainichi.jp/articles/20201030/ddf/012/040/008000c

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「アイヌとして生きるために」

2020-10-31 | アイヌ民族関連
NHK 2020年10月30日 
総合 2020年11月6日(金)午後7時30分
自分たちはアイヌとしてどのように生きればいいのか―アイヌたちが自問自答を始めた。かつては川で自由にサケを獲り、神への感謝を捧げる儀式を行っていた浦幌町のアイヌたち。民族としての誇りを取り戻そうと復活させることを決意するが、一度途絶えた伝統をよみがえらせるのは並大抵のことではない。現代のアイヌとして生きようと試行錯誤を続ける人々に密着した。
【MC】鈴井貴之,【サブMC】多田萌加
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/program/1902/7e47bc1cd/

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【祝】『Future is MINE -アイヌ、私の声-』Hollywoodの日本映画祭にてノミネート!

2020-10-31 | アイヌ民族関連
- Japan Connects Hollywood 2020 -
PR TIMES 2020年10月30日 11時00分
株式会社3ミニッツ(本社 : 東京都新宿区、代表取締役社長兼CEO : 松田昌賢、グリー株式会社100%子会社、以下「3ミニッツ」)が運営するファッション動画マガジン「MINE(マイン)」にて制作した、女性のエンパワーメントを目的とする短編ドキュメンタリー『Future is MINE -アイヌ、私の声-』が、「Japan Connects Hollywood」にてOfficial Selectionとして選出されたことをお知らせします。
"Short Shorts Film Festival & Asia 2020"でのOfficial Selectionと"ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020 Powered by Hulu"でのWomen’s Empowerment Selectionに続き、『Future is MINE -アイヌ、私の声-』が"Japan Connects Hollywood 2020"にて、Official Selectionに選出されました。
◾︎監督コメント
セレクション頂き誠にありがとうございます。
今作の撮影で萱野さんと共にフロリダのハリウッドを訪れてから約1年が経ちますが、再び「ハリウッド」と繋がることが出来ました。公開してしばらく期間も経ち、今ではすごく新鮮な気持ちでこのドキュメンタリーを観ることが出来ます。そして自分自身勇気をもらいます。
それはやはり、萱野さんのドラマが普遍性を持った物語であるからだと思います。
こうして海外に繋がっていくことを実感できて大変嬉しく思います。
◾︎『Future is MINE -アイヌ、私の声-』 作品概要
北海道・二風谷に住むアイヌの女性、萱野りえさんは、アイヌが多く暮らす北海道・阿寒湖に生まれ、アイヌの唄や踊りに囲まれて育ちました。成長してゆく中で、アイヌである自分を嫌になったことがありましたが、信頼できる友人との出会いをキッカケに、アイヌ語で歌うボーカルグループ「MAREWREW」の一員として、再びアイヌ文化と共に歩み始めます。しかし、自分の活動に限界を感じ、いつしか自信を失っていったのです。
結婚・出産を経験し、めまぐるしく過ぎゆく日々の中で、時間に限りがあることに焦りを感じたりえさん。一瞬立ち止まったときに湧き上がってきたのは、やはり自分のルーツであるアイヌへの想いでした。
そんなとき、米国フロリダ州南部に居住する先住民・セミノール族の人々との交流するチャンスが訪れます。同じ先住民として独自の文化を持つ彼らの姿に、彼女は何を学び、何を見出したのでしょうか。
--
Future is MINE -アイヌ、私の声-
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=QQPqHGG5NGc&feature=youtu.be
--
◾︎出演者プロフィール
萱野 りえ
北海道の阿寒湖アイヌコタン(現釧路市阿寒町阿寒湖温泉)の生まれ。アイヌの学者であり、アイヌ神話の翻訳者である山本多助氏を祖父に持ち、アイヌ古式舞踊などアイヌ文化に触れながら育つ。アイヌ文化の担い手を育てる札幌大学「ウレシパクラブ」(※)第1期生、アイヌ民族文化財団「伝承者育成事業」の第3期生として自らアイヌ文化を学び、アイヌ語で歌うボーカルグループ「MAREWREW」の一員としても活躍。
現在は、同じアイヌの血を引く夫との間に一女をもうけ、北海道平取町にてゲストハウスで働きながら、アイヌ文化の普及に努めている。
(※)「シ」は、アイヌ語のカタカナ表記では字体を小さくします。
◾︎監督
富田 大智
CM、MVなどのプロダクションマネージャーを経て、3ミニッツへ。WEBCMやブランデッドコンテンツの演出を手掛け、『おじさん取り扱い講座』『22時の男と女』などショートドラマでは脚本、監督を務める。
現在は、初の短編映画監督作『秘密のフレグランス』の制作支援クラウドファンディングを実施中。
https://camp-fire.jp/projects/view/338458
◾︎エグゼクティブプロデューサー
Chuk Besher
コロンビア大学 国際関係・公共政策大学院(School of International and Public Affairs)修士課程卒業。日本研究及びインターナショナル・コミュニケーション専攻。その後、政策渉外・マーケティング・メディア・エンタメ・スポーツなどのコンテンツプロデュースに携わり、2017年に女性エンパワメント・ドキュメンタリー・シリーズ、Future is MINEを発起。
◾︎Future is MINEとは
Future is MINEは、女性のエンパワーメントを応援するドキュメンタリーコンテンツです。
「幸せは自分で決める」をテーマに、自ら未来を切り開きたいと願う女性たちが、旅や人々との交流を通して成長する様子を描き出します。
女性の社会進出が叫ばれる昨今。自分らしく生きたいと願うものの、様々な障害に直面し、なかなか一歩を踏み出せない女性たちが多くいるのも事実です。自分の将来や混沌とした社会に不安を抱えている女性たちの共感を呼び、さらには、自分らしく輝く未来へと後押しするコンテンツを目指します。
◾︎Japan Connects Hollywoodとは
Japan Connects Hollywoodは、「ハリウッドのメジャー映画会社で現役として活躍するセレブリティたちと日米協会」(1917年に日米両国の有識者たちによって創立された日米民間交流団体)の主催により、新たに今年からロサンゼルスにて映画祭「Japan Connects Hollywood」(ジャパン・コネクツ・ハリウッド)が開催。
本映画祭は昨年の「JAPAN CUTS Hollywood 2019」(ジャパンカッツ・ハリウッド2019)をさらに発展させ、長編映画、ドキュメンタリー、ショートフィルムやビジネスパネルなどの上映を通じて、日米のエンターテインメント産業の双方向の架け橋となることを目的とした映画祭として発足。昨年はモデルのSHIHOが映画祭アンバサダーを務め、女優の篠原涼子ほか多くのゲストが訪れるなど華やかに開催され、現地でも大きな話題となった。
◾︎Japan Connects Hollywood概要
開催期間: 10月30日(金)~11月1日(日)
開催形態: オンライン開催
映画祭公式ページ: https://www.japanconnectshollywood.com/
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000131.000011770.html

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鹿沼・川上澄生美術館で企画展 北海道時代に焦点 初公開「樽前山」など70点

2020-10-31 | アイヌ民族関連
東京新聞 2020/10/31 08:10
 宇都宮を拠点に創作活動を続けた版画家川上澄生(一八九五〜一九七二年)が戦時中、北海道で過ごした時代に焦点を当てた企画展「北海道と川上澄生 北の大地での収穫」が、鹿沼市立川上澄生美術館で開かれている。初公開含め七十点を展示している。十一月二十九日まで。
 澄生は一九四五年、妻の実家がある北海道の安平町に向かい、その後、白老町に移り、約三年間、北の大地で暮らした。展示作品の夕焼けに浮かぶ樽前山の山容は今回が初公開で、版画では珍しく油絵の具で立体感を表現している。
 北海道時代は本を出版したり友人の詩集の装丁を手掛けたりした。絵巻物「あいのもしり」や本「えぞがしま」はアイヌ民族の歴史や北海道の風俗が題材。苫小牧の市制移行を記念し、製紙会社の依頼で創作した版画集「とまこまい」は限定三十部の貴重な作品だ。
 今回の展示に向けた調査で、北海道に向かったのは永住目的だったことが、友人宛ての書簡などから新たに分かった。学芸員の相沢美貴さんは「風景やアイヌに関連する作品を多く創作し、思い入れが強かったことがうかがえる」と話す。
 原則月曜休館。入場料は一般三百円、高校・大学生二百円、小・中学生百円。(原田拓哉)
https://news.goo.ne.jp/article/tokyo/region/tokyo-65484.html

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伊那VALLEY映画祭 来月12〜14日に

2020-10-31 | アイヌ民族関連
長野日報 2020/10/30 06:00
 伊那谷の歴史や文化、民俗を題材にした映画や映像作品を無料上映する第2回伊那VALLEY(バレー)映画祭が11月12〜14日、伊那市西春近のかんてんぱぱ西ホールで開かれる。記録や映像を通して地域の価値を見いだす3日間のイベントで、研究者や制作者による解説、トークを交えた多彩な催しを繰り広げる。
 一般社団法人井上井月顕彰会の関係者や大学教授らで構成する実行委員会が主催。今年は▽伊那谷ものがたり▽アイヌと伊那谷▽戦争の記憶▽朝鮮民族の流転〜伊那谷そして中央アジア・サハリン―の四つのテーマで地域を見詰める。
 映画祭では昭和初期の鉄道の工事にアイヌの人たちが関わり、朝鮮半島の人たちが働いたことを描いたドキュメンタリー映像も上映する。副実行委員長の高柳俊男法政大学国際文化学部教授は「伊那谷は山の中だからといって隔絶されたものではなく、外ともつながっていた。それには悲劇も喜劇もある」と述べ、映画祭で取り上げる意義を強調。北村皆雄実行委員長は「地元の皆さんにぜひ見ていただき、伊那谷を深く知り、発見する機会にしてほしい」と話した。
 新型コロナウイルス感染予防のためにプログラムを各日午前、午後の計6パートに分け、入場はそれぞれ最大70人とした。参加には事前登録が必要。井月顕彰会のホームページの参加フォームを使うか、チラシの申込書を事務局(ファクス03・3350・0654)へ送る。締め切りは11月10日。問い合わせは実行委員会(電話03・3341・6975)へ。
https://news.goo.ne.jp/article/naganonp/region/naganonp-69285.html

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日本の国際法専門家も「被害者中心、人権の視点から強制動員の解決探るべき」

2020-10-31 | アイヌ民族関連
ハンギョレ 10/30(金) 12:18
インタビュー|国際法専門家 阿部浩己 明治学院大学教授  個人請求権が残っていると主張していた日本政府 2000年代に立場が変わる  西松訴訟の補償合意が糸口 何の措置も取らないことが国際法違反  韓日、政策決定権者の合意では解決困難 普遍妥当な人権の視点から解決すべき
 「過去の不正義な行為に対する被害者中心のアプローチは国際的な流れ。強制動員問題を人権の視点から認識し、当事者の声を大切にすることで、韓日が共同で解決策を探るべきだ」
 日本の国際法の専門家で明治学院大学教授(国際学)の阿部浩己さん(62)は、30日に強制動員賠償についての韓国最高裁判決2周年を前に、29日に行われたハンギョレとの電子メールインタビューで、「最近の国際法の流れは国家ではなく個人の権利、被害をどのように賠償していくのかという方向へと大きく転換している」として、このように述べた。阿部教授は「1965年の韓日請求権協定で強制動員問題は解決されていない」とし「何の措置も取らない今の状況は国際法に違反している」と指摘した。
-2018年10月30日に出た韓国最高裁判決をどう評価するか。
 「韓日関係だけでなく、東アジアの秩序を平和的かつ持続可能なものとするためには、過去の不正義な行為、特に植民地時代に発生した問題としっかり向き合わなければならない。韓国の最高裁判決は、人間の尊厳を最優先とすべきだということを法律的観点から示したということで、格別な意義がある」
-日本政府は強制動員問題が1965年の韓日請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」とし、韓国が国際法に違反していると主張している。
 「私の知る限り、1990年代には日本政府や裁判所で強制徴用訴訟をめぐり、『国際法違反』や『請求権協定で解決済み』との主張が争点になったことはない。協定があっても国家の権利(外交保護権)だけが放棄され、個人請求権は残っているというのが日本政府の一貫した主張だった。被害者たちが積極的に訴訟を開始した理由はここにある。また、被害者との和解事例が出るなど、企業も自らが行った不当な行為を認め、必要な補償を行うべきだという自負もあった。しかし2000年代になって日本政府は立場を変えた。個人請求権は認めるものの(協定で解決済みなので)、これに応じる義務はなく、裁判は成立しえないとした。1990年代の日本の『戦後補償裁判』において、原告に有利な判断が出ていたことなどが影響したとみられる。今は亡くなった新見隆弁護士の言葉を引用すると、日本政府が一貫して維持しているのは、『責任を認めない没主体性』だと思う」
-日本で韓国、中国などの強制動員被害者裁判が多くあった。日本の最高裁判所はどう判断したのか。
 「最高裁は2007年4月、太平洋戦争に強制動員された中国人労働者が西松建設を相手取って起こした訴訟で、損害賠償を認めなかった。個人請求権という実体的な権利はあるものの、(戦争賠償請求を放棄するという1972年の日中共同声明などを根拠に)裁判に訴えることはできないと判断した。しかし、裁判所の判断は日本政府の立場と必ずしも重なるわけではない。裁判所は請求権の実体的権利を強調し、裁判ではなく別のやり方でこの問題に向き合うようにとのメッセージも送っている。実際に、この裁判をきっかけとして西松建設は被害者と和解した」(※西松建設は2009年10月に謝罪を表明し、360人の被害者に対する補償、記念碑建立などを行った)
-西松建設と異なり、企業と和解もできず、日本で裁判も受けられない強制労働被害者の方が多いと思う。むしろ最高裁が裁判を受ける権利を阻んでいるように思われる。
 「不正な行為に対して裁判で訴える権利が阻まれたのは事実だ。日本と韓国が締結している国際人権規約(日本は1979年、韓国は1990年に批准)が保障する「裁判を受ける権利」の視点から見れば、深刻な問題が発生する。裁判を受けられなければ、補償などの代替措置を取るのが国際人権法上の義務だ。何の措置も取っていない今の状況が、むしろ国際法に違反しているのだ。こうした面で、韓国の最高裁判決は、個人請求権の実体的権利も認め、裁判に訴える道を開いたため、国際人権法に沿った判断だと思う」
-強制動員被害者問題をめぐり韓日の間では国際法が争点になっている。最近の国際法の流れはどうなっているか。
 「15世紀ヨーロッパを起点として始まった国際法の世界化は、常に強者優先だった。植民地支配が公然と認められてきたという事実がこれを如実に示している。しかし第2次世界大戦後、国際社会に『人権』理念が拡散するにつれて変わり始めた。最近の国際法、国際社会は、人権を中心として法秩序を樹立していくべきという考えを強くしている。国ではなく個人の権利、被害を受けた人々にどう補償していくかという方向へと大きく転換している。人権が掲げる『普遍性』は、国境だけでなく、時間の壁を越えた過去から現在に至る不正行為との対峙が避けられなくなった。ここで大きな力を発揮するのが被害の記憶だ。大国中心の国際法のせいで沈黙を強いられてきた『被害の記憶』が徐々に姿を現しつつある。これらの被害者の声が、再び人権を強化する方向へと国際法の変化を促す好循環が起こっているわけだ。被害者中心のアプローチは国際的な流れだ」
-人権が強調されるようになったことで、韓国のように歴史問題と闘う例が多いと思うが。
 「被害者が人権を掲げて闘う事例は世界各地で見られる。ケニアのマウマウの人々が植民地支配下で受けた拷問、ナミビアの先住民虐殺、カリブ海の奴隷制などが代表的だ。日本国内でも強制編入された北海道のアイヌ民族の人々の権利回復、沖縄の琉球王国の人々が国際人権法上の自己決定権を掲げて日本政府に異議を申し立てている」(※英国は、1950年代のケニアのマウマウ蜂起の過程でケニア人を殺害・拷問した事実を認め、2013年に謝罪を表明するとともに、被害者に賠償金の名目で1990万ポンド(約312億ウォン)を支給した。ドイツは1900年代初めのナミビア先住民の集団虐殺について謝罪の方針を明らかにしたものの、賠償などで折り合いがつかず、決着がついていない。カリブ海の国々で構成されるカリブ共同体14カ国は、17~19世紀の奴隷制に関与した国家と企業に対し、謝罪と賠償を求めている)
-国際社会の流れは変わりつつあるが、韓日関係は55年前の韓日請求権協定にとどまっている。
 「見てのとおり、1965年の韓日請求権協定は強制動員問題を解決できていない。これは日本軍『慰安婦』被害がそうであるように、日本が法的・歴史的責任を負わなければならない。強制動員問題は、国際法の流れを牽引している国際人権法に沿うべきだ。過去の不正行為を人権の視点から認識し、当事者の声を大切にしつつ、両国が協力して問題を解決しなければならない。企業が解決する意思があれば、日本政府は邪魔するのではなく、むしろ促すべきだ。最高裁の判決に真っ向から立ち向かっている現状は、日本企業の手足を縛っているのと同様だ。謝罪、損害賠償、再発防止措置など、日本がアジアの隣国に民主主義国家として認められるためには、この問題に対する法的・歴史的責任を果たさなければならない」
-強制動員被害者問題の解決のために、韓国と日本の政府に提言するとしたら?
 「韓国と日本が国連人権理事会傘下の『真実、正義、賠償、再発防止特別報告者』から国際人権法に沿った助言を求め、それをもとに妥当な方策を探ってみることを勧める。2015年の日本軍『慰安婦』合意にみられるように、韓日両国の政策決定権者のみが納得しても問題解決は難しい。普遍妥当な人権の視点から、強制動員被害者問題の解決を探るべきだ。こうした韓日の動きは、東アジアの新たな未来を作る礎となるだろう」
キム・ソヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://so-zou.jp/web-app/news/nettv-news/

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戦国時代、北の海で暴れ回ったアイヌ海賊と、悩まされる戦国大名たち

2020-10-31 | アイヌ民族関連
Japaaan 2020年10月30日 03:10
かつて、蝦夷地(現:北海道)をはじめ樺太や千島列島に独自の文化を営んでいた、いわゆるアイヌ系の諸部族(以下「アイヌ」とします)。
大自然の恵みを受けながらつつましく暮らしていた彼らアイヌは、絶えず和人から搾取され、迫害を受けていたイメージですが、歴史を紐解くと、時には積極攻勢に出て和人たちと争い、利権を勝ち取ることもあったようです。

「いつも負けっ放しだと思うなよ?」武勇を誇るアイヌたち(イメージ)。
今回は、そんなアイヌたちの意外な一面を垣間見る「夷狄商舶往来法度(いてきのしょうはくおうらいのはっと)」を紹介したいと思います。
アイヌに関する記事はこちらもどうぞ
戦国時代、謀殺されて怨霊となったアイヌの首領・ショヤコウジ兄弟のエピソード
※夷狄とは東夷(とうい。東の野蛮人)と北狄(ほくてき。北の野蛮人)の総称で、広くアイヌや蝦夷(ゑみし)といった東日本の(中央政権にまつろわぬ)諸部族を意味しました。
■アイヌにも海賊がいた!?意外と、そしてかなり不利だった和人の立場
夷狄商舶往来法度とは、それまで激しい抗争を繰り広げて来たアイヌと和人の間に締結された一種の講和条約で、史料によって諸説あるものの、おおむね天文二十1551年ごろに締結されたそうです。
締結に立ち会ったアイヌの代表者はシリウチ(現:知内町)の首長チコモタインとセタナイ(現:せたな町)の首長ハシタイン。対する和人の代表は、松前大館(現:松前町)の領主・蠣崎季広(かきざき すえひろ)。
立会人として蠣崎家の主君である安東舜季(あんどう きよすえ)に出羽国(現:秋田県)から出張してもらい、以下のような条約を締結しました。

渡島半島の勢力図(ごく簡略なイメージ)。
一、蠣崎家はチコモタインを「東夷尹(ひがしえぞのかみ)」、ハシタインを「西夷尹(にしえぞのかみ)」と呼んで敬意を払うこと。
一、蠣崎家は他国との交易によって得た関銭(通行税)の一部を、両首長に上納すること。
一、松前及び上ノ国(現:上ノ国町)を「和人地」、それより北東全域を「蝦夷地」とし、アイヌは「和人地」へ自由に出入りできるが、和人は「蝦夷地」へ許可なく立ち入ることを禁ずる。
一、互いの領海(領土の沖合)を航行する際は、一度船の帆を下ろして敬礼すること。
こうして見ると、かなりアイヌたちに優位な内容となっており、それまでの戦いにおいて、蠣崎家はかなり劣勢に立たされていたことがうかがわれます。
また、安東家としてもそれまで大半を得ていた交易の税収をアイヌ勢力に持って行かれることとなり、その条件を呑まないと蝦夷地における権益をすべて失いかねない緊急事態だったようです。

「俺たちの海を航るなら、相応の『誠意』を忘れるなよ?」不敵なアイヌ海賊たち(イメージ)。
最後の条文についてはアイヌの海関(※海上に関所を設ける≒通行税を徴収する海賊行為)を認めるものであり、それと引き換えに和人たちの安全な航海を保障する……つまり、渡島半島の周辺海域は当時、アイヌ海賊によってほぼ制圧されていたという見方もあります。
アイヌと聞くと、現代の私たちは何となく「北海道の主に陸地か沿岸部で静かに暮らしていた人々」というイメージを持っていると思いますが、実際にはかなりのギャップがあったようです。
■「神のように素晴らしい友よ……」要求が通ったアイヌたちの大絶賛
さて、この法度が取り決められると、両首長は季広に対して「カムイトクイ(Kamuy-tokuy:神のように素晴らしい友人)」と大絶賛します。
もしかしたら、彼らもダメ元で提示した条件だったのに、よほどの満額回答だったのかも知れません。何だかジャイアンがのび太やスネ夫に対して「おぉ、心の友よ!」と感激するような、そんな調子の良さを感じてしまうのは、きっと筆者だけではないでしょう。

「神のように素晴らしい友人」との和解を喜ぶアイヌたち(イメージ)。
それでもまぁ、平和が実現できるなら安いもの……かも知れませんが、実際にはその後も「神のように素晴らしい友人」との争いが絶えなかったことは、歴史に伝えられる通りです。
アイヌたちの欲望が増大したのか、それとも和人たちが屈辱に耐えかねたのか……いずれにしても、互いを尊重し合える社会の実現に至るまで、まだまだ戦いは終わらないのでした。
※参考文献:
長谷川成一 編『北方社会史の視座 歴史・文化・生活 第1巻』清文堂出版、2007年12月
木村裕俊 訳『新羅之記録 現代語訳』無明舎出版、2013年3月
榎本進『アイヌ民族の歴史』草風館、2007年3月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
https://www.excite.co.jp/news/article/Japaaan_130542/

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ミシュランの事例に学ぶ、サステナビリティボンドの透明性の重要さ

2020-10-31 | 先住民族関連
サステナブル・ブランドジャパン 2020.10.30
Mighty Earth
持続可能なサプライチェーンの構築に取り組む国際NGO「マイティ・アース(Mighty Earth)」は10月に発行したレポートで、タイヤ大手ミシュランが、後に9500万ドル(約100億円)規模のサステナビリティボンド(サステナビリティ債)が発行された「天然で環境に優しいゴムの生産」事業を発表する数カ月前まで、その周辺地域で森林破壊を行なっていたことを批判している。さらに、アジア初と言われるこのサステナビリティボンドを世界の大手金融機関や環境団体などが購入していることを受け、透明性を高める必要性について指摘する。(翻訳=梅原洋陽)
世界最大の天然ゴム消費企業の一社、ミシュランは2015年5月、インドネシアで「天然で環境に優しいゴム」を生産する合同事業を発表した。この旗艦事業は、農園で使用する日用品やプラスチックの原料を生産するバリト・パシフィック・グループと共同で着手したものだ。マイティ・アースによると、2社は2014年12月に同事業に合意したという。無秩序な森林伐採によって荒廃した「伐採権のある3カ所の土地(総面積8万8000ヘクタール)を再生」し、半分はゴムの木を植林し、もう半分を「自然環境の再生と現地で消費される作物の栽培」のために活用するとして高く評価された。2018年、このプロジェクトに対し、アジア初の9500万ドル(約100億円)規模のサステナビリティボンドが発行され、インドネシアの気候変動対策を支える一つの手法として世界中の投資家に紹介された。
しかし、マイティ・アースはレポートで、バリト・パシフィック・グループとロイヤル・レスタリ・ウタマ(インドネシア拠点の統合天然ゴム企業で、ミシュランの合併事業の提携先)が先住民族や絶滅危惧種の住処である森林地帯を伐採していたと断言する。ゴム農園のために土地を整地し、その半分を復元するための事業として、公的な承認と投資を求めていたというのだ。
特に懸念されるのは、このサステナビリティボンドはBNPパリバやADMキャピタルを含む世界規模の金融機関の支援を受けていることだ。他にもノルウェー国際気候・森林イニシアティブ、地球環境ファシリティ(GEF)、米国際開発庁(USAID)などもこのサステナビリティボンドを購入している。これは、ミシュランも会員に名を連ねる、公平、公正で環境にやさしい天然ゴムのバリューチェーンを確立することを目指す「持続可能な天然ゴムのためのグローバルプラットフォーム(GPSNR)」の2018年の立ち上げから1年あまりで起きた出来事だ。
マイティ・アースのキャンペーンディレクターを務めるアレックス・ワイジェラトナ氏は、米サステナブル・ブランドの取材に対してこう話している。
「世界のゴムサプライチェーンでは、多くの森林破壊と天然資源の劣化が発生している。われわれは声を上げ、情報を広めることで、このセクターを改善しようとしている」
ミシュランはメールでこの疑惑に異議を唱えたが、調査には協力する姿勢を示している。そして、「マイティ・アースの主張の裏にある真実が明らかにされることを望んでいる。…ミシュランは、調査委員会の提示するどんな推奨事項でも実行する」と見解を述べる。
マイティ・アースのレポートは、関係書類やメディア報道、現地インタビューや衛星データなどを精査し、ミシュランが合同事業を発表する直前の2012年6月中旬から2015年1月中旬までの間に、プロジェクトの周辺地域や近隣の野生動物保護地域において産業森林破壊を行っていたことを示す証拠を上げている。
天然ゴム産業は、タイヤや医療器具、消費財など、いずれも世界的に伸びる需要とともに、今後も発展していくことが期待されている。ゴムの木は、世界で最も重要な生物多様性を有する熱帯地域に生息していて、注意していなければ、あまりに重大な環境破壊につながりかねない。他のプロジェクトの模範となるはずのグリーン事業ですら森林伐採に関わっているともなれば問題だ。
東南アジアにおける他の森林破壊の事例と照らし合わせると、約2590ヘクタールという数字は比較的小さいほうだ。しかしこのプロジェクトは、そもそも、この地域における持続可能なサプライチェーンのモデルとなるべくして始動したものである。
2018年当時、このプロジェクトに対する周囲の関心は今とは明らかに違った。パートナーシップ・フォー・フォレスト(Partnerships for Forests)は、「先進的な持続可能な天然ゴムプランテーション」と評していたし、国連環境計画(UNEP)は「『持続可能な開発のための2030アジェンダ』を支援するために民間資金を導入する新たな方法を実証している」とコメントしていた。
明らかに、何かが間違った方向に進んだ。ワイジェラトナ氏によると、その答えは、エシカル・サプライチェーンにおいてしばしば問題になる「透明性の欠如」だという。
「われわれが調査を行った時、デューデリジェンス関連の書類を見つけることができなかった。これは危険信号だと思った」と彼は言う。そして、マイティ・アースが見つけたのは、地元メディアの報道と、この地域社会が抱いていた同プロジェクトに対する懸念だった。ミシュランや資金提供者はその懸念を無視したか、あるいは気づいていなかったのか。他にも怪しい点はあった。
「環境・社会デューデリジェンス評価報告書に機密保持契約を見つけた時は本当に驚いた。彼らは透明性の確保にもっと誠実に対応するべきだ」とワイジェラトナ氏は主張する。「この活動が準備を経て創設されるまでの重要な期間である2013年-2015年に、誰がデューデリジェンス査定に関与したのかも不明だ」
このプロジェクトを推進している組織(土地利用セクターのビジネスに変化をもたらすための助成金や技術支援を行うNGO「Partnerships for Forests」やサステナビリティ・ボンド設立に携わった「Tropical Landscapes Finance Facility」)に連絡を試みたが、失敗に終わった。
UNEPは、マイティ・アースの調査結果は「事実無根」であり、透明性に関する問題を全て否定するとしたロイヤル・レスタリ・ウタマの回答をなぞっただけだ。
マイティ・アースはいまだに金融機関からの回答を待っている。金融機関がグリーン資金の投資に対して、より責任ある力強い役割を果たすことを願っている。
ワイジェラトナ氏は、「私たちは銀行や資金提供者に一時休止をもちかけ、『独立した調査を行い、全ての書類を公開し、われわれが何を知るべきだったのかを判断しよう』と言う必要がある」と主張する。
もし今回の疑惑が真実だと証明されれば、今回のプロジェクトを立ち上げた企業の評判も「グリーンさ」への信用度も損なわれる可能性が高い。このプロジェクト、そして今後のプロジェクトへの資金提供者は注意して成り行きを見守るべきだろう。
資金提供者は、適切なデューデリジェンスを重視し、プロジェクトのすべての段階において透明性を確保すべきである。さもなければ、森林破壊と人権侵害の危険性が高まるだろう。
資金提供を行う企業や団体が行動を起こさなければ、今回のような事例によって、信頼が鍵となる、グリーンボンドや持続可能な金融セクター全体の信頼を損なう可能性もある。
「グリーンボンド市場は近年、急拡大している」とワイジェラトナ氏は言う。「こうしたプロジェクトが正確で、信頼でき、一貫しているかどうか、情報を見極めることが本当に重要だ」。
マイティ・アースは、今回のレポートをこのタイミングで発表したのは、パーム油や木材産業など他の産業で起きたように、問題が大きくなりすぎる前に対処できるようにするためだとしている。
天然ゴムに関して言えば、こうした構造的問題に対処できる機会はまだある。「持続可能な天然ゴムのためのグローバルプラットフォーム(GPSNR)」があるということは、サステナビリティを推進するプラットフォームが存在するということだ。そして重要なのは、マイティ・アースもミシュランもGPSNRのメンバーで、今回の役者を全員集められるということだ。しかしこの組織は設立されてからわずか1年半しか経っておらず、いまだに苦情や抗議処理のシステムすら確立されていないのが現状だ。
ミシュランや資金提供者、そしてGPSNRが今回のレポートにどのように回答するかを注視することが重要だ。今回の問題は、「グリーン」や「持続可能」と宣伝されているからといって、必ずしもそうであるとは限らないということを改めて認識されるものだ。The devil is in the details――悪魔は細部に潜んでいるのだ。
https://www.sustainablebrands.jp/news/us/detail/1198898_1532.html

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先住民族や地域コミュニティ

2020-10-31 | 先住民族関連
Rainforest Alliance 10月 29, 2020
「先住民族」として一般的に受け入れられている定義21 のいずれかを満たす人々グループ。その定義では、そのグループが以下に当てはまるかどうか(他の要因とともに)を検討する。
• 与えられた社会経済的、政治的、歴史的状況の中で、独自の概念と人間開発の方法を追求してきた 。
• 独自のグループアイデンティティ、言語、伝統的な信念、習慣、法律と制度、世界観、生活様式を維持するよう努めてきた 。
• 歴史的に使用および占有してきた土地、自然資源、領地の統制と管理をまとめて行ってきており、それらとは特別なつながりを持ち、それらには物理的かつ文化的な生存が依存している 。
• 先住民族としての自己認識がある 。
• その土地の存在が最初に発見された際の、またはその後取り上げられた際の植民地化よりも前に存在していた集団の子孫 。
レインフォレスト・アライアンス基準においては、この定義は以下に当てはまる先住民と主要な特徴を共有する他の地域コミュニティも含むものと見なされる。
• 文化、習慣、歴史、アイデンティティの情報源として、土地や自然資源に特定の意味をもたらす。
• 生計の維持、社会組織、文化、伝統、信念など、文化的および物理的な生存をその土地と自然資源に依存している。
所轄当局により正式に認められる場合と認められない場合がある、慣習上の保有制度に従って土地を使用および管理する。
https://www.rainforest-alliance.org/business/ja/glossary/先住民族や地域コミュニティ/


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奴隷制の歴史と米大統領選 谷崎由依氏

2020-10-31 | 先住民族関連
京都新聞 2020年10月30日 12:00
ソフィア 京都新聞文化会議
 アメリカ大統領選挙が近づいている。共和党のトランプ大統領が再選を果たすか、民主党のバイデン候補の勝利となるか。今回の選挙戦の鍵となる要素に、BLM(Black Lives Matter)運動があると言われている。
 人種問題はアメリカの抱える最大の矛盾かもしれない。さかのぼれば国の起源、先住民族の土地を略奪して作られたという事実からしてそうなのだが、もっとも顕著にはやはり、黒人を奴隷として使役していた歴史がある。
 コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(ハヤカワepi文庫)は、その奴隷制度をテーマにした長編小説だ。トランプ氏が大統領選に勝利した年に発表され、衝撃的な内容と圧倒的な面白さで話題となり、数々の賞を受賞した。
たにざき・ゆい 1978年生まれ。2007年「舞い落ちる村」で文学界新人賞受賞。「鏡のなかのアジア」で芸術選奨文部科学大臣新人賞。最新作は「遠の眠りの」。近畿大文芸学部准教授。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/395305

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『風の谷のナウシカ』 からカミュの『ペスト』まで、パンデミック時代の生きる術を名著から学ぶ。

2020-10-31 | 先住民族関連
PEN 10/30(金) 19:05
生理学者ジャレド・ダイアモンドが記すように、人類史は疫病の歴史でもある。コロナ禍をどのように乗り越えるべきか、不朽の名作を手に考えよう。
勇敢な王女の物語から、現代文明の未来を見据える。
道行く人がみな、マスクを身に着け始めた時、多くの人がこう思ったのではないか。「まるでナウシカの世界だ」と。映画『風の谷のナウシカ』は言わずと知れたスタジオジブリの代表作だが、漫画版を読んだ人はむしろ少数派だろう。漫画版はときに子どもには理解し難いほどのリアリズムと血の匂いに満ちている。環境汚染が極限まで進んだ世界を浸食する「腐海」は猛毒を出す樹々と、それらを守る巨大な「王蟲(おうむ)」たちの楽園。人類はそれらに怯えながら、瘴気マスクを身に着けて暮らしている。辺境の王国「風の谷」の王女ナウシカは腐海が生まれた秘密を直感的に見抜く。そして猛毒の森を焼き、王蟲を殺すのでなく、それらとともに生きる未来を模索する。7巻すべてを読了した者は、現代の地球環境について慨嘆せざるを得ないはずだ。
人類の歴史を、病原菌から読み解く。
世界の民族が、それぞれ異なる歴史の経路をたどったのはなぜか。UCLAで教鞭を取るジャレド・ダイアモンドが銃と鉄、そして病原菌をキーワードに人類史を大きなスケールで描いたピューリッツァー賞受賞作だ。本書をひも解けば、人類が定住して以来、さまざまな病原菌に勝利し、破れ、共存してきたことがわかる。コルテスによるアステカ帝国の滅亡、ピサロによるインカ帝国征服。そして、コロンブスの新大陸発見以来200年のうちに先住民の人口は95%が減少した。ヨーロッパ人は確かに、先住民よりも優れた武器を持っていた。しかし圧倒的な多数者である先住民が滅んでいったのは、西欧人が病原菌という「とんでもない贈り物」を持ち込んだからだと説く。コロナとともに生きる現代人必読の書だ。
70年前のカミュは、この混乱を予知していた?
パンデミックが現実になるや、この混乱を“予知”したかのように注目された本書。日常の中に一匹、また一匹と増えていく鼠の死骸。身近な人が突如、疫病に侵され、無残にも命を落とす現実。混乱に拍車をかけるマスコミと政府。そして隔離された都市を蝕む、心理的な圧迫の病理……。時代も場所も異なるのに現代の我々を描いたかのような錯覚を覚えるほど、カミュが描いたアルジェリア、オランの町は疫病下の現実をリアルに炙り出す。しかしすべては架空の物語。迫真の描写を完成させるのに5年もの歳月が費やされたという。主人公の医師が奔走する様子だけでなく、市井の人びとがいかに生き、考え、死んでいくのか、多くの示唆に富む。ノーベル文学賞作家の代表作は、巣籠りには最良の一冊だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f134379ed47cceb0c79b7ab01d655d85e684eef5

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帯広の広尾さん、アイヌ文化奨励賞 舞踊や歌全国に伝承「これからも多くの人に」

2020-10-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/29 21:12 更新
 帯広市の舞踊家広尾正さん(73)が、アイヌ民族文化財団(札幌)の本年度のアイヌ文化奨励賞に選ばれた。道内にとどまらず、日本全国の保育所などで十勝のアイヌ民族に伝わる歌や踊りを長年にわたり、伝承してきたことが評価された。「まさか賞をいただけるとは」と喜んでいる。
 広尾町出身。10代の頃に帯広カムイトウウポポ保存会でフチ(おばあさん)らから古式舞踊を教わった。東京を中心に活動していた約30年前には、群馬県で音楽教育に尽力した作曲家・故丸山亜季さんに誘われ、アイヌ民族をテーマにしたミュージカル「オキクルミと悪魔」の制作に関わった。保育教材として広まり、札幌や沖縄などさまざまな土地で公演した。
 キツネが尻尾を揺らすしぐさを表現した「チロンヌプリムセ」など、披露するのはどれも子供がまねしやすく、楽しい踊り。全国の保育所でも披露するうちに、保育士らが「習いたい」と広尾さんに申し出るようになった。最初は和人相手に踊りを教えることに戸惑いを覚えたが、「子供たちが楽しそうに踊っている姿を見ると、自然とシサム(和人)にも教えたいと思うようになった」という。
 広尾さんが各地で歌や踊りの講習会を開いた時には、全国から200人以上の和人が集まる。「アイヌは『滅びゆく民族』なんて言われているけど、シサムに伝えていかないとアイヌの文化は本当にいつか消えてしまうと思う。昔のアイヌが残した大切な歌や踊りを、これからも多くの人に伝え続けたい」(三島今日子)
※「チロンヌプリムセ」の「ム」は小さい字、「シサム」の「ム」は小さな字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/476159

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【アイヌと神々の物語】ヘビの女神に見初められた、あるアイヌの若者の末路

2020-10-30 | アイヌ民族関連
山と渓谷 2020年10月30日
アイヌと神々の物語、アイヌと神々の謡

アイヌ語研究の第一人者、故・萱野茂氏が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の話を収録した名著『アイヌと神々の物語』。発刊後、増刷が相次ぎ同ジャンルとしては異例の話題書となっています。北海道の白老町に「ウポポイ(民族共生象徴空間)」もオープンし、アイヌについて関心が高まる今、本書からおすすめの話をご紹介していきます。第5回は、ヘビの女神に見初められた若者の話です。
ヘビの血
私には母がいて父がいて、本当に物持ちの家で、何が欲しいとも、何が食べたいとも思わないで暮らしていた一人の若者です。
父がしばしば私に聞かせてくれる話では、
「私たちが暮らしているこのコタン(村)からずうっと下流に、お前の叔父がいて、そこには男二人と女一人の子どもがいる。そのうちの娘をお前の嫁にもらうことに前々から話をしてあるので、いつの日かその娘の顔を見に行くがいい」
と私に聞かせてくれていました。私は行ってみたいと思ってはいたのですが、暇がないような気がして、しばらくの間行かないでいました。
ある夏のこと、父があまりうるさくいうので、行ってみようと思い、出かけました。家を出てしばらく歩いていくと、どこからか知らないが、何者かの大いびきが聞こえるのです。立ち止まっては辺りを見回し、いびきの主(ぬし)を探してみてもわかりません。それも私が歩くと聞こえて、立ち止まると聞こえないという具合です。
足音をさせないように、だんだんといびきのする方へ近づくと、それは地上ではなく、高い立ち木の上から聞こえてきたのです。その木の上へ目をはわせると、なんと、そこには大蛇(だいじゃ)がいたのです。太い立ち木が三本の対(つい)になり、枝が広がっている上に、太く長い体をぐるぐると巻いて、いびきをかいています。
それを見た私は、本当に驚きましたが、大蛇がこのまま私を見逃すわけはないと思い、さっと走りました。すると、大蛇は木の枝の上から滑(すべ)るように下りて、私を追いかけはじめました。私の走る速さは、普通の人の二倍ぐらい速いはずでしたが、二人の間、いや違った、私と大蛇の間の距離はみるみる詰まり、もはやこれまでと思った時です。
前の方に、太い立ち木が風で折れてできた空洞(くうどう)になっている所へ、スズメほどの大きさのハチの大群がいるのが見えました。それを見た私は、私より先へ言葉を走らせ、
「ハチの神様、私を助けてくださあい。アイヌは酒やイナウ(木を削って作った御幣〔ごへい〕)でお礼をするものですから、助かったら、それらを持ってお礼をし、いつまでも神として祭ります。わたしを追いかけている化け物大蛇を殺してえ」
と叫びました。
高い声で叫びながら、ハチが群がっている半分に折れた木の下を、私はさっと走りぬけました。私が走りぬけたそのあと、急に静かになったような気がしたので、後ろを見ると、あの大蛇の体を赤いござで包んだかのように、真っ赤にハチの群れがとまっています。
スズメほどの大きさのハチの大群に襲われた大蛇はのたうちまわり、苦しんでいましたが、間もなく死んでしまいました。それを見た私は大急ぎで家へ帰り、父にその話をしました。
父は、「ハチの神様が助けてくれなかったら、たった一人の息子がどうなったものか」と言いながら、私の無事を泣いて喜んでくれました。そのあと、たくさんのお酒を醸(かも)し、美しいイナウを削って、ハチの神様へお礼として贈りました。
ハチの神様への感謝のお祈りやら祭りを終えたあと、父がいうことには、「これからあと、三年の間は狩りのために山へ入ったりしないように」ということでした。父にいわれたとおり、私は三年間山へ行かずにいました。そして、ようやくのこと、三年が過ぎました。
ある日のこと、私はコタンを流れる川の上流へ向かって少し行き、それから川が二股に分かれたので、かなり大きい沢の方をずんずん登っていきました。すると、その沢の上流に広い沼が見えました。こんなところに沼があったかな、と思いながら近づくと、驚ろいたことに、三年前のあの大蛇が沼の縁(ふち)をぐるっと巻くような形で、長々と寝そべっているのです。
それを見た私は、どうせ殺されるなら少しでも斬ってやろうと思い、腰のタシロ(山刀)をさっと抜いて、えいっとばかりに斬りかかりました。すると思いのほかうまく斬ることができて、大蛇を二つから三つに斬り分けました。
死んだ大蛇から流れた血が沢へ流れこみ、沢はまるで血の沢といえるほど真っ赤になって流れています。その血の沢を見ていた私が、こともあろうに、その血の沢の水を飲みたくなったのです。
こんなもの、飲んではいけない、飲んではいけないと、いくらがまんしても、とうとうがまんしきれず、私は腹ばいになって水面に顔を押し当て、ゴクン、ゴクンと飲んでしまいました。腹いっぱいに飲み終わって、初めてわれに返って、ああ、これでとうとう大蛇に負けた、そう思ったとたん、悔(くや)し涙が私の顔の表を滝のように流れ落ちました。
私は草の上へごろりと横になって泣いているうちに、いつの間にやら眠ってしまい、夢なのか、幻なのか、一人の美しい女が私のそばへ来ていうのは、次のような言葉でした。
「アイヌの若者よ。わたしはヘビの女神だが、神の国でわたしに似合いの男を探したが見当たらず、アイヌの国へ目をやったら、お前がいた。三年前に、お前が婚約者の所へ出かけるのを見たわたしは、お前を殺して命をもらおうと思ったが、ハチの神にじゃまされて逆に殺されてしまった。
今日、お前が山へ来るのを見たわたしは、ここで待ち、普通のやり方では命を取れないと思ったので、わざと殺され、わたしの血を飲ませたのだ。これでお前は近いうちに死に、神の国でわたしと夫婦になることが決まった」と、一人の女が言ったのを、見たか聞いたかしたような気がして、目を覚ましました。
私は大急ぎで家へ帰り、家の中へは入らずに家の外から父を呼び、山であったことを事細かに聞かせました。父は、一人息子を化け物ヘビに取られてなるものかと、山へ私を連れていって、立ち木の神へお願いするやら、川へ連れていって、川の神へお願いするやら、ありとあらゆる神の名を呼びならべ、私を守るようにお願いをしてくれました。
しかし、化け物ヘビの呪術が上であったらしく、私の体はすっかり腫れあがり、目も口もわからなくなるほどになってしまいました。
うわさを聞いた私の許嫁(いいなずけ)も、二人の兄と来てくれましたが、手の施しようのない私を見て、泣きながら帰ってしまいました。
日一日と腫れあがった私の体は、今度は肉が溶け落ちてきました。そのような私を、父や母は神々に救いを求めるやら、いろいろと手当てをしてくれましたが、私はもう死ぬばかりです。
そのようなわけで、生まれ育ちは何不自由のない若者であった私が、化け物ヘビに魅入られ、このような死に方をしようとしています。
だから、今いるアイヌよ、どんな恵まれた家庭に生まれても、悪魔に魅入られることもあるものだから注意しなさい、と一人の若者が語りながら世を去りました。
語り手 平取町荷負本村 黒川きよ
(昭和36年10月29日採録)
解説
大蛇の話はしばしばありますが、めったにアイヌが負けることはないものです。しかし、この話ではアイヌの若者がヘビの女神?に魅入られ、とうとう死んでしまいます。
昭和三十六年当時は、テープレコーダーは大変珍しい道具でした。したがってマイクを向けられると、語り手のおばあちゃんたちは緊張してしまって、いうことを忘れたりして大事な部分の、「だから、こうしてはいけません」とかを忘れてしまいます。そこで、語り手が明らかにいい忘れていると思われる部分は、私が翻訳者の責任で補足しました。
それと、おばあちゃんたちはテープそのものが大変高価なものと思って、なるべく長くしゃべらないことが、録音者の私を助けることと思ってくれたふしもあります。
いうまでもありませんが、補足のしすぎなどのないように注意しました。またウウェペケレ(昔話)には常套句というものがあり、それらを大事にしました。
しかし、だんだんとマイクに慣れたおばあちゃんたちは、いい忘れのないように注意してくれるばかりでなく、マイクをもっと近づけろなどと、気を遣ってくれるようになったものです。
この話の語り手の黒川きよフチ(おばあさん)は、あいきょうのいい方で、少し、ほんの少しお酒を飲むと、「下手でもあいきょうだ」と、率先して歌い踊る方でした。そのためあだ名を「へたばあさん」とつけられ、コタン(村)の人気者でもありました。
子どものころに大ヘビの話を聞くと、本当にいるような気がして恐ろしかったものです。アイヌ語で語られたテープを聞くと、子どものころの恐ろしさが迫ってきます。アイヌ語で聞いてほしい、とつくづく思いました。
(本記事は『アイヌと神々の物語~炉端で聞いたウウェペケレ~』からの抜粋です)
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1233

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