クーリエ 11/28(土) 18:00
アマゾン先住民の人々と接触をはかってきた冒険家、シドニー・ポスエロ(中央)
現代社会から隔絶された世界で、独自の生活を守り続ける人々がアマゾンの森にいる。そんな人々と接触をはかり続けて60年の探検家、シドニー・ポスエロにイスラエル紙「ハアレツ」がインタビューした。
ときに命の危険にさらされつつも、伝統的な暮らしを送る部族たちを「現代文明の侵略」から守るために活動してきたポスエロ。人生の大半をアマゾンに捧げている彼が見聞きしてきたものとは。
「まずはファスナー下げて見せて」
ブラジル、アマゾン地域の孤立した部族のメンバーたちは、初対面のとき、シドニー・ポスエロという「奇妙な白い生き物」の正体を確かめようとしたという。
「自分たちと同じ生き物なのか彼らは確かめたがっていたのです」とポスエロは微笑みながら思い出を語る。
「私に口を開けさせ中をのぞき、顔や髭を触りました。部族の女性たちはファスナーを下げさせると、私のペニスを見て、夫を呼んで彼にも見せていましたね。そして女性の調査メンバーがいた場合、男性たちが胸と腰を触り、本当に女なのか確かめました」
「とある部族の男性は、調査チームの黒人メンバーの手を取ると、色を落とそうと皮膚をこすっていたこともあります。最終的にはそういう肌の色なのだと理解していました」
彼がいなければ、多くの部族が消えていた
私の目の前に座る、80歳の素晴らしい冒険家──彼ほど危険を厭わずアマゾンの部族に人生をささげた人間は他にいない。
60年に渡るキャリアのなか、ブラジル生まれのポスエロは、それまで一度も白人と接触したことがなかった7つの部族とコンタクトを取り、ブラジル領土の約15%を先住民コミュニティの特別保護区として区画させることに成功した。そしてその後は逆に、彼らの保護のために「接触を避ける」という画期的な方針を取っている。
マチェテ(山刀)を手に、学位なき彼は民族学者となり、先住民とともに幾年もジャングルで過ごしたのだ。
ポスエロは長年、ブラジル、国立先住民保護財団(FUNAI)の「孤立したインディオ局(Department for Isolated Indians)」の局長を務めた。その努力によって彼は同分野一の権威となり、アマゾン地域の先住民部族のスポークスマン、そして世界で最も尊敬され多くの賞を受ける活動家となった。
彼がいなければ、数十の部族が絶滅していただろう。
私たちは、彼が居を構えるブラジルの首都ブラジリアで会った。8月の暑く乾いた日のことだ。新型コロナウイルス対策のため、会話は屋外で行った。
ブラジルにしては珍しく、彼は約束の時間通りに現れる。カーキのシャツにクロップドパンツ、サンダル姿だ。写真に写る彼は数十年前から同じような恰好をしていて、鋭いまなざしも髭面も同じ。髪はいつも後ろにしばっている。年を経て変わったのは髪が白くなったことくらいだ。
持ち歩いているのは抗マラリア薬(これまで39回罹患した)とコンパス付きの時計のみ。これは「都市部の移動にも実は重要」なのだとポスエロは言う(彼は携帯電話を持っていないからかもしれない)。
ポスエロは大きな笑顔とガッシリとした握手で私を迎える。数秒のうちに穏やかな雰囲気を作り、すぐにインタビューする側を安心させてくれた。人の心をつかむカリスマ性があるからこそ、孤立した部族と友人になるのに数百人が失敗するなか、彼だけは違ったのかもしれない。
死と隣り合わせの接触
1978年、それまで一度も白人を見たことのなかった人間とはじめて出会ったときのことを、ポスエロはよく覚えている。
「出会ったのはジャバリ谷に住むマイア族です。あそこはボートでしか辿り着けないんですよ」とポスエロは言う。
「違法伐採者が彼らに会ったと聞き、気になって探しに行きました。しかし向かう途中で川が氾濫したんです。結局ボートは捨てて洪水した森を歩きました。そこで突然、先住民をひとり見たのです」
「贈り物として、彼にマチェテを渡しました。どこに向かうのかもわかりませんでしたが、歩きだしたので後をついていったんです。すると、小さな小屋につきました」
「そこにいたのは私と、調査に協力してくれていた先住民4人、そして出会ったマイア族の2人です。先住民はだいたいが2~3種の言語を話しますが、私たちが会った人たちは、チームのメンバーが知るどの言葉もしゃべれませんでした」
「夜になり、私たちは小屋で身を寄せ合って眠りました。白い肌の人間は私だけ。そして白人の所業に関して噂を耳にしていたため、彼らは私を恐れているようでした」
ポスエロは続ける。
「日が昇ると外に出て体を伸ばし、次にどうなるか待っていると、部族の他のメンバーがもうすぐ来るのだとジェスチャーで分かりました。暴力的な状況になるのか、私たちには分かりません。その時は彼らのことを理解できなかったし、彼らも私たちを理解できなかったのです」
「チームには、もし何かが起こったら宙に向かって発砲しようと言いました。孤立した部族と会った場合、2つの可能性があることを、先住民メンバーは私よりもよく分かっていたのです。仲良くなるか、そうでなければ殺されるということを」
「逃げるルートを計画していると、足元の葉が揺れ、子供たちと女性の声がしました。これはいい兆候です。そして突然、彼らは姿を現しました。まずは胸元に子供を抱いた女性がひとり。そしてだんだん、贈り物──葉に包まれた、肥えてジューシーな芋虫──を手にした人々が到着しはじめたんです」
「安心してため息をつきつつ、私たちは芋虫をかじりました。美味しく栄養満点で、ココナッツのような味がするのです」
「本当は部族のもとに留まって彼らのことを理解したかったですが、本拠地に戻るようメッセージを受け取りました。(一般的に)部族の人々は5以上の数を数えないため、私は紐に35個の結び目を作り、35日後にまた来ると説明しました」
「結び目ひとつが1日を表す。結び目の解き方を教え、それを全部解いたときに私が戻るのだと伝えました」
「彼らは何日、何ヵ月という表現をしません。子供時代の話をするとき、彼らは当時の背の高さを手で示すのです。昼間に会う約束をするには『太陽がこの位置にあるときに、きみの家に行く』と言い、空の位置を指す。そして別の日の約束をするなら『月が二度目に姿を現したときに会おう』と言います。これは2ヵ月後に会おう、という意味です」
「時間に対する彼らの姿勢は私たちと違います。釣りに行く予定だったのに雨になったら、雨が降らない別の日にする。それだけのこと。私たちは常にスケジュールを守る社会に生き、彼らは時間には縛られない生活をしているのです」
だがこういった出会いの多くは、平和に終わらなかった。「何百名もの調査隊メンバーが接触を図ろうとして殺されてきました」とポスエロは言う。
「なぜ彼らがある人を殺し、別の人を生かすのか──その理由が私たちには分からないことが多いんです。先住民は、白人が同じ部族に属していると思っているのかもしれません。だからこそ、部族を攻撃したとある白人の行為を、別の人間にかぶせて殺してしまうことが多いのでしょう」
「(1981年に)アララ族と接触を図る過程で、彼らは矢を射ってきました。白人との戦争で数千人の戦士が犠牲になった部族です。突然、森の奥深くから川のように矢が襲ってきたのを覚えています。同僚のひとりは二本の矢が胸に刺さり、一本は肩を貫きました。もう一人は、矢でお腹が裂けました」
理由がわからないまま殺されることも
「接触を図るプロセスを1日では成し遂げられません」とポスエロは語る。
「数週間、または数ヵ月かかることもあります。たとえば最も孤立した部族のひとつ、コルボ族とは、歌をうたって接触しました」
「彼らの領域1キロ内に行き、歌をうたったのです。それも大声で。音を立てずに近づく者は大体が敵ですが、友好的なら到着を知らせるものです。私たちの歌が終わると、部族の人が返礼に歌をうたってくれました。そのお返しに私たちはナイフやマチェテ、斧などの贈り物を残しておいたんです」
「彼らと対面できたのは8週間後のこと。それでもスタッフのひとりが、しばらく後に殺されました。先住民数人が背後から急襲し、こん棒で殴り殺したのです。理由は尋ねませんでした。私が彼の死の復讐を狙っていると思われないようにです」
そもそも彼らの言葉をしゃべれないとき、どのようにコミュニケーションを取るのだろうか。
「はじめて会うときはジェスチャーとしぐさでコミュニケーションを取ります。眠りたければ手を頭の横に置くとか」
「ゾエ族とはじめて会ったときは、自分を指さし『シドニー』と言い、次に彼らのひとりを指しました。すると『ポトゥーロ』と向こうは言ったので、最初は彼らを『ポトゥーロ族』と呼んでいたのです」
「でも後で気が付いたのですが、ポトゥーロは下唇に刺したピアスのことでした。これにはサルの足の骨(または木片)を使います。イヤリングのように付け外しができるもので、ゾエ族の最も分かりやすい印です。下唇の穴は通過儀礼として子供時代に開けられます」(つづく)
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd9753491fed268fcbbd9b3599240967c8dd8c24