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アイヌ文様の美しさ知って 札幌・チカホで工芸品展示販売

2023-11-30 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年11月29日 21:58

アイヌ民族伝統の工芸品などが並ぶ展示販売会

 札幌市のアイヌ工芸作家による展示販売会「札幌アイヌアーティスト2023」が、札幌市中央区の札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)で始まった。12月3日まで。

 アイヌ文化の認知度の向上や工芸作家の担い手育成を目的に、市が2017年度から開催し4回目。マタンプシ(鉢巻き)やレクトゥンペ(首飾り)といった工芸品や、アイヌ文様があしらわれたポーチなど14団体・個人の約500点の作品が並ぶ。

・・・・・・

午前10時~午後6時。(伊藤友佳子)

※「マタンプシ」のシは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/946877/


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伝統料理を調理、アイヌ文化学ぶ 静内高生

2023-11-30 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年11月29日 18:07(11月29日 18:27更新)

静内高生が作ったコンプシト(手前)とラタシケプ

 【新ひだか】静内高で、アイヌ民族の儀式の際に振る舞われる伝統料理「コンプシト」(昆布の団子)と「ラタシケプ」(混ぜ煮料理)を作る授業が行われ、食を通じてアイヌ文化を学んだ。

 町教委が主催し、24日、同校の3年生16人が参加して行われた。新ひだかアイヌ協会の菅原勝吉さんに作り方を教わりながら調理した。コンプシトは、まず火であぶった昆布をすり鉢で粉状にし、鍋で加熱してとろみが出るまで混ぜる。その後、米粉と白玉粉で作った一口大の団子とからめて完成させた。ラタシケプは、とら豆を鍋で煮込み、コーンや餅を入れてさらに煮込んで作った。

・・・・・

(杉崎萌)

※「ラタシケプ」のシとプは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/946633/


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<富良野 樹海のお手伝い 東大北海道演習林のいま>中 高品質の木材 安定供給

2023-11-30 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年11月29日 09:33

東大北海道演習林内のマカバを前に「良い枯れ具合できっと良い赤みが出ている」と話す演習林職員の福士憲司さん(熊谷洸太撮影)

 旭川市で開催される広葉樹の取引市場、銘木市(旭川林産協同組合主催)で、毎年のように最高値を付けているのが富良野市の東大北海道演習林が出品するマカバ(ウダイカンバ)だ。

■1本770万円も

 銘木市は年10回開催され、演習林は毎年1月に出品。新型コロナウイルス下の2022年には輸入材不足もあって1本770万円の値を付けた丸太を含め、マカバだけで2600万円を売り上げた。演習林の年間収入の約3割に相当する。

 演習林では年間約2万5千本が伐採、販売される。このうち銘木市に出るのは50本前後。大きさや状態を厳しくチェックし、候補の木を選別する。

 マカバの丸太は赤っぽい光沢のある整った木目が特徴だ。福士憲司・調査第二係主任(55)は「枯れる前後に赤い部分が最も大きくなり市場価値が増す」と言う。一般的なマカバは1立方メートル当たり平均10万~15万円ほどだが、行き届いた管理で育った演習林産は100万~200万円で取引される。

 一般的にマカバは0・3ミリ前後にスライスされ、化粧合板の表面を覆う高級な「突き板」となる。「伝統的に迎賓館や皇居、国会議事堂など日本を代表する建物の壁などに使われてきた」(同組合)。20年の銘木市で演習林のマカバを落札した高田製材所(福岡県大川市)は、無垢(むく)材としてテーブルの天板用に加工し、県内の老舗家具メーカーに卸した。同社の高田豊彦社長(52)は「高品質なマカバは演習林産のものくらいしか市場に出まわらない」と評価する。

■文化をつなぐ

 良質な木材を供給する演習林は、アイヌ民族の伝統文化継承の役割も担う。公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌)職員の山道陽輪(ようまる)さん(34)は、演習林から提供されたセンの木をくり抜き、19年に丸木舟2隻を制作した。財団が運営する胆振管内白老町のアイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」のポロト湖で、舟の操船を実演する際に使われている。

・・・・・・

(富良野支局 相武大輝)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/946455/


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<卓上四季>アイヌネノアンアイヌ

2023-11-30 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年11月29日 05:00

20年ほど前、日高管内平取町二風谷に連日通ったことがある。参院議員を引退し、故郷に戻った萱野茂さんの半生を聞き書きするためだった▼素朴な語りから過去が鮮明によみがえる。萱野さんの人生を追体験するようだった。アイヌ文化の優れた伝承者としての力に圧倒された▼優しかった母親の思い出をとりわけ大切にしていた。幼いころ、繰り返し言われたというアイヌ語があった。「アイヌネノアンアイヌ エネプネナ」。人間らしい人間、人らしい人になるんだよ―。品行方正で迷惑を掛けず、人の役に立つ人間になれ、との教えだ。萱野さんは胸深く刻んでいた▼「人間らしい人間」。そう呼ばれるのは人々の誇りだったとも聞いた。相手の存在を認め、互いを尊重することに通じる。人の道として基本的な作法だ。アイヌ民族だけでなく、人間社会に普遍的に当てはまる▼こうした作法や節度から遠く隔たる政治家がいる。自民党の杉田水脈衆院議員である。・・・・・・

▼深刻なのは政府や自民党の対応だ。杉田氏の言動は野放しに等しい。岸田文雄首相は今秋、国連総会で高らかに述べた。「目指すべきは『人間の尊厳』が守られる世界」。まずは足元から正すべきではないのか。2023・11・29

※「エネプネナ」の「プ」は小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/946401/


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<社説>杉田氏の発言 放置が差別を助長する

2023-11-30 | アイヌ民族関連

北海道新聞2023年11月29日 05:00

 アイヌ民族や在日コリアンに関する投稿で、札幌と大阪の法務局から人権侵犯と認定された自民党の杉田水脈衆院議員が、主張を正当化し差別をあおり続けている。

 尊厳を傷つけられた被害者を「左派の活動家」と呼び法務局の認定制度も批判した。憲法がうたう基本的人権を尊重し、法規範を順守すべき国会議員としてあるまじき態度で、言語道断だ。

 ネットには今も杉田氏に同調する投稿が拡散し、被害者に恐怖や不安を与えている。なのに党総裁の岸田文雄首相をはじめ党幹部は杉田氏の処分を検討するどころか論評を避け、静観したままだ。

 政府・自民党の消極姿勢が差別の風潮を助長していないだろうか。放置してはならない。国会も杉田氏の辞職勧告決議を検討するなど強い姿勢で臨むべきだ。

 杉田氏は2016年、国連女性差別撤廃委員会に参加したアイヌ民族や在日コリアンの女性を「日本国の恥さらし」と侮蔑する投稿をし、人権侵犯と認定された。

 杉田氏は「私は差別をしていない」と述べる一方、「差別を利用して日本をおとしめる人がいる」と主張し、アイヌ民族の関係者に公金不正流用疑惑があるとして「公金チューチュー」とやゆした。

 差別はもはや存在しないのに騒ぎ立て、不当要求で利益を得ているとする論理で、現代の典型的な人種差別だと専門家は指摘する。

 投稿が批判され、杉田氏は昨年12月に総務政務官を更迭された。杉田氏は当時を振り返り、「(アイヌ民族らでつくる)こんな団体に謝罪するぐらいなら政務官をやめる(と伝えた)」と語った。

 それでも首相は「差別はあってはならない」と一般論に終始する。次期衆院選で公認するかについて茂木敏充幹事長は「適切に判断したい」と述べるにとどまる。

 政権維持のため、杉田氏の支持層に配慮しているように見える。

 国内では多数派から不当な扱いを受けた少数派の人たちが、声を上げてもたたかれる出来事が後を絶たない。差別をなくすため、より実効性の高い制度設計や運用のあり方を追求する必要もあろう。

 人権侵犯の認定制度は被害者救済が目的だ。法務局が調査し必要に応じて7種類の措置のいずれかを講ずる。今回は最も軽い「啓発」で結果的に差別は続いている。

 ヘイトスピーチ解消法やアイヌ民族への差別を禁じるアイヌ施策推進法は罰則がない。表現の自由を保障した上でヘイトを根絶する法整備に向けた議論が不可欠だ。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/946382/


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社説:杉田氏差別発言 国会議員の資格あるか

2023-11-30 | アイヌ民族関連

京都新聞2023年11月29日 16:00

 自民党の杉田水脈衆院議員がアイヌ民族や在日コリアンに対する差別発言を続けている。

 インターネットへの投稿を法務局に「人権侵犯」と認定されたが、反省するどころか、さらなる差別発言と自己正当化を繰り返している。

 杉田氏は過去にも性的少数者や性暴力被害者への差別発言を行っている。

 差別をあおり、社会の分断を深める人物には、国会議員の資格はない。

 杉田氏は2016年、アイヌや在日コリアンの女性を「民族衣装のコスプレおばさん」と侮辱する投稿をネットに書き込んだ。女性らは札幌と大阪の法務局に人権救済を求め、両法務局は杉田氏に「啓発」を行った。

 しかし杉田氏はその後も、アイヌや在日コリアンをめぐって「特権がある」などと、事実に反する発言を動画サイトに投稿し、交流サイト(SNS)には、ヘイト発言との批判にも、言論の自由の範囲内、と投稿している。

 特定の民族や集団を敵視し憎悪をあおる「ヘイトスピーチ」は憎悪犯罪につながる恐れがあり、放置すれば社会全体にとって大きなリスクになる。

 21年に宇治市のウトロ地区であった放火事件で有罪判決が確定した男は「在日コリアンは日本人より優遇されている」という誤ったネット情報をもとに犯行に及んだと話した。

 杉田氏の発言も荒唐無稽と看過、放置することは危険である。

 深刻なのは、自民党が杉田氏の発言を問題視せず、役職につけるなど、重用していることだ。

 自民党総裁でもある岸田文雄首相は国会で問われ、「(差別的投稿ついて)本人が謝罪し取り消した」と問題視しない姿勢を見せた。杉田氏を支持する一部の「保守」層に配慮する姿勢が目に余る。ヘイトを容認する立場に政権や党が立つと見られても仕方がないのではないか。

 杉田氏は自身に好意的なネット番組には積極的に出演する一方、一般のメディアから記者会見を求められても応じようとしない。

 自らを強く支持する層にしか説明できないなら国会議員とはいえまい。

 人権救済は非公表だが、被害者は名誉回復のため自ら経緯を公表した。杉田氏はこれを問題視しているが、そもそも問題の発端は杉田氏の差別投稿にある。被害者への批判は筋違いだ。法務局も名誉回復を支援する必要があろう。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1156161


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小沢一郎氏、杉田水脈氏の差別的言動問題にコメント控える岸田首相に苦言「差別やヘイト容認を意味」

2023-11-30 | アイヌ民族関連

デイリー2023.11.29

 立憲民主党の小沢一郎衆院議員が29日までにX(旧ツイッター)に新規投稿。岸田文雄首相が27日の参院予算委員会で、自民党の杉田水脈衆院議員がアイヌ民族などに向けた差別的言動を繰り返している問題に関して「コメントすることは控える」と論評を避けたことに対し、「コメントを控えてはならないこと」「差別やヘイトを容認」などと苦言を呈した。

 小沢氏は28日付の投稿で「首相『コメント控える』 杉田氏の差別的言動に」と報道内容を紹介し、「絶対にコメントを控えてはならないこと。コメントを控えるということは、総理、自民党が、差別やヘイトを容認・推奨することを意味し、その影響は計り知れない」と指摘した。さらに、小沢氏は「もはや政権を担う資格は全く無い。あとは国民の良識が問われる」と訴えた。

 札幌と大阪の法務局が人権侵犯に認定した2016年当時の杉田氏による差別的投稿について、岸田首相は「杉田氏本人が謝罪した上で取り消した」と強調。昨年12月の杉田氏の総務政務官辞任については「自身の判断で、国会審議に迷惑をかけられないということで辞任したと承知している」との認識を示した。一方で、杉田氏は自身の辞任経緯について「アイヌ関係団体への謝罪が嫌だったから」とユーチューブ番組で語っており、説明に食い違いが生じている。

https://www.daily.co.jp/gossip/subculture/2023/11/29/0017079456.shtml


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アイスホッケー レッドイーグルス アイヌ文様ユニホーム 苫小牧市と連携・来年3月着用 /北海道

2023-11-30 | アイヌ民族関連

毎日新聞 2023/11/29 地方版 有料記事 442文字

わしづかみポーズを決める(左から)山本俊介副市長、佐々木一正選手、レッドイーグルスの竹俣一芳社長=北海道苫小牧市内で2023年11月7日、平山公崇撮影

 苫小牧市を本拠地とするアイスホッケーアジアリーグのレッドイーグルス北海道は、来年3月の特別試合で着用するアイヌ文様入りのユニホームを公開した。

 アイヌ文化の魅力を発信するため、市がレッドイーグルスと連携。苫小牧アイヌ協会の協力を得て、チームカラーの赤を基本に胸から左側にかけて大きくアイヌ文様を施した独創的なデザインのユニホームを制作した。来年3月9、10日の栃木日光アイスバックス戦で着用する。

・・・・・・

【平山公崇】

https://mainichi.jp/articles/20231129/ddl/k01/050/077000c


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幕別町でアイヌ料理を味わう体験会

2023-11-30 | アイヌ民族関連

NHK11月29日 20時04分

アイヌ民族の文化に親しんでもらおうと、アイヌの伝統的な料理を調理して味わう体験会が幕別町で行われました。
この体験会はアイヌ民族の文化への理解を深めてもらおうと幕別町教育委員会などが開き、10人が参加しました。
きょうは幕別町でアイヌ文化の伝承活動を行っているグループのメンバーが講師となり、アイヌ民族の伝統料理5品を作りました。
このうち「チェプ※・オハウ」という料理は塩ザケの切り身や長ネギ、ジャガイモなどを使い、塩とみそで味付けした汁物で、参加者たちはサケの身が崩れないように具材を煮込んでいました。
また、油で揚げて砕いたコンブを入れたしょうゆベースの甘いたれを白玉だんごに絡めた「コンブ・シト」という料理は、アイヌの人たちがおやつとしても食べたもので、独特の食感を楽しんでいました。
更別村の50代女性は「アイヌ料理を食べたのは初めてですが、素材の味を生かしていて体にとても優しく感じ、食べやすいです」と話していました。
また、帯広市の70代男性は「味付けでみそや塩を入れすぎないよう気を遣いました。おいしく出来てよかったです」と話していました。
講師を務めた「マクンベツアイヌ文化伝承保存会」の廣川和子さんは「料理だけでなく、アイヌの刺しゅうや踊り、ことばなどに触れてほしいです」と話していました。
※「プ」は小文字

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20231129/7000062892.html


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21世紀・アイヌ文化伝承の森プロジェクト~コタンコㇿカムイの森づくり~取組紹介パネル展を開催します。

2023-11-30 | アイヌ民族関連

北海道森林管理局令和5年11月29日

平取町及び株式会社平取町アイヌ文化振興公社が、北海道森林管理局内のホールにおいて、平取町内の国有林で取り組んでいる森づくりやアイヌ民具を紹介する展示を行います。また、展示期間中の12月8日は、展示物の説明やアットゥシの原料を使ったブレスレットの製作体験も行います。

1.概要

北海道森林管理局は、平成25年に平取町及び平取アイヌ協会との三者で「21世紀・アイヌ文化伝承の森再生計画~コタンコロカムイの森づくり推進のための協定書~」を締結し、平取町内の国有林において、コタンコロカムイ(シマフクロウ)が生活できる森を目標とした森づくりなどに取り組んでいます。
この度、平取町及び株式会社平取町アイヌ文化振興公社が、北海道森林管理局1階のウッディホールにおいて、この森づくりなどアイヌ文化の伝承の取組について紹介するパネルを展示するほか、伝統的工芸品に指定されている二風谷イタ(お盆)をはじめとするアイヌ民具の展示を行います。
さらに、下記の開催期間のうち、12月8日は、公社のスタッフが、展示物の説明や質問への対応も行います。加えて、同日は、同じく伝統的工芸品に指定されている二風谷アットゥシ(織物)の原料となっているオヒョウニレの樹皮を使ったブレスレットの製作体験も開催します。
国有林と地域が協働で取り組む森づくりを、ぜひ体感してください。

2.展示イベントについて

(1)開催日時及び場所
開催日:令和5年12月4日(月曜日)から12月14日(木曜日)まで
      (土曜日、日曜日は除く)
時間:午前10時から午後3時まで(12月8日(金曜日)に限り午後6時まで)
場所:北海道森林管理局1階ウッディホール
      札幌市中央区宮の森3条7丁目70番
(2)主な展示物
ア パネル展示

  • 21世紀・アイヌ文化伝承の森プロジェクトが行ってきた取り組み
  • 取り組みの動画

イ アイヌ民具

  • 二風谷イタ
  • 二風谷アットゥシ
  • イクパスイ(捧酒箸)

(3)展示物の説明及びブレスレット製作体験について
令和5年12月8日午前10時から午後6時まで(入場午後5時まで)は、株式会社平取町アイヌ文化振興公社のスタッフが、展示物の説明や質問への対応を行います。
また、オヒョウニレの樹皮を使ったブレスレットの製作体験も同時に行います。

3.参加方法

入場、製作体験への参加について事前予約は必要ありません。ただし、体験参加者が多数の場合は、一時的にお待ちいただく場合があります。

4.参考

・21世紀・アイヌ文化伝承の森プロジェクト~コタンコㇿカムイの森づくり~取り組み紹介パネル展の開催(PDF : 818KB)
北海道森林管理局ウッディホール紹介ページ
URL:https://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/rest/story/woody/index.html

お問合せ先

ウッディホールでの展示について

林野庁 北海道森林管理局 技術普及課

ダイヤルイン:050-3160-6285

21世紀・アイヌ文化伝承の森プロジェクトについて

林野庁 北海道森林管理局 企画課

ダイヤルイン:050-3160-6271

https://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/press/soumu/231129.html


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#IMAGINEおきなわ vol.46 「消滅危機言語をつなぐ」

2023-11-30 | ウチナー・沖縄

琉球朝日放送 報道制作局 20231129

今を生きる私たちが沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINEおきなわ」です。こちらをご覧ください。世界にはおよそ6000~8000の言語があるとされていてその大半が「今何もしなければ」今世紀の間になくなってしまう「消滅危機言語」と言われています。

日本では、8つの言葉が消滅の危機にあり、そのうちの6つが沖縄で話されている言葉です。(2009年ユネスコ発表)年々話す人が減り続け、消滅の危機にある島の言葉をどのように繋いでいくか考えます。

危機的な状況にある地域の言葉について広く知ってもらおうと毎年全国各地で開催されている「方言サミット」。8回目となったことしは、与那国島が開催地となり各地で言葉の保存・継承に取り組む人たちが集まって文化を彩る言葉の役割やその大切さについて考えました。

与那国中学校3年 土屋りらさん「あぬや ににんまえがら よなぐにごこーすし どぅなんむぬい ならいぶる(私は与那国語コースでどぅなんむぬいを習っています)」

そこで与那国の言葉=どぅなんむぬいを披露したのは地元の中学生たちです。

与那国中学校2年 野底優琳さん「あぬや ぬっかぬ ひできとぅ たかこぬ なぶだてぃ ぬっかぬ ゆうりんどぅぬ たんでぃ ちーとぅらしわり(私は野底秀樹と貴子の三男 野底優琳と申しますどうぞよろしくお願いします。)」

今後、数十年のうちに流ちょうに話せる人がいなくなる可能性があるなかで保存・継承に向けて動き出した地域と、そうでない地域がありいま、状況は二分されてきているといいます。

国立国語研究所 山田真寛 准教授「残すと決めて手を動かす人がいる地域は残る。そうじゃないところは残らないんじゃないですか」「最近は記録を残すだけではなくて生きた言語を残そうという意識を持っている人たちが増えてきている気がしますよ」

生活の中で話され、親から子へ、そのまた子どもへと受け継がれ、地域と共に生きてきた言葉。その響きには、それぞれに味わいがあります。さまざまな言葉があるなかでユネスコが日本国内で最も危機レベルが高い「極めて深刻」としているのが、アイヌの言葉です。

北海道などでアイヌ民族が話してきたアイヌ語は明治以降の近代化などを経て、話せる人が減り幼少期のころから言葉を聞いて習得してきた人はもうほとんどいません。

アイヌ語講座「イランカラプテ(こんにちは)~ イヤイライケレ(ありがとう)~」

しかし、残された記録や音声などを通してアイヌ語を学び、話し、つなごうとする人たちがいました。北海道の関根さん家族です。

関根健司さん「僕たちはかなり時間を割いてトレーニングというかアイヌ語だけを使う時間を作ったりしてニュースピーカーという感じ」

アイヌ語を生活の中で使ってきた人が周りにいない今、一から言葉を身につけることは、たやすいことではありません。

関根健司さん「実際はネイティブではないので年配の方とかにチェックとかをしていただくことができないような状況。分かる限りのデータを一生懸命調べて、なるべく正確なアイヌ語を使っていこうという努力を続けています」

必死に学び、広げる活動を続ける関根さんたちの目に、私たちの沖縄の言葉は、どう映っているのでしょうか。

関根健司さん「なるべくいろんなお話を聞いたり、記録を取ったり、保育所とか小学校から、今始めればまだたくさんの人が使う状況にできると思います。それをするにはアイヌ語よりもやりやすい状況があるのではないかと思います」

関根摩耶さん「(他の地域と)交流することで気付く場や表現する場が増えていったらお互いがもっとパワーを持って活動できるようになるのかなと思います」

アイヌ語の次に危機的な段階「重大な危険」とされているのが、ここ与那国の言葉=「どぅなんむぬい」です。過去の調査によると話せる人は390人程度。(2010~2013年)現在はそれよりも少なくなっていると考えられています。

ゆっくりと、確実に消えゆこうとしている言葉を教育の現場から考えようと与那国中学校では2002年から総合学習の時間に島の文化や言葉を学ぶコースを作りました。2010年頃からは、本格的にどぅなんむぬいを学ぶ「与那国語コース」がスタートしています。

どぅなんむぬいで、簡単な日常会話を練習したり自分の意見を話してみたり…毎週2時間、どぅなんむぬいの辞書作りに携わる人たちなどから学んでいます。

講師 村松稔さん「与那国らしい表現というのは人と関わらないとできないので。僕がよく言われたのは”っかい ならえ”って。”使って習え”って」

2年生の野底優琳(のそこ・ゆうり)さんは、言葉を聞いても最初はさっぱりわかりませんでしたが”使って習う”を実践し少しずつ話せるようになってきました。

先生とのやりとり「うやんた(みなさん)”あ”をもうちょっとしっかり」「うやんた」

野底優琳さん「同じ言葉が連続で来ると噛んだりとか途中で詰まったりするのでなめらかにスラスラ言えるようにしたい」

会場は席が埋まり立ち見の人も大勢。今回初めて与那国島が方言サミットの開催地になったとあって多くの島民がつめかけました。地元の人々が見守るなか与那国中学校のメンバーはどぅなんむぬいで自由に自分の考えを語ります。

与那国中学校3年 土屋りらさん「あった とぅいっくんか゜ とぅむてぃぬ いいや パンか゜まちかや? まいぬ いいか゜まちかや? パンや まぁんか゜あぬや まいぬ いいか゜どぅ まち(突然の質問ですが 朝食はパン派ですか?お米派ですか?私はお米派です。)」

与那国中学校3年 金城ゆいさん「あぶたや とぅむてぃ つま どぅー まーるむぬ っくい どぅふるぬ すでぃ ふるやぬ すでぃ んなにあらい ふがんき しかまんき ひるんんた いしわるん くゆ いっちん いしわるんすや いまさらどぅ あか゜でゃーでぃな くとぅんでぃ うむん(母は朝昼晩、料理を作ったりお風呂の掃除トイレ掃除をしたり洗濯をしたり 仕事に行ったりしています。これを毎日やっているのは今更ながらすごいなと思いました)」

野底さんが語るのは「将来の夢」についてです。

野底さん「あか゜しょーらいぬ いみや うやたいぬ しかま ちんぎるきとぅ あか゜うやたいや だどぅやぬ しかま きーぶる(私の将来の夢は両親の仕事を継ぐことです。私の親は民宿をしています。」

「どぅなんや ちゅーがっこーぬか゜いか゜しや こーこーんき ひるたみ どぅなんちま とぅんでぃらぬとぅ ならぬんがら ない いやや あぶたがら しかーとぅ ってぃ うとぅぐくとぅか゜いてぃん あたらぎーぬくとぅんでぃ うむん(与那国島は中学校を卒業すると高校に入学するために島から出ないとならないから 今のうちにお父さんお母さんから(民宿のことを)しっかりと聞いておくことが一番大切なことだと思います。」

「まーびん どぅなんちまぬくとぅ つぁぬとぅ ならぬんでぃ うむんがらんーまんきん くまんきん ひーぶさどぅ ある(もっと与那国のことを知らないとならないと思うからいろいろなところに行きたいです)」

祖父・武則さん(75歳)「じいちゃんびっくりしたよ。イントネーションとかが一番難しいけど非常に良かった」

島の人たち「君らが与那国語を使っている姿に感動した」「すごいの連発です」「先生より上手くならないでね」

野底さん「いつもより人が多くて緊張した。与那国の方言で書いた本を辞書を使わずに読めたり、いちから方言で考えて文章を書いたりしてみたいです」

今、生きている言葉を生かし続けていくために若者たちは「使って習う」でどぅなんむぬいを未来へつなげます。

「ぶーるし どぅなんむぬい っかいんだぎ!(みんなで与那国の言葉を使おう)」

辞書、文法書を作ったり実際に話している様子の動画とかを記録するのも大事だし実際に地域の言葉をたくさん話すことも大事。国立国語研究所の山田准教授は「話すのがなるべく心地よい場所を見つけるといい」と話していました。

家族でだけでもいいし、職場で友達同士だけでもいいしつらい環境ではなくて楽に話し続けられる環境を見つけることが生きた言葉をつなぐ第一歩になるのかなと思います。

https://www.qab.co.jp/news/20231129194215.html


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第75回:ある秋の日に──信州への旅(渡辺一枝)

2023-11-30 | アイヌ民族関連

マガジン9 2023年11月29日 By 渡辺一枝 

長野へ

 今年は残暑が長かったし、10月末でも気温が「夏日」と呼ばれるような日もあった。それが急にストンと気温が下がって、秋を思う心の準備もできないまま晩秋になった。そんなある一日、信州へ行ってきた。物見遊山ではなく、来春の催しについての打ち合わせだった。
 長野市の善光寺門前に在る図書館・古本&ギャラリー「マゼコゼ」の代表、小池雅久さんが企画した、来年2月からの「渡辺一枝とたぁくらたぁな仲間たち展」という催しだ。小池さんがどんなことをイメージして企画したのか皆目分からなかったが、美術家である小池さんの発信する言葉にも作品にも、私はいつも共感を抱き、大きな気づきを得たりしてきているので、どんなことかよく分からないけれどきっと面白いものになりそうだと思い、タイトルを聞いて即、受けた。
 私が何をすれば良いのか、何を求められているのか、小池さんとイメージを共有しておきたかった。それに小池さんが妻の常子さんとやっている「マゼコゼ」は、昨年改装したのでその様子も見たかった。折よくギャラリーでは四辻藍美さんの「アイヌ刺繍展」開催中でもある。藍美さんの刺繍が好きで、これまでの「マゼコゼ」での刺繍展も何度か観てきているので、今回の刺繍展も楽しみな長野行きだった。

アトレ恵比寿の有隣堂で

 乗った北陸新幹線の車両は始発の東京駅からほぼ満席で、窓際の席に座った私の隣席も小さなスーツケースを持った男性が座り、前後の空席だったシートも上野駅で全て埋まった。
 私はコーヒーを飲みながら持参した文庫本を開いた。旅に出る時にはいつも持参する赤いマイカップに、これもまたいつも、東京駅の新幹線改札脇に店構えしている「猿田彦珈琲」で「アメリカンをロングサイズで」と注文して淹れてもらうコーヒーだ。開いた本は、つい2日前に定期検診のために通った病院への途中、アトレ恵比寿の有隣堂で買った幸田文さんの『包む』。恵比寿駅は、若かった日に2年通わず1年半で中退してしまった大学への最寄駅だから、懐かしさもあり、病院からの帰りには駅構内のあちらこちらと、つい寄り歩いてしまう。
 有隣堂は本の他に小物雑貨が店頭に並べてあり、その折々で何かしらテーマのある小物類が並ぶので、それらを見るのも楽しみなのだ。今回はアジアの刺繍小物や手作りバッグなどが陳列され、ラオスのモン族の刺繍ポーチも置いてあったので柄違いの3枚を求めた。
 以前から私はモン族の刺繍が好きで、私の部屋にも大きな布に刺した刺繍絵が飾ってある。自分たちの暮らしの様子、畑仕事や家の中の台所仕事、家畜などの動物、蝶や鳥、草木や花などを、素朴な図柄で丁寧に刺してある。モン族の刺繍からは、精霊への尊敬や家族の幸せと健康を願う祈りが感じられるのだ。それらの小物の間に幸田さんのこの本がさりげなく置かれていた。若い頃から幸田さんの文章がとても好きで多くを読んできたのだが、ここに幸田さんの本が、わけても『包む』があったことがとても、とても嬉しかった。モン族の刺繍などアジアの人たちの手作り品の並ぶ中に、『包む』を平積みした有隣堂書店員の慧眼を思い、「この本屋さん、好きだなぁ」と思う私だった。

「あの煙、なんでしょう?」

 話がつい逸れてしまった。この日は冴え冴えとした青い空に雲ひとつなく、晩秋の信州へ向かうにはいかにも最適と思える上天気だった。『包む』を開き、「酒飲みの父が亡くなってから、お酒のことを年々余計に思うようになった」、そんな書き出しで始まる幸田さんの文章を読みながら、酒好きの友の顔を思い浮かべていた。幸田さんの父親である露伴さんは「少し白濁している初搾りの新酒は、盃へ紅梅をうかせて飲む慣わしがあった」と読んで、かの人も状況が今と違えばそんなふうに風雅にお酒を楽しむ人だったかしらなどと思い、ふと窓の外に目をやった。
 すると、さっきまで雲ひとつない快晴と思っていた空の随分と低い辺りに白い雲らしきものがたなびいているのが見えた。雲は向こうの小高い山の裾を隠すように広がっていた。たどっていくと、途中に建物や何やらがあってよく見定められないながら、どこかから猛烈に煙が上がっていて、それが風に流れて雲のように広がっているのだった。時々障害物があって煙の元は見えなくなるが、かなりの勢いで火が燃えているようだった。あそこで何か大変なことが起きているのではないかと案じられ、家に電話をして何か事件が起きたニュースでも報じられていないか聞こうと思ったが、場所が特定できないのに、そんなことを聞いてもわかるまいと思い、ただハラハラしながら煙を見ていた。
 煙に気付いてから3分ほども目が離せずにいたのだが、思い切って隣席の男性に声をかけた。「あの煙、なんでしょう? さっきからずっと燃え続けているのです」
 その人は携帯から目を離して窓の外を眺め「なんでしょうね。勢いがすごいですが、なんでしょうね。わからないですね」と答えた。私は突然声をかけた失礼を詫びながら、答えてくれたことに礼を言った。いっときしてその人は思い出したようにもう一度外を見て「煙が白いですね。野焼きかもしれませんね」と言って、また携帯に目を戻した。私もまた礼を言ったが、線路がカーブして煙の元は見えなくなった。
 幸田さんの本から目をあげると列車は軽井沢を過ぎて、刈田の跡での小さな焚き火が見えた。真白い煙が一筋上がっていた。「ああ、やっぱりさっきの煙は野焼きだった」と思ったが、隣の人にはそうとは告げずに胸に畳んだ。そうなのだ。建物とか何か他のものが燃えているなら、あんなに白い煙ではなく黒煙が上がるはずなのだと、刈田の白煙を見て思い至った。
 後日、この日のことをFacebookに投稿したら数人の方からコメントが返った。今の季節はそこここから野焼きの煙が上がるのが見えることや、野焼きの匂いを懐かしむ言葉、以前は野焼きをよく見たが、最近は煙害が問題で見られなくなってきたことなどが書かれていた。それらのコメントからは、この季節の風物詩として野焼きは当たり前の風景であることが知れる。常日頃から私は、自嘲気味に「世間知らず」だと自分を評しているが、「あぁ、やっぱり私は世間知らずなんだなぁ」と改めて思ったことだった。みんなが当たり前に知っていることを、私は知らずにいることが多い。

黄金色の三角

 煙の場所を通り過ぎた後、窓外の景色を見ながら、ちょうど1ヶ月前にも北陸新幹線に乗って窓から外を眺めていたことを思い出した。電通研(東京電力福島第一原発事故に関わる電通の世論操作を研究する会)の合宿で峰の原高原へ行くために長野県の上田に向かっていたのだった。あの時はまだ、山々は秋色よりも緑が勝っていた。ひと月経った今は鮮やかな色ではないけれど、樹々の秋色の葉が深い緑とグラデーションに山肌を覆い、こんな色合いでセーターを編んだら暖かいだろうなと眺めた。
 季節が変わったことを思いながら眺めていたら、低い山並みが続く中に一ヶ所、目も覚めるような黄金色の三角形が見えて目を凝らした。金色に輝く三角形の後ろには赤い屋根があって、山の中の一軒家と庭木のイチョウだと知れた。
 イチョウは、自然木としては山中に自生しない。中国原産の落葉高木で神社や寺院に植えられたことから、今は街路樹としてもよく見かける。きっと、この時目にした赤い屋根の家は民家ではなく、神社か寺院なのだろう。暖色系ではあるが沈んだ色調の晩秋の山の中にあって、たった1本のイチョウが金色に輝いて、そこから光が放たれているようにも思えた。この風景から、唐土の国から渡来したイチョウが神社や寺院に植えられた理由に納得がいくのだった。

善光寺山門前で

 長野駅で隣席の人は降りる支度をしてトランクを棚から下ろし、私も軽く会釈をして席を立った。多くの乗客がここで降りた。ホームに降りると私はいつもの急ぎ足で、先に降りた人たちを抜いて階段を上がり改札口を出て、目的地に向かった。「マゼコゼ」は善光寺の手前に在るが、そこへ行く前にどこかでお昼を食べて行こうと、店を物色しながら行った。ここは長野で新蕎麦の季節だから蕎麦しかない、と思うもののたくさんある蕎麦屋で、もしハズレの店に入ってしまったら、それほど侘しいことはないとも思い、迷いながら結局はトイーゴというショッピングモールの中の、寒天を使った料理の店「かんてんぱぱ」に入った。トイーゴの外の広場での産直市場に目を引かれたのと、ずっと以前に「かんてんぱぱ」の店で食べたランチが美味しかったことを思い出したからだ。
 食事を終えて店を出て、広場の産直売り場では「家が地元にあればなぁ」と思いながら野菜やりんご、柿の売り場を見て過ぎた。「マゼコゼ」は善光寺の表参道を山門の手前で左に折れて2本先を右に行ったところ、と思い込んで歩いた。ところが目指したところには、目的地が見当たらない。もう一度善光寺の表参道に戻って参道を下っていた時に、前方から来る人と、ふと目があった。「あれ? 新幹線の隣席にいた人?」と一瞬思ったが、向こうから来る人はスーツケースを引いていないし手ぶらだったから人違いだったのだろうと思い直した。が、その人もすれ違う時にしっかりとこちらの目を見て、一瞬「おや」というような表情を見せた。行き過ぎてから「車内では失礼しました」と声をかければ良かったかなと思い、いやいや人違いだったら失礼だし変に思われるだろうと再び思い直したのだった。
 引き返して歩いたが「マゼコゼ」に行き当たらず、どうやら迷ってしまったようだった。小池さんに電話しようと思ったら、スマホに電話番号の登録が無かったので、電話が欲しいとメッセージを送った。即電話がかかってきて、私が今いる場所を説明し小池さんがこちらに向かってくれて途中で会うことができ、無事に新装なった「マゼコゼ」に着いた。

四辻藍美さんのアイヌ刺繍

 改装された「マゼコゼ」は1階のブックカフェ部分が広くなりロケットストーブが暖かく燃えていた。小池さんが「良かったら先に四辻さんの刺繍を見てきてください」と言ってくれたので、嬉しくそうさせてもらった。2階ギャラリーも白壁にしたと聞いていたので、白い壁に藍美さんの刺繍がどんなふうに展示されているのか楽しみだった。刺繍の施された藍色のアイヌ衣装を見上げながら、階段を上がった。
 アイヌの人たちは山や川、草木や動物には神「カムイ」が宿ると考え、また、自然界ばかりでなく人間が作った道具にもカムイが宿ると考える。だからそうした大切な道具に悪い神が入り込まないように、彫刻や刺繍で魔除けの紋様をつけた。緩やかな渦巻きを表す「モレウ」や「アイウシ」と呼ばれる棘状の紋様、目を表す「シク」や「ラムラム」という鱗状の紋様などだ。肉や毛皮を手に入れるために動物を屠った時や道具が壊れた時などには、カムイを神々の世界に返す「送り」の儀礼を行う。
 「マゼコゼ」での藍美さんのアイヌ刺繍展は今回で14回目になるそうだが、私はこれまでに2度観ていて、今回は3度目だ。アイヌ刺繍はチェーンステッチで刺していくが、藍美さんの作品からは、いつもそのひと針ひと針に込められた思いが真っ直ぐに響いてきて心打たれる。それで小さな作品を求めて飾っている。今回もインドの西の方に住むワルリー族の描いた2匹の小動物の絵を、緋色の古布に白糸で刺繍した小さな作品を求めた。緋色の古布はその色よりも鮮やかな猩々緋色の布で裏打ちされ、2枚の布は表地の色に霞む色糸でぐし縫いしてある。その糸目はちょうどアイヌ刺繍でいう「道」のように筋立っていて、インドの部族の文様を刺してありながら、そこにはアイヌ刺繍の伝統がしかと活きている。「藍美さん、さすがだなぁ」と、改めて思った。これに合う額を探して飾るのが楽しみだ。
 今年の新作は「雪の情景」というタイトルで、2枚の白い布を継ぎ合わせた大きな布に雲や舞い落ちてくる雪、雪原の藪や草などを白糸で刺し表し、空を飛ぶ鳥の群れを薄水色の糸で刺してあった。そして布の下部の大地の上を菜種色の糸で刺した動物が3頭。彼らは西へ向かっているのかそれとも東へか。藍美さんはこの作品を仕上げた少し後で、たまたまTVで視聴したのがチベットを取材した番組だったそうだ。自分が刺繍した動物は、その番組で目にしたチルー(チベットカモシカ)の子連れのメスとそっくりだと気づいて心躍ったと、常子さんに話していたという。実物のチルーの群れには、私もチベットで遭遇したことがあった。他の野生動物よりも目にすることが、ずっと難しい動物だ。オスは長いツノを持つ姿の美しい動物だが、なるほど藍美さんの刺繍の動物にはツノが無く、そう言われてみれば私にも、この「雪の情景」がチベットの雪原に見えてくるのだった。
 他の作品も、どれも素晴らしかった。アイヌの伝統的な図柄を刺繍したアイヌ衣装やトートバッグなどの他に、手漉き紙に刺繍した作品も何点か展示されていた。またアイヌ文化研究者でありアイヌ童画作家だったお父さんの四辻一朗さんの本に描かれた絵を刺繍で起こし額装した作品も何点かあった。大きな蕗の葉陰で戯れるコロボックルが、愛らしかった。

「渡辺一枝とたぁくらたぁな仲間たち展」

 「渡辺一枝とたぁくらたぁな仲間たち展」。ひと月ほど前に小池さんからこのタイトルでイベントをしたいと言われたとき、「なんだかよくわからないけれど面白そう!」と引き受けた。『たぁくらたぁ』は、信州発で発行されている「産直泥つきマガジン」。原発や政治などをテーマにした記事が毎号掲載されていて、私も編集委員を務める他、毎号原稿を寄せている。
 そこまでは良いが、まずは小池さんの企画意図を聞きたかった。「どんなことをするの?」と尋ねると、やっぱりというか案の定というか、小池さんも明確なイメージがあるわけではないようで、けれども互いに「たぁくらたぁって、何なのだ?」ということが共通項としてあるのだった。
 ということは、私がまな板の上の鯉になって、共に生きている「いま」という時代を「考える」、あるいは「思いを巡らす」場を創っていくということかしらと、なんとなくの答えのようなものに思い至った。私が大切に思う「ひと・もの・こと」を、どんな形かで展示する。まな板に上がるのは「たぁくらたぁな仲間たち展」なのだから、もちろん私だけではない。具体的なイメージはまだよく湧いてこないが、方向は見えてきた気がする。
 打ち合わせを終えての決定事項は会期中に2回のトークイベントをやるということ。①「ほんとうの声を届ける〜アートだからこそできる伝承〜」として中筋純さん(「おれたちの伝承館」館長)+小池さん+私でのトーク。これは2月4日(日)14時〜16時。②「語り継ぐ〜大熊から未来へ〜」と題して木村紀夫さん(「大熊未来塾」塾長)+小池さん+私のトークで、3月16日(土)15時〜17時。展覧会は2月1日〜3月17日の会期で開催ということになった。
 何だか「たぁくらたぁ(ばか者、のんき者)」な展覧会になりそうだ。小池さんと何度か打ち合わせを重ねて、おもしろい展覧会にしたいと思う。

『たぁくらたぁ』61号

 先日、その『たぁくらたぁ』の最新号が発行された。私自身が編集委員として関わっているので、こんなことを言うと我田引水と思われそうだが、素晴らしい雑誌だと思う。多くの人の目に触れてほしい。A5版で80ページに満たない小さく薄い雑誌だが、中身が濃い。濃いだけではなく話題が広い。
 巻頭言は武藤類子さんの「汚染水の海洋放出を止めたい」。政府は漁業者との約束を破り、国内外の多くの反対の声を無視し、代替案にも耳を貸さず強引に汚染水を海に流し始めてしまった。私たちは原発事故で核汚染された被害者となったが、そればかりか汚染を拡散する国に住む者として加害者にもされてしまった。悔しい、本当に悔しい。
 目次に続く最初の記事は、広田奈津子さんの「東ティモールへの旅―『僕らは過ちを犯す、大地は知っている』」。ウクライナを、ガザを、ミャンマーを思う人たちに、奈津子さんのこの記事を読んでほしい! 戦闘は遠い世界のことと思っている人たちに、奈津子さん監督の映画『カンタ!ティモール』を観てほしい!
 今号は特集が二つある。最初の特集は「本当のことを知るための情報公開」として、福島原発事故後の行政の情報隠蔽、そしてまた電通の情報操作などに関して伊達市議会議員の島明美さん、本誌編集長の野池元基さん、芸人で記者のおしどりマコさん、石川県でオーガニックドイツパン屋を営む池見藍さん、海渡雄一弁護士が、それぞれ記事を書いている。
 もう一つの特集は「ゲノム食品に目を光らせよう」だ。フリーライターの吉田太郎さんは「ゲノム編集はなぜ推進されるのか?」と問題提起し、小布施町議会議員の竹内淳子さん、生活者ネットワークの長野市議会議員・小林史子さんが、小学校などで無料配布されようとしたゲノム編集トマト苗について書き、日本有機農業研究会の酒井明弘さん、京都府の農業者の矢野めぐみさんが、ゲノム編集食品の問題に迫っている。
 その他の記事、連載記事も見逃せない記事ばかりだ。私は「『自分ごとにする』ということ」と題して、2011年から12年間通い続けながら、今もまだ私の言葉で福島を書けずにいる心情を吐露した。
 表紙は、山口マオさんの雪だるま。裏表紙は小池雅久さんの写真と文、そして森貘郎さんの俳句五首。表紙絵を描いたマオさん装丁の赤色が鮮やかに効いている。【信州発】産直泥つきマガジン「たぁくらたぁ」が、多くの人の手に渡って欲しい。

*「たぁくらたぁ」購読の方法

定期購読(一期4回分〜)のお申し込みをお願いします。
一期(4回分)購読料 2,800円(送料込み)

下記のメールアドレスに、ご住所、氏名を明記の上「定期購読希望」と書いてお送りください。
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国際観光映像祭阿寒湖で開催 来年3月、北海道の魅力発信【札幌】

2023-11-30 | アイヌ民族関連

釧路新聞2023年11月30日 木曜日

 【札幌】第6回日本国際観光映像祭(JWTFF)が、来年3月13日から15日まで、北海道で初めて釧路市阿寒湖温泉の阿寒湖アイヌシアター「イコロ」で開催されることが決まった。実行委員長の大西雅之鶴雅ホー...

この記事は【会員限定】です。

https://kushironews.jp/2023/11/30/471124/


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ムロ語初の文法書を刊行―言語復活の希望の光に 言語を守ることは、慣習や文化を守ることだ

2023-11-30 | 先住民族関連

GlobalVoices 翻訳掲載 2023/11/29 6:08

国際母語デーは、言語や文化の多様性への意識を高め、世界中のすべての母語を祝福するための日として定められている。2022年のこの日、バングラデシュでとりわけ注目されたのは、消滅が危惧されるムロ語で書かれた初めての文法書が出版されたことだった。

ムロ族はバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯バンダルバン地域に住んでいる。1991年の国勢調査によると、ムロ族の人口は22,178人。言語はシナ・チベット語族に属している。

1982年、17歳のクラマディ・メンルがムロ語のアルファベットを作り出した。それは結合文字がなくて、文字列は左から右に流れる分かりやすいものだ。しかしムロ語のこれ以上の発展は遅れている。ユニコード・ブロックはあるが、まだオンライン上に表記ができない。

(関連記事) 母語を絶やさないために:ムロ語でつづる物語を初出版

ムロ語の初めての文法書『トトン』の表紙。写真提供:ヤンガン・ムロ、アディバス・バルタ。公正利用。

ムロ語初の文法書のタイトルは『トトン』。著者はヤンガン・ムロ氏である。ムロ氏はチッタゴン丘陵地帯のムロ族出身の作家であり研究者だ。彼はベンガル語や英語の文法に倣って、ムロ語の文法を作り出し本にまとめた。ムロ語による本はすでに出版されているが、整った文法構造が書かれた本はこれまでなかった

2022年2月17日、この本はバンドルバン市ウジャニ・パラにある著者の自宅での非公式な会で、出版が発表された。記念の式典でヤンガン・ムロ氏は語った

  • 翻訳 元の文章

この本によって、ムロ・コミュニティの人々は、自分たちの言語で正しく読み書きできるでしょう。またムロ族の生徒たちがムロ語と同じような文法構造を持つベンガル語や英語を理解するのにも特に役立つと思います。

ヤンガン・ムロ氏はチッタゴン大学の東洋言語学部を卒業後、ムロ・コミュニティの社会文化的発展のために活動している。作家としてヤンガンは、ムロの文化や童話についての計28冊の著書がある。18冊はムロ語で、10冊はベンガル語で書かれている。

ムロ語の教師ナンシン・ムロ氏は出版記念会の会合に参加し次のように語った

  • 翻訳 元の文章

ムロ語のアルファベットができた後は、生徒たちに手書きの文字で教えてきました。アルファベットと文法がこのように本の形で出版されたので、生徒たちはムロの言語をより正確に読み書きできるようになるでしょう。

バングラデシュ最大のブックフェアであるエクシェイ・ブックフェアが現在開催されていて、新しい本も日々出版されている。若い作家スハン・リズワンは、フェイスブックでムロ語で書かれた初の文法書の出版を次のように称賛した

  • 翻訳 元の文章

この本はブックフェアのすべての本の中でも、特別に価値がある。

若きアーティストのトゥファン・チャクマは、視覚芸術を使ってバングラデシュ先住民社会の様々な問題にスポットライトを当てている。彼は、ヤンガンの出現は「遠く暗いチッタゴン丘陵地帯に差し込む一筋の光のようだ」とフェイスブックに投稿した。

バングラデシュにおける言語領域

バングラデシュはベンガル語話者の国である。ベンガル語を話す人は98%に上る。バングラデシュの人類学者や部族の首長たちによると、国内には47のコミュニティに属する500万人の先住民がいる。このうち4つの言語群に属する30言語は広く話されており、12から16言語は、程度の違いはあれ消滅の危機にある。先住民の研究者サレック・ココンはオンラインのニュースポータルサイトBdNews24.comの論説でクルク語とナグリ語はほぼ消滅していると述べている。一方ムロ語はユネスコの絶滅危惧言語リストに挙げられている。

消滅の危機にある言語を保護するため、国家教育政策2010では、小学校に通う先住民の子どもたちが母語を学ぶ権利を認めている。そこには「先住民の子どもたちには先住民の教師がつき、現地語の教科書を配布することにより、母語で学ぶことができる」と明記している。条項20には「丘陵地や平地にかかわらず部族民が住むそれぞれの地域に小学校を置く」としている。この政策に沿って、政府はまず2017年にいくつかの先住民言語による初等教育の教科書を導入した。5年が経過したが、熟練した先住民教師の数が不足し、この構想の実現はたいへん難しい状況にある。

民族の進歩は、言語による知識の獲得にかかっている。言語とりわけ母語を途絶えさせないことが重要だ。一つの言語を正しく学び習得するためには、体系化された文法が必要である。その意味でヤンガン・ムロ氏の『トトン』は、ムロ族の人々の新たな言語発展の歴史を切り拓くだろう。

https://jp.globalvoices.org/2023/11/29/61283/


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「Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル」最優秀映画賞は台湾映画「緑の模倣者」、マレーシア描く「アバンとアディ」が3冠

2023-11-30 | 先住民族関連

映画.COM2023年11月29日 23:10

新しい国際映画祭「Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル」の授賞式が11月29日、那覇市のタイムスホールで行われた。台湾のジョン・ユーリン監督作「緑の模倣者」が、コンペティション部門最優秀映画賞に輝き、マレーシア出身のジン・オング監督作「アバンとアディ」が審査員賞、主演俳優賞、観客賞の3冠を獲得。審議の結果、アラスカのクジラ漁をテーマとしたドキュメンタリー「クジラと英雄」(ピート・チェルコウスキー、ジム・ウィケンズ監督)にも審査員賞が贈られた。

「緑の模倣者」は、カオ・イーフェンの短編小説が原作で、人間の姿に擬態した緑色のコガネムシの物語。主人公はアパートに侵入し、人間の行動を観察して模倣する中で、“虫”の動きを擬態する練習をしているダンサーの女性を見つける…という物語。台湾の客家語(はっかご)を用い、人間と自然の境界が曖昧化する世界観を、独創的な映像センスで撮り上げた。

ジョン監督は「この作品で伝えたいことと沖縄は相通じるものがありました。この物語で何より伝えたかったのは、多元なるエスニシティ、異なる民族が共生共存する中で、皆が意見を持ち、違うまなざしで見ていること。それぞれがどうやってお互いを受け入れ、共生していくのかがとても重要です。人と人のみならず、人とモノ、あらゆる生物にも言えることだと思います。グローバリゼーションが進む中、この沖縄という島に皆が集まったことも感動的です。この映画祭で多くの皆さんに出会えたことが嬉しく、また今後もお互い知り合い、手をたずさえて前に進むことが重要です」と、映画祭、スタッフ、家族の感謝の言葉を述べた。

審査委員長のアミール・ナデリ監督は、第1回となる同映画祭開催を最高の賛辞で称え、「今回たくさんの映画を見て、たくさんの方々と出会いました。審査員はケンカもしながら、話し合い、心を尽くして受賞作品を選びました。すべての作品に賞を与えたいと思いました」と審査の過程を振り返り、最優秀映画賞を授与した「緑の模倣者」について、「全ての作品が素晴らしかった。異なるすべての作品の中でシンプルで複雑で深い、イマジネーションを掻き立て、最もカメラワークの正しい作品だった」と評した。

最多3冠に輝いた「アバンとアディ」は、マレーシアに生まれるも、身分証明書を持っていない兄アバンと弟アディが、思いもよらぬトラブルに巻き込まれる様を描いたドラマ。11月25日に台北で行われた中華圏のアカデミー賞と称される映画賞、第60回金馬賞授賞式で主演のウー・カンレン(呉慷仁)が主演男優賞を獲得している。心を震わせる物語展開と結末が高く評価され、「観客賞をいただき、申し訳ないのは涙を流させてしまったこと。泣きながらこの作品を気に入ってくださったみなさんに感謝」「3回連続で登壇できるとは思いませんでした。すべてのクルーにとってもうれしいサプライズになると思います」と3冠受賞の喜びを語った。

「クジラと英雄」(C)Jim Wickens

「クジラと英雄」のジム・ウィケンズ監督は「アラスカの先住民族の皆さんに感謝です。彼らがこの映画撮らせて、世界届けることを許してくれました。現在、人々が干渉しあわずお互いの意見を聞き合わない現状があると思いますが。映画がきっかけとなり、魔法のように人々をつなぎ合わせると思います」とビデオメッセージを寄せた。

コンペティション部門のほか、映画製作者がプロジェクトを業界関係者にプレゼンテーションを行う、インダストリー部門Doc Edge賞で、Doc Edgeアワードをデミー・フングラ監督の「Magnetic Lettres」、Best Pitch アワードを太田信吾監督、竹中香子プロデューサーの「沼影市民プール」が受賞した。

同映画祭は、沖縄在住・台湾出身の映画監督、黄インイク(こう・いんいく)がエグゼクティブディレクターを務め、優れた映画の発掘と発信を通じ、各国の文化や民族、個々人の相互理解を深め、将来的に沖縄が環太平洋地域において新たな国際文化交流の場となることを目指し、開催された。今後も沖縄を拠点に環太平洋地域の映画産業を盛り上げる長期的な施策を構想している。

黄ディレクターは「初めての映画祭でトラブルなどもあり大変でしたが、スタッフの皆さん、100人くらいのボランティアの皆さんのおかげで、この1回目、赤ちゃんのような映画祭が生まれたことをうれしく思います。今後も長く続くと思います」と感謝を伝える。映画祭アンバサダーを務めた沖縄出身の俳優、尚玄は「胸がいっぱいです。とにかく感動しています。20年くらい俳優を続け、世界を回って映画にたずさわる中で、沖縄で映画祭をやることが夢の一つでした。それがようやく……」と、感極まり、涙を浮かべながら「ありがとうございました」と心からの感謝を述べ、会場から大きな拍手が上がった。

この日は、審査員で女優の伊藤歩、映画プロデューサーの仙頭武則、ウディネ・ファーイースト映画祭のディレクター、サブリナ・バラチェッティ氏、ハワイ国際映画祭のエグゼクティブ・ディレクターのベッキー・ストチェッティ氏、プログラム・ディレクターのワンダー・オン氏も登壇し、ナデリ監督とともに審査作品への激励のコメントや、新しく生まれた同映画祭の志の高さを称えていた。

https://eiga.com/news/20231129/22/


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