先住民族関連ニュース

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メキシコの写真家・イトゥルビデさん、神戸で個展

2014-11-30 | 先住民族関連
神戸新聞 2014/11/29 14:50
 メキシコ出身の世界的な写真家グラシエラ・イトゥルビデさん(72)による個展「仮面と儀式」が、CAP(キャップ)スタジオY3(ワイスリー)(神戸市中央区山本通3)で開かれている。同国の先住民族や鳥などを題材にしたモノクロ写真15点を展示。人々の暮らしや風景を切り取った作品からは、不思議な詩情や幻想性が漂う。(堀井正純)
 首都メキシコ市出身・在住。世界各地の美術館で個展を開く巨匠で、スウェーデンの「ハッセルブラッド国際写真賞」など受賞歴も数多い。写真は11歳のころ、父から贈られたカメラで撮り始めた。その後、大学で映画を学んでいたが、その大学の教官で著名な写真家だったマヌエル・アルバレス・ブラボさん(1902~2002年)との出会いが転機となった。
 今展で並ぶのは、サポテカ族など先住民族の日常や祭り、宗教儀式を撮った1970年代以降の作品が中心だ。先住民族を題材にしたことについて、12月5日まで神戸に滞在中のイトゥルビデさんは「自分の国や文化を知るのが目的。すごく楽しかった」と振り返る。長期間、現地に暮らし、共同体に溶け込んで撮影したという。
 市場に売られている七面鳥やアルマジロ。鳥の羽をむしる女たち。十字架のように見える電柱の向こう側で、無数の鳥が空を覆い尽くす不吉な風景…。作品にはどこか、生と死の匂いが漂う。
 彼女は自作について、「私は日常的にある風景を撮っているだけ。だが、それはリアリズムとして解釈されるものではない」「ファンタジーはあらゆる芸術にとって非常に重要な要素」などと語る。
 セルフポートレートもユニークだ。生きたカタツムリを何匹も顔に貼り付けたり、両目に2羽の鳥をあてがったり。自身と自然や生命とのつながりを探し求めているようにも思える。
 「写真とは、光で描写すること。私が世界と人生を知るための理由」。滞在中に神戸の街で写真撮影も行う予定だ。
 同展は12月28日まで(月曜休み)。無料。同スタジオTEL078・222・1003
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201411/0007542969.shtml

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泊再稼働、条件付き反対 民主北海道が重点政策

2014-11-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (11/30 07:00)
 民主党北海道は29日、衆院選の道内版重点政策を決めた。北海道電力泊原発(後志管内泊村)について、実効性ある避難計画など三つの前提条件を満たさない限り「再稼働すべきではない」とした。選挙協力で合意した新党大地との協議に基づき、環太平洋連携協定(TPP)参加反対や北方領土問題の早期解決、アイヌ民族政策の充実を盛り込んだ。30日に発表する。
 重点政策は党本部が24日に発表したマニフェスト(政権公約)を踏まえ、「(安倍晋三首相の経済政策)アベノミクスからの転換」など5本柱を掲げた。
 泊原発再稼働は《1》安全対策の徹底《2》責任と実効性ある避難計画の策定《3》関係自治体・住民の理解と合意―などの前提条件を満たさない限り認めるべきでないとした。電源開発大間原発(青森県大間町)は建設凍結を訴える。
 大地の意向を反映し、TPP参加反対を強調したほか、アイヌ民族政策について「共生を大切にし伝統文化の継承発展、象徴空間の整備を進める」と重点化。北方領土問題も「日ロ経済交流を積極的に進め早期解決を図る」と前面に出した。
 このほか、集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を求めるとした。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/2014shuin/577331.html

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DNA分析で縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明

2014-11-29 | アイヌ民族関連
NEWSポストセブン-2014.11.28 16:00
 われわれの祖先はどのように日本に渡り、どのように変貌したのか。最先端のDNA分析により得られた新事実を、ヒトゲノムによって日本人の起源を探る研究の第一人者、国立遺伝学研究所の斎藤成也教授が明かす。
 * * *
 DNA分析という手法の開発により、分子生物学によって日本人のルーツを探る研究は劇的に進歩した。
 DNAは「たんぱく質の設計図」とされる物質で、親から子に遺伝情報を継承する。
 人体を構成する約60兆個の細胞は、すべて最初の1個の受精卵が起源であり、細胞増殖によって体が作られる。この増殖でDNAが複製されるとき、稀にDNAが部分的な突然変異を起こすことがある。変異が精子や卵子などの生殖細胞で起きると、部分的に変異したDNAはそのまま子や孫へと引き継がれていく。
 アフリカで誕生した人類は7万年前から世界に拡散していったが、特定の集団のなかで誰かの生殖細胞に変異が起き、集団内でそれが広まり蓄積することがあった。また、別の集団との交流により、混血で変異が共有されることもあった。
 つまり、現代人と遺跡から出土する人骨のDNAを分析し変異の痕跡を比較すれば、どこで変異が発生し、どう受け継がれてきたかが分かり、人類がアフリカからどのようなルートを辿って拡散したかが見えてくるのだ。
 では、日本人はどこからやってきたのか。若干の想像を交えて、最新のDNA分析の結果から推定されるルートを提示してみよう。
 およそ7万年前に我々の祖先がアフリカを出たことはすでに判明している。数度に亘る「出アフリカ」の何回目かにアフリカを出た人々がアラビア半島を渡り、ユーラシア大陸の南側に進出。5万年ほど前に台湾や琉球諸島を経て、日本列島の地を踏んだと考えられる。これがいわゆる「縄文人」だ。1万年前までは最終氷河期で、海面は今より70m低かった。氷河にも覆われていたので、台湾、琉球からの渡来はそう難しくはなかっただろう。
 一方、7万年前にアフリカを出て東アジアに渡った人々は、小麦農耕の技術を身に付け、今でいう中国の中原と呼ばれる地域で人口を爆発的に増やした。そこからあふれ出た人々が稲作の技術を携えて移動し、およそ3000年前に朝鮮半島を経て、北九州に渡った。それが「渡来系弥生人」と考えられる。
 実はこの説は、DNA分析が行なわれる前からあったが、従来は、農耕民の弥生人により狩猟採集民の縄文人が駆逐され、北海道に追いやられたのが「アイヌ人」、南に追いやられたのが「沖縄人」と考えられていた。しかし、現代日本人のDNA分析によって縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明し、両者の間で交流があったことが認められた。
※SAPIO2014年12月号
http://www.news-postseven.com/archives/20141128_285323.html

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マイア・バルー、新作『KODAMA』をひっさげたコンサートが決定!

2014-11-29 | アイヌ民族関連
CDJournal.com-2014/11/28 14:52掲載
 マルタン・ソメニエをプロデューサーに迎えたニュー・アルバム『KODAMA』(PROP-10007 2,400円 + 税)を12月3日に発表するマイア・バルー(MAIA BAROUH)が、2015年4月2日(木)に東京・渋谷 WWWにてコンサートを行なうことが決定しました。チケットは前売り4,000円、当日4,500円(ともにドリンク別)、12月6日(土)の一般発売です。
 ニュー・アルバム『KODAMA』は津軽じょんがら節、新相馬節、会津磐梯山、ソーラン節やアイヌの熊送りの歌など、日本の民謡を自身で再構築した楽曲を主軸に、マルタン・メソニエとの共作やオリジナルなどもミックスさせて、インパクトあるベースラインとエレクトロニカ・サウンドによってドラマティックかつトランスな世界を聞かせるもの。フェラ・クティ、キング・サニー・アデ、パパ・ウェンバとの仕事で知られるマルタン・ソメニエをプロデューサーに迎え、2011年以来拠点にしているパリで録音したアルバムです。
 レコーディングに参加したミン・ファン(key)、アントニー・フレノー(ds)、駒澤れお(perc)、ミッシェル・ミチナ(cho)とともにステージに立つ貴重な来日公演をお見逃しなく。
http://www.cdjournal.com/main/news/maia-barouh/63075

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露日研究者が大昔の熊を共同研究

2014-11-29 | アイヌ民族関連
VOR ロシアの声-28.11.2014, 04:59

露日の研究者らは共同で大昔の熊の研究を行う計画。ロシア科学アカデミーウラル支部、植物動物環境学研究所、古代環境学実験室のパーヴェル・コシンツェフ室長がタス通信に明らかにした。
「来年、日本の研究者らとともにウラルの森と日本で発見された古代の熊の骨の研究を計画している。これらの骨からDNAを取り出し、それを研究することで、いかにして熊がウラルの森に出現したか、どういった進化をとげたか、どうやって日本の島々に姿を現したかをとく鍵にしたい。」
ロシア科学アカデミーウラル支部の研究者らは来2015年、日本の研究者らとともに北海道からわたってきたアイヌとウラルノマンシー族の信仰の研究を続ける。両民族ともヒグマを信仰の対象としてきた。
コシンツェフ氏は、熊信仰の儀式がどれだけ類似しているか、両民族の文化にどれだけ強い影響を与えたかを知ることも調査の一環と語った。
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_11_28/280586898/

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鯨肉はイスラム教徒の観光客のため?

2014-11-28 | 先住民族関連
VOR ロシアの声-27.11.2014, 16:05
日本は、約1年間の捕鯨モラトリアムのあと、「研究」プログラムの枠内における南極海での新たな捕鯨計画を発表した。今年3月、国際司法裁判所(ICJ)は、南極海での捕鯨中止を命じる判決を下した。
日本はICJの判決に従うと約束したが、最近、南極海での新たな鯨類調査計画案「NEWREP-A」を発表した。「NEWREP-A」は、以前の調査捕鯨計画「JARPA II」に代わるもので、捕鯨範囲が大幅に拡大されている。日本の捕鯨調査が、これまでは主にオーストラリアかニュージーランドから南の海域で行われていたとしたら、新たな計画では、その活動範囲が、南大西洋と太平洋の南東部の南極沿岸部の3分の2にまで及んでいる。
新計画では、捕鯨砲を使用して「研究という名のものとに」捕鯨の対象となるクロミンククジラの目標獲得数が333頭に減らされるが、水産庁によると、「捕獲調査において重要な要素となる「性成熟年齢」の算出に必要な年齢情報は、現時点においては非致死的調査によって取得することが不可能であり、致死的調査が必要」だという。
国際捕鯨委員会(IWC)は1986年、鯨の商業捕鯨を禁止した。1994年には、南極海に鯨類保護区が設置された。IWCの決議によると、捕鯨を伴うあらゆる「研究」プログラムは、事前に委員会の承認を得なければならない。
日本のマスコミは、日本政府が18日に、新たな研究計画をIWCに提出したと報じた。IFAW(国際動物福祉基金)ロシア支部のアンナ・フィリッポワ専門家は、委員会が承諾する前の今冬にも捕鯨が再開される可能性があると危惧し、次のように語っている。
「捕鯨は、複数の国に一定の捕獲枠が認められている先住民族の生存捕鯨によって動機付けられていることがある。日本は、研究目的の捕鯨を主張している。だが私たちが暮らしているのは21世紀だ。現代の学問には、鯨の致死的調査ではなく、殺さずにすむ調査方法がある。例えば、極東のサハリンにはコククジラの観測グループがいる。観測グループは、海に出て鯨の生態組織検査をしている。すなわち、組織サンプルが必要であれば、はるかに生き物を尊重した方法がある。槍などを使って組織の一部をとれば、鯨を死に追いやることはない。DNAの分析や、その他の調査であれば、これで十分だ。鯨の生息数調査では、現代の無人機が使用されている。日本が研究のために数百頭以上の鯨を殺さなければならないとしたら、私は、日本が鯨に関してどのような研究をしているのか理解できない。これは、環境や現代科学の視点からみて非常に奇妙だ。鯨肉が日本の伝統的な食文化に含まれているという情報を考慮しても納得できない。数多くの調査や世論調査などでは、現代の日本では鯨肉の需要がないことが示されている。少なくとも、捕鯨されている量の需要はない。これは、日本で誰かが強く働きかけている商業プロジェクトではないかという疑いを抱かせる。」
明らかになったところによると、鯨肉は、アラブ諸国やマレーシアなどのイスラム教徒の観光客を日本へ誘致するための一つの手段になっているという。日本捕鯨協会は昨年、ハラルの認証を取得し、イスラム教徒に許可された牛肉と同じ栄養価を持つ鯨肉を市場に送り出している。複数の情報によると、日本にはイスラム教徒がおよそ10万人いるが、ハラル品をメニューに加えるレストランが増えており、すでにハラルとして認められた鯨肉を出すレストランもあるという。
なお、日本では26-27日、ハラルに関する国際フォーラム・展示会「JAPAN HALAL EXPO 2014」が開催された。
http://japanese.ruvr.ru/2014_11_27/280580840/

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牛乳でお腹ゴロゴロしない人は欧州やアフリカのDNA継承か

2014-11-28 | アイヌ民族関連
NEWSポストセブン-2014.11.27 07:00
 われわれの祖先はどのように日本に渡り、どのように変貌したのか。最先端のDNA分析により得られた新事実を、ヒトゲノムによって日本人の起源を探る研究の第一人者、国立遺伝学研究所の斎藤成也教授が明かす。
 * * * 
 DNA分析という手法の開発により、分子生物学によって日本人のルーツを探る研究は劇的に進歩した。DNAは「たんぱく質の設計図」とされる物質で、親から子に遺伝情報を継承する。DNAの変異が身体機能の差異に現れることがある。そこから自分のルーツとなる集団を類推することもできる。
 たとえば、日本人の瞳の色は茶色がスタンダードでこれは東アジアで共通だが、現代人のDNA分析から推定すると、縄文人は青い瞳だったかもしれない。
 耳垢には、かさかさ型(乾型)としっとり型(湿型)の2種類あるが、これもDNAの特定箇所が関わっている。日本人を含む東アジアの集団では乾型が多いが、欧州ではほとんどが湿型だ。アイヌ人と沖縄人も湿型の頻度が高い。世間では「乾型が弥生系で、湿型が縄文系」などといわれているが、当たらずとも遠からずと言えるだろう。ちなみに、耳垢遺伝子の近傍に腋臭遺伝子があるようで、耳垢が湿型の場合、腋臭が強いという相関もある。
 お酒に対する耐性は、アルコールから生じるアルデヒドの分解酵素を作るDNAに関わり、お酒に弱い人はこの部分が変異している。欧州と比べると、中国南部や朝鮮半島、日本にはこの変異したDNAを持つ人が多い。弥生人は酒に弱かったのかもしれない。
 昔から日本人は牛乳に弱いと言われているが、牛乳を飲んでもお腹がゴロゴロとしない人は、授乳期を過ぎても乳糖分解酵素を作り続けられるからで、これは変異したDNAをもっているからだ。古くから牧畜文化があった欧州やアフリカでは、集団によって70~80%に達する。一方、牧畜文化を持たなかった日本人は15%ほどだ。牛乳を飲んでもお腹が下らない人は、欧州やアフリカからDNAを引き継いでいる可能性もある。
※SAPIO2014年12月号
http://www.news-postseven.com/archives/20141127_285312.html

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<読書>ムクゲの頬づえ…困難に屈しない強い心

2014-11-28 | アイヌ民族関連
民団新聞 2014-11-26
 1934年、北海道・小樽で生まれた李正雨さんが、80年におよぶ波乱の人生を綴った自叙伝を自費出版した。本書で李さんは「K子」として登場する。
 在日韓国人2世のK子は、小学校に入学早々、クラスの同級生や担任からいじめにあい、転校した室蘭の小学校でも疎外感を味わった。ある日、校長が口にしたアイヌに対する差別用語を聞いた途端、朝鮮人とアイヌは人間扱いされていないと痛感する。その深い傷がK子のエネルギーになったという。
 小学校5年生の時、太平洋戦争が激化し、母親らと祖母の暮らす釜山へ疎開したが、竹の子生活で慢性的な栄養失調だった。この頃から大学に行くと決めていた。それは父や母の苦労を見てきたからだ。1950年6月25日、韓国戦争が勃発する。帰日するために乗った密航船が拿捕され、鳥取の収容所を経て、大村収容所に収容されたこともある。
 北海道大学卒業後、3つの高校で計30年間、教壇に立ったが、さまざまな理由から圧力を受け続け、3校とも辞めさせられている。現在、民団室蘭支部の婦人会顧問として開設したハングル教室や、室蘭市役所の委託を受けて始まったハングルの集中講座などで教えている。その行動力と困難に屈しないK子の強い心に見習いたい。
李正雨著 自費出版 (1500円 税込) 0143(85)8262
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?corner=6&page=1&subpage=3410

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登別の資料館で特別展「山田秀三とアイヌ語地名」開催

2014-11-28 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年11月27日(木)朝刊】
アイヌ語地名研究の第一人者・山田秀三に焦点を当てた郷土資料館特別展
 登別市郷土資料館特別展「山田秀三とアイヌ語地名」が26日から、片倉町の同資料館で始まった。初代北海道曹達社長で、北海道・東北のアイヌ語地名研究の第一人者。道内各地で企画展が展開されてきたが「最もゆかりのある登別」では初開催。登別を中心とした研究資料や著書が来場者の注目を集めている。
 登別市、道立アイヌ民族文化研究センター共催。山田(1899~1992年)は東京生まれ。東京帝大法学部を経て農商務省、商工省などに勤務し、1945年(昭和20年)に退官。49年、幌別の北海道曹達設立に当たり、請われて社長に就任。会長、相談役を務めた。
 41年に着任した仙台鉱山監督局長時代に東北の地名に関心を持った。戦後は自ら「道楽」と称して、東北や北海道のアイヌ語地名を調査。金田一京助の紹介を受け、登別市出身のアイヌ語学者・知里真志保と知り合い、生涯を通じて深い交友を結んだ。
 特別展では、センターが所蔵する登別関連の調査記録や地図など実物資料41点のほか、パネル資料47点が展示されている。著書「北海道の地名」にある、「富浦」や「来馬」などの地名を紹介するパネルが多数並ぶ。現地調査のスケッチが見事。
 山田の研究は、同型・同類の地名を現地も含めて詳細に調べ、そのことから地名の意味や特徴を明らかにする手法が特徴だが、一例として登別の岡志別川を切り口に、東北などの同型地名について紹介した文献の一部にも焦点を当てた。
 また、山田が真志保と知り合った当初は「一高の10年後輩だが取っつきにくい難しい顔をした男」と感じながらも、研究を通じて距離を縮め、気持ちが「信頼」へと変化していったエピソードなども文献引用の形で紹介されている。
 1月25日までロングラン開催する。入館料190円(大人)が必要。
(鞠子理人)

【写真=アイヌ語地名研究の第一人者・山田秀三に焦点を当てた郷土資料館特別展】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/11/27/20141127m_05.html

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白老の本年度上半期観光入り込み4年連続増加

2014-11-28 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年11月27日(木)朝刊】
 白老町を2014年度(平成26年度)上半期(4~9月)に訪れた観光客は103万5329人で、前年同期を5391人、0・5%上回った。増加は4年連続。宿泊客は4・6%増、日帰り客は0・4%増だった。
 町がまとめた。過去6年間の上半期をみると、08、09年度は110万人台で推移、10年度は102万人台に落ち込み、13年度まで4年連続して102万人台だった。今シーズンは103万人台となり、対前年同期を13年度同様0・5%上回った。宿泊客は4万2230人(前年同期比4・6%増)、日帰り客は99万3099人(同0・4%増)。
 地区別では、虎杖浜温泉地区が54万3051人(同6・1%増)。「飲食店・土産」は32・5%増加し、特に海産物を販売する大型土産店は60・1%の大幅増となった。タイや韓国などアジア圏からの観光客を中心に客数を伸ばし、国内をメーンにする施設はタラコ詰め放題など体験メニューが浸透してきたことも増加要因となった。
 「海産物ロード」は28・6%増。虎杖浜温泉や登別温泉の宿泊施設からの立ち寄りのほか、JR北海道など民間企業との連携事業も効果を挙げた。虎杖浜竹浦観光連合会による3大まつりやご当地メニュー販売による集客効果もみられた。
 ホテル・旅館の宿泊客は3万8969人(同1・6%増)、日帰り客は9万2288人(同13・1%減)。町は「施設単体での宣伝活動がなかなかできないことも少なからず減少要因になっている」とみている。
 社台から北吉原にかけての白老地区は49万2278人(同5・0%減)。アイヌ民族博物館を中心とした「文化・歴史」は12万2114人(同1・0%増)、「飲食店・土産」は17万4545人(同3・3%減)、「まつり・イベント」は9万8336人(同13・4%減)。荒天によって白老牛肉まつりの来場者が1万8500人減の3万1500人にとどまったことなどが減少要因となった。
 宿泊客は3261人(同63・2%増)。小規模旅館は工事関係者の連泊が目立ち、富裕層向けの高級ホテルは国内の個人客、アジア圏の観光客が増えた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/11/27/20141127m_08.html

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[想い風]沖縄差別にも終止符を

2014-11-27 | ウチナー・沖縄
沖縄タイムス 2014年11月26日 11:07
 人間としての尊厳を奪われた民族の悲しみは、奪われた側にしか分からない。奪われた尊厳の回復には、奪った側が自らの行為を認め、正す努力が必要だ。
 米国で10月第2月曜日はコロンブスによる新大陸発見を記念する祝日。しかし、今年からシアトル市はこの日を「先住民族の日」に変更した。コロンブスは新大陸を発見したのではなく、そこに住んでいた先住民の領土と命を奪ったという史実を見直したからだ。
 9月末、ニューヨークの国連本部で先住民族世界会議が開かれた。「先住民族」とは、一方的に土地を奪われ、植民地支配や同化政策を受けた民族的集団を指し、その数は70カ国以上で3億人以上に達する。
 国連という国家の枠組みを超えた空間の中で、先住民族の代表者らが、大国に土地を奪われ、差別や抑圧に耐えてきたと語る声は、琉球処分に米軍占領、本土復帰で言語や文化を奪われ、人権を否定されてきた沖縄に重なっていった。
 日本では、2007年に先住民族の権利に関する国連宣言が採択されたのを受け、アイヌ民族が先住民族と認められた。
 しかし、国連の勧告にもかかわらず、日本政府は「沖縄・琉球民族は先住民族だ」との主張には向き合おうとしない。
 日本政府はこれまで、国益や安全保障を理由に、米軍に沖縄の陸海空の自由使用を保障し、地元民の人権は顧みず、国家間の利害で沖縄の未来を決めてきた。
 私たちは長年強いられてきたこの差別的状況の改善を訴えてきたが、両政府は人権問題と捉えず、「振興策か貧困か」「人口密集地か過疎地か」と迫り、沖縄人同士を対立させている。
 沖縄が基地を受け入れなくても発展が阻まれないという当たり前の状況を取り戻すには、抑圧者である両政府が態度を改め、沖縄に犠牲を強いる構図を止めなければならない。
 同時に、沖縄も抑圧を許容しない、すなわち日本人化することで特権を享受しようとする「同化志向」を捨て、抑圧の移譲に別れを告げる必要がある。(平安名純代・米国特約記者)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=92083

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台湾先住民・アミ族に伝わる伝説の帆船、100年ぶりに復活

2014-11-26 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾 2014/11/25 14:37 【社会】
(台東 25日 中央社)台東県の馬蘭集落(台東市豊年里)で、台湾原住民(先住民)のアミ族に伝わる、約100年前の竹の帆船が再現され、24日に進水式が行われた。
帆船の再現は、同集落から原住民の文化が失われつつあることなどを受けて、集落の自治を求める馬蘭自治推進委員会と南島コミュニティ・カレッジが今年8月に始めたもの。竹の船を作るのを得意としてきた集落の老人らの記憶などを基に制作が進められた。
計画には同県にある鹿鳴温泉ホテルや南アフリカ籍の帆船の専門家、ジェームズ・エドワード氏なども協力。約3カ月の制作期間を経て、皮籐や麻竹、木の葉などを使い再現された帆船は同日、無事進水した。
言い伝えによれば、台東のアミ族は約100年前まで、帆船に乗ってトビウオやカツオ、カジキなどを獲っていたとされており、その後、帆船は漁業資源の枯渇とともに姿を消していったとみられている。
(盧太城/編集:杉野浩司)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201411250002.aspx

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マレー権利団体が過激要求、UMNO総会見据え 「民族語学校廃止」など

2014-11-26 | 先住民族関連
マレーシアナビ 2014年11月25日 06:15 JST配信
【クアラルンプール=マレーシアBIZナビ】 リベラル&多民族主義とイスラム原理主義の両方からの突き上げが厳しさを増す中で、25日に開幕する「マレー人の団結」をスローガンに掲げた与党第一党・統一マレー国民組織(UMNO)の年次総会に注目が集っている。
UMNO総会に先駆けて、支持団体であるマレー人の権利団体、ペルカサは23日、「国民団結会議」を開催し、マレー・イスラムの権益を担保するよう改めて要求した。
国民統合の妨げになっているとの理由から華語学校やタミル語学校といった民族語学校を廃止すべきとの主張を改めて繰り返したほか、ナジブ・ラザク首相の肝煎りの国家和合協議委員会(NUCC)についても、リベラルが占めることを理由に廃止を求めた。
民族語学校の問題については、UMNO党首脳は華人及びタミル人有権者への配慮からナジブ・ラザク総裁(首相)ら政府トップが「存続させる方針は変わらない」と繰り返してきた。与党連合・国民戦線(BN)で共闘するマレーシア華人協会(MCA)やマレーシア・インド人会議(MIC)は民族語学校の維持に向けUMNOに圧力をかけている。
ペルカサはこのほか、人口に占める割合の高いブミプトラ(マレー人および先住民族の総称)を国民団結の核となるグループとして認知すべきとの主張を展開。高等教育向けの国家高等教育基金(PTPTN)についても、学費ローン支給対象をブミプトラに限定すべきと主張している。
なお「国民団結会議」では、ペルカサの後ろ盾であるマハティール・モハマド元首相のスピーチが直前になってキャンセルされた。ナジブ政権への厳しい叱責の声を期待した向きははぐらかされる格好となった。
http://www.malaysia-navi.jp/news/?mode=d&i=3894

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苫小牧港フェリーターミナルでアイヌ民族展

2014-11-25 | アイヌ民族関連
室蘭民報 (2014年 11/24)
 白老町のアイヌ民族博物館は、苫小牧港・西港フェリーターミナルで、同博物館所蔵のアイヌ民族の着物や刀などを初めて展示している。2020年に同町のポロト湖畔に「民族共生の象徴空間」(象徴空間)が開設されることもあり、同博物館は「多くの人に見てもらい、アイヌ文化を知ってほしい」としている。
 展示物は、木綿衣と樹皮衣、刀の3点。西港フェリーターミナルのウオールギャラリーに飾られ、フェリー利用者などが見入っている。
 展示は来年1月6日まで。同博物館は「道内の他のアイヌ文化発信施設への関心も高めてもらえれば」と話した。
http://www.tomamin.co.jp/20141119266


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基地問題解決には日米両政府とのタフな交渉が必要

2014-11-25 | ウチナー・沖縄
命の海・辺野古への新基地建設は許されない
人民新聞-2014/11/23更新
大田昌秀さん(元沖縄県知事/沖縄国際平和研究所理事長)インタビュー
「沖縄取材レポート」の2回目は、元沖縄県知事の大田昌秀さんインタビューをお送りする(高江報告は次号に)。
11月16日投票の沖縄県知事選挙は、「オール沖縄」代表の翁長雄志氏(前那覇市長)の圧勝。今回の選挙で争点となった「辺野古新基地建設」。この「辺野古案」が、日本政府によって持ち出された18年前、県知事だった大田さんは「基地反対」を貫いた。日米両政府と渡り合う中で明らかになった辺野古新基地の本質とは何だったのか。(編集部一ノ瀬)
──「辺野古基地建設」の話が出たのは、大田さんの知事時代でした。
大田…1995年9月、「米兵少女暴行事件」が起きました。沖縄では翌月、抗議の県民大会に8万5000人が集まり、怒りの声をあげます。米軍基地の負担軽減や日米地位協定の見直しを求める声が、一気に高まったのです。
慌てた日米両政府は、同年11月に、沖縄県民の怒りをなだめるために、「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)を設置します。
96年4月、クリントン大統領が来日しましたが、その前に橋本首相とモンデール駐日大使が話し合い、「普天間の返還」が決定されました。日米政府が、普天間を加えた11の基地返還を合意したのです。
96年12月に日米政府が出したSACOの最終報告で、日本政府は「普天間の代替の飛行場を本島の東海岸に作る」とし、翌1月には「辺野古」が移設候補地として明らかになりました。
日本政府は、代替基地を普天間の5分の1の規模に縮小する、としました。滑走路も普天間の2400㍍から1300㍍に縮小、前後に100㍍ずつの緩衝地帯を設けて、最長1500㍍にする。建設期間は5~7年、建設費用は5000億円以内、と発表しました。
しかし、この内容は、米政府の発表とは違うものでした。米側は、建設期間は最短で10年、予算は約1兆円だと、ハッキリ書いています。さらに、MV22オスプレイを24機配備するため、2カ年の演習が必要、したがって基地が完成しても、使い始めるのは最短でも12年かかる、基地の運用年数は40年、耐用年数は200年だ、という。
──辺野古は「普天間の移設」ではないわけですね。
大田…その点はしっかり認識しておかなければなりません。辺野古埋め立ては、「普天間の負担軽減」などではなく、新基地の建設なのです。
普天間飛行場の副司令官にトーマス・キングという人がいました。彼は、NHKのインタビューに「辺野古に作る基地は、普天間の代わりではなく、軍事力を20%強化した基地になる」と答えています。
強化する「20%」の中身とは何か?─それは、①弾薬庫の建設、②MV22オスプレイ24機の配備、です。
アフガン戦争やイラク戦争の時に、普天間のヘリ部隊は嘉手納飛行場で爆弾を積んでいました。普天間は住宅地の中にあるため、爆弾を積めないからです。米軍にとって非常に不便なため、辺野古では海陸どこからでも爆弾を積める施設を作ろう、というわけです。
加えて、維持費の問題。現在、普天間飛行場の年間維持費は、280万㌦です。これが辺野古新基地では、一挙に2億㌦に跳ね上がります。しかも、それを日本の税金で負担してくれ、というのです。辺野古の新基地は、建設費も移設費も維持費も、全部「思いやり予算」で持つのです。
実は、辺野古に基地をつくるという計画は、SACOによって初めて出されたわけではありません。沖縄返還(1972年)のずっと以前から、辺野古への基地建設が検討されていたのです。
1953年~58年当時、沖縄では歴史始まって以来の大衆反米闘争=「島ぐるみ闘争」が起こりました。1949年に中国の共産党政権が誕生し、50年に朝鮮戦争が始まるなど、冷戦が進んで、東アジアの軍事的緊張が一気に高まりました。アメリカは、沖縄の米軍基地を強化・拡大するために、「銃剣とブルドーザー」によって、農家の土地を強制収用して軍事基地にしていきました。
アメリカは、沖縄を日本に返すと、沖縄に日本国憲法が適用され、アメリカの一番重要な基地の運用ができなくなるのを恐れました。「一番重要な基地」というのは、嘉手納以南の、県都・那覇市に近いところに集中しています。そこで米軍は、嘉手納以南の基地をひとまとめに移転する計画を立てました。そして、アメリカのゼネコンに西表島から北部の今帰仁港、本部港まで、全部調査させたのです。その結果、最終的には「大浦湾、辺野古の海が最適である」と決定しました。
現在米軍は、那覇軍港を使用していますが、ここは水深が約10㍍で、空母を横付けできません。しかし大浦湾、辺野古の海は水深が30㍍あって、海軍の空母や強襲揚陸艦を入れることができます。そして辺野古の陸上部には、核兵器を収納できる陸軍の巨大な弾薬庫を作る計画を立てていたのです。1966~67年のことです。
ところが当時は、米国はベトナム戦争の最中で、予算がありませんでした。返還前で日米安保条約が沖縄に適用されていないから、建設費も移設費・維持費も、すべて米軍が自己負担する必要がありました。
そこで米は、日本政府と密約を結びます。沖縄が日本に返還されて憲法が適用されても、基地の自由使用は認める、核兵器はいつでも持ち込めるようにする、とする内容です。そこでアメリカは安心して、辺野古の基地計画を放置していたわけです。
つまり、「辺野古の基地建設」は、米軍にとっては48年ぶりに息を吹き返した計画なのです。日本政府が建設費・移設費・維持費を全部負担してくれるわけだから、米軍にとっては、こんなにありがたい話はないのです。
広がり見せる「沖縄独立論」/今後の展開に注目
──辺野古では、今も「基地反対」の座り込みが続いていますね。
大田…そうです。「戦争は2度とゴメンだ」との思いで、おじぃ、おばぁたちが座り込みを続けているのです。彼らには沖縄戦の体験がある。生活を犠牲にしても、座り込みを続けているのです。
辺野古の海は、付近の住民にとっては、生活の一番大事な源です。沖縄戦の時には、あの辺は田畑がなくて、山ばかりでした。換金できる作物がなく、食料がなくて餓死寸前に、辺野古の海から魚を採って、やっと命をつなぎました。戦後は、魚を売って、やっとの思いで子どもたちに教育を受けさせたのです。だから、付近住民にとって辺野古の海は、命の海、生活の源なのです。
今の沖縄経済の柱の一つは、観光産業です。その中でも、沖縄のきれいな海に潜ったり、釣りをして沖縄の自然の魅力を体験する「エコ・ツーリズム」が盛んになってきています。大浦湾一帯も海が綺麗で、自然が豊かですから、エコ・ツーリズムのメッカになっているところなんです。そこに基地を作られたら、経済的にも大打撃になります。
──「沖縄独立論」についてどう思われますか?
大田…沖縄の人間は、みんな日本政府の政策や対応にはうんざりしています。それは、廃藩置県以来、まったく変わっていません。沖縄に対する日本政府の「構造的差別」がなくならない限り、こんな日本についていたら埒があかないから独立すべき、という声が出るのは当然です。
沖縄の独立に関する議論はずっと以前からされてきて、「沖縄独立」に関する本も、何百冊も出ています。私もいま「沖縄独立」に関する本を執筆しているところです。
最近の「独立論」の特徴は、学者が具体的に現実性を指向して語り初めていることです。石垣島出身の京都・龍谷大学教授の松島泰勝さんが独立論を唱えて、つい最近、『琉球独立論』という本を出しました。いま、世界に国連加盟国は193カ国ほどありますが、そのうち42カ国は、沖縄より人口が少ない国なんです。彼は、沖縄国際大学教授の与那国出身の友知政樹教授たちと「琉球独立総合研究学会」を設立しました。
先日、スコットランド独立の是非を問う住民投票が行われましたが、多くの沖縄の人々が注目しています。シンポジウムも行われていますし、9月には糸数慶子参院議員が、国連の「先住民族世界会議」の分科会で、「日本政府は沖縄の人々を先住民として認めるべきだ」と訴える演説を行いました。
独立論はますます広がっている状況にあります。今後、「沖縄独立論」がどういう展開を見せるのか、注目すべき点です。
──16日投票の沖縄県知事選について。
大田…誰が当選するにせよ、アメリカを動かす力量を持った知事が誕生しないと、基地問題も解決できません。新知事は、アメリカと正面から喧嘩し、日本政府にも「基地ノー」とハッキリ主張しなければなりません。
アメリカ・オーストラリア両政府の間では、沖縄駐留の海兵隊8000人のうち4700人をグアムに移し、2~3000人をオーストラリア北部のダーウィン基地に移す協定を結んでいます。ハワイでは、海兵隊の立派な基地が完成しています。ハワイの知事との交渉で、ハワイの方も沖縄の海兵隊を3000~3500人程度引き受けてもいい、と言っています。しかし、その計画は中断されている状況です。
現在、海兵隊のグアム移設が進んでいない一番の原因は、アメリカ上院の有力議員3名が反対し、3カ年分の予算を凍結しているためです。だから、基地問題を解決するためには、アメリカ上院の軍事委員会に議題として乗せさせて、そこで議論させて解決するしかありません。
その点が、今回の知事選の見どころ、そして新知事の課題です。(6面に「沖縄通信」)
http://www.jimmin.com/htmldoc/153203.htm

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